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「彼」のこと



 閃光が駆け巡る。

 鋭く、肌に突き刺さるような、そんな閃光が。


「お嬢様を返せ、ジェレミー」

 

 目の前に居るイリヤは、イリヤじゃなかった。

 私の体温を根こそぎ奪っていく冷たさを持ち、視線が合っただけで八つ裂きにされるのではないかと思う雰囲気を持っている彼女のことを、私は知らない。


 必死になって今までの剽軽な彼女を思い浮かべようとするけど、それは叶わないの。それほど、目の前に居るイリヤは豹変していた。


「待て待て! んだ、その格好!?」

「……」

「ブハッ!? クッソ笑えんだけど、止めろよ!」


 横たわった私の目の前に居るジェレミーと呼ばれた男性は、そんなイリヤに向かってナイフをかざしながら、急に素っ頓狂な声を出してくる。と、思ったら、すぐに腹を抱えて笑い出した。

 知り合いみたいだけど……。どうして、この人はこんな雰囲気の中笑えるの? その姿、私の目には異常に見えるわ。


 ここからだと逆光でイリヤの表情は見えないけど、手にしている剣を握りしめ震えている様子はわかった。


「……お前に関係ない」


 そう一言、呟くように口を開いたイリヤは、こちらに向かって2つの光を掲げてくる。と、同時に男性と衝突しつつ持っている剣を振り下ろした。


 俊敏すぎる動きは、床で寝ている私には全く見えない。

 まるで、イリヤが瞬間移動でも覚えたみたい。瞬きをする度、イリヤと男性の居る位置も格好も全く別のものになっていく。

 上半身を起こしたいけど、硬直した身体は動かない。私は、馬車の上が激しく上下に揺れ動く中、必死になって目を見開くことしかできなかった。


 キンキンと、金属音のぶつかる音が何度も、何度も響き渡る。

 こちらに飛び火するかも、と何度も思ったけど、私は怖くて目を開けなかった。耳を抑えたいのに、それは拘束された手が許してくれない。

 金属音、足音、それに、荷馬車の垂れ幕をめくる音……。


「動くな! 武器を捨てろ!」

「っ!?」


 垂れ幕が上がると、固定具として使われているネジ部分が軋み誰かが来たことを私に知らせてくれた。でも、やっぱりすぐには動けない。


 その次の瞬間、私の身体は、突然荷馬車の中に入ってきた人物によって起き上がらせられた。誰だかわからなかったけど、声で馬車を操っていた運転手だと気づく。


 その運転手は、私の首に腕を回して無理矢理立たせてくる。苦しいけど、今は恐怖の方が勝っていた。動けないのはもちろん、声すら出ない。


「おい、イリヤ。オレらを忘れたわけじゃねえよな?」

「……マクシム」

「なんだよ、久しぶりの再会がそれか? シラけるなあ、オレはお前の噂をたくさん知ってるのに」


 イリヤがマクシムと呼んだ人物は、突然現れ私を起き上がらせただけではなかった。

 その手には黒光りする拳銃が握られ、銃口はあろうことか私の頭に向いている。一瞬で、頭の中がパニックに陥っていった。


「いや……。いや、イリヤ」

「お嬢様!」

「イリヤァ。さっきから嬢ちゃんの反応を覗いてたんだが、お前本当のことを話してないだろう?」

「っ……」

「ほら、図星だ。そんな格好して、噂は本当だったようだな?」

「まあ、その格好は個人の自由だもんな。それより、面白いことしようぜ」

「……ひぁっ」


 マクシムは、ニヤついた口調でそう言いながら私の側頭部に銃口を押し付ける。

 髪があるはずなのに、その銃口のどこまでも冷たい温度が私の頭皮へ直に伝わってきた。それだけで、恐怖が倍増する。

 いつ、銃を放たれるのか。その思考が脳内を埋め尽くしているのもあり、全身がガタガタと震え上がり足がすくむ。

 今にでも床に膝をつきそうなのに、それをマクシムが許してくれないのも精神的に私を追い詰めていく。


「今のオレらでも、お前のスピードには敵わねえ。だから、こんなのはどうだ? この嬢ちゃんを好きに奪って良い。ただし、嬢ちゃんに触れた瞬間、お前の秘密を暴露する」

「おいおい、折角良い女見つけたんだから殺すなよ」

「いいじゃんか。こんなほっそい女、抱けやしねえ」

「……殺したら、お前も殺すぞ」

「ハハハ、やってみろよ。……おい、イリヤ。5秒やる。その間に、考えろ。5……」


 ゴリッと音がしたかと思えば、すぐにカチッと安全装置の外れた音が聞こえてきた。先ほどよりも強く押し付けられた銃口が、今度は熱を帯びているかのように熱く感じる。

 その恐怖が、私の頬に新しい涙を流させてきた。


 今度は、本当に殺される。

 そう思って目を閉じたけど、すぐにいつもの温かい香りが鼻をくすぐってきた。それと同時に、金属音の擦れる音が反響する。


「……イリヤ」

「お嬢様、申し訳ございません」


 目を開けると、そこは外だった。

 雨が止み風だけが吹き荒れる薄暗い天候の中、私はイリヤの腕の中でしっかりと抱かれていたの。いつ外に出たの? 荷馬車を降りた振動もなく、全く気づかなかった。

 鼻先に当たる冷たい服の布も、今はとても温かく感じるわ。こう見ると、いつものイリヤね。


 名前を呼ぶと、イリヤはとても悲しそうに眉を下げ謝ってきた。私の流した涙を片手で拭いながらも、決して身体を離さずに抱き寄せてくれる。

 それに安堵した私は、涙を止めた。


「私こそ、ごめんなさい。イリヤに慣れないことさせちゃって、その」

「はははは!」

「!?」


 でも、私を捕らえていた人がいなくなったわけじゃないことは、わかっている。

 見ると、馬車に乗りながらこちらを見下ろし立っている2人の男性と目が合った。双方、ニヤついた表情で、こちらを……いえ、イリヤを見てる。


 けど、イリヤはそっちを見ようとせず私を抱く腕の力を強めるだけ。


「嬢ちゃんよ。そいつにとって、これほど慣れたことはないんだぜ?」

「……どういう意味よ」

「そのままの意味さ。嬢ちゃんは知らないだろうけど、こいつは元騎士団の総団長だったんだよ。家柄も能力も、誰1人として認めない奴がいない最年少の団長だった」

「え? ……イリヤが、騎士団の団長?」

「ブハハ! マジで言ってなかった!!」

「その顔、最高!」


 マクシムの言葉を聞いた私は、イリヤの顔を覗き込んだ。でも、視線はいつまで経っても合わないまま。

 声をかけても、荷馬車の上にいる2人の下品な声しか返ってこない。


「そうだ。こいつは、ルフェーブル侯爵の嫡男。イリヤ・ルフェーブルだ」

「……イリヤが、侯爵の長男? え、でも、イリヤは女性だから、長女よ」

「いいや、違う。こいつは、正真正銘男だ。なあ、ジェレミー」

「ああ、そうだ。最初、その格好で笑い死ぬかと思ったぜ」


 それだけで……いえ、「だけ」じゃないわ。

 両手いっぱいに抱えたそれほどの情報を噛み砕くだけの頭が、今の私にはなかった。混乱した中、イリヤの顔を見るので精一杯だったの。けど、やっぱり視線は合わない。


 ってことは、マクシムが言ってることは全部本当なの?

 貴女は……いえ、貴方は侯爵家の長男だったの?


「……イリヤ、あなた」

「……」

「おっと、道草食ってる場合じゃねえ。ジェレミー、時間ねぇんだろ?」

「ヤッベ。サンキュ、忘れるところだったわ」

「ったく、気に入った女連れて帰る癖止めろよな。……じゃあな、イリヤ。今度はちゃんと広いところで遊ぼうな」

「次会った時は、荷馬車のぶっ壊した部分弁償してもらうからな!」


 手に持った拳銃を懐にしまったマクシムは、止まっている馬をひと撫でし運転席へと素早く収まった。荷馬車の中へと戻るジェレミーなんて、私に向かって投げキスをしてくる。それに赤面していると、止める間もなく荷馬車は隣国の方面へと駆けて行ってしまった。


 すると、静寂がおとずれる。


「……」

「イリヤ……?」

「……」

「イリヤ、下ろして」

「す、すみません。その、僕なんかがお嬢様の身体に触れてしまいまして、えっと」


 私がお願いをすると、すぐにイリヤは身体を下ろしてくれた。それと同時に、縛られていた腕の縄も切ってくれたわ。これで、やっと自由になれる。


「助けてくれてありがとう。軽率な行動をしてしまったわ」

「……お嬢様、その」

「それに、えっと。なんと言ったら良いのかわからないんだけど……」


 私は、いまだに視線の合わないイリヤに向かって声を張る。




***



 早馬の知らせを受けて、フォンテーヌ子爵と夫人はその場で気絶してしまった。

 アランもフォーリーも、とてもじゃないが使い物にならないほど棒立ちになって、手紙を読み上げる私の顔を覗いていたよ。唯一、ザンギフだけが冷静だった。


「アインス、お嬢様を連れ戻してきてちょうだい」

「承知です。その間、お屋敷のことはお任せします」

「ええ。私がなんとかやっておくわ。……まあ、イリヤがいるから大丈夫よね」

「……そうですな」


 私は、上着を片手にフォンテーヌ子爵の屋敷を出た。


 先ほどから、胸騒ぎが止まらない。


 

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