軽率な行動
「!?」
気づいたら、視界が真っ暗だった。
一瞬、ベルと共有している夢の中かと思ったけど、自分の手も見えないから違うとすぐにわかったわ。わかったけど……。
「……ここは、どこ? イリヤ?」
私がいる場所は、とても冷たい。無機質な床に横たわって冷え切ってしまった身体を起こしても、暗闇はそのまま。
頭が締め付けられる感じがあるから、目隠しをされているのね。それに、手首も何かで縛られているわ。引っ張って引き剥がそうとしても、全く動かないもの。
でも、足は何もされていない。
試しにそのまま腕を伸ばしても、壁も何も触れなかった。床は、……木製かしら? 砂のようなザラザラ感と、木のしっとりとした感触がある。
それに、なんだか身体が揺れるわ。この揺れは、何? 立とうとしても、その揺れに邪魔されて叶わない。
見えないのをわかっていながら、私は首を動かし周囲を見ようとする。
イリヤの名前を呼んでも、返事は一向に聞こえない。
「……イリヤ?」
そこでやっと、自分の身に何かが起こっているという結論に至った。イリヤが近くにいれば、必ず私の声に反応してくれるもの。返事がないってことは、私1人でここに居るってこと。
それに気づいたと同時に、恐怖が身体を支配してきた。
そうよ、この揺れは馬車の揺れだわ。縛られてどこかに運ばれているってこと?
そうだ、私……。
***
数時間前。
ロイヤル社との打ち合わせを終えた私は、イリヤと一緒に王宮の外部対応窓口へと向かっていた。
雪柳とバラの花が咲き乱れる中を車椅子で進んでいると、とても落ち着いた気持ちになる。やっぱり、お花の香りって良いわよね。この香り、新しい企画のヒントにならないかしら?
「お嬢様、終わりましたら城下町で昼食にしましょうか」
「良いわね。でも、天気があまり良くないからお屋敷に帰ってからの方が良いかも」
「では、報告書を提出した後の天気で決めましょうか」
「ええ! 城下町へ行くなら、入り口にあるパンケーキが良いわ」
「それって、昼食になるのですか?」
「結構お腹に溜まるのよ。食べたことないの?」
「パンケーキはないですね」
「じゃあ、一緒に食べましょう」
「はい! イリヤ、いっぱい食べます!」
今日の昼食を決めながら、私たちは王宮の入り口に到着する。
ここは、段差が少なくて車椅子が入りやすいわ。さすが、国の中心ね。こういう気遣いができるかできないかの差は、結構大きいと思うの。
こうやって誰にでも優しい造りは、誰にでも愛されるということでもあるから。
いつも通りの風景を見ながら門番のお方に一礼し、2人で中に入ろうとした。けど、それは遮られてしまう。
「すみません。本日、客人がいらっしゃっているため、お付きの方の入宮は禁止になっております」
「わかりました。では、私1人でしたら入宮できますか?」
「ご用件と身分次第になります」
「ゼン地方フォンテーヌ子爵令嬢、ベル・フォンテーヌです。ガロン侯爵に頼まれていたお仕事の報告書を届けるため来ました。外部対応窓口に用件があります」
「ありがとうございます。それでしたら、ご令嬢はそのまま入っていただいて構いません」
「待ってください。お嬢様は、車椅子なので押す人が必要です」
たまに、こうやって王宮が立ち入り禁止になることがあるのよ。きっと、私も入ってはいけないと思うわ。侯爵のお名前を出したから、入宮許可がおりたって感じね。
イリヤが居ないのは心細いけど仕方ないなって思っていると、当の本人が慌てたように門番へ発言を返す。
「例外は認められません。本日は、宮殿のメイドも入宮禁止なので」
「……お嬢様、次にしましょう。ガロン侯爵が帰るのは今日明日ではないというお話でしたし」
「大丈夫よ、書類置いてくるだけだもの。すぐ行って帰るから、ここで待っててくれる?」
イリヤは、不服そうに眉をひそめて私を睨んでいる。
そんな顔されたって、ここまで来たのだから「帰ります」では時間の無駄になるでしょう? 私、それは嫌だもの。
説得させるようにゆっくりと言うと、イリヤは「5分で帰ってきてください」と無茶振りを言い出した。
無理よ。だって、ここから外部対応窓口までで5分はかかるもの。窓口が並んでいたら、待ち時間もあるのだから絶対無理。わかってるくせに!
「イリヤ、帰らないで待っててよ」
「……終わったらすぐ、戻ってきてくださいね」
「わかったわ。お昼もあるから、すぐ戻る。寒くならないように、風よけできる場所に居てね」
イリヤに手を振った私は、再度門番に頭を下げて入宮する。
午前中は、外部対応窓口が空いているのよ。今日は雨降りそうだし、そんなに混んでいないはず。
***
って思ったのに!
「では、16人目になります。少々お待ちください」
「よろしくお願いいたします」
今日に限って、窓口は長蛇の列になっていた。
私が受付をしている最中に、すでに後ろに5名は並んでいる。いつもなら多くて3〜4人なのに、私の前に15人も居るなんてついてない!
受付番号の書かれた札を受け取った私は、受付嬢の指差す方へと視線を向ける。ソファが並ぶ中、そこだけ何もないの。きっと、私のように車椅子を使う人用の場所ね。ありがたいわ。
「……ふう」
ここまで車椅子を押すだけでも、結構疲れる。でも、私が行くって言ったのだからここでめげちゃダメね。
私は、所定の場所に行ってため息をついた。
書類を渡すだけでも手続きが必要って、本当お役所仕事って嫌だわ。受け渡しサインだけで良いと思うのだけれど、そうもいかないみたいで。
イリヤのこと、待たせてしまうわね。一旦、待ち時間がかかることを伝えに行こうかしら?
座ってそんなことを考えていると、目の前に大きめの花束を持った男性が通り過ぎた。
「……?」
目が覚めるような真っ赤なバラに、繊細なかすみ草、それに、国の花であるジャカランダも垂れ下がっている。赤に紫ってちょっとチグハグね。だからこそ、目に止まったのだけれど。
でも、見た目よりも、通り過ぎた時に香った花の匂いが気になった。お花の匂いの中に、なんだかフルーツのようなさっぱりとした甘みのある香りが混ざっていたの。
嘘じゃないわ。ベルになって、鼻がきくようになったんだから。パトリシア様にも「すごい」って褒められたから、嗅ぎ間違いではない。
「この香り……」
私は、その香りを知っていた。
でも、どこで嗅いだのかが思い出せない。
全身が、赤信号を発するように硬直するこの香り。近寄りたくないと、本能が言っている。
ベルになってからじゃないわ。もっと遠くで嗅いだ気がする。
思い出して、思い出すのよ。
「……あ!」
記憶をたどろうと思考をめぐらせたけど、そんな必要はなかった。だって、あれは……。
「お水……」
あれは、アリスが最期に飲んだお水の香りに似ていたのよ。もう遠い過去なのに、身体が……魂が覚えているわ。間違えない。
なぜ、そんなものが王宮にあるの?
私は無意識に、花束を持っていた男性の後をついていく。
車椅子は邪魔になりそうだから、ここに置いておきましょう。
***
「うわあ!?」
「……ビビりすぎ、ラベル」
城下町の警護に行くため王宮を出ようとしたら、ちょうど入り口に見知った顔を見つけた。侍女が着るような服装で、建物の柱に背中を預けて立っている。……いや、こんな殺気まみれの侍女がいてたまるもんか。
その顔を見ただけで、オレは情けない悲鳴をあげてしまった。
すると、相手は興味なさそうにため息をつきながら声を発してきた。なんなら、オレを見ないで2つに縛り上げた髪先を弄んでいる。
「おおおおおおお久しぶりです! イ、イリヤ団長様ァ!!」
「今はラベルのなんでもないんだから、喋るなら普通に喋ってよ」
「ははははははいいいいいいっっ」
「……普通って言葉、知ってる?」
無理だ。
だって、オレの脳内には、涙を流しながら鬼のような演習スケジュールをこなした日々が走馬灯のように流れているから。
あれはダメだ。トラウマレベルなんてもんじゃない。そのおかげで俊敏な身体になったが、それとこれとは話が別。反射神経も、人並み以上になったがやはり別なのだ……。
「はあ。まあ、いいや。暇してる?」
「はいいいいいい! 暇すぎて息をしていました!」
「……そっか。あのさ、ベルお嬢様が中に……前、ジョセフ捕まえた時に一緒に居たベル嬢わかる?」
「存じております! あのお美しい銀髪のお美しいお美しいです。あ、お美しいご令嬢です!」
「そのお方が、中の外部対応窓口にいると思うんだよね。用事終わってここに来るまで護衛してきて。お嬢様に僕のことは話さないで、偶然見つけた感じでお願い」
「はい! 承知です! 今すぐ参りますううううううう!!!」
イリヤ団長に頼み事をされるなんて、失敗は許されない。
もし、失敗したら……。いや、やめよう。考えたら、足が動かなくなりそうだ。
敬礼をしたオレは、そのまま王宮に戻る。
……そんなオレを、門番の奴が不思議そうな顔して見てるけど、今はそんなこと気にしていられない。イリヤ団長の怖さを知らないから、そんな呑気な顔していられんだぞ!
***
花束を持った男性は、ゆっくりとした足取りで王宮の中庭を横断していた。
気づかれないよう、私も木陰やベンチなどを利用して追っていく。このペースなら、無理なくついていけるわ。
でも、この先には、裁判が終わっていない罪人を一時的に収容する牢屋があるだけよ。どうして、そっちに行こうとしているの?
私の疑問をよそに、男性は牢屋の入り口の階段を降りて行ってしまった。本来なら見張りがいるはずなのだけれど、今は1人もいない。
「ここまで来たら、行くしかないわ」
今の私は、前世のことを知るためベルに身体を借りているのよ。グロスター家で何があったのか、あの男性はその答えを持っている気がするから行かないと。
足音で気づかれないよう、私は入り口の茂みに履いていた靴を脱ぎ捨てた。そして、コツコツと男性の足音が遠かったのを確認して階段を降りる。
すると、やはりあの甘ったるい香りが漂ってきた。それで、さっきまでの疑問は確信に変わる。
でも、別の問題が発生したの。
「……え?」
下まで降り切ると、そこにはいくつもの牢屋が鉄格子に仕切られ重苦しい空気を醸し出していた。
それは良いの、牢屋だから。
でも、前を歩いていたはずの男性は居なくなっていた。
ここに来るまで一本道で、ただ階段を降りただけなのに。隠れるところなんて、ないのに。
「誰だ?」
「!?」
一瞬、男性に見つかったかと思った。けど、違ったみたい。
声のする方を向くと、そこには……。
「……お兄様?」
そこには、牢屋の中で座り込んでいるジョセフお兄様が居た。私がいるところから、一番近い牢屋に。
びっくりしすぎて、思わず名前を呼んでしまったわ。
ジョセフお兄様は、あの日捕らえられた時とは違う服装だった。
でも、彼らしくないあまり目立たない服装だわ。罪人用の服かしら? そんなことを考えていると、お兄様が口を開く。
「なんだ、アリスか。どうした、お母様のご機嫌は最悪だぞ」
「……え?」
「今は、行かない方が良い。それより、昨日カモミールティを作ったのだろう? たまには、分けてくれよ」
お兄様は、私のことを「アリス」と呼んで話しかけてきた。
この会話、昔したものだわ。この後、1杯入れて一緒にクッキーをつまんだ気がする。「クッキーが粉っぽい」と文句を言って、最後まで食べなかったけど。
「クッキーも持ってるのか! いいな、一緒に食べようじゃないか」
「……お兄様?」
私は死んだのよ。なのになぜ、普通に話しかけてくるの?
それに、私の容姿はアリスじゃないわ。
薄暗くたって、ストレートの銀髪とウェーブのかかった金髪を見間違えるなんてことないでしょう。
どうして、こっちを見ながらもそれに気づかないの?
「おに……!?」
もっと側に行けば、わかるかも。
私は、そう思ってお兄様の居る牢屋へと近づいていく。けど、そこで蝋燭の明かりが一斉に消えた。……いえ、私の目を誰かが覆ったのかも。目元が温かい。
「あーあ、部外者が来て良い所じゃねえのに」
「だ、誰!?」
「お前こそ誰だよ。ったく、どこから入った?」
「離してちょうだい。間違って入ったの」
「んなわけあるか。王宮に入れるやつで、牢屋があるところに間違って入る奴が居るかっての」
「間違ったのだから、仕方ないでしょう」
「はいはい、ちょっと眠っててよ」
「何……を、……」
後ろから声を発するその人物は、私の鳩尾に何かをめり込ませてきた。
その衝撃で、痛みと共に視界が奪われていく。
***
イリヤを呼んでいると、突然揺れが止まった。
「よう、ずいぶん眠ってたな」
「……ここはどこ?」
何があったのか思い出した私は、前方から聞こえてきた声に怯えて後ろに下がる。
立ち上がり4歩下がったところで、硬い壁にぶつかったわ。これ以上は、下がれない。
「馬車の上だよ」
「なぜ? おろしてちょうだい」
「はいそうですか、っておろすと思ってんの?」
「……」
馬鹿にしたような、そして、少しだけ訛りのある話し方。これは、貴族ではないわね。
どこ地方の訛りかまでは、わからない。勉強不足だわ。
相手に弱みを見せたくない私は、震える身体を隠すため床に座った。それでも、手の震えは隠せないでしょうね。外が暗ければ良いのだけれど。
「まあ、いいや。まだかかるから、座ってれば?」
「どこにいくの?」
「答えるくらいなら、お前の目隠し取ってるわ。あんま質問すんなよ。俺は、気が短い」
男性は、私の目の前まで来たけど、何もせずに出て行った。
馬車の上ってことは、逃げるチャンスがあるかもしれない。私は、震える身体を落ち着かせようと深呼吸し、その時を待つ。
もちろん、怖い。
怖い。けど、死んだあの苦しさよりはなんでもないわ。