生死の線引き
ドーラ副団長様について、私たちは団員や検死官が行き交う現場へ行った。
場所は、シャラナ湖のほとり。火の気が全くないから、殺人の線で調査してくれるみたい。
遺体は黒焦げで、見ても誰だかわからなかったわ。まだ熱があるから触らないでとのこと。「お嬢様は見なくて良いです」ってイリヤから言われたけど、私にも見届ける責任がある。
最初はね、かろうじて身長がわかるほど黒焦げだったから、別の人かと思ったの。でも、左右はわからないけど耳があっただろう位置に、私がプレゼントしたピアスが光ってた。どうして燃えなかったんだろう。燃えていれば、「この人はドミニクじゃありません」って言えたのに。
私は、「ドミニク・シャルルに間違いありません」とドーラ副団長に伝えた。その後は、よくわからない。イリヤがドーラ副団長様や他の団員様とやりとりをしていたから。
ドミニクって、籍が抜かれてるんじゃなかった? どうやって陛下に報告するのかな、なんて考える余裕だけはあったみたい。不思議と、涙は出なかった。
***
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「ええ……。でも、今日は休ませてちょうだい」
「はい、お待ちください」
ドミニクの遺体を確認した私たちは、シャラと別れて宿に戻った。
イリヤが受付で戻り手続きをしてる中、私はソファに座ってボーッと壁を眺めている。いかがわしいなって思っていた宿も、今はなんとも思わなくなってるわ。
それに、不思議と恐怖や不安はなかった。遺体なんて初めて見たけど、そもそも私は一度死んでるからかな。親近感が沸いたまでは行かなくても、不快な気持ちにはなっていない。
それよりも、ドミニクが苦しんだという事実の方がずっとずっと胸が痛い。あそこまで焼かれるのに、どれだけ苦しんだのでしょう。
どうして、私はドミニクをお店にとどめておかなかったの? コーヒーだってなんだってあったのに、どうして「行かないで」と言えなかったの? そう考えると、初めて涙が出てくる。
『浮かない顔だね』
「……親しい人を亡くしたから」
『おや、びっくりしないのかい? 私が居ても』
「それどころじゃないもの」
すると、真後ろから見知った声が聞こえてきた。
その声は、ジョン・ドゥさんのもの。なんとなく現れるんじゃないかなって思っていた私は、冷静な口調で返事をする。
途端、周囲の声が聞こえなくなった。
ここも、ジョン・ドゥさんの世界なのかしら。目の前にイリヤが居るのに、こちらのことには気づかれないと本能がわかっていた。きっと、この空間だけ切り取られていてるんだわ。ベルとお話しするような空間を感じるの。変な感じ。
『まあ、そうか。でも、彼にも想定外だったようだよ』
「何、もうドミニクはそっちに行ったの?」
『そう睨まないでくれ。君に嫌われたら、ベルになんと言われるかわかったもんじゃない』
「別に睨んでないわ。それに、貴方は私の後ろにいるでしょう。睨めないじゃないの」
『おっと、そうだったね。じゃあ、これでどうだ?』
「どうだって……!? あ、貴女、女性だったの!?」
背中越しにあまり実りのないやりとりを続けていると、ジョン・ドゥさんが目の前のソファに腰掛けてきた。声も態度も、なんなら服も男性のものなのに、見た目はどこまでも女性だと私に教えてくれる。
腰まで伸びた黒髪、どことなく威厳を保っているような吊り目、ほっそりとした胴体……。胸はあるから、女性に間違いない。
私は、ドミニクの遺体を見たショックを一瞬だけ忘れてしまった。それほど、ジョン・ドゥさんの姿に驚いてしまう。
これは、どう言うこと? 何が言いたいの?
『正確には、私に性別はない。持っていても、必要ないって言い方のほうが正しいか』
「……貴女って、本当によくわからない」
『最高の褒め言葉だよ。褒め言葉ついでに、良いことを教えてあげよう』
「なんて言いながら、どうせベルに頼まれて来たんでしょ?」
『鋭い! あの子は、国境を越えられないんだ。私の妻になれば、世界中旅をさせてやれるんだがなあ』
「……性別はないのに、ベルが妻なのね」
『私に性別はないよ。ただ、ベルがどうしても女性しか愛せないというからね』
「はいはい、ごちそうさま。ところで、ベルは元気? 何か伝言?」
ジョン・ドゥさん……で良いわよね。彼? 彼女? よくわからないけど、彼は今、私の目の前に存在しながらソワソワと辺りを見渡している。何を見てるのかな。視線を追っても、よくわからない。
受付なんて見てどうしたのかしら? 懐かしそうな顔をしてるのだけど、もしかして生前に受付のお仕事をしていたことがあるとか?
いえ、この人に生前も何もないわね。よくわからない存在。
でも、行動の根本にベルが居るのは嫌というほどわかる。
きっと、この人にとってベルがどうでも良くなったら、私のことも忘れてしまうんでしょうね。そんな感じがする。
『鋭いね。実は、君を護衛するように言われて来たんだ。相変わらず、私のことを元気に拒絶してるよ』
「へえ、ご苦労様」
『あっ、信じてないな!?』
「信じるも何も、実態のない貴女がどうやって私を守るの? 危険が迫ったら、「危ない」とか言って?」
『馬鹿にしないでくれ。これでも、危険察知能力は高い』
「そこは、未来が見通せるくらい言いなさいよ」
『できないことを口にするほど、私は浅はかじゃないってことさ』
「……ものは言いようね」
『君もベルと同じく、素直じゃないねえ』
貴方も、屁理屈がお好きだこと。
そう言おうと思ったけど、大人気ないと気づいてやめた。
でも、そんな私の気持ちを見透かしたかのようにケラケラと笑ってくる。そういう態度を見ていると、ベルがどうして頑なに拒否しているのかがなんとなくわかってしまうわ。この人、女心をわかっていない。……いえ、わかっていて手のひらで転がしていたい人なのかも。
憎めないから余計、断りにくいし離れたら離れたで寂しくなるのでしょうね。
……私にとって、ドミニクのように。
「もう危険迫った後なのよ。私はどうせ、ドミニクが苦しんでいる中呑気にケーキを食べていた馬鹿そのものだわ。自分だけが安全なところに居たのが許せないだけ。貴方に八つ当たりしてるだけの心が狭い女なの」
『なるほど。じゃあ、君の言うドミニクという人物がどこに居るのか探してこようじゃないか。伝言は?』
「そんな気軽にできるものなの?」
『ベルに私の評価を上げてくれるなら』
「貴女と話してると、生きてても死んでてもあまり変わらないみたいで変な感じになるわ」
『生死の概念は私にはないからね。君もそんな感じだろ?』
「うーん……。死んだ後の記憶がないから、よくわからないわ」
『まあ、そうか』
ベルに指名されなければ、私はきっと消滅していたに違いない。
あのまま死んでいたら、アレンやシャロンの生前の優しさがわかってなかったかも。イリヤやアインスたちにも出会えていなかった。それに、ドミニクにだって。
この差は大きいわ。
私が憑依した理由はわかってる。
でも、その原理を「説明しろ」と言われてもよくわからない。きっと、こうやって目の前で話している人の機嫌を損ねたら、私なんか秒で消されちゃうのでしょうね。
とはいえ、機嫌取りみたいなことはしたくない。普通に、友人? なんか、そういう立場で居たいというか。何かしてもらったら、それを返せるような関係になりたい。
「ねえ、ドミニクを探してくれる代わりに、私ができることはない?」
『たくさんあるさ! ベルを説得させる、ベルの私の評価を上げる、ベルを「ちょ、ちょっと! そういうのじゃなくて! 人の気持ちは、外野が変えて良いものじゃないのよ。貴方達の問題には首を突っ込めないわ」』
『……まあ、そうか。君も、良いこと言うね』
「そういうのじゃなくて、何か貴方の役に立てるようなことがしたいの。例えば、そうね……。好きなものとかない? プレゼントするわ」
『好きなものか……。考えておくよ』
「だから、もしドミニクがそっちに行っていたらベルのところとかにとどめておける? 話がしたいの」
『君は頭が良いね』
ジョン・ドゥさんはそう呟き、再度受付の方へ視線を向けて消えていった。
唐突に消えたから、ちょっとだけ寂しい。会話を続けたいという気持ちじゃなくて、ジョン・ドゥさんと話しているとドミニクが近くにいるような感じがして温かかったの。
あの人が居ると、私が一度死んだことに実感が湧くのよね。だから、近くに居るよう感じるんだと思う。
ってことは、そっか。
やっぱり、ドミニクは死んじゃったんだ。
遺体を見てわかっていたことなのに、今更になって涙が溢れてくる。
「ドミニク、ドミニク……」
「……お嬢様」
「な、何、イリヤ」
ソファに背中をつけて下を向いて涙をこぼしていると、そこにイリヤが帰ってきた。
ジョン・ドゥさんが居なくなったことで、イリヤが話しかけて来られるようになったのね。
それに気づいた私は、持っていたハンカチで涙を拭った。気付かぬうちに握りしめてしまったのか、シワがすごい。見られてたら恥ずかしいわ。
そもそも、貴族がこんなところで泣くなんて恥ずかしすぎる。
「……イリヤ?」
でも、いつもなら気づくはずなのに、イリヤは何も言わない。
なんなら、私の方を見ているのに頭では別のことを考えているような。そんな印象を与えてくる。
再度話しかけて初めて、イリヤが私の顔を見た。
そして、
「今日から、宿に泊まる人数が2名に変更されていました。受付の人の話によると、ジェレミーがそうしていったそうです」
と、返事がくる。
その意味がわからない私は、ソファに座りながら「え?」と言葉を出すだけで精一杯だった。
ジェレミーは、自分が死ぬことをわかってて宿の人数を変更したってこと?




