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イリヤのペースは私が乱す


「陛下」


 執務室に入ると、陛下が机上で筆を走らせていた。

 一瞬感心したものの、表情ですぐに察する。


「……へーいーかー?」

「ヒッ!? ラララランベール伯爵、ごきげんよう」


 近づきながら静かな声で名前を呼ぶと、陛下はすぐに書いていた用紙を膝上に隠しやがっ……隠してしまわれた。何を書いていらっしゃったのか、なんとなくわかる私はそのまま会話を続ける。


「本日のうさぎ……いえ、本日の会議のうさぎ。いえ、内容に関してうさぎなのですが」

「悪かった!! この通り!」

「はあ……。そんなお好きなら、家族に迎えればよろしいのに」


 陛下は、小動物がお好きだ。猫、犬はもちろん、最近はもっぱらうさぎに夢中らしい。よく、部下に城下町へ出向かせてそれらが描かれたグッズを買い漁らせているのを私は知っている。

 なお、私にはそのような「お願い」はしない。人を選んで頼んでいるところが陛下らしいと言うかなんと言うか。


 でもまあ、これでストレス解消していると思えば可愛いものか。女や酒に走らないだけ褒める要素がある。


「え、良いのか!?」

「お仕事に支障がなければ、のお話ですが」

「……」


 支障をきたすらしい。

 こういうところも、素直なお方だ。


「時に、陛下。法官より、法改正に関することなのですが……」

「証言に関するものか!?」

「いえ……。それは、議題にも上がりませんでした。職に関するもので、書類が出来上がっております」

「……そう、か」


 私の言葉を聞いた陛下は、落胆の表情をしながら持っていた用紙を無意識に机上に置く。チラッと覗くと、……そこにはうさぎが2匹。今日は、身体までお描きになられているわ。珍しい。


 この国の法律は、別の管轄で運用されている。法官が取り仕切って、そこに陛下の意思は入らない仕組みなの。

 先々代の皇帝陛下では全てを統治していたらしいけど、今は手から離れてしまっているの。なぜそうなったのか、陛下もご存知ないそうで。

 陛下に依頼されて私も調べたのだけど、本当に一切情報が出てこないの。どこの図書保管室でもその類の記録が見つからないとか、不思議すぎるわ。


「陛下。そういえば、エルザ様は……」

「先週、やっと外に出るようになったよ。サレン殿をとても可愛がっている」

「そうですか」


 持参した書類を机に積みながら話題を変えると、陛下の表情が一気に緩やかになる。

 正妃エルザ様は、陛下と30歳違い。歳の差はあれど、この程度であればさほど珍しくはない。それに、お2人はとても好き合っているの。外野から見たら、その光景は微笑ましい。


 しかしここ数年、エルザ様は滅多にお部屋から出ないお方になってしまわれた。以前は、よくさまざまなお方と交流を楽しまれていらっしゃったのに。

 私が最後に王宮のお庭で見たのは、3年前に隣国の皇帝陛下が来日された時。あの時も、顔を真っ青にしてずっと下を向いておられたから、ちゃんとは見ていない。


「時に、アレンはどうだ?」

「先日、陛下のご命令通り休みを取らせました。武器屋と演習場にも通達して」

「そうか。その後は?」

「副隊長の話によると、何事もなく執務に当たっているとのことです」

「何か変わったことがあれば、いつでも報告をくれ」

「承知しました」


 陛下にとって、エルザ様とロベール卿はセットだ。片方を心配すれば、もう片方も同じく心配をする。

 それは、双方抱えているものが同じだから。同じ時期にトラウマを抱え、いまだに抜け出せずにいるから。


「……エルザはもう大丈夫だ。しかし、アレン。あやつは危うい」

「そうですね。グロスター伯爵のご子息が牢屋に入ってから、気迫が違います」

「そっちはまあ、良い。たとえ、殺したとしても証言は証拠にならんのだろう?」

「それは、同じ穴の狢と思って良いでしょうか」

「冗談だ」


 今の声色は、冗談ではなかったけど。


 私がため息をつくと、陛下はヘラヘラと笑いながら積み上げた書類を読み始めた。いつもなら積極的に読まないのに。

 陛下の悪いクセは、どうしようもない現実から目を逸らすことだわ。……まあ、向き合っても文字通りどうしようもないんだけど。


「……本当は、あいつに剣を持たせたくないんだ」

「でも、騎士団の中で、戦闘能力と隊をまとめあげる力はピカイチです。彼が抜けたら、士気が下がりますよ」

「ああ。わかってる」

「……それに、自死は剣がなくてもできますから」


 一瞬だけ、陛下の動きが止まった。でも、すぐにまた動き出したわ。読んでいるのかはわからないけど、承認の必要な書類に印を押し始めている。


 陛下とロベール卿は、親子のような年齢の差がある。それも相まって、色々気にしてしまわれるのだろう。それに、自身が過去に依頼した任務によって、一時期精神を病んでしまわれたのもあってね。


「そういえば、怪我は治ったのか?」

「傷口は塞がったそうです。ガロン侯爵の下におられるフォンテーヌ子爵の使用人、アインス医療者が診たようで。ロベール卿、とてもその方を気に入られたようで感謝しておりましたよ」

「そうか。後で、礼を送っておいてくれ。……フォンテーヌ子爵、か」

「仕事が遅いと有名な子爵ですよね。しかし、最近スピードが上がったようで、ガロン侯爵も喜んでおられました」

「コツでも掴んだのかな。良いことだ」

「なんでも、最近起き出したご令嬢が優秀らしく。あの、ダービー伯爵ご子息の婚約者の……」

「ダービー伯爵……」

「……そういえば、そちらもきな臭くなってきました。確定次第報告します」


 ああ、頭痛のタネが多すぎるわ。

 これじゃあ、陛下にうさぎのひとつやふたつは描かせてあげても良いか。……ちゃんと、やることやればね。

 今回の書類は、急ぎのものは先に見て印をつけてある。さほど時間は要しないだろう。


 こんな陛下でも、国民には愛されているのよ。

 だって、そうよね。先代が崩御されてから、ものすごいスピードで上層部を統治させ、物価改善や職の安定に力を入れるよう改革したのだから。

 彼は彼なりに、自分ができることはしているのよ。できること、はね。


「そっちの報告も、定期的にお願いするよ」

「承知しました。そちらは、ロベール侯爵が調べております」

「はあ。あいつも、グロスターにダービーに、苦労を背負うな」

「彼の担当地方はお祓いをしてもらったほうがよろしいかもしれませんね。……悪魔もいるらしいですし」

「……まだあの遊びが流行っているのか。ロートリンゲンの野郎」

「陛下、先ほどからお口が悪いですよ」


 世間話はこれくらいにしましょうか。陛下のお仕事が進まないから。


 そう思った私は、一礼して陛下の座る席から遠ざかる。

 しかし、そのまま仕事に戻ろうとドアノブに手を置いたところで、唐突にあることを思い出した。


「そういえば陛下」

「なんだ?」

「ロベール卿が、イリヤを見かけたそうです」

「おお! 懐かしい名前だな。どこで見たんだ?」

「彼の話によると、先ほどお話したフォンテーヌ子爵令嬢の侍女をしていたとのことでした」

「なんと、意外だ。あいつが侍女になるなん……え? 侍女?」

「では、世間話はこれで。失礼します」

「……え、ちょ、ちょっ!?」


 再度一礼をした私は、立ち上がって唖然としている陛下の返答を待たずに執務室を出た。



***




 私が起き上がれるようになって、1週間が経とうとしていた。


 車椅子生活は続いているけど、もう筋肉痛も成長痛もない。だから、こうやってお父様とお母様からいただいた机でお仕事ができるの! 万年筆の重みが、とても嬉しい。


「イ、イリヤ……」

「はい! なんでしょうか、お嬢様ァ!」

「……えっとね、うんとね」


 あれから、夢は見ていない。

 サルバトーレ・ダービーにも会っていないし、変わったことといえば、お仕事を少しずつ任せてもらえるようになったくらいかな。それに……。


「私の胃袋の量って知ってる?」

「はい、大変良く存じ上げておりますぅ」

「……そう」


 絶対わかってない!


 目の前には、3時のおやつがある。

 それだけなら良いわ。お茶と一緒にいただくだけだから。でも、そうじゃないの。


「クッキーにシフォンケーキにカップケーキ、チョコレートにドライフルーツ、ナッツ、クラッカーとジャム……。私、こんな食べられないわ」

「いいえ」

「……いいえ?」

「いいえ、食べられます。食べられないと思うから食べられないのです! イリヤは2周できます」


 昨日、やっと普通食にして良いとアインスからの許可が出た。

 それを聞いたイリヤが、ザンギフをはじめとした料理人を前に「お祝いだ」と騒いでしまって今に至るの。本当は、イリヤが作ろうと思って調理場に立ったんだって。それを見つけたザンギフが全力で止めたとか。


 この顔は、何か食べるまでここに居座るつもりだわ。


「じゃ、じゃあ、このクッキーだけいただこうかしら」

「あ、それイリヤも手伝いました。コネコネブゥンって」

「ブゥンって何?」

「オーブンの音です。イリヤが予熱をしました、ふふん」

「……そう、ありがとう。でも、やっぱり胃にはドライフルーツが良いかしら?」


 アインスからもらった許可には、続きがある。彼は真顔で「普通食をお召し上がりになって大丈夫です。しかし、イリヤの料理だけは胃に悪いので止めるように」と、釘を刺さしていったのよ。

 アインスが言ったことだからね、うん。守らないとね、うんうん。


「ドライフルーツとナッツは栄養価も高いですし、片手てお召し上がりいただけます。執務の合間にも良いでしょう」

「私もそう思っていたの!」

「でも、クッキーも片手で「イリヤ、この書類って期限いつまで!?」」


 なんなら、小麦粉は胃に優しい食材よ! わかってるわ!

 でも、怖いもの見たさじゃないけど、一度で良いから食べてみたい。胃が良くなってからね。


 私は、イリヤが指差すクッキーを見ながら話題を変える。


「それは、来週までです」

「直近の締め切りはどれ?」

「その、来週までのものです。お嬢様の捌くスピードがものすごいので、もうお仕事がありません」

「え? そんなにやってないけど……」

「やってますよ。旦那様が「ベルは寝てるのか?」と心配なされておりましたし」

「ね、寝てるわよぉ」

「ほっぺ膨らませても、イリヤは騙されません」

「ムー」

 

 一昨日、ちょっとだけ夜更かししたのがバレてるわ。

 でも良いじゃないの。久しぶりに、作物の収穫予想とそれに関わる肥料の量の計算をしたんだもの。とっっっっても楽しかったわ。


 このままいくと、石灰質土壌用の肥料が底を尽きそうだから、新しく作らないといけないことがわかったの。金属系の肥料って高いのよね。

 まあ、あとはこの一帯を管理するガロン侯爵の考えることだから、私が悩んでも仕方ない。


 にしても、次の日ちゃんと起きたのに、なぜわかったのかしら?


「今、お嬢様がすべきことは、お仕事でも婚約者を気にすることでもありません。自分を大事にすることです!」

「みんながしてくれるわ」

「それじゃダメです! じゃないと、イリヤが0から作ったカップケーキをお口にねじ込み「だだ大事にするわっ!」」

「なら、よろしいです。ご褒美にクッキーを差し上げましょう」


 逃げ場をください!


 イリヤ、わかってやってるわね……。このニヤニヤした顔! なんだか、遊ばれている気がしてならない。


 万年筆を置いた私は、ドライフルーツを手に取りポシポシと噛んだ。少しだけ周囲にお砂糖がまぶしてあるみたい。フルーツの甘さとお砂糖の甘さが身体に染みるわ。


「イリヤも食べて」

「え?」

「はい、あーん」

「……うっ」


 これぞ、反撃!

 最近わかったのだけれど、イリヤってこういう不意打ちに弱いみたいなの。顔を真っ赤にさせて、私を睨む目がクセになりそう。

 屈んだイリヤに桃を近づけると、吸い込まれるように口内へと入っていく。なんだか、小動物に餌付けしてるみたいだわ。


「……あとは、お嬢様がお召し上がりください」

「はあい。いただきま「ベル! 聞いてくれ!」」


 イリヤの言葉に頷きオレンジピールを口にした時、ドアがバーンと大きめの音と共に開き、頬を紅潮させたお父様が入ってきた。……の、後ろからアインスも来たわ。

 アインス、なんだか飽きれた顔してイリヤを見てる。どうしたのかしら? でも、その前にお父様ね。


「何かしら、お父様?」

「先週提出した水道計算と土壌調査の土台作成が、ガロン侯爵のお目に止まったらしいんだ! 来週、宮廷にて詳細を詰めたいと連絡が来た!」

「良かったわね、お父様! これで、爵位が守られるでしょう」

「それもそうだが、そうじゃなくてそうなんだ!」

「落ち着いて、お父様」


 良かった。これで失敗したら、爵位剥奪と噂されていたみたいだったから。子爵のままで居られるわね。

 にしても、お父様ったら。嬉しすぎてなんだかよくわからない言葉をはいているわ。


「これが、落ち着いていられるか! 宮廷なんて、私たちの爵位じゃ入れないんだぞ! フォンテーヌ家の先代だって、式典でしか入ったことはない! あ、入っているな」

「ふふ、お父様ったら。……じゃあ、お父様が宮廷でお仕事なさっている間、お家のお仕事は私が「何を言っているんだ?」」

「え?」


 お父様は、まるで行進曲でも鳴り響くのでは? と思うほど軽快に私の方へと寄ってきた。そして、机を隔ててある対面する。


「水道計算も土壌調査の土台作成も、ベルがやったものじゃないか! 宮廷に行くのはベル、君だよ!」

「……え?」

「ほら、アインスも連れてきたから計画を立てよう。ガロン侯爵も、ベルの体調を気にしていらっしゃってね。無理のない予定を複数提出するよう伝達されているんだ」

「え?」

「ああ! ベル、君は本当にフォンテーヌ家の誇りだ!」

「……え?」


 私は、壊れたように「え?」を繰り返す。だって、それ以上の言葉が出なかったから。


 お父様の言葉を理解するまでに、舌の上に僅かに残っているオレンジピールの味を堪能し、後ろで「ほおおお」と変な声をあげるイリヤを背中で感じ、お父様の後ろでニコニコするアインスを見るといった過程が必要だった。……それでも、まだ理解が追いつかないわ。

 しまいには、目の前にあったナッツを食べて、


「……ナッツ、美味しい」


 なんて、イリヤみたいなことを言う始末。


 待って待って!

 宮廷にお仕事をしに入るのって、伯爵より上の爵位でしょ!? 王族の生活する宮中なら話はわかるけど、違うみたいだし!?

 私、子爵令嬢だけどガロン侯爵はわかっているの!?





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