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心を濡らす、きつねの嫁入り



 そろそろ日が沈みかける時間帯。

 私は、陛下のいらっしゃる執務室で監視兼書き仕事をしていた。


 この辺りで業務にカタをつけようと気合を入れ直していると、そこにロベール卿が入室してくる。

 表情を見る限り、複雑そうだわ。それもそうよね、ずっと一緒に戦ってきた相棒が行方不明なのだから。しばらくは、彼のことを気にしておかないと。


「失礼いたします、陛下。クリステル様も」

「お疲れ様、アレンよ。どうした?」


 承認書類に印を押していた陛下も、その扉の音で顔を上げる。思っていることは、私と同じみたい。まるで、息子を心配する親のような視線をロベール卿に送っているもの。

 彼は一度、アリスお嬢様の件で精神を病んでいる。……あの時は流石の私も精神を持っていかれそうだったけどね。今回だって、そうならない保証はない。


 私は、立ち上がりロベール卿へとお辞儀をした。

 こういう時は、いつも通りに接するのが一番だわ。


「お仕事中失礼します。頼まれておりました、トマ伯爵の件でお話をと思いまして」

「おお、アドリアンか。見つかったのか?」

「はい。とても元気にされておりました。陛下が危惧されたように、既に元老院には居場所を知られているそうです」

「……やはり。では、アドリアンはまた別の場所に隠れるのか? その費用やツテは?」

「陛下。こちらからトマ卿へお金を出すことはできませんし、ツテの紹介も不可能です」

「む……。では、私が直接出向いて……」

「陛下」

「……わかっとる。言ってみただけだ」


 陛下がお会いしたいのも無理はない。彼とは歳が近く、思考が似ていらっしゃるから。

 昔は良く、そのお2人でおサボりしていたわね。お忍びで城下町なんて行くものだから、探すのが大変だった。トマ伯爵は御者もなんなくこなす、本当に色々できたお方だったわ。

 口には出さないけど、私は今でも彼が冤罪だったと思っている。陛下もね。だから、彼を王宮から遠ざけた……。


 でも今更、私たちが彼を頼るなんて虫の良い話。それは、陛下も十分わかっていらっしゃると思うの。


「トマ伯爵は、移住せず今の場所に踏みとどまるとおっしゃっておりました。ですので、お手紙を書かれてはいかがでしょうか?」

「すぐに書こう、友として。受け取ってもらえなくても、良い」

「でしたら、私が責任を持って届けます!」


 まあ、手紙くらいなら良いか。


 ロベール卿の提案を聞いた陛下は、私の顔色を伺うようにこちらを向く。

 反対されると思ったのね。私が視線を逸らし「見てません」アピールをすると、嬉しそうになって筆を取られたわ。

 にしても、どうしてロベール卿も嬉しそうなのかしら? トマ卿が、陛下のお手紙を欲しがっていたとか?


「ロベール卿は、お仕事がありますでしょう。元老院に居場所を知られているのであれば、別の者に行かせてもよろしいのでは?」

「あ、いえ、その……。仕事終わりに行きますので」

「でも、少しでも休まれた方が」

「とんでもございません。私は、動いていた方が気が休まるタチなのです」

「……左様ですか」


 いつもなら、「ラベルにやらせます。私は、演習場で特訓を」って答えるのにおかしいわ。

 でもまあ、思ったより落ち込んでいないのなら良いか。きっと、トマ卿とウマが合ったのね。とても優しいお方で、カイン皇子も良く懐いていたもの。


「アドリアンは、今何をしているのだ?」

「現在は、子爵家の医療者として働いておいででした」

「そうか! 良かった……良かった。それが一番心残りだった。その子爵家にもお礼を言いたい。名前を教えてくれるか?」

「フォンテーヌ子爵です」

「ん? フォンテーヌ子爵と言えば、アインスという医療者が居ただろう。ほれ、以前アレンの治療をしてくれた……」

「そういえば、グロスター伯爵の検死もしてくださった方ですよね。私はお会いできていませんが、ロベール卿が現場で遭遇したと」


 と言うことは、子爵家に医療者が2人? 普通、お抱えの医療者は1人では? 

 そんなお金持ちの子爵家があったのね。フォンテーヌ子爵は、お仕事ができないことで有名だったはずだけど……。こういう話を聞くと、グロスター伯爵のように領民に対して不当な搾取をしていると菅くぐってしまうわ。


 私は、記憶に残っている限りの情報をロベール卿に話した。すると、予想外の言葉が返ってくる。


「その方です。トマ伯爵」

「……は?」

「え?」

「元老院に知られてしまったので、陛下にも現在の名前をお伝えして良いと言われております」

「え、ちょ、ちょ……。なぜ、伯爵が子爵家に仕えている?」

「陛下、落ち着いてください。そもそも、トマ卿は爵位を剥奪されております。癖でそう呼んでいるので、お忘れかと思いますが」

「にしても……」


 陛下の言わんとしていることはわかるわ。

 名前を変えたなら変えたで、もっと他に良い就職先があったはず。彼の腕前があれば、侯爵家にだって雇ってもらえるはずよ。本名なら罪名が出てくるでしょうが、名前を変えたのでしょう? どうして彼は子爵家に?


 わからない。それに、……そうよ!


「待ってください、ロベール卿。そういえば、イリヤもフォンテーヌ子爵家でお世話になっていると聞きましたが……」

「ああ、そうですね。一緒でした」

「……陛下、一度私がご挨拶にお伺いしても?」

「……そうだな。では、私も」

「陛下はダメです」


 イリヤが居るのなら、フォンテーヌ子爵を信用できるわ。警戒心の強いあの子が住み着いていると言うことは、そう言うことだから。

 にしても、フォンテーヌ家はどうなっているの? なんだか、ロベール卿も懐いているようだし。ますます謎だわ……。これは、時間を作ってでもご挨拶にお伺いしなければ。


 私は、机に出してあったスケジュール帳を開きながら動ける日程を確認する。

 アリスお嬢様とロイヤル社に出向いた日の午後なら、時間が取れそうね。



***



 目が覚めると、イリヤが部屋の窓を開けているところだった。

 外は既に、オレンジ色に染まっている。薄いカーテンを通して、その光が私の目にも美しく映り込むの。朝日とはまた違った眩しさね。


「おはようございます、お嬢様」

「おはよう、イリヤ」

「お顔色が戻っていますね。ゆっくり休めましたか?」

「ええ。ベルとお話して、私がアリスだって言われてきたわ。心配かけてしまって、ごめんなさい」

「良かったです。イリヤも、ベルお嬢様と同じ考えですから」

「信じてくれて、ありがとう」

「イリヤは、一度信じたものを翻しません」


 外の空気が入り込み、少しだけ寒さを感じる。

 でも、イリヤはなんだか顔が真っ赤だわ。夕日のせい? それとも、川に入ったから風邪引いちゃったかしら? どっちにしろ、今日は早めに上がってもらいましょう。


 起き上がると、そんなイリヤが素早く駆け寄ってくる。そして、側に置かれていた真っ赤な膝掛けを肩にかけて、頭をポンポンと撫でてくれた。それが気持ちよくて、私は、


「……イリヤ、ぎゅー」


 と、両手を広げる。

 パトリシア様も、お父様がいらっしゃらない時にお姉様にこうやるんだって。私はお兄様にしたことがないけど、イリヤにならしてみたいなって思う。


 すると、イリヤはなぜかベッド脇の壁に額を思い切りぶつけているわ。

 びっくりして「どうしたの?」って聞いたら、虫がいたんですって。窓を開けていたから、お庭にいたミツバチでも入ったのね。でも、虫も生きているのだから殺したらダメよ。


「お、お嬢様、あの、えっと。イリヤは、生物学上……」

「わかってるわ。でも、私にとってはお姉様なの」

「……あ、そっち」

「パトリシア様も、こうやってお姉様にしてもらうんですって。だから、私もされてみたいなって思って」

「そう言うのは、旦那様と奥様にお願いしてみてはいかがでしょう。とても喜ぶと思いますよ」

「どうして? パトリシア様は、お父様の目を盗んでするって言っていたわ」

「どうしてって……。フォンテーヌ子爵なら、子どもである貴女様が甘えてくるのは嬉しいものです。お嬢様だって、以前ご両親に甘えたことがあるでしょう」


 相変わらず、イリヤは壁に向かって話している。まだ虫がいるのかしら? だとしたら、お外に逃してあげなきゃ。

 そう思って壁を覗こうとすると、今度は真面目な声が聞こえてくる。良く見ると、顔の赤みが消えているわ。


 私は、その言葉でグロスター家の屋敷での生活を思い出した。


「ええ。昔、お母様は私に食事前の祈り作法を教えてくれたの。お父様は、ペンのインクの補充方法をね。とても嬉しくて、今でも一字一句覚えているわ」

「あ、いえ。そう言うのではなく、……その、パトリシア様がお姉様になされているようなことです」

「……? それは、お姉様やお兄様にするものではないの?」


 イリヤの言っている意味がわからない私は、広げた両手をしまい膝掛けを掴む。急に、隙間風が入ってきたように寒気を覚えたから。

 やっぱり、窓は閉めた方が良いわね。


 勝手に閉めると「それはイリヤの仕事です」って怒るから、了承を得ようと目の前に居る彼女の顔を覗いた。すると、とても悲しそうな表情をしているじゃないの。

 これは、私がさせてしまっているのかしら?

 専属をお姉様呼ばわりしたらダメだった?


「ごめんなさい、今のなし。嫌わないで」

「あっ、ち、違います! 合っております! 正解です、大正解です!!」


 目を見ながら謝ると、イリヤが声を張り上げてきた。いつもはしないその慌てように、私はベッドの上で笑う。

 良かった。嫌われてなさそう。


 それを確認し、ベッドから降りようと足を地面につける。

 すぐに、イリヤが手を貸してくれたわ。そこに向かって手を差し出すと、彼女の体温が私の身体に心地よく染み渡る。

 その体温に安堵していると、


「……お嬢様は、誰かに甘えたことがないのですか」


 と、今度は真顔になって聞いてきた。視線は合わない。


「あるわ。シャロンには毎回甘えてた。感謝祭の企画と伯爵家のお仕事がかぶってしまった時は、お仕事の方の期限を伸ばしていただくよう直談判してくれたり、料理長の腕が間違って当たってしまって階段から落ちた時も治療をしてくれたわ。それに、お仕事がうまくできなくて食べ物を没収された時だって、内緒で丸パンを持ってきてね。シャロンはとても優しかった」

「……」

「アレンにだって、たくさん甘えたわ。ハンナ……えっと、メイド長のハンナが運んできたスキレットが私の手に当たった時に「お嬢様、もう良いです」」

「え?」

「もう良いです。……ごめんなさい」

「……イリヤ?」


 立ちながら懐かしい思い出を話していると、イリヤが私の身体を抱きしめてきた。それだけなら、前もしてくれたから驚かない。

 彼女は私を必要以上に強く抱きしめながら、肩を震わせていたの。

 私、何か変なこと言った? 確かに、懐かしさで嬉しくなってしゃべりすぎたのかも。でも、泣くような話ではない。みんな優しかったって話よ?


 良くわからず呆然としている私に、イリヤが押し殺したような小さな声でこう続けてくる。


「どうして貴女様はそこまでされているのに、家族を愛しているのですか」


 そこまでしてくれたから、愛しているのよ。家族を愛することってそんなに変? 

 言っている意味が、良くわからないわ。


 そう言おうとしたのだけれど、いつの間にか一緒になって涙を流していたから声が出なかった。

 この涙は、なんの涙なの? 深く考えられない。


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