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雀は白鳥の志を知らず


 目の前には、にこやかな表情でこちらを見ているアインスが居た。

 その手に握られているウェポンは、ピンセットと綿球、そこから滴っている大量の消毒用アルコール! 怖い、怖すぎるわ。特に後者。


「……アインス」

「はい、なんでしょうか。お嬢様」


 私の脳みそは、今までにないほどフル回転していた。こんなに働かせたことなんて、ベルの身体で目覚めた時以来……いえ、それ以上かもしれないわ。

 何か、ここから抜け出す良い方法はないかしら。さっきご飯食べたばかりだし、お着替えだってしたばかり。急ぎのお仕事もないし、出かける用事もない。


 考えるのよ、私。

 頭を働かせることは得意じゃないの。アイディアひとつくらい出しなさいよ、何かあるでしょう!


「あの、えっと、それ溢れているわ。液体が滴ってる。風邪引いちゃうし、お着替えしてきた方がよろしいのでは」

「やや、失礼しました。服は大丈夫ですよ、アルコールなのですぐ乾きます。それよりも、もう一度浸け直しましょう」

「えっ……」

「今日は良い天気ですなあ。洗濯物も良く乾くでしょう」


 失敗したわ。言わなきゃ良かった。

 言わなきゃ、アルコールが追加されることはなかったのに。


 ヒタヒタと、じゃぶじゃぶと、びちゃびちゃと。どんな言葉で表しても足りないほど、アインスは消毒用アルコールに綿を浸しながら笑顔で話しかけてくる。見てるだけで、背中に鳥肌が立つほど怖い。

 そのピンセットが、何かの間違いで傷口に当たったらどうするの? アルコールだって、突然火柱が飛んできたら燃えちゃうわ。ダメよ、危なすぎる。

 ……いえ、そんなことあるわけない。わかってる。


「お嬢様は、お手数でございますが前髪をしっかり上げていてくださいね。すぐ終わらせますゆえ」


 こうなったら、覚悟を決めるのよ。

 こんな痛み、どうってことないわ。ジェレミーに睨みつけられた時より、拳銃を突きつけられた時より、全っ然怖くな……いえ、怖い! 怖いものは怖いわ! それは認めましょう。認めて、自分の気持ちを受け入れるのよ。

 そう、心を無にして。


「……早く、終わらせてね」

「かしこまりました。では、失礼しますよ」


 アインスの言葉で、私は覚悟を決めた。

 両手で前髪を上げ、目を閉じる。一瞬よ。こんなの、一瞬で終わる。


 痛くない。痛くない。痛くな……。


「ふびゃあああああああああっっっっっっっ!!!」


 私の悲鳴は、きっと屋敷中に響いたに違いないわ。

 その後、お茶を持ってきてくれたイリヤに「中庭でお洗濯物を干していても、お嬢様の可愛らしいお声はイリヤの耳にストレートに響きました。癒し」とよくわからないことを言われたもの。



***



「お嬢様、ガロン侯爵よりお手紙が届いております」

「何かしら?」


 フォンテーヌ子爵家に課されたお仕事を終えた私は、新事業立ち上げのための計画書の案を作っていた。昨日完成したのがあるけど、このようなものは複数用意しておいた方が後々役に立つのよ。


 アリスの時は、それを知らずに1週間徹夜で1つ練り上げて持っていってしまってね。もちろん没を食らって途方にくれたわ。次の案を考えるのに時間を要してしまって、結局お父様お母様に叱られて。あの時は1週間食べ物を没収されてしまい、シャロンが内緒で持ってきてくれた小さな丸パン1つで飢えを凌いだわ、懐かしい。

 あの時のパンの味は、今でも忘れない。とても美味しかったもの。

 とにかく、その経験があったから、今回は複数作っておくの。あと4つは作る予定よ。


 私は、2個目の計画書から視線を外し、開け放たれたドア前に居るイリヤを部屋の中に招き入れる。


「どうぞ、封は開けてあります」

「ありがとう、イリヤ」


 手を伸ばすと、すぐに封筒を渡してくれた。

 あまり分厚くないから、きっと連絡事項だけね。ミミリップ地方の様子も書かれていたら嬉しいわ。


 アリスの時の私は、領民にあまり好かれてはいなかった。なぜかよくわからないけど、きっと私が何かしたのでしょうね。今思えば、仕事仕事でちゃんとコミュニケーションを取ってこなかった気がするもの。

 でも、たとえ嫌われていても今でも大切な領民たちに変わりはない。だから、みんなが苦しむ姿は見たくないわ。できれば、少しでも良い方向の内容が書かれていれば良いのだけど……。


「……イリヤ」

「はい、なんでしょうかお嬢様」

「お返事を書くから、すぐ送ってもらって良いかしら?」

「急ぎですか? でしたら、その手紙を持ってきた早馬を止めてきます。そろそろたつと思うので」

「悪いわね。お願いできる?」

「はい! 急いで行ってきます」


 手紙を読んだ私は、引き出しの中から新しい便箋を出しながらお願いをした。すると、イリヤはすぐに走って部屋を出ていったわ。

 その間に、私は万年筆を手に取る。


『カリナ・シャルルから話は聞いたよ。とても気に入ってもらえたようで、私も鼻が高い。それに、届けてもらった報告書にも目を通した。まるで議事録のように良くまとまっていて、時間がない中でも読みやすかったよ。こちらは、思った以上に難航しているから戻るのが遅くなるかもしれない。それに、ミミリップ地方は乾燥がすごいね。部屋にいるだけで喉をやられそうだ。戻る時期が決まったら、再度連絡を入れよう』


 ガロン侯爵の手紙には、そんなことが書かれていた。

 

 なんだか、父親が娘に送るような手紙ね。とても温かくて、読んでいるだけで胸がポカポカするわ。

 もっとお役に立ちたいと思ってしまう、そんな内容だった。だからこそ、私は筆を走らせる。


『お褒めいただきありがとうございます。乾燥ですが、ミミリップ地方の城下町の雑貨店にあります厚めのパピルスを伝令書のように筒状にして、お水の入った花瓶に入れてみてください。パピルスは、全て入れるのではなく半分程度で大丈夫です。それをお部屋に置くと、加湿効果があります。喉を痛める前に、先ほど紹介させていただきました雑貨店隣の薬味屋の生姜と蜂蜜で作る生姜湯なんていかがでしょうか。無事のお帰り、お待ちしております』


 と、こんなものでどう?


 確かに、ミミリップ地方はこの季節乾燥が酷いのよ。私もよく、喉を痛めてシャロンに生姜レモンティーを作ってもらっていたわ。

 ちなみに簡易加湿は、私が寝ぼけて花瓶にパピルスを入れた時に偶然発見したの。あの時は、3日目の徹夜明けだったわ。でも、そのおかげで加湿効果に気づけたから良しとしてちょうだい。

 ああ、そうだ。あまり長時間放置しておくとパピルスがカビることも記しておきましょう。


 ガロン侯爵には悪いけど、こうやってミミリップ地方に売っているものを購入してもらえば、少しは経済が回るんじゃないかなって思っての内容にしちゃった。

 侯爵相手に下心入りのお手紙はよろしくないわね。でも、私だってミミリップ地方の領民に何かしたいんだもの。餓死者が出てるって聞いたら、なおさらね。


「できた。一応、イリヤにも確認してもらいましょう」


 ガロン侯爵とミミリップに住む領民、両方のお役に立てますように。

 そう願いながら、イリヤが戻ってくるのを待つ。



***



 捜索隊は、丸一日睡眠も取らずに動き続けている。それも、凸凹道の続く鉱山を。

 全員の動きが鈍っていることは、俺の目から見ても一目瞭然だった。目を擦って眠気を吹き飛ばそうとしている奴も居る。

 でも、どうしても「撤退」の二文字が言えない。


「アレン」

「まだ、手がかりひとつ見つけていないじゃないか。まだ……」


 周辺を捜索するも、シエラは見つからなかった。しかも、手がかりすら何も出てこない。こんなことがあるのか?

 森林の中や崖の下まで全部見た。鉱山内の洞窟に隠し通路がないか、床にマンホールでも隠されていないか。全部確認したさ。それなのに、奴は全く現れない。

 なぜだ、なぜ……。


 そんな俺を見かねたのだろう。ヴィエンが、苦しそうな表情で話しかけてきた。


「気持ちはわかる。私も同じだ。でも、アレンは隊長なんだよ。個人的な理由で隊長が団を動かすのはダメでしょう。シエラが居たら、そう言う」

「……」


 こんなことを言わせている俺は、何をしているのだろうか。


 俺は皇帝直属騎士団のトップじゃないか。

 シエラが居なくなったくらいで動揺してどうする。今動いてくれている大勢が疲労で動けなくなった方が、損害が大きいだろう。なぜ、俺はそんな簡単なことがわからないんだ。


「言わせてしまって悪かった。撤退しよう」

「ここまで探して居ないんじゃ、どこか別の場所に居ることを考えた方が良い」

「そうだな」

「それに、遺体が上がらなかったんだ。生きている、何よりの証拠じゃないか」


 シエラは、生きていれば何かしら俺に合図を送ってくるはず。それすらないと言うことは、どこか別の場所で死んでいるのか、連絡を送れない場所に居るのか。どちらかしか、考えられない。


「撤退だ! 全員、10分後を目安に王宮へと直帰してくれ。長時間の捜索、すまなかった。ありがとう」


 俺が声を張り上げると、周囲にいた団員のほとんどがホッとしたような表情になった。

 その光景を見ていると、胸が痛む。


 俺はまだまだ未熟だ。

 全より1を取ってしまう。こんなんじゃ、イリヤのように騎士団を引っ張っていけない。


「アレンも帰ろう」

「……そうしよう。ヴィエンも、ありがとう」

「どういたしまして」


 いつもなら、「さあ、帰ったら女抱くぞ〜」なんて軽口を叩くシエラを怒鳴りつけている時間帯だ。今は、そんなやりとりがしたくてたまらない。


 俺は、ヴィエンに背中を押されながら馬の方へと戻った。

 足取りは、いつもよりずっとずっと重い。


 


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