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叶わぬ恋でも、月は満ちる



 俺には、2つ上の姉さんが居る。


 小さな頃は「マリン姉さん」と言って慕っていたらしいが、年頃になるとそうも言っていられない関係性になった。なぜなら、姉さんは大の恋愛好きだから。

 貴族のお茶会に行ってはどこそこの誰と誰が愛し合っただの憎み合っただの、よくもまあそんなことを他人にできるなと思うような話を拾ってくるんだ。それだけならまだしも、父様の侯爵を継ぐための勉強中に「聞いて聞いて!」と突撃してくるんだから、溜まったもんじゃない。


 そんな姉さんは、昔から決まっていた婚約者のところへ半年前に嫁いで行ってしまった。あれだけ好きだったはずの恋愛もせず、ただ淡々と決められたレールに乗って。


 それでも、何かと理由をつけて家に帰ってくる。今日も、自室で勉強をしている最中に割り込んできた。とはいえ、本気で嫌がってはいない。だって、姉さんは勉強に行き詰まった時にしか来ないから。


「アレン、あなた好きな人は出来た?」

「なっ……! そ、そんな人居るわけないだろ!」

「あはは、照れてら! あんた、本当に男なの? 今時の15歳男子は、女の尻を追いかけるのよ」

「仮にそうだとして、弟が女の尻を追いかけてたら嫌だろ……」

「まあ、見たくはないわね」

「だろ」


 姉さんは、明るい。

 俺がどんなに落ち込んでいても、その明るさで笑わせてくれる。

 今日はどんな話を持ってきてくれたのだろうか? と、期待する俺が居るのは否定出来ないんだ。だから、俺はこの人を部屋から追い出せない。


 そして、俺の返答に笑いながら、目の前にあるソファに座った姉さんはこんなことを話し始めた。


「月が綺麗ですね」

「……? まだ昼間だけど」

「はあ、あんたってやつは!」

「な、なんだよ。普通の反応だろう」


 普通だよな?

 太陽が綺麗ですね、なら話はわかるが……。言う人が居るかどうかは別として。

 これが、なんで恋愛の話になるんだ? それとも、今日はまともな知識でも持ってきたのか?


 俺は、いつの間にか持っていたペンを置いて姉さんの話に耳を傾けていた。


「ダメねえ。「月が綺麗ですね」って言うのは、エルザ様がマルティネス陛下にプロポーズされた時の言葉なのよ! 全国共通の告白ワードなのっ!」

「お願いだから俺と同じ言葉をしゃべってくれ。全国共通なら、勉強している俺が知らないわけがない。それともなんだ? 月を女性に見立てたのか? 周りくどい!」

「不敬! 牢獄にぶちこむわっ!」

「……失礼しました」


 そうだった。陛下がおっしゃったのなら、俺が否定するのはおかしい。

 急いで周囲を見渡すも、窓は閉まってるし扉のところには誰も居ないから聞いていたのは姉さんだけ。見逃してくれ、もう言わないから。


 そんな俺の願いは、あっさり通った。

 ニヤニヤしながらも、焦る俺を見て笑う姉さんと目が合う。これは、「黙ってる代わりにちゃんと聞きなさい」ってことだな。いいさ、聞いてやる。


「ふふ、冗談よ。「月が綺麗ですね」って言うのは、条件が重なって重なってやっと言えるものなの」

「なんでだよ、普通に言えばいいだろ」

「だって、好きな人と夜に出会うなんてそうそうないじゃない? パーティならありえるかもしれないけど、バルコニーに出たところでお相手がいなければ成り立たないんだから。それに、満月の夜に行なうパーティなんて限られているでしょう?」

「まあ、そうか」

「そんな限られたシチュエーションで「月が綺麗ですね」って言われたらどうよ!」

「どうって……それって、男が言うもんなんだろ?」

「はあ、あんたって想像力ってもんがないわねえ。だから「まだ昼間だけど」なんて言うのよ」


 姉さんは、持っていた扇子をバサッと広げて表情を隠しながら……絶対に笑ってる! ほら、目尻が……まあ、良いか。とにかく、先程の俺の返答を口にしてきた。きっとこの話は、次の日にはお茶会とかでされているんだろうな。


 でも、仕方ない。

 その話を知らないのだから。


 そうやって開き直っていると、姉さんが答えを教えてくれた。


「ちゃんと聞いていなさいよ! 何パターンかあるのだから」 

「はいはい」

「まず、エルザ様が言った言葉は……」


 姉さんは、やっぱり変わらないな。

 俺は、楽しそうに話す彼女の顔を見ながら、「これは抜き打ちテストのある問題かもしれない」と思いながら真剣に聞いた。


 無論、その回答に対して「絶対使わない!」と言いながら赤面したのは言うまでもない。




***




 しかしその1年後、俺はあの時姉さんに教えられた質問を使う羽目になった。


 その相手の名は、アリス・グロスター伯爵令嬢。聡明な女性で、芯のあるお方だった。

 でも、その芯は儚い。視界に入れていないと、次の瞬間折れてそのまま消えてしまうのではないかと何度思ったことか。


 もし俺が侯爵の名を継ぐと言って出会っていたら、きっと違う展開になっていただろう。

 しかし、俺は屋敷に派遣されたただの執事という立場で出会ってしまった。マルティネス皇帝陛下の命で、領民たちへ横暴な態度で金銭を搾取している者が居るからと言われ、潜入した先で。


 早く陛下が乗り込んでカタをつければ良いのにと思っていたが、彼女に出会ってその考えは一変した。今のままでは、彼女までもが「悪」として裁かれてしまう。それは、なんとしても阻止てしなければ。

 今日だって、また仕事を抱え込んで遅くまでやってるんだろうと思って探していたら居ないし。また伯爵にどこかに閉じ込められているのかと思って、屋敷中を走り回ったけど居ないし。

 バルコニーにいらっしゃった時は、安堵で目から何かがこぼれ落ちそうになった。そんな俺に向かって、ソファに座っていたお嬢様が申し訳なさそうな顔をして話しかけてくる。


「アレン、お詫びにちょっと付き合って」

「なんでしょうか」

「ここ、座って。月光がとても心地よくて、アレンにもこの気持ちを分けたいの」

「……でも」

「お嫌なら、良いわ」

「い、嫌ではないです。……むしろ」

「え?」

「あ、いいえ! そ、それじゃあ、失礼します」


 相手は潜入先のお嬢様、俺は偽りの執事。何が起きても絶対に実らない恋であるのは明確なのに、俺は不覚にも彼女に一目惚れしてしまった。


 彼女は孤独だった。身を削って、こんなに頑張ってお仕事をなされているのに、誰も彼女を見ようとしないんだ。

 金に溺れるグロスター伯爵家、その金にしがみつく使用人、それに、グロスター伯爵を敵視する領民たち。その三者三様に、アリスお嬢様は敵意を向けられていたんだ。何もしていないのに。むしろ、みんなの役に立っているのに。


 今だって、屈託のない笑顔を俺なんかに向けてくれて。……俺は、彼女の家を壊しにきた奴なのに。そんな笑顔を向けられる資格なんてないのに。

 正直、申し訳なさで目の前にある大きな月が見えていなかった。


「……確かに、心地良いですね」

「でしょう? 身体が軽くなって、どこか飛んでいっちゃいそう」

「飛んでいっても、私が回収しに行きますよ」

「ふふ。アレンなら、やりかねないわね。お父様に罰として部屋に閉じ込められても、いつも貴方がすぐに迎えにきてくれるし。……ねえ、あれって、毎回お部屋が違うのに、どうしてわかるの?」

「わかりますよ。お嬢様の居るところは、ここが教えてくれるので」


 俺なら、とうに投げ出していただろう。

 俺の前に潜入捜査をしていた人によれば、この状態はずっと続いているらしい。なぜ逃げないのか、不思議でならない。

 なんて言いながらも、俺も逃げずにこうやってお嬢様の側に居るのだから同類なのかもしれない。物的証拠を見つけつつも、彼女と過ごす時間を削れずにいる。


 俺は、そんなアリスお嬢様に敬意をはらうため、自身の存在以外は嘘偽りないものを届けたいんだ。

 でも、いくら発言したって、所詮偽りの姿。そんな体内から出てくる言葉なんか、真実であるわけがない。俺は、いつからこんな薄っぺらい言葉をはくような男になったのだろうか。


「ふはっ!」

「へ!?」

「ふふ、す、すみません。お嬢様が、とても愉快なお顔をされていたので」

「え!? ど、どんな顔!?」

「可愛らしいお顔です。何か、考え事をしていましたね」

「ちょっと! 逸らさないでよぅ。……愉快って何よぅ」

「逸らしていませんって」

「嘘おっしゃい!」


 ああ。

 その表情を見せるのが、俺1人だけなら良いのに。

 いつもなら「もっとアリスお嬢様を見て」と思うのに、勝手過ぎるだろう?


 アリスお嬢様が笑うたび、何度本当のことを言おうとしたことか。「俺はあなたの味方です。一緒に逃げましょう」と。

 でも、彼女の性格を熟知してしまった俺は、その言葉を飲み込む。きっと、答えは「大切な家族の側に居たいの」だから。


「……」

「……」


 お嬢様の隣に座った俺は、改めて月を見た。

 先程見た時はただの光だと思っていたのに、今はなんだかとても温かく美しいとさえ思う。大きい光なのに、とても繊細な輝きは綺麗で……綺麗。ああ、そうか。姉さんの言っていた綺麗は、こう言うことだったんだ。


 言ってみようか、彼女に。

 意味を知らなければ、それで良い。知っていたら、なお……。いや、それは高望みと言うやつだ。


 そんな葛藤を数分した俺は、口を開く。


「……月が綺麗ですね」

 

 ちゃんと、言葉として彼女の耳に入っただろうか。

 緊張しすぎて、周囲の音が全く聞こえない。陛下も、こんな気持ちだったのだろうか。


「……一緒に見ているからね、きっと」


 すると、彼女はそう言った。

 聞き間違いではない。確かに、そう言ったんだ。



『月が綺麗ですねの返答は、死んでも良い、昔から月は綺麗だった、ずっと一緒に見ていたい、一緒に見ているから、の4つよ!』



 俺は、昔姉さんに言われた言葉を思い出していた。

 まさか、アリスお嬢様も知っていたのだろうか? 知っていて不思議ではない。彼女にも、婚約者がいるのだし。


 いくらお茶会にあまり呼ばれないと言っても、何度かは行かれている。そこで話を聞いてもおかしくないだろう? と言うことは、彼女も俺に想いを……いや。この顔は、何もわかっていない。だって、お仕事で計算式を出す前の表情と同じだから。

 俺がどんな顔をしていたのかわからないが、すぐにアリスお嬢様は慌てながら言葉をはいてくる。


「あ、えっと。……さっき、1人で見ている時は光が気持ち良いなって思ってただけだったから。その、綺麗とかそう言うのは思ってなくって」

「……今は、綺麗だと思いますか?」

「……ええ、とても」

「なら、良いです。……お嬢様」

「なあに、アレン」


 やっぱり、そうか。

 でも、嬉しい。俺も、綺麗だと思う前に光のことを考えていたから。アリスお嬢様と同じ思考で、めちゃくちゃ嬉しい。だから、今はこれだけで良い。


 お礼に、彼女へ忠誠を誓おう。

 この月光の中なら、俺の嘘も吹き飛ばして真実だけを届けてくれるだろうから。


「……私は、いつ、どこにいてもお嬢様の味方ですから。忘れないでください」


 でも、月光はそこまでの効力がない。

 お嬢様は、悲しげな顔をしながら「ありがとう、アレン」と口にしただけだった。


 今までにないほど彼女の心が欲しいと思った、そんな夜だった。




***



「アレン、騎士団おめでとう!」

「姉さん、走らないで!」


 18歳の夏。

 騎士団への入団が決まった俺がロベールの屋敷へ帰省すると、玄関先で姉さんに会った。大きなお腹で、こちらの向かって走ってくる。


 先日の便りによると、臨月に入ったらしい。

 いつ産まれてもおかしくないのだから、せめて走らないでいてほしい。そして、できることなら夫と一緒に行動して欲しいものだ。

 しかし、俺の目から見ても、姉さんは夫を愛していない。それよりも、ご令嬢同士のお茶会の方が楽しいらしい。


「久しぶり!」

「元気そうだね」

「ええ、おかげさまで」


 姉さんは、言った。

 愛はなくても子はできる、と。


 でも、俺は違うと思う。

 一方通行でも愛があれば、できるんだよ。数度しか見ていないけど、姉さんの夫はとても優しい人にしか見えないからね。

 嫁いで1年で子ができなければ、親族から大クレームを食らうだろう。無論、離婚だってできる。なのに、向こうはしなかった。

 それに、俺の父様母様に「うちの子は、子ができにくい。できても、流産するかもしれない。産まれてくる子の命が危ぶまれるのあれば、迷わず子を」との話をされた時「馬鹿を言わないでください。私は、マリンをとります」と憤慨しながら言ったらしい。


「あのね、昨日屋敷にサフラン様がいらしてね……」


 だから、姉さん。早く、その愛に気づくと良いね。

 俺は実らなかったけど、姉さんはまだ遅くないから。


 俺は、どこか座ってゆっくりできるところに姉さんを移動させながら、いつもの「恋愛トーク」に耳を傾ける。

 姉さんの話は、いつもに増して面白い。だから、視界が歪んでいくのはきっと気のせいだ。



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