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Students  作者: OKA
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影のない場所


「はぁ、はぁ、はぁはぁ」

全身の血液が沸騰しそうな勢い。いまは一体何周目であろうか。この体育着の通気性は異常に悪い。おかげで全身がびしょ濡れである。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

それにしても、相変わらずはやみさんは速い。クラスの先頭を率いり、疾風の如く走っている。

私もあれぐらい速ければと羨んでしまう…。

「はぁはぁはぁはぁ」

今日は月曜日。今は1時間目。科目は体育。授業内容は持久走…。

持久走といっても3000m走タイムトライアルという強制的に校庭を15周走らされる。

校庭15周とはなんなのだろうか?同じ場所を15周も走る行為は確実に精神が崩壊する。

「ぜぇ、はぁ、はぁ、ゴホッ」

苦しい。心臓が肺がお腹が痛い。めまいまでしてきた。体育がある日にお腹が痛くなるのはいつものことである。

バレーボールやバスケットボールなどの球技系スポーツならば、まだ嬉しい。

嬉しいという表現が果たして適当なのかはおいといて、球技の授業は大抵チームプレイで成立する。

よって、私ひとりぐらいフラフラと授業をしなくてもいいのだが、この競技は違う。


スタート兼ゴールラインの白いラインを通過する。みんなが走っているせいで、ラインは元の形をとどめていない。

…そう、私も同じ。時が経つにつれて体力は確実に削られてゆく。額から流れる汗が、目の中に入る。

「…。はぁ、はぁ」

空は憎いほどの快晴。鳥がゆったりと飛んでいるのが見える。

自由。解放。広大。

雲ひとつないその青色とは相対的に、私のいる場所は灰色の地面。束縛されたこの時間は、あと何分で終わるのか。

「…。…。…。」

ああ憂鬱だ。こんな暑苦しい日に容赦なく冬の運動をやらすとは…。絶対に半年間季節を間違えている。

次は数学の授業でたしか微分だったような気がする。まぁ多分、必然的に寝てしまうと思うが。


「はぁ、早く終わらないかな~。」

















全開にされた窓から勢いよく風が吹き抜ける。さすがに教室のすべての窓を開けると、その風力はすさまじい。

黒板の左右にある掲示板に貼られている掲示物が風で煽られる。

「ビラビラビラ」

ひとつの掲示物に対して画鋲が2つ使われている。さすがに画鋲を4つ使ってしまうと効率が悪いのだろう。

「ビラビラビラビラビラビラッ」

とはいっても、4つの画鋲を使ったほうがいいと個人的には思う。このうるささは、結構なものである。


「そろそろ、窓閉めてもいいかな?」

かわいらしい声で数学の教師が教室にいる生徒に問いかける。白いチョークを持ったまま反応をうかがっている。

だがしかし、誰も返事をしない。それもそのはず、教室のほとんどの生徒の顔が机に沈んでいる。

「ビラビラビラビラビラビラビラビラビビューン、ガタン」

数学の教師は小さい溜息をしながらも、きちんとすべての窓を閉める。

右手にチョーク、左手に教科書を持ち教室内を歩き回る。微小ながらも教師の靴と床がこすれる音が聞こえる。


「ギギーンッ」

俺は椅子を後ろに動かし、体を伸ばした。一番後ろの席は結構気に入っている。

というのも一番後ろなため、俺の後ろには机が存在しない。そのため、他の席と比べて椅子を動かせられる範囲が広い。

さっきの体育の授業で周りのみんなはもう数学を受ける気力をなくしている。

かすかな時計の秒針の音だけが、静寂な教室を制す。

「よーし。もう終わろう。」

元気のない教師の声により今、授業は終わろうとしている。教師はきっと複雑な心境であるに違いない。

普段、このクラスはとてつもなく賑やかである。特に、俺を除いたこの窓側の連中が…。

そんなクラスでも静かな時間が体育の授業がある今日と木曜日である。

静かで授業は平和であるが、授業を受けている生徒が少ないというのは悲しい。


「えーと号令係さんはぁ…」

「先生、俺です。」

廊下側から落ち着いた声で応答する人物。

さすがに塚原は寝てはいなかった。クラス委員長の肩書だけのことはある。


「起立ー。」

彼の号令でようやくみんなの顔が上がり始めた。

終りのチャイムが鳴ったのは、この号令から30分後であった。

















さすがに、この人数だと目的地に到着するまで時間がかかりそうだ。前を横に連なりゆっくりと歩く2年生。

学年を判別するには上履きの色を見れば一目瞭然。こんなにゆっくりだと頭にきてしまう。

「キュッキュッッ」

廊下は3時間目が終わるとこの上履きのすれる音で満たされる。これは弁当屋が出張販売をしにこの高校へやって来るからである。

その販売開始時間が3時間目終了のチャイムの音なのである。

「しっかし、この人ごみは尋常じゃないな。」

俺の制服と比べると新品同様の制服を着た時見。俺たちはいつもこの時間帯に2人で昼飯を確保しに戦場へ出向く。

任務は弁当屋ではなくコンビニにある。

この高校は不思議なことに食堂が存在しない。当然、学校の生徒達から苦情が殺到した。

そこで、弁当の出張販売とコンビニが設けられたという経緯である。

「俺たちの教室がもうちょい西側だったら、弁当も買いに行きやすいんだけどな…。」

俺も同感である。時見が何を言いたいかというと、弁当が販売されている場所までの道のりが遠すぎることである。

俺たちの教室は3階の一番東側の教室。

出張販売するのは…西側校門。

というのも、出張販売をする弁当屋の本店が、西側校門から徒歩数秒。

できたてのお弁当をみんなに食べてもらいたいという店主の良心が弁当=西側校門という公式を作ってしまった。


一応、俺たちも弁当を求めに西側へと赴いたことは何度かある。

だがしかし、この廊下を埋めてしまう程の人ごみでは、俺たちが到着するときにはおこぼれ的なものしか販売されていない。

フライドポテト、から揚げ、メンチカツ…。

小腹を満たす程度なら問題ないだろうが、健全な男子高生の食欲はこの程度では満たすことはできない。

「まあ、お前は抹茶弁当みたいなのがあったら、わざわざ行くかもな。」

「抹茶が好きな俺でも、そんな怪しげなものは食べないぞ!」

まずまずのツッコミが隣からとんでくる。

この時見という人間は、とにかく抹茶が大好きなのである。

転校してきてからもう3ヶ月間、俺たちは仲良く?コンビニに通い続けているが…、。

…こいつの買う商品は、たいてい抹茶クリームサンドパンと抹茶ラテである。

たまに、この両方が売り切れてしまっているときがある。その時こいつはなんと、抹茶アイスを購入していた。

アイスを昼飯にしてまでも抹茶を摂取しなければ気が済まないらしい…。







階段までもが学生であふれていた。やっと中央階段まで来たというのに、ここからいつもなかなか進まないのである。

コンビニはこの中央階段を下りたすぐ正面に設置されている。

「これは、アイスフラグだな。」

「…んっ、いいよ。別に。好きだし。暑いし…。」

階段の踊り場の上部にある窓から、生ぬるい日差しが俺たちを照らす。

この様子だと、あと数分はかかりそうだ。時見は抹茶グッズの心配をする。俺はというと、今日は何も買わなくても困らない。

なぜならば、親が久しぶりに弁当を作ってくれたからである。

結局、家の弁当が一番安定する…。

「そういえば塚原、今日は弁当持ってきたんだろ?何で一緒にきたんだ?」

「おもしろそうだか…ブハッ」

発言途中に時見の右ストレートパンチが俺の鳩尾みぞおちに入った。最近のこいつは恐い。暴力的な意味で…。

転校してきた当初はこんなことはしてこなかったのに。慣れというものは恐ろしいものである。


「ビュイ~ッン」

店内に入ると冷房の風が非常に快適であった。

俺たちがコンビニに入ることができたのは正午過ぎ。食べる時間はあと数分しか残されていない…。

「な、なんだと…。ア、アイスまでもが…。」

周りを見回すと、アイスを購入する生徒が半分以上だった。

もう夏休みが近い時期であり、アイスや清涼飲料水は完売している。

残っている商品はというと、カップ麺と菓子ぐらいである。カップ麺は汁が熱いし、菓子はのど越しが悪いからであろう。

「あきらめろ。もう2種の選択権しかない。」


俺は慈悲をこめて限られた商品の中からカップ麺を1つ選び、床に崩れる時見に渡した。

















最後の一口を惜しみながら口に運ぶ。

割り箸がおさまっていた袋に店名が記載されていた。

「のりちゃん本舗…?」

このような名前だったことは初めて知った。名前の由来は店主の名前であろうか?

それとも、この弁当に大量の海苔が盛られていたことであろうか。

なかなかの味だし、値段も300円でお釣りがくる。

星3つどころか星5つのミシュラン評価である。


デスクの足元にある自分専用のごみ箱にプラスティック製の容器を投げ入れる。

割り箸の袋は…。

せっかくなのでとっておくことにした。

左胸のポケットに小さく折りたたんで入れる。


無造作に置かれた書類の山、付箋が貼られている封筒、湯呑に温かさを失った緑茶。

目前に広がる光景は仕事の回転率が低下していることを示す。首元のボタンをひとつ緩め、デスクの整理を開始する。

首元から心地よい冷風が入り込む。職員室内の温度は涼しい適温に保たれている。

夏場の仕事を効率化するにはこの冷房と扇子とクールビズが欠かせない。


「ドタ、ドタン。ガサッガサ」

…地道に整理してもなかなか目前の光景は変わらない。

そう、自分は見て見ぬふりをしているにすぎない。目前を変えるためには仕事そのものを全て終わらせるほか方法はない。

「シュッ、パサラララパサン」

意地になっていたら(ひじ)が書類の山にあたり、その半分が崩れ床にこぼれてしまった。

ああ、やってしまった。この状態を元に戻すのは一苦労である。順番やら優先順位やらも元通りにしなくてはならない。

私は渋々冷房の風で煽られる書類を拾う。


「こうなると、なかなか取りにくいんですよね~。」

私の腕とは異なる腕が床上の白い範囲を修復してゆく。

隣のデスクに座る細田(ほそだ)先生が助けてくれたおかげで、書類も汚れず元の状態に戻すことができた。

私たち2人は立ち上がり、キャスタ付きの椅子に腰を戻す。


細田先生の担当は数学。こうして昼休みが終わりまだここにいるということは、午後の授業は私と同様に担当授業がないということである。

新しく入れ直した緑茶をすすりながら、私たちは世間話を始めたのであった。

「長原先生も今日はないんですか?長原先生は午後はいつも国語辞書で授業をしているイメージでしたから。」

「本当は電子辞書にしたいんだけどね、生徒に少しでも手を動かせるということで頑張っているのよね。」

温かい湯呑を両手で持ち、お互い向き合いながら同時にすする。渋い香りと後に残る苦味が体を癒す。

喉を通り過ぎる熱さと体を冷やす冷気が調和していく。

私はもう数年間教師生活をしているせいか蝉の鳴き声を聴くことが苦手になってしまった。蝉が嫌いなわけではない。

長らくこの職業をしていると身についていまうというか…。

いわゆる職業病のようなものである。

「今日の2時間目は長原先生の生徒たちの授業だったんですけどね、あまり授業らしいことはできませんでしたよ。

 仕方がないんですけどね。私の授業の前が白川(しらかわ)先生の授業でしたから…。」

すこし思いつめられた表情の細田先生。無理もない。この時期は期末試験のために授業の進め方をうまく調節しなければならない。

自分の持つ担当クラスの授業内容をすべて合わせなおかつ、テスト問題も作らなくてはならない。

テストをする生徒本人たちも大変であろうが、私たち教師も赤点受賞者に夏休みの補習というプレゼントをしなければならない。

よって、少しの授業の遅れも致命傷になりかねない。

そう、蝉がくる季節は私たち教師の夏を奪いかねない時期の暗示なのである。

「でも、飛馬ちゃんと塚原くん、時見くんは優秀でしたよ。ちゃんと眠らないで授業を受けてくれていたし…。」

私の授業で寝ていたら、問答無用で辞書で殴るであろう。こういうときにも電子辞書のほうが活躍する。紙の辞書より痛そうだし…。

飛馬は1年生の時からいい子である。私の言うことも素直に聞き入れるし、成績優秀。

運動も論ずる必要がなく、クラスのみんなからも慕われている。申し分のない生徒である。

塚原もなんだかんだでいいやつであろうか。

ちょっと無表情で言葉に棘がある時もあるが、3年間連続でクラス委員長をやるくらいだからたいしたものである。

そして時見は…。

うん…。いいと思うぞ。あの騒がしい連中が周りにいながら成績優秀。

クラスのみんなともやっと打ち解けたみたいだし。

まあ、時見には少しうるさめのほうが正解だったかな。


「トルゥルルルルルルー」

細田先生の言葉で思い巡っていると、電話の音が鳴り響いた。

音の振動が緑茶の表面に波紋を描く。

「はい、もしもし。え~。はい、少々お待ちください。」

頭が見事なまでのバーコードの人物。メガネをかけ、扇子で煽ぎながら電話の対応をする中年のオッサ…。

…教頭がこっちを見て言ってきた。

「そこの2人は白川先生がどこにいるか知らないかい?」

目が合ってしまった。教頭と関わるとろくなことが起きない。

この前なんか、明らかに自分に用事がない状況で私に他の先生に書類を渡すように頼んできた。

まったく、教頭の働きをしてほしいものである。

私は教頭の対応を細田先生に押し付ける。

「えーと…。多分、校庭で授業をなされていると思います。」

渋々、妥当な応答をする細田先生。たしかに、白川先生が外にいることは間違えない。

なぜならば、さっき私は昼休みの終りにジャージ姿の白川先生が職員室から出て行くのを見たからである。

こんな外が暑いというのにジャージで授業するとはいろいろな意味で危険であるが心配はないであろう。

「悪いけど、呼んできてくれないかね?」

予想的中。このパターンはもはや典型。このオッサンは少しは自分で動こうとはしないのか?

私がこの学校に来た時からこのオッサンは教頭の座に君臨していた。

当初からこんな感じであり、この数年間で性格の改善はなされなかった。変わったのは、髪の毛のボリュームくらいであろうか。

「教頭。提案なのですが、白川先生の携帯に連絡するというのはどうでしょう?」

いい提案である。私が同じ境遇にいたとしたら、これと同等の答えを述べたであろう。

この炎天下では校庭までいくだけで蒸発してしまう。なるべくこの癒しの空間を出たくないという気持ちはみな同じであろう。


「…。ブィーン。ブィーン。」

どこからともなく携帯のバイブレーションの音が鳴り響く。鳴っている位置は白川先生のデスクがある部屋中央からである。

そう、教頭はすでに電話を切り替え、細田先生の策案を実行していたのだった。

「ちょっと最近、腰痛がひどくて。すみませんね?。細田先生。」

誰にでもわかる皮肉を込めた愛想笑いで教頭が言う。

しかし、いつまで腰痛なのだろうか。私に用事を押しつけた時も腰痛がどうのこうのであった。

…お疲れ様です。細田先生…。














透明な風は眩しいほどの青空へと溶け、太陽とともに世界を照らし続ける。

影のないその場所は、幼き向日葵たちに夢を語る。

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