14:偽りの日常
「ガラガラガラ………、ガタン」
ドアを開けると広がる無数の机と椅子。
温かさを失くしたそれらは誰もいないこの空間でずっと時が過ぎるのを待ち続けていたのだろう。
「スサー…」
机の表面に指を触れると薄く埃がついた。
こすり合わせるとそれは奥深くへと染み込み、やがて指先を黒色に染めた。
掃除用具入れから顔を覗かせるほうき、剥がれかかっている掲示物、乱雑に束ねられたカーテン…。
天井を見ると電気がついていないことに気づいた。
「カチン」
小さな音が鳴るのと同時に1人では明るすぎる蛍光灯の光が身体を照らしていく。
歩くたびにきしむ床に映るその淡い光を見つめたまま意味なく歩きまわる。
「カチッ、カチッ、カチッ…」
黒板の上から聴こえる時計の音。
誰もいない空間でも鳴り続けるそれは今もなお絶えず時を進め続ける。
「ギギギーッ」
そんな働き者を乾いた視線で見つめたまま自分の席に着席する。
…飽きないの?だろうか…。
前かがみになり頬を両手で支えたまま、それを見つめる。
…………………。
窓ガラスに頬を黒く染めた自分の顔が映る…。
「………。」
黒板を見渡せてしまう…。
いつも麻美とミレアが前にいて顔を動かさないと見れない。
でも今は…。
「………。」
空っぽの教室…。
いつも塚原くんが号令をかけ、みんな一斉に椅子から立ち上がる。
でも今は…。
「………。」
窓越しに潜む灰色の校庭…。
いつも速さんが先頭でみんなと走った。
でも今は…。
「……………。」
右隣にある誰もいない机と椅子…。
いつも…彼と一緒…。
でも今は…。
あたりまえに学校で話していた。
あたりまえに学校で笑えていた。
あたりまえに学校で過ごせていた。
繰り返す毎日をあたりまえに…感じていた。
でも今は…。
何も…ない。
学校が長期の休みになり訪れたのは1人だけの日々。
昔の自分はこの存在を羨ましがっていた。
何も…知らずに。
今、ここにいてようやく気付いた。
…そう、私が掴んだものは。
……………。
偽りの日常だと。
「そんな辛気くさい顔をしてたらいつまで経っても卒業できないぞ~、し・ら・と・りっ!
ほら、始めるぞー!」
勢いよくドアが開くのと同時に教卓の前に大柄な教師が立つ。
その人は分厚い紙の国語辞書を持ち、私に近づく。
「…ふふっ、隙ありっ!」
「べゴンッ!」
鈍い音と共に頭に渋い痛みが走る。
…窓ガラスに映る二つの人影。
そこには優しく微笑む長原先生と沈んだ笑顔の自分が映る…。
「よーし、今日はここまでにするぞ…白鳥。」
私は1人、休日の学校に補習を受けに来ている。
結局、私は進路を決めることができず留年が確定してしまった。
テストの成績が思わしくなく、課題も残している…。
「………。」
私が目標を持っていればこうにはならなかった…。
…いいや。
最初から自分には目標など何もなかった。
こうなることは…わかっていた。
みんなには目標がある。
私には…ない。
…そう。
ただ、それだけ…。
「………。」
何もない人間が何かを掴むことなんてできない。
…わかっている。
私にも何かあれば踏み出すことができる。
そう…信じている。
強く自分を変えたいと思える何かが必要。そして、それを探すことが必要。つまり、自分を見つめることが必要…。
窓に映る自分の顔を見つめるのとは訳が違う…。
「………。」
…わからない。
自分はどうしたらいいのか、どうしたいのか、どうなりたいのか…。
答えは自分が持っているはずなのに見つからない。
…見つけられない。
……………。
考えれば考えるほど底に沈んでいく。
手を伸ばしても誰も手を差し出してはくれない。
…あたりまえだ。
掴みとるのは自分のこの手なのだから…。
「ギギギーッ」
…帰ろう。
ここに座っていてもどうにもならない。
…。
いつになったらみんなのようになれる…のか?
いつも学校で一緒にいた存在。
自分もその輪の中に…いた。けれど…。
みんなみたいにはなれなかった。
みんな…すごいよ。
みんな…、会いたいよ…。
…………………。
隣の机にまで広げていた教科書とノートを鞄にしまい席を立つ。
………そう。
いつも隣に彼が…いた。
「バンッ!」
「っ!!!!!」
突然、両肩に衝撃が走る。あまりの強さに私はふらつき、バランスを崩した。
「…おっと、危なーい。」
驚き縮まった身体はその声とともに優しく何かに受け止められた。
「…先生………、やめてください…よ。」
「いや~スマンな、まさかこんなにうまくいくとは…。」
窓ガラスに映る自分を見るとそこには虚ろな目で先生を見つめる自分がいた。
「白鳥…。このあとちょっと、いいか…。」
「………、…。」
先生は微笑み顔から真剣なまなざしになり、静かに私の隣の席へと座る。
…そう。
彼の席に…。
「………。」
「………。」
私の瞳を一直線に見つめる先生。
その耽耽とした鋭さに私の腕は再び椅子を引き出していた。
………。
「…ふふっ………。」
ちらつく蛍光灯が胸の鼓動と同調していく…。
「白鳥は最近元気ないぞ~。時見に会えなくてつらい…か?」
「…!!!そ、そんなわけ…ないじゃないですか………。」
「はははっ、冗談じょうだん。
私はな、生徒が考えていることはなんでもわかってしまうのだよ。」
「…、…。」
「見るからに悩んでる…って顔だぞ、キミは。」
「…。」
「まぁ、1人だけ留年したことを気にしているか、これからの自分を恐れているかのどちらか…。
白鳥の顔は…後者だ。」
「…………………。」
完璧な解答に私は沈黙するしかなかった。
「白鳥、ちょっと笑ってみな…。」
「………、…?」
「いいから。」
「…はははっ。」
「……………。」
「…?…。」
突然の注文に私は無理やり笑ったのだった。
…そう。
偽りの笑顔…で。
「…ダメだ、だめすぎる…。
もっとこうな、とびっきりにいかないと~。例えば…。
こういうふうに~~~~~!!!」
「…!ふぇっ、ふぇんふぇい、はへへふははひっ!!!
…っ!今、先生の指が口の中に入りましたよっ!!!」
「ふはははははっ!その調子だ~!!!」
「!!!っ、笑ってません!ふざけないで下さいっ!!!!!」
「………………………………………。
ふざけてなんていないよ…。白鳥…。」
ちらつく蛍光灯に先生の強い言葉が反射する…。
………………………。
「…白鳥、他の人間と自分の存在を照らし合わせているだろ…?」
「…!!!」
「みんなみたいになるにはどうしたら?
みんなみたいにすごくなれるのか?
みんなみたいに……………。
………その幻想は…捨てな。」
「………………………………………、…え………?」
「白鳥の周りには数えきれない可能性がある。
たぶん、今は見えていないだろう…。
見えないときにその幻想は現れる。」
「…。」
「その幻想は逃げている証拠。
ずっと、つきまとってくる。
自らを遮るように…ね。」
「…。」
「逃げて避けて拒んだ先にある場所。
そこに居るのは弱い自分。
…そう、何も変われていない自分…。」
「…。」
「白鳥…、今の自分をどう思う?」
「………。」
「逃げていない、避けていない、拒んでいない………。
…うん。わかってるよ…。
痛いほどに…わかる。」
「………。」
「でも、今の自分は何かを失くしてしまった…とは思わない?」
「………。」
「それに気づけなければずっと…このままなんだ…。
…気づける…かな?」
「………。」
「……………、私がさっき言ったこと覚えてる…?
それが答え…なんだ。」
「…………………………………………………………………!」
「…そう、笑顔でいること…だ。」
先生は首元から首飾りをはずし、私にそれを手渡す。
「これは、お守りなんだ…。」
「…、………。」
「昔、私たちが親友に渡したもの。
でも結局、………。」
「………。」
「これには私たちの高校生の記憶が刻まれている。
これの持ち主だった人はいつも…、私たちに笑顔をくれた。
…白鳥にも、いつまでもそうでいて欲しい……………。」
私はそのお守りを受け取った瞬間、なぜか心から笑えた。
「…うん。いつものいい笑顔だ…。」
先生は何かを懐かしむように私を見つめていた。
…このお守り、どこかで見たことが………。