暁天の星は、瞬く暇さえ与えられずに
カウヌのロイヤル社は、私が想像していたより少なくとも100倍は豪華だった。
どうやって取り付けたのか疑問に残るほどの大きさのシャンデリア、足を取られそうな分厚いカーペット、近づくことを身体が拒否しそうなほど高価っぽい展示品の数々……。
とにかく、視界に入るもの全てが「格」の違いを私に見せつけてくる。……これが、本部。本部……。そう、そうなのね。
伯爵令嬢だった私でさえ足がすくんでしまうほど、豪華なのよ。すごいを通り越して、なんだか怖い。
「……」
「アリス、どうしたの?」
「あ……いえ、なんでも」
「そう。そこ、段差あるから気をつけて」
「え、ええ……」
まさか、豪華すぎて怖気付いたとは言いにくい。
非常に、言いにくいわ……。
私は、心配そうな顔で覗いてくるシャラを横目に、小さな段差を飛び越える。
***
分厚めのドアをノックすると、すぐに中に居た人物の声が返ってきた。その声は、俺を待っていたかのような印象を与えてくる。
それも、そのはず。
「アインス、失礼する」
「どうぞ、ロベール殿。どうでしたか?」
「アインスが目星をつけていた通り、香辛料の類だった。厨房からもらった山羊の乳を飲ませたら、ものすごい勢いで飲んでいたよ」
「そうですか……。その後はどうでしたか」
今までジョセフと思って接してきた人物が、カウヌ国の4大公爵の1人、ロバン公爵だった。なんでも、顔を整形して、声も変えて、薬で身体を弱らせていたと言うのだから驚きしかない。
そんな技術は、レオーネ国に存在していない。故に、その事実がバレれば即座に「技術」が公になっていくだろう。そこまでして、やりたかったことはなんなのか……。一番気になるところだが、その前に本人を話せるようにしなければいけない。そこで、アインスの出番だったというわけだ。
アインスは、そんなロバン公爵を診察してくれた。……いや、してくださった。
多分、あの冷ややかな態度の彼を後にも先にも見ることはないだろう。それほど冷淡な接し方をしながら……思い出しただけで、背筋がゾワっとする。
まあ、とにかくそんな感じで診察してくださって、喉は香辛料……確か、カ……カプなんとか。そんな感じの聴き慣れない香辛料が原因であるとわかった。
それは、乳製品で緩和されるとのこと。半信半疑で厨房からもらってきた山羊の乳を奴に飲ませ様子を見て、今に至るというわけだ。
1日かかると思ったが、数時間で声が出るようになったんだから、乳はすごいな。母様のシチューでしか口にしたことがなかったが……次、喉が痛い時にお世話になろうか。
「その後とは、何が聞きたい?」
「とりあえず、ロバン公爵の容態とジョセフ・グロスターの行方でしょうか」
「後者は、検討がついているように聞こえるが?」
「まあ……」
扉を開けたアインスは、奥のベッドで眠り続けるクリステル様を横目に、俺をソファへと案内してくれる。「お茶は出せませんが」と、彼なりに気を使われたがそんな時間はない。
これから、ロバン公爵の尋問が始まる。しかも、陛下と王妃同席の前代未聞の尋問だ。スケジュール通りに動かないといけないだろう。
ソファに座ると、クリステル様の腕から伸びている点滴を確認したアインスも向かい側に座った。
「モンテディオが第一候補、第二候補が隣国に滞在している……」
「察しが良いな。こちらも、その線で捜査を進めているところだ。しかし、国境を超えた記録がないんだ。これも、整形が関係しているのか?」
「しかし、いくら整形しても歯形や指紋は簡単に変えられませんよ」
「もし、ジョセフらしき人物を見つけたら……」
「私が診ましょう」
と、半ばここに来た理由の一つを早々と達成してしまう。
少々言いにくいことではあったが、アインスは眉間のシワを深くしながらそう言ってくれた。
彼は、陛下に仕えている医療者ではない。あくまでも、フォンテーヌ子爵と契約を結んでいてこちらには手を貸してくれているにすぎない。
なのに、俺の話を聞いて助言してくれ、サレン様2人の診察、クリステル様の容態管理、それにロバン公爵のことまで気にかけてくれている。
イリヤならわかるだろうが、彼と会って日の浅い俺に、今どんなことを考えているのかを読み解く力はない。
「……すまないな」
「いいえ、乗りかかった船です。……5年前から、この計画ができていたのでしょうな」
「ああ、アインスの話を聞いている限りそうだろうな」
「……この老ぼれ、最期まで付き合いましょう」
俺は、その言葉にどう返事したら良いのかわからなかった。
アインスは、そう言うと立ち上がってクリステル様の方へと歩いていく。
床と靴裏でわざとコツコツと音を立てているように感じたのは、きっと俺の気のせいだ。気のせいでなくても、俺には何も言えない。
……5年前、ロバン公爵によって人生を狂わされた彼にかける言葉は、何もない。
***
「……」
「はっ、はっ……」
東雲の空が眼睛に映し出された時刻。
乱れた息を整えようと深呼吸をするも、その行為は無駄に終わる。
鳥の囀りが耳を掠ったと思えば、すぐにドクドクと脈打つ心臓の音にかき消されていく。それだけで、自身の置かれている状況を嫌でも理解するしかない。
霞んだ視界は、体力の消耗からか、どこか負傷したためか。今の状況下の中、判断は難しい。
目の前には、ピクリとも動かない男性が血まみれになって倒れている。引き裂かれた皮膚から、大量の腑が地面に広がっているが、不思議とグロさはない。どちらかというと、艶やかな表面がまるで芸術品のように映ってくる。
草花が気持ちよさそうに風に揺れ動いているはずの場所は、まるで嵐でもきたかのような大惨事を見せつけてきて……。自身がそうしたのに、どこか他人事のように東雲とともにぼやけた視界へ入っていた。
「……じゃあな、マクシム」
と、声を出したが、果たしてちゃんと発音できていたかどうか。
まあ、そんなことはどうでも良い。「俺」は、脱臼して動かせない腕を無理やり空に掲げて、握っていたナイフで奴の心臓部分にとどめをさす。
幸い、骨には当たらなかったらしい。
ナイフは、今までの戦闘を考えれば最も簡単に奴の心臓へと到達し、新しい鮮血を草花の上に注いでいく。屈曲反射はなく、ただただ血液が漏れ出ていくだけの行為になってしまった。と言うことは、こいつは先ほどの一撃で死んだのか。
あっけないな。
「……次のターゲットは」
東の空に背を向けた「俺」は、ふらふらとした足を西へと向ける。