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「似ている」は本物に使わない言葉




「じゃあ僕は、クリスに2つのプレゼントを差し上げましょう」


 イリヤは、そう言ってコンコンとドアを叩いた。

 中から返事があったかどうか、少し離れた位置に居た私にはわからない。けど、すぐに扉を開けたってことは、返事があったのでしょう。

 この扉の向こうには、誰がいらっしゃるの?


 トマ卿? でも、それをプレゼントと言うだろうか。陛下にならともかく。

 それとも、シエラ? 彼なら、プレゼントと言われても腑に落ちる。なぜ、こんなところに居るのかの説明が必要だけど。

 まあ、人がプレゼントだとは限らない。ここは、待ちましょう。


「失礼いたします」


 ゆっくりと深呼吸をして扉の前まで行くと同時に、部屋の中の景色が視界に飛び込んでくる。

 そこには、まだ成人を迎えていないであろう少女が、机に向かって書き物をしていた。ペンを片手に、少し遅れて彼女が顔をあげる。


「イリヤ、陛下のお付きの方は……」

「お嬢様、お客様をお連れしました」

「……貴女」

「……」


 その少女と目があった瞬間、私は視線を逸らした。


 どうしてなのかわからない。

 けど私は、彼女の顔を見られなかった。胸の中にあるよくわからない罪悪感がどんどん広がり、息をするのさえ苦しくなる。

 それだけじゃない。ドクドクと脈打つ鼓動の音が、部屋いっぱいに響いてるのでは? と心配になるほど大きく耳に反響してくる。


 気づいたら、床にベタッと身体をつけ謝意を表するように土下座をしていた。

 冷や汗が背中を伝う。手が、足が、全身がガクガクと震え、正気ではいられない。

 これは、何? なぜ私は、こんなことをしているの?


「イリヤ、この方……」

「やはり、お嬢様がアリス・グロスター伯爵令嬢ですね。目の前の彼女がそれを証明しています」

「……でもシャロン、そんなことしないで」


 正直、イリヤの声が全く聞こえてこない。

 それよりも、目の前で困ったような声を出す彼女の声が、私の行動を制御してくる。


 泣きたい。

 今すぐ謝罪の言葉を述べ、この5年間に募らせたものを吐き出したい。

 なのに、それができない。どうして。どうして……。


 そんな葛藤をしていると、コツコツと靴音が大きくなる。


「貴女、シャロンよね。今日、ロイヤル社に居た……」

「……はい。居ました」

「顔を見せて。貴女の目を見て話したいの」

「……」

「シャロン、お願い」


 その靴音は、私の前で止まった。

 でも、頭をあげることができない。彼女の要望を聞かないといけないという気持ちと、恐れ多いという気持ちが自分の中で混ざり合う。そのまま、どこか遠くに逃げてしまいたいと思ってしまうほどの衝動が駆け巡った。


 そんなチグハグな感情の中、目の前で止まった少女が動き出す。


「ごめんなさい、シャロン。貴女が居なくなってから、ずっと謝りたかったの。……ね、目を見て謝りたい。もし、顔も合わせたくないと言うなら、私はここから出てい「っ……!」」


 違う。

 貴女が嫌になって、逃げたわけじゃない。


 違うの。

 私の正体が、グロスター伯爵に気づかれそうだったから逃げたの。

 貴女の心配なんて二の次に、私は逃げたの。だから、私は……。


「……やっと、目を見てくれた。遠目で見た時は変わったなって思ったけど、こう見ると昔のままね」

「……お嬢様。ああ、アリスお嬢様」


 意思表示をするため見上げると、アリスお嬢様の微笑みがあった。そのお顔は、玄関に飾ってあった肖像画の人物そのもの。

 立派だと思ったのも、そのはずだ。彼女以上に、立派にお家を背負い執務に励む人を私は知らない。


「私は……かなり変わったけど、中身はそんな変わってないと思うわ」

「はい……。昔のまま……、あの時のアリスお嬢様です」

「ええ。ストレート髪も、良いものね」


 そう言って、アリスお嬢様は髪をサッと片手で靡かせてきた。

 美しいわ。完璧に近いツヤは、きっと隣で誇らしげにしてるイリヤが手入れをしたのでしょう。そういうのが得意な子だから。


 そんな輝かしい銀色の髪が見えた瞬間、私はあることを思い出す。


 サレン様がアリスお嬢様だと言った時、私は似ているところを必死になって探していた。

 笑っちゃうわ。似ている、なんて本人に向かってすることじゃない。そんなこともわからなかったなんて、笑っちゃう。

 それに、彼女に抱えていた感情は、喜びや懐かしさではない。5年前に逃げたことによる、罪悪感でしょう。


「お嬢様……ごめんなさい。違うのです。私が、私が……」


 私は震える口で、謝罪の言葉を述べる。

 5年越しの言葉を、ポツポツと。


 サレン様の中身がアリスお嬢様でないなら、誰なのか。今の私には、それを考えられるだけの脳が残っていなかった。




***



 宮殿での仕事を終えた俺は、王宮にある騎士団待機室へ戻るため中庭を通っていた。

 今日は、天気が良いな。そのせいか、鳥の囀りが耳に心地よく響く。毎日、こんな平和だと良いのだが。


「お疲れ様です、隊長!」

「お疲れ様。足の具合はどうだ?」

「覚えててくださったのですか!?」

「当たり前だろう、団員の体調管理も俺の仕事だ」

「ありがとうございます! 早く治します!」


 途中、第二騎士団の団員、キクリと会った。

 奴は、先日行った隣国の遠征で膝を傷めてな。今は普通に歩いてはいるものの、まだ激痛があるだろう。ジャックも「あまり動かさないよう松葉杖を使った方が」と言っていたし……。


「なら、松葉杖をしろ。足に負担をかけていたら、後遺症の心配もある」

「でも、騎士がそんなこと……」

「お前は、復帰より体裁を取るのか? どっちが騎士として誇りのある行動か、考えろ」


 キクリは若い。確か、まだ19だった気がする。

 だから、周囲の視線が気になるのは仕方ない。俺だって、同じく思うだろう。


 しかし、そうは言っても医療者の言うことは素直に聞いておいた方が良い。これが、俺の持論。


「……すみません! 今から医者に行ってきます!」

「あ、待て」

 

 本当は、行かせてやりたい。しかし、今はそうも言っていられないんだ。


 俺は、走り出そうとするキクリの肩を掴む。……というか、足が痛むのに走るな!


「王宮周りの医療施設は、領民の治療で目一杯なんだ。キクリが行っても、対応してもらえるか怪しい」

「え、でも、たくさんあるじゃないですか」

「その全部が、埋まってるんだよ。今ちょうど、医療者の派遣に関しての提案書を提出してきたところだ」

「……昨年も増やしたのに」


 俺の話を聞いたキクリは、振り向いて驚いた顔を見せてきた。


 季節柄、体調を崩す人で医療施設が混むのは恒例行事に近い。昨年に対策をして安心していたが、今年は更にその上を行ってしまっている。医療者を増やしたところで、施設を増やさねば意味がない。

 今回提出した案で施設の増築をあげたが、元老院共がどこまで意見を聞いてくれるか……。あいつらは、遠くのことは見ずに目先の利益にしか飛びつかないんだ。


「とにかく、そういうことで行っても無駄だと思う。ジャックに診てもらえ。先ほどすれ違ったから、まだその辺にいるはずだ」

「……でも、自分なんか」

「待ってろ」


 俺は、胸ポケットから手帳を出し、1枚破り取った。そして、持っていたペンで治療のお願いを綴る。

 もっと色々してやりたいが、このくらいしか思いつかない。


 描き終わった俺は、そのまま紙をキクリに手渡す。


「これを見せれば、診てくれる」

「あ、あ、ありがとうございます! この恩は一生……」

「いいから、行け。早く治して、また特訓に付き合ってくれな」

「はい! いくらでも!」


 紙を受け取ったキクリは、そのまま小走りで宮殿へと向かっていく。「走るな!」と後ろから声をかけると、振り向きはしないものの、ゆっくりと歩く姿が見えた。

 それに微笑みながら、俺は再び中庭を歩き始める。


 現状、まだまだ課題は山積みだった。

 先日ジョセフが体調を崩したとかで尋問が止まっているし、ジェレミーも捕らえられていないどころか、行方すらわかっていない。

 それに、牢屋の管理体制に関する調査もシエラが行っていたものから進んでいない。グロスター伯爵家の事件だって、何一つ。


 無論、良いこともあったさ。

 夫人と領民長以外の身柄は全て確認できたと、調査に行っていた団員から連絡があってな。これで不明だった領民全員の居場所がわかったから、陛下も安心なさっていたよ。

 でも、それだけ。心が痛い。


 ロバン公爵だって、いまだに隣国で執務をしているらしい。公爵夫人は、寝込んでいるとか。

 だから、まだ彼女の迎えは来ない。今、サレン様は何をなさっているのだろう……。


「アレン!」

「!?」


 なんて、ちょうどサレン様のことを考えていると、中庭のベンチに座って本を読んでいる彼女に声をかけられた。

 いつからいたのだろう? タイミングがぴったりすぎて、俺は一瞬だけ言葉を失った。


 すると、サレン様が本に栞を挟みながら不服そうな表情をする。


「……びっくりしすぎ」

「すみません、サレン様。今、ちょうど貴女のことを考えていて」

「……私は、アリスよ」

「あ、すみません。仕事の頭から抜け出せなくて。そうですよね、アリスお嬢様」

「ふふ、お仕事に夢中なところは変わらないのね」


 しかし、本当に機嫌を損ねたような顔ではない。わかっていてやっている、といったところか。

 その一連の流れに、俺は苦笑するしかない。


 するとサレン様……おっと、アリスお嬢様は、膝にある本をベンチに置いた。

 そこで、ベンチにもう一冊、分厚いグリム童話が置かれていることに気づく。どうやら、ここでしばらく読書をする予定だったらしい。

 天気が良いし雨も降りそうにないから、読書にはもってこいだな。


「ところで、付き人はどちらに?」

「……えへへ」

「はあ。また巻いて来たのですか?」

「だって、鬱陶しくて」

「ダメですよ。お嬢様のお身体は、隣国の公爵令嬢ですから。何かあったら、戦争になります」

「……」

「他人の身体を借りるなら、ちゃんと最低限礼儀を……」


 やっちまった。言いすぎたかもしれない。


 俺が発言をすると、アリスお嬢様はシュンとした表情になってそのまま下を向かれてしまった。

 注意するにしても、何か言い方があっただろう。俺は馬鹿か……。


「あ、す、すみません。言い過ぎました。えっと……」

「良いの、自分でもわかっているから。1人の時間がが欲しかっただけってわがままなことは」

「……1人の、時間」

「ああ、でもアレンが来てくれて嬉しいわ。貴方になら、監視されたって構わない。だから、どこかに行かないでちょうだい」

「はい……」


 急いで謝罪の言葉を言うとアリスお嬢様も慌てだし、俺の制服の裾を引っ張ってくる。

 その力強さに、彼女の意思を垣間見た気がした。


 そうだ、俺の感じていた違和感はそこかもしれない。

 今、目の前に居るアリスお嬢様は、何か「こうしないといけない」という意思が見えるんだ。だから、それが引っかかってどうしても「アリスお嬢様」と素直に喜べない。

 彼女なら、「私のすべきことはこれ。そうすれば、この人が助かる」と他人の気持ちを優先して行動するはず。……なんて、5年も経てば変わるものなのかもしれない。

 それとも、俺の中の「アリスお嬢様」が月日とともに薄れてきているのか。それはそれで、悲しいな。


 俺は、そんな感情を振り切るようにしゃがみ込み、お嬢様の目の前に膝を付く。


「私は、どこにも行きませんよ。どこか行ったとしても、お嬢様が呼べばどこにでも現れてみせます」

「本当……?」

「はい。……正直な話をしてもよろしいでしょうか」

「ええ。聞くわ」

「ありがとうございます。……正直、お嬢様がサレン様であろうとアリスお嬢様であろうと私の態度が変わることはございません」

「……それって、どういう」


 見切り発車とは、このことだろう。何か考えがあって、発言したわけじゃなかった。

 でも、俺はなぜか今伝えないといけない気がした。


「そのままの意味です。決して、貴女様を信用していないというわけでなく、私にとってはどちらも大切なお方なのに変わりはありません」

「……」

「気を悪くしてしまったのでしたら、申し訳ございません。ですが私には、どうしても貴女様が無理をなさっているようにしか見えないのです。本当の貴女様は、どこか別の、遠いところに居られる気がして……って、お嬢様!?」


 目を見て会話……というか、一方的に話していると、その瞳から、大粒の涙がホロッとこぼれ落ちた。と思ったら、止まることを知らない川の流れのように、次々と涙が溢れ始めている。

 自分が泣かせてしまったのは確かだ。俺は、慌ててお嬢様の両手を自身の手で包み込む。


 でも、その涙は美しい。太陽の光が反射して、輝きを与えているからかもしれない。

 もう少しだけ見ていたいと思ってしまう気持ちと、早く止めなくてはと焦る気持ちが交互に襲ってくる。


「す、すみませんでした。えっと、その……」

「……ありがとう、アレン。ありが……っ!」

「……お嬢様?」


 どうやって気持ちを落ち着かせようかと考えている時だった。

 お嬢様は、目の前で急に頭を抱えて震え出す。小刻みに、まるで寒いところにでも居るかのように、震え出した。


「……痛い。頭……割れ、……嫌だ、薬は、……いや」

「お嬢様!」


 そして、そのままお嬢様は前へ……俺の方に向かって、ゆっくりと意識を失うように倒れ込んできた。


 もう、考えている時間はない。

 俺は、倒れ込んできたお嬢様を抱き抱え、ジャックの居るであろう医療室へと走っていく。


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