「悪魔の子」なんかじゃない
「グロスターは悪魔だ! 殺せ!」
「燃やせ! 今まで、どれだけ領民が虐げられてきたかと思ってるんだ!」
「死んだなんて、嘘はやめろ! 俺がこの手で殺すんだ!」
領民による暴動は、次の日の朝から始まった。
グロスター伯爵の不自然な死の号外をきっかけに、今までの不満を爆発させるかのように領民たちが声をあげる。グロスター伯爵の屋敷前に集まった彼らは、怒声だけでなく石や生卵、それにメラメラと燃える松明を門前から投げ込んで抗議の声を強めていた。
「うちの娘を返して!」
「夫を返して!」
「うちだって、妻が」
門番として立っている騎士団の団員は、必死になってその攻撃から身を守るしか術がない。故に、そこは無法地帯に近い惨状と化していた。
きっと頑丈な門扉がなければ、その暴動は屋敷内にも及んだだろう。先にアインスを帰して正解だったな。
本音を言えば、騎士団の隊長という立場でなければ俺も帰りたかった。
いつものように、王宮と宮殿を行き来しながら書類整理をしたり、王宮のある城下町の警護に回ったり。それに、演習場で鍛錬だってしたい。
いや、今ならここに居る以外であればなんだってしたさ。なぜなら……。
「そもそも、アリス・グロスターをのさばらせていたのが間違っていた!」
「あんな悪魔の子が居たから、俺たちは!」
「悪魔が死ぬもんか! 今だって、どこかで私らのことを嘲笑ってるに違いない!」
「殺せ! 殺せ!」
先ほどから、耳を疑うような言葉も聞こえてくるんだ。
まさか、数年経ってもアリスお嬢様を「悪魔の子」と言う人が居るとは思わなかった。それをただただ聞いていることしかできない現状に、胸が締め付けられる。
今すぐ外に出て、「アリスお嬢様が居なければもっと酷い領地になっていた」と怒鳴り散らしてやりたい。どれだけお嬢様が寝る間を惜しんで働いていたのか、伯爵とは思えぬ質素な生活を送り金銭を領民に流していたのか。
お前らに、お嬢様の何がわかるんだ。何も知らないくせに。何も知らないくせに!
「アレン、ここは良いから奥を頼むよ」
「……シエラ」
正門の見える窓辺でそんな暴動を眺めていると、部屋にシエラが入ってきた。
両手が土にまみれているところを見ると、中庭にいたらしい。
中庭には、ハンナだけでなくほとんどの使用人が埋まっていた。中には、白骨化が進んでしまっている遺体もあり、誰が誰なのかを判別するのには時間がかかるとアインスが言っていた。
今は、王宮専属の侍医が2人がかりで検死をしている。そっちは、まだまだ時間を要しそうだ。
「あーあ、手から血が出てるよ。握りすぎ」
「……」
シエラに言われて初めて、床に血が数滴垂れていることに気づく。
元を辿ると、手のひらにくっきりと爪の跡が。そこから、赤い血がポタポタと滴っていた。
それほど握ったつもりがなかった俺は、窓から見える領民、聞こえる罵声を背に無言で部屋を出ていく。今は、誰とも話したくなかった。
幸いなことに、シエラは話しかけてこない。
まさか、アリスお嬢様がこんな形で語り継がれているとは夢にも思わなかった。
領民は、今まで何を見てきたのだろうか。不平不満をぶつける相手は、お嬢様ではないのに。
「畜生、畜生……」
どうしようもない怒りが、身体中を巡りに巡って行き場を無くしている。このままでいれば、頭がおかしくなってしまいそうだ。
見慣れた部屋、廊下、それにこの雰囲気。どこに視線をやっても、それは俺の視界から消えてくれない。
アリスお嬢様が居たその空間は、もう立ち入ることがないと思っていた。立ち入るとすれば、この手でグロスター家に関わる全ての人を抹殺する時だけ。そう、思っていたのに。
「……アリスお嬢様。会いたい、です」
机に向かうお嬢様の口へドライフルーツを放り込み、花瓶に一輪の赤いバラを挿し、風通しを良くするために窓を開ける。たまにカモミールティを作って飲み、仕事内容にあーでもないこーでもないと議論を交わす。そんな空間で、ずっと息をしていたかった。
でも、それはもう叶わない。分かっているさ。
なぜか俺を避けて行く団員に疑問を持ちつつ、俺はクリステル様の居る厨房を目指す。
***
「カイン様」
「なんだい、サレン殿」
宮殿の客間で読書をしていると、僕の婚約者であるサレン殿がおずおずと入ってきた。
ここ、読書をするのに一番最適なんだ。お客様が来たら退かなきゃいけないけど、それに目を瞑れば室温湿度ともに最適だし、椅子の座り心地も良い。それに、お客様用で常にお香がたかれているから、とても落ち着いた気持ちで読書ができるんだ。埃っぽい書庫とは大違い。
「今度は、なんのご本をお読みに?」
「グリム童話さ。僕は、いつだって物語の中に逃げ込む」
「まあ、……ふふ」
サレン殿は、笑いながら僕の隣に座ってきた。
彼女の身につけているピンクのドレスが、座った反動でフワッと波打つ。その美しさに目を奪われていると、気づかれたらしい。先ほどとはまた違った表情で、わざとらしく本の中身を覗いてきた。
「サレン殿は、グリム童話を読まないのかい?」
「読みますわ。特に、ヘンゼルとグレーテルのお話が好きです。あと、忠実なジョンも」
「渋いところ行くね。「ああ、私のジョン。お前を再び生き返らせることができればなあ」だっけ?」
「ええ、そのシーン大好き」
「石像が喋るのって怖くない?」
「ええ、怖くないわ。人間が喋るのですもの、石像だっておしゃべりしたいと思いますし」
「あはは、サレン殿は面白いね」
僕は、会話をしながら本を閉じた。
自身の住処とはいえ、隣国のお姫様が隣にいるんだ。あまり退屈にさせてしまうのも良くない。
でも、彼女にはなんだか違和感があるんだ。
何が? と聞かれても答えられないのだけれど、このまま結婚しても良いのかどうか不安になる。
母さんに話したんだけど「緊張してるのよ」としか言わないんだから役に立たないよ。
「サレン殿、庭で散歩しない?」
「良いですね! 賛成です」
「今は、赤いバラが綺麗なんだよ」
赤いバラ。
確か、父さんのお気に入りだったあの人も好きだったな。僕もよく、青いバラは存在するかどうかで議論をしていたっけ。懐かしい。
「私、バラが好きです」
「そうなんだ。プレゼントしようか」
「嬉しい! 特に、赤いバラが好きなんです。カモミールティを飲みながらバラを眺めるあの時間が好き、と言った方が正しいかもしれません」
「へえ。昔、そんな楽しみ方をするお方が居たな」
「まさか、女性でしたり? 浮気はだめですよ」
「あはは、肝に銘じておくよ」
再度頭に思い浮かべた彼女の名前は、アリス・グロスター。
父さんの来賓として数回しか会ったことはないものの、あの礼儀正しさ、笑顔、立ち振る舞い、何をとっても一級品のご令嬢だった。
彼女も、バラを好みカモミールティを愛していた気がする。……なんて、そんな情報をいまだに覚えているくらいには彼女に興味があった。むしろ、彼女が僕の初恋相手だったんだ。
でも、彼女はもう居ない。
先に立ち上がった僕は、サレン殿に向かって手を差し出す。
「さて、行きましょうか。将来の奥様」
「ええ、旦那様」
僕は、このサレン殿と結婚し、早く周りを安心させなくてはいけない。
違和感があろうとなんだろうと、国王が決めたことには素直に従った方が良い。そうに決まっている。
「バラをさすための花瓶を用意させよう」
「ありがとうございますわ」
この時の僕はまだ、グロスター伯爵家の事件を知らなかった。
クリステルがいないなあ、程度にしか思ってなかった。だからこれから、王宮も宮殿も双方ひっくり返したかのように忙しくなることを、この時の僕はまだ知らないんだ。