3 玉子焼き事件
入学して少し経った、そう4月中頃のある日の昼休み、突然その声は掛けられた。
「黒田、いつも一人だな。飯不味くない?」
いつも通り自分の席で、一人黙々とご飯を食べていると、隣の席の白坂が自分の弁当箱を私の机に置いた。
「!?」
あまりにびっくりして声もでない。そんな私の様子なんかお構いなしに、ガタガタ音をたてて机と椅子を移動して、私の机の前に向かい合わせにくっつけて座った。
私の机に置いた弁当を手元に引き寄せると、
「なあ、黒田。一人飯って美味い?」
にぃっと笑って顔を覗きこんでくる。
私は俯き、ぎゅっと唇を噛んだ。胸の前で止まった箸を持つ手が、小さく震えているのが見える。
そう、いつも…。
白坂は、高校に入学して隣の席になってからずっと、こうやって私の心の傷に塩をぐりぐりすりこんでくる。
あんなに大きい声であんなこと言わないで。息が苦しい。放っておいて欲しい。
みんなに聞こえているよね。私どう思われているのだろう。
息を殺し、存在感をなくし、人の目にとまらないように静かに学生生活を送っていこうとしているのに!!
もう一度ぎゅっと唇を噛みしめ、それから、やっとの思いで声を出した。
「別に…。」
私の返事なんか聞いてない様子の白坂は、
「それ黒田が作ったの?」
私の弁当を覗き込んでいた。
「そう…だけど…。」
私も机に置いた弁当の中身に目を落とす。
なんか変なのかな?普通だと思うのだけど。
中学を卒業するまでに身に着けた“無表情”とはうらはらに、心の中は、不安でいっぱいになっていた。白坂は気にする様子もなく、
「玉子焼きちょうだい!」
そう言って、手づかみで玉子焼きを一切れとると、私の返事も待たず、ぱくっと口に放り込んでいた。
「えっ!?」
びっくりして言葉が出ない。私の“無表情”は崩れただろうか。
今、自分がどんな顔をしているのか正直分からない。
白坂は、よもや私のことなんかほったらかしで、
「うまいっ!」
と、嬉しそうに食べている。それをみて、少しほっとしていた。
でも、口から出た言葉は、低い声で一言、
「手づかみはやめて。」
だった。口をもぐもぐさせながら、
「了解!次から手づかみはやめる!」
白坂は笑顔で返してきた。
あれ?なんか問題がずれたな。次もあるのかな?
白坂の行動が理解できなくて眉間に皺を寄せた。
「ねえ、黒田。俺のも好きなもの一つあげるよ。俺の母さん料理上手いんだぜ!」
そういって、白坂は弁当の包みをあけ、弁当の蓋をとって私の前に突き出してきた。その行動に、急に周りが気になりだした。
それって、なんか…ちょっと…。
白坂の弁当は、焼き肉、煮魚、煮物、野菜、などバランスの良い色とりどりのおかずが綺麗に詰め込まれていた。そして弁当箱が大きい。
「美味しそう…。」
とてもとても小さな声でつぶやいた。白坂にも聞こえていない。
白坂から中身が見えないように、自分の弁当箱をそっと手で隠す。
それから、白坂を見上げ、周りをみた。
…なんか見られている…。お昼休みが始まった時とは打って変わってクラスが静かになっているのに気付いた。
もしかして、ちゅっ、注目されている…よね?
どうしよう。そうだよね。弁当のおかずを交換って漫画で読んだことあるけれど、それってとっても仲良しな人同士ですることじゃなかったっけ?
私は慌てて白坂をもう一度見ると、
「あ…えっと…いいよ。大丈夫。」
「ん?そうか?遠慮しなくていいのに。」
残念そうに言う。なんだかちょっと申し訳ない気持ちになり、
「今日、あまりお腹すいてないの…。」
ぼそぼそとそういうと、ちゃんと聞いてくれていた白坂は、
「そうか。なら仕方ないな。今度食わせてやるからな!では、いっただきまーす!」
元気な声でそう言うと、もしゃもしゃと、ものすごい勢いで美味しそうに食べ始めた。
今度って…。やっぱりまたあるの?と、心の中でどうしていいかわからない感情と戦いながら、弁当を食べるのを再開した。
ちらっと白坂をみる。
本当に美味しそうにご飯を食べるんだなと思った。
私が作った玉子焼きも美味しいって言ってくれた。
また、作ってこようかな。
なんだかそわそわした気持ちになっていた。
その日から、白坂は机を私の机に勝手にくっつけてきて、一緒にご飯を食べるようになった。