結論の(出)ない話し合い
フォンテーヌ家で医療者をしながら過ごす日々は、とても生きがいを感じる。報酬も住む場所も、宮殿で侍医をしている時と比べるまでもなく桁違いなのに。
今、私が職場を選べる立場にあれば、迷うことなくフォンテーヌ家を選ぶだろう。それくらい、ここは居心地が良い。
しかし今、そんな平穏な日常は崩れ去ろうとしている。
「では、本日の議題ですが……」
旦那様に重大任務を課せられた私は、ベルお嬢様の側で支える使用人をひとつの部屋に集めた。メンバーは、イリヤにザンギフ、アラン、フォーリーにバーバリー、そして新たに加わった殺人鬼さんもといジェレミーだ。……個性が強すぎるメンバーだな。まあ、それは良い。
それよりも、旦那様にサラッと言われた任務に私は頭を悩ませていた。何を言われたのかって? それは……。
「ベルお嬢様も、お年頃になってきました。そのため、そろそろ婚約者探しを始めなければいけません」
「はあい!」
「はい、イリヤ」
「じゃあ、僕がもらう! お嬢様のためなら、ルフェーブル戻っても良いよ〜」
「そう言う問題じゃありません」
「抜け駆けすんな。俺だって、シャルルに戻ればアリ……ベルを迎えられんだよ」
「待ちなさい。私は、この中から婚約者候補を探そうとは言ってないよ」
おっと、この2人は本当に仲が悪いな。油断すると、すぐ話が脱線しそうだ。気をつけて見張っておこう。
それに比べて、フォーリーやアラン、ザンギフは大人しくて助かるよ。……フォーリーとアランは、旦那様のお仕事で2徹してるらしいから、大人しいと言うよりは眠いだけな気もする。
私が止めに入ると、グッと堪えて2人とも口を閉じた。
なんだかんだ言って、続きを聞きたいんだろうな。特に、ジェレミーはアリスお嬢様の話になると何をしていても駆けつけてくるし。
「旦那様は、ベルお嬢様の閨教育を使用人にお任せするとおっしゃってきました。お嬢様の近くで従事する使用人との話でしたので、お仕事の合間に集まっていただいた次第です」
「あー」
「あー」
「あー」
「なんだ、クッソうまい役じゃん。……ん? なんで他の奴は疲弊してんだ?」
確かに、最近入ってきたジェレミーには「うまい話」かもしれない。なんせ、彼はお嬢様に好意を抱いているわけだし。
でも、そうじゃないことを他の使用人一同は知っていた。珍しく、バーバリーも「むり」と両手を挙げている。
フォーリーとアランに至っては、帰ってベッドで寝たいと顔に大きく書いてあるな。私も、そうしてやりたいが……。この議題が終わってからにしてほしい。
「……僕、お嬢様に今のままでいてほしい派」
「私も」
「僕も」
「私も」
「どう言うことだ? 今のままって?」
「ジェレミーは知らないだろうけどさ、お嬢様の閨知識って3歳児以下なの」
「は?」
実の所、私もイリヤの言った派閥に入りたいと思っている人間だ。というか、ジェレミー以外の使用人全員が賛成の意義を唱えるように挙手をしている。……これでは、話が進まない。
とりあえず、ジェレミーに説明しようか。
そう思って口を開こうとしたところ、先にイリヤが話し出した。
「お嬢様は、好意を抱いている男性と一緒に過ごすだけで、コウノトリさんが窓から赤ちゃんを運んでくると思ってるの」
「……は?」
「イリヤ、補足するわ。お嬢様は、窓からじゃ赤ちゃんが落ちたら大変って言って、最近はドア派になったのよ」
「え、そうだったの? それは知らなかった」
「僕が聞いた時は、コウノトリさんが過労死しちゃうかもってことでペリカンとか鳩とか挙げていらしたけど」
「お嬢様、ペリカン、あじほしいって」
「それは、私も聞いたわ。厨房に居た時、「鯵はない?」って聞きに来られたしあれは本気だったわね」
「なるほど、私のところにペリカンの疲労回復は何が良いかと聞きにきたのはそう言うことだったのか。私はてっきり、お嬢様が動物を飼いたいのかと思ってしまったよ」
「待て待て待て。……は? あれ、今って閨教育の話じゃなかったか?」
と、まあ出てくること出てくること。
ちなみに、このエピソードだけじゃない。まだ序の口と思っていてほしい。
一度、閨への興味関心を持って欲しくて「ロベール殿の身体は、とても鍛え上げられていますね。きっと、夜の相手としても申し分ないと思いますよ」と、気になっているらしいロベール卿の名前を出して意識させてみたことがある。
しかし、お嬢様は「夜……? ああ、パトリシア様が夜通しでワルツを踊る企画が進行中だっておっしゃっていたけど、ロベール卿も出席されるのね。お仕事もあるのに大変だわ」と話をすり替えてしまわれた。
意図的にしたものではなく、本当に「夜の相手」を「夜通しダンスする相手」だと思われているようだった。全く、手強すぎる。ジェレミーがポカンとするのも、気持ちはわかるよ。
「そうだよ。他に、なんの話してると思ってんのさ」
「え、ペリカンの飼育方法?」
「違うよー。でも、今のみんなの話をまとめると、お嬢様は赤ちゃんを迎える心構えはできてるってことで良いのかな」
「確かに、そうとも言えますね。誰か、気になる殿方でもいらっしゃるのでしょうか?」
「俺じゃん」
「いや、アレンでしょ」
「まさか、ロベール侯爵の長男!? それは一方通行では……」
「そうでもないですよー。アレンも、満更じゃない感じでしたし」
「……となれば、本格的に閨教育はしておいたほうがよろしいですね。正しい知識を身につけないと、自身を守れませんから」
「お嬢様、おとな、なる!」
と、フォーリは先々のことをしっかりと考えてくれる。やはり、彼女がメイド長を担っているだけあるな。心強い。
それに、本来であればバーバリーには席を外して欲しかったんだ。彼女にとって、性行為は地獄そのものだからね。でも、「お嬢様、ちしき、ひつよう」と言って参加してくれた。優しい子だよ。
……あ、アランが落ちた。
声が聞こえないなと思ってそちらを向くと、机に突っ伏して静かになっている彼が視界に飛び込んでくる。ここは、寝かせておこう。徹夜は、若いからと言っても身体に悪いからな。
「まあ、状況はなんとなく察した。こうなりゃ、俺に任せてくれよ。一応、医療者の免許も持ってることだし」
「えー、ジェレミー教えられるの? 不安しかないんだけど」
「あいつの将来がかかってんだろ? だったら、ちゃんとやるさ。実践込みで」
「はい、ジェレミー退場ー。バーバリー、お見送り」
「ちょ!? なんでだよ! 一番手っ取り早いじゃん。ちゃんと避妊するし、性病にも気をつけるって。大体、あいつの年頃で子爵男爵程度の令嬢なら経験ないっておかしいぞ? もっと、他の奴は遊んでるだろ」
と、ジェレミーが食ってかかっているが……。
その情報は正しい。伯爵程度になると、王族との婚約も夢ではないためご令嬢たちは男性との接触を極力避ける。王族と婚約を結ぶためには、処女であることが条件だからね。
でも、子爵や男爵のご令嬢はそのような縛りがないため、身体の相性の良い殿方を見つける目的でパーティ三昧が普通だ。
お嬢様は、お仕事を抱えているためそのようなパーティとは縁がない。
いや、きっとお仕事がなくても縁がなさそうだ。もしそのようなパーティに出ていたら、使用人一同が高熱を出す勢いで卒倒するだろう。そのくらい、彼女は「遅れて」いるし、それを見てホッとする人種が集まりすぎている。
「他は他! お前は、お嬢様の純真無垢な心を汚して良いと思ってんの?」
「そうですよ、ジェレミー。お嬢様の心を汚すなんて言語道断です」
「ミミ、てき」
「もう、ジェレミーちゃんったら! お夕飯のお肉抜きね!」
「あ、クソ! 肉はくれよ、卑怯だぞ!」
確かに、手っ取り早くジェレミーに任せるのもひとつだとは思う。乱暴ではあるものの、お嬢様に暴力を振るうような人ではないし、そもそも彼はそういうことに慣れすぎている。下手に座学をするよりも知識はつくと思われる。
が、それをロベール殿が知ったらどう思う?
きっと、ジェレミー目掛けて騎士団を総動員して戦争をおっ始めるだろう。彼は、お嬢様のことになると少々常識が欠ける面がある。
故に、この提案は却下だ。ここを戦場にしたくない。
「ったく。じゃあ、どうすんだよ。ずっと3歳児のままじゃダメだろ」
「だから、それを考えてんじゃん」
「……ペリカンの話しかしてねえ気がしてならない」
「こうなったら、女性と男性それぞれの身体の違いから始めようよ。脂肪と筋力のバランスとか、そう言うのならお嬢様興味持ちそうだし」
「確かに、イリヤの意見は一理あるわ。導入として良いかも」
「そのくらいなら、私がしよう。医療室に、包帯を巻く練習に使うマネキンがあるから」
「じゃあ、導入はそれで決まりー」
このままの路線でいけば、話が綺麗にまとまるかもしれん。
そう思ったのだが、いつの間にかフォーリーも撃沈していた。せっかく、女性目線で色々意見をくれていたのに。……アラン同様、寝かせておこう。起こしては可哀想だ。
「ってか、最初から人間で説明すっからダメなんだよ。犬とか猫の繁殖方法についての知識とかから入った方が絶対ぇ興味持つじゃん。卵から生まれる鳥とか亀とかとの違いを勉強させてさ」
「ジェレミー、たまには良いこと言うね」
「で、最後は俺が実践する。安心しろ、ちゃんと性感帯の開発もしてやる」
「3秒前の僕を殴り倒したい」
なんだかんだ言いながら、ジェレミーはお嬢様の性格を良く存じ上げている。さすが、昔から知ってるだけあるな。
それが面白くないイリヤがちょくちょく突っかかっているのも、見ていて面白い。彼は、ジェレミーが絡むと極端に幼くなる。良い傾向だ。
しかし、その勉強はどの程度の時間を要するのだろうか。
旦那様から、時間指定がなかったが……なぜ、旦那様が急に閨教育を言い出したのかも、今になっては聞いておくべきだったな。
確かに、サルバトーレ様との婚約が解除されたからといって、すぐ他の殿方に目を向けられるほどお嬢様は尻軽ではないしそれを旦那様たちも理解しているとは思うのだが。
「でも、お嬢様がもうペリカンの話で私のところに来なくなるって考えると寂しいわあ。先週、鯵を大量に注文しちゃったし」
「バーバリーも、おもう」
「僕も。お嬢様に、窓とドアだけじゃなくて通風口とか隠し扉の可能性とかも広めたい」
「私も、お嬢様が笑って話されるお姿を見ていたいな。きっと、閨教育を終えたら今までのように接してくれなくなりそうでそれが怖いよ」
「おいおい、結論出ねえじゃんか。あいつの将来を考えようぜ」
「ジェレミーはヤりたいだけでしょ」
「シンプルで良いじゃん。お前らみたいにウジウジ考えてんのは性に合わん」
「じゃあ聞くけどさ。お嬢様が閨教育を受けた後に「好いた殿方以外とは話もしないわ。貴族のご令嬢としての品格を」云々言って周囲の世話役を全員女性にしたらどうする?」
「は? 無理」
「でしょ」
おっと。
唯一お嬢様に閨教育をさせる気満々だったジェレミーが、退場しそうだ。彼は、「確かに、アリスならやりかねねえ」と小さな声で呟いている。
これは、決まらんな。思った通り、長引きそうだ。
結局、この話し合いは平行線で終わった。
ザンギフが「お夕飯の支度があるから」と言って退室したのを皮切りに「じゃあ、俺はアリスに会ってくる」「僕も行く!」「おにわ、みず」と言って寝ている2人を置いて全員いなくなってしまったし。
「さて、どうするか」
とりあえず、今出た意見をまとめて旦那様に聞いてみよう。理由も一緒に。
私は、机に突っ伏して眠る2人の様子に微笑みながら、記憶している限りの情報を持ってきていたノートに書き記していった。
……ペリカンの話は割愛しよう。今日の夕飯は、きっと鯵だろうな。




