15:奈落の道
「ガサガサガサ…」
両側に立ち並ぶ商店の数々。
両腕に握る買い物袋が鳴らすその音は私の身体を揺らし、足下の薄紅色の舗道へと消えていく。
今日もいい天気…だ。
「ガサガサガサ…」
仕事が休みでやることがなく生活に必要な食料を買い出し、一日が終了する。
食事を作り、掃除をし、洗濯をして…。
このジャージもそろそろ洗わないとだ。
「ガサガサガサ…」
このまま進むと坂があり、坂を下ると海辺が見え、その近くに私の家がある。
この道は高校の通学路であり、普段は多くの学生で溢れている。
高校生の自分もこの道を歩き、高校に通っていた。
ここを通ると、懐かしさと同時に別の感情が胸の奥に蘇る。
意識して思い出していないのに無理やり掘りおこされる記憶…。
「………。」
「ゴンッ」
立ち止まった自分の背中に何かがぶつかる音。
振り返るとそこには何回もお辞儀をする人。
この丁寧な言葉使い…は………
「…!す、すみません。前をよく見ていなくて…。
………、………………!」
「………………………!」
学生のいない通学路。
そこには、ぶつかったことを謝る細田先生と買い物袋の中の割れた卵を見つめる自分がいた。
「白川先生もお買い物ですか…?」
「…ええ、まあ…。」
「………………………。
…本当にすみません。私の不注意で………。」
「いいえ、私があんなところで立ち止まっていたのが悪いので…。」
「…白ちゃん……………。」
「………、…。」
「あっ、す、すみません。つい、昔のあだ名で…」
「…ふふっ、久しぶりに聞きましたよ。私のあだ名…。
細田先生は、いいんちょー。でしたね…。」
「…恥ずかしいですね。この歳でこのあだ名は…」
「結構、似合ってると思いますけどねその眼鏡が。」
「…眼鏡?」
「ええ、掛け方が。」
「……、…!」
「…ふふっ。」
慌てて逆さに掛けていた眼鏡を掛け直す細田先生。
「ひどいです…、白ちゃん………」
「いいんちょー、そんなに落ち込まなくても…」
「……………。」
「……………。」
「…ふふっ。」
「…ふふふっ。」
「ふはははははっ!!!」
じっとお互いを見つめた後、私たちの口元から笑いが零れた。
高校生の私たちはこうして笑えていた。
どんな話でも楽しくて、面白くて、夢中だった。
今の私たちが笑えていないということではない…。
…昔と変わってしまった。
今はもう、みんなあだ名で呼びあうことは無くなった…。
「白ちゃん、あの3人のあだ名…覚えてます…?」
「ええ、もちろん…。
なーちゃん…。
尋くん…。
そして………」
「あの3人は本当に仲がよかったですね…
高校に行く時も、帰るときも…。」
「…ええ。」
「なーちゃんと尋くんとあの子。
あの3人と一緒に私たちもいた…」
「………。」
…そう、みんな一緒だった。
私と細田先生、長原先生と君主くんに島田先生。
そして………。
どこにいても同じだった。
何も考えずにただ…。
笑えていた。
「あの3人、…三角関係…だったんですよね。
なーちゃんは尋くんのことを好きで、尋くんはあの子のことが好きで…。」
「………。」
「あの子が歌っていたあの歌も、尋くんへの恋歌だったのかな…って思います…」
「………。」
「きーみーの声が聴きたいから、ぼくはうーみーを眺め…。
あなたーのー笑顔が欲しいから、わたしーはー空を見る…。
世界ーは交わり出会うだろう…。
偶然という名の必然で~。」
「………。」
………………………………………………………………………
………………………………………………………………………
………………………………………………………………………。
声が聴きたいから海を眺めても。
笑顔が欲しいから空を見ても。
何も起きない。
今、私がこの坂道から眺める海は。
何もしてくれない。
今、私がこの坂道から見つめる空は。
何もしようとしない。
…そう。
あの頃にもどれない。
もうここは………
「…白ちゃん、あの子との約束………」
「………………………………………………………………………」
「……………覚えてます…か?」
海辺から冷たい風が吹き荒れる。
「白川先生、今日はすみませんでした。
色々とご迷惑をおかけして…」
「…いえいえ、こちらこそ。
私はこっちの道なので…。」
「…………………久しぶりに、楽しかったです…」
「…ええ、…また………」
細田先生の瞳に浮かぶその泪は、私と同じ…だった。
………。
うみねこが青空を舞い、影が水面へと刻まれていく。
鳴き声がいつまでも反響し、私に些細な希望…を与えてくる。
…。
あの翼があれば、私も…
あの子と私の記憶。
あの子と私たちの記憶。
あの子と世界の記憶。
残されたのはあの子ではなく…記憶。
私がいつも思い返すのはあの子ではなく…記憶。
心の中に住みついた偽物の…記憶。
本当は何なのか…
真実は何なのか…
正しいのはどれなのか…
誰か…教えて欲しい。私に…教えて欲しい。答えを…教えて欲しい………
この永遠に続く道から抜け出す方法を。
あの日から今に至るこの道のり。
そう、私がいるのは…
奈落の道。
背中を突き刺すその青色は今日も…昔と変わらない