黒幕の名前
エルザ様と宮殿に戻った俺は、その足取りのままサレン様の部屋へ行く事にした。彼女も寄る予定だったらしく、俺の前を颯爽と歩いている。
しかし、その周りに側近は居ない。先ほど、宮殿入りした時点で彼女が追い払ってしまったのだ。「今日はアレンが居るから良いわ」、と。今日は、そういう気分らしい。
俺は、その一部始終に苦笑しつつ、エルザ様の身勝手で、でも憎めない行動を眺めていた。
「サレンさん、体調良くなっていると良いのだけど」
「……アインスから、いくつか薬をいただいています。これで、少しでも良くなれば……」
「でも、まさかジャックが黒だったなんて……」
「……一応、宮殿に出入りする通常の医療者も黒白はっきりさせておきますね」
「お願いね……」
ここに来る途中、ラベルが大慌てで俺に向かってきて「ジャックが居なくなった」と報告してくれたんだ。いつかトンズラするとは思っていたが、まさかこんな早く居なくなるとは想定外だった俺にとって、その報告は気分の沈むものとなる。
なぜ、あの時牢屋を訪れたのか? サレン様に毒を飲ませていた理由は? それに、なぜ5年も働いていた居場所をサッと捨てられたのか? 何もかも謎のままだ。
しかし、サレン様のことを考えれば、彼が居なくなったことで多少は精神的にホッとしてくれるだろうとは踏んでいる。あの「薬は嫌だ」は、ジャックのことを指していたに違いないから。
アインスの薬を渡して、少しでも良くなってくれれば良いのだが。
「ねえ、アレン」
「はい、エルザ様」
「イリヤの言っていた予想って、外れたことないわよね」
「……ですね」
「だとしたら、サレンさんは……」
「ジャックが居なくなった今なら、口を開いてくれるかもしれません。……他に、スパイが居なければ」
「……この国を乗っ取っても、何もないのに」
「それを決めるのは、乗っ取られる側ではなく乗っ取る側ですから。何か、まだ私たちの知らないものがあるのでしょう」
イリヤは、サレン様を「毒人間」と呼んだ。
文字通り、彼女の体液全てが毒で出来ていて、触れれば体調不良、長く接していると命に関わるほどの効果を発揮するというもの。アインスの分析と所見を聞いても、全く同じ考えだと言うのだから高い確率でサレン様自身が「毒」なのだろう。
俺は、帰り際にアインスとイリヤの3人で話した内容を思い出す。……帰りの馬車の中で、エルザ様にお話した内容を。
***
『私も、イリヤの考えに概ね賛同します。彼女は、毒を飲み続けないといけない身体になっていた、と』
『そんなことができるのですか』
『赤子の頃から慣らせば、理論上は可能です。ただ、倫理上で言えば鬼畜の所業以外の何物でもございません』
『ってことは、元々毒人間を作ろうと思ってたってこと? 僕は、サレン様に幻覚を見せて自身がアリスお嬢様と錯覚させるのが目的で、そっちは付随してきたことかと思ってたけど』
『それも、可能性の一つと見た方が良い。今はまだピースが少なすぎるからね。真実を1つに絞るのは早すぎる』
『……でも、俺はサレン様と一緒に城下町を歩きました。頭痛も吐き気も何も感じませんでしたよ」
ダイニングからバルコニーへ出た俺らは、夜風に当たりながら話をしていた。
ベル嬢は、エルザ様とご両親と一緒に、料理長のザンギフとダイニングでお話をされている。だから、ここでの話は誰にも聞かれていない。
バルコニーの手すりを掴む手に力を入れながら、事実を認めたくない俺はアインスの顔を直視する。
『幻覚症状も何もありませんでしたか?』
『特に、何もなく……何、も…………』
『お心当たりがありそうですな』
心当たりはあった。
あの日の俺は、アリスお嬢様とすれ違ったような気持ちになり、そのままサレン様をアリスお嬢様と混同して「守る」と誰に言うでもなく誓いを立てていたんだ。
アリスお嬢様にすれ違ったことはもちろん、お2人を混同していたことは、紛れもなく「幻覚」の症状だろう。
しかし、自身で守ると固く誓った事実が幻覚だと認めたくない。それは、騎士としてみっともないだろう。一度立てた誓いが、毒に寄るものだったなんて。
それでも、アインスには正直に答えないと分析結果がズレると思ったんだ。
『……あります。幻覚症状は、確かにありました』
『体調も良く、汗もかかなかったからそれで済んだと見て間違い無いでしょうな。人に寄っては頭痛や吐き気が先にきますが、貴殿は幻覚だった……』
『じゃあ、サレン様もずっと幻覚を見ていて、自身をアリスお嬢様だと錯覚していたのでしょうか』
『はいはーい。それは、僕から話しまーす』
俺が質問をすると、今まで静かだったイリヤが明るい声で返事をしてきた。その不謹慎すぎる声色を注意しようとするも、こいつは元々こういうやつだったと思い出して喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
それに、イリヤがこうやって明るく振る舞う時は、大抵衝撃的な事実を口にする時なんだ。本人も口にしたくないことを話す時。毎回そうなんだ。
『まず、サレン様は、グロスター家の協力者と第三者によって自身がアリスお嬢様だと錯覚するよう仕向けられたんだ。それは、確定した事実ね。……では、なぜ錯覚させようとしたのか? 今、アリスお嬢様が出てきて動く人物は誰か。それを考えると、自ずと答えはわかるでしょう?』
『……まさか』
いやでも、そんなはずはない。
俺は、脳内に浮かんだ事柄を、必死になってかき消す。しかし、それはいくら消しても浮かんで来るんだ。
反射的に顔を背け、怒りで熱った頬を夜風に当てる。それで、少しでも落ち着こうとした。
『そう。5年前に陛下が行なった、潜入捜査。それを、誰かが炙り出そうとしているんだ。しかも、それはおまけ程度にしか見られていないときている』
『どういうことだ?』
『僕の推測が正しければ、5年前の潜入捜査に関わった人物と証拠をあげるから、協力してくれ……と、潜入捜査を訴えようと思った人物に主犯が話を持ちかけたって感じかな』
『私も、その辺りはイリヤと同じ意見ですな』
『……ややこしいな』
『まあね。でも、そうすることによって、協力者が作れるし、いざとなったらその協力者に罪をなすりつけて逃げることだってできる。とても合理的なやり方だと、僕は思うよ』
事態は、思ったよりも複雑らしい。
イリヤとアインスの意見を聞いて、否定する気は起きなかった。むしろ、ストンと何かが俺の中に落ちていくように納得してしまう自分が居る。
あの潜入捜査は、違法だ。
それでも、領民を助けつつ、「悪」だけを見極めるためには必要なことだった。……悪の中に埋まっていた、アリスお嬢様を助け出すためには。
しかし、そのアリスお嬢様が潜入捜査途中で殺されてしまった。これも、計画のひとつだったのだろうか。だとすれば、お嬢様が殺される兆候はあったはず。なぜ、俺は気づけなかったのだろう。
いや、待てよ。
潜入捜査がバレて、一番困るのは誰なのか。
『……もしかして、誰かが陛下を失脚させようとしてる?』
その答えを口にした瞬間、サーッと周囲の気温が下がった気がした。
しかし、イリヤもアインスも表情を変えない。ということは、自身の中で起きている変化か。
俺は、2人がその事実にいち早く気づいていたことを知る。
『そういうこと。陛下の優しさに付け込んだ誰かが、失脚……または、国を乗っ取ろうとしてるのかもしれないね』
『もし、このままサレン様が弱ってなくなったら国際問題に発展するだろう? それに、彼女が「毒」の場合、弱れば弱るほど汗や唾液は落ちやすい。宮殿で生活する人や働く人も無傷ではいられないだろうな』
『……一体、誰がそんなことを』
なんて、口では言ったが、俺はその答えを持っていた。
少し考えればわかるだろう。でも、俺はそれを認めたくない。……ご両親に今まで何不自由なく育ててもらった俺は、認めたくないんだ。
赤子の頃から毒を摂取し続けられる環境は、長期にわたって一緒に住む人でないと不可能なこと。それに、少しでも毒の量を誤れば死に至る。
子を治験体にしたのか。それとも、すでにそのような研究が進んでいて、巻き込んだのか。どちらにしろ、親の所業ではない。
『……マース・ド・ロバン公爵。サレン様の父親が黒幕と見てまず間違いないと思うよ』
俺は、いつの間にか沈んでしまったイリヤの少しだけ震えた声を聞きながら、やはり城下町で見たのは幻覚ではないことを感じていた。
アリスお嬢様とすれ違ったと思ったのは幻覚だったのだろう。しかし、サレン様とアリスお嬢様を重ねたのは、彼女が同じ道をたどろうとしているように感じたからではないか? だとすれば、俺は……。
『そうそう、残念だけどアリスお嬢様の兄も黒だね』
『は!?』
『あれ、気づいてなかったか。……アレンはあの日サレン様と一緒に大衆食堂へ行ったんでしょ? 彼女は、どうやって食事してた?』
『どうやってって……。スプーンとフォークで……あ!』
『そう。唾液が食器に付くことは避けられない。それを、ジョセフが騒ぎを起こすことで回収できるようにしたってところかな。そもそも、大衆食堂へ行くのって元から決まってたことではないでしょう?』
『……わからん。サレン様が、陛下からデザートがおいしいと聞いたから行きたいとお声をかけてもらって行ったから』
『多分、想定外だったと思うよ。まず、そんなところに隣国の公爵令嬢を行かせる方が間違ってるし』
『確かに。……そうか、その前に出かけたフレンチは、予約してから行ったわ』
やはり、イリヤの言うことは的確だ。
考えれば考えるほど、それは真実だと思わせてくる根拠がある。
予約して食事に行けば、事前にサレン様の使う食器を秘密裏に回収することができる。ウエイトレスに変装すれば、すぐに。
しかしあの日の大衆食堂は、彼女のきまぐれで行った可能性が高い。大衆食堂なんて、予約もなにもないじゃないか。行けば席があって、領民も貴族も関係なしに食事のできる場所なんだから。
それに、人の目が多い。下手に食器を隠せば、泥棒だなんだとすぐに騒ぎ立てられてしまい毒の付いた食器を回収できる可能性はグッと減る。であれば、自ら騒ぎを起こして、他の誰かに回収させた方が確実だ。
『多分、ジョセフが体調悪いのも、本当だとすれば毒のせいだと思うよ』
『……調べてみる』
『黒だけど、利用されてただけ。その線で調べてみて。どっちにしろ、あの人はもう手遅れだと思うけど』
『手遅れ?』
『まあ、調べてみなよ。ただし、気づかないふりしてジョセフは泳がせといてね』
『……ああ』
理由は言わないらしい。
イリヤはこうなったら、意地でも口を割らない。今は、その時ではないと言うことか。
俺は、今話した情報を必死になって頭の中に詰め込む。
油断したら、1つ2つこぼれ落ちそうなんだ。でも、やることは決まっている。
『俺は、サレン様を助ける』
『僕も協力するよ』
『私も手を貸します。自家中毒にならない、毒の抜き方を調べておきますから』
もう、アリスお嬢様のように毒で苦しむ人を見たくない。だから、俺はサレン様を助けたい。
その思いでいっぱいになっていた俺は、ひとつ大きなミスを犯した。
ここで、俺が「城下町で流行病が来ていて診療所が切羽詰まっている」話を出せば、また状況は変わっていたかもしれない。アインスに話せば、「それは流行病ではない」と気づいたかもしれない。
けど、俺は話さなかったんだ。それを、後ほど嫌というほど後悔することになる。
***
「サレン様、失礼します。エルザ様をお連れしま……」
「アレン、どうしたの?」
「エルザ様、ここでお待ちください」
サレン様の部屋をノックして入ったところ、すぐにクリステル様がソファで突っ伏している姿が目に入る。
その顔色は、人のものではない。やはり、サレン様は「毒人間」と見て間違いなさそうだ。そう思った俺は、アインスからもらっていた解毒薬を飲み、持っていた布で口を覆う。
そして、中へ入ってすぐに、中途半端に開け放たれている窓という窓を全て開けて、換気を試みる。
こんなところに、エルザ様を入らせるわけにはいかない。解毒薬を飲んでいても、危険はあるのだから。
俺は、クリステル様の口にも解毒薬を放り込み、脈が落ち着くのを待った。
エルザ様は、幸いなことに部屋へ入らず俺の行動を入り口で見ているだけに留めてくれている。
その様子を確かめた俺は、そのままサレン様の眠るベッドへと向かう。その周辺には、甘ったるい匂いが立ち込めていた。




