もうひとつのプロローグ
私の名前は、ベル・フォンテーヌ。
婚約者からもらった毒入りのペリエを自ら飲んで死んだ、馬鹿な子爵令嬢よ。
王都とは無縁の辺境で育った私だけど、暮らしぶりとしては不満に思うことがなかった。
ちょっと頭が弱いし拾い物が多いけど優しい両親、優しい使用人が居たからね。婚約者は……かなり横暴だったけど、悪気があってのことじゃないのは十分に承知だった。だって、ちょっとだけ私と性格が似ていたし。
王族や侯爵家のように宝石をたくさん集めて鑑賞したり、ドレスをたくさん購入して自分を着飾ったりはできるようなお金はなかったけど、別に望んじゃいなかったからどうでも良い。
まあ、とにかく生きていく上で不満は全くなかったのは確かね。
なのに、どうして自殺に近いことをしてしまったのかって?
それはね。
***
気がつくと、よくわからない空間に横になっていた。
「……!?」
おかしいな。
確か、私はサルバトーレの持ってきた毒を仰いで死んだはず。
もう目を開けることはないと覚悟して、でも、想像以上の苦しさに訳がわからなくなるほどもがき苦しんだ覚えがある。まるで、深海の中に放り込まれたかのように息が吸えなくなって……。
なのに、今は普通に深呼吸もできるし、なんなら目も開いてる。手が2つ、腕も2本、手の指は……10本。ほら、見えてる。
私は、寝転びながら両手を天高く掲げて確認をした。身体の異常は、どこにもないっぽい。
上半身を起こせば、肩こりもあるし頭痛もある。……胸が大きいから、いつもそうなの。こんな邪魔な脂肪、どうにかなんないの? お茶会で「巨乳で良いわね。殿方に人気でしょう?」とか、「さぞかし、閨の時間が盛り上がるでしょうねえ」なんて言われてきたけど、別にこの胸はそのためについてるわけじゃないでしょ。気持ち悪い。
「君は、冷静だね」
「だ、誰!?」
ボーッとしながら何もない空間で膝を抱えていると、真後ろから……しかも、かなり直近から声が聞こえてきた。性別のよくわからないそれは、下手したら耳元で聞こえている気がする。
バッと振り返ったけど……誰も居ない。誰も居ないのだけど、確かにそこに何かが存在している気配がした。霊感とかそういうのは一切ないしそもそも信じてないからアレだけど、その「何か」ははっきりと感じ取れる。
「やっとびっくりした。良かった、このまま冷静でいられたら面白くなかった」
「……どちら様でしょうか」
「そんな様がつくようなものじゃないよ。とりあえず、近づいて良いかい?」
「……良いですけど」
「敬語も不要。君と私は対等な立場になる」
よくわからないけど、やっぱり何かが居た。
それは、軽快な声をあげながら近づいてくる。でも、声は相変わらず耳元から聞こえて……。どうなってんの? まさか、夢見てるとか?
私って、死んだのよね。あれは、アインスにも救えなかったと思うけど……。
それに、対等な立場って何?
「ご用件は? 私、死んだから早く成仏って言うの? 消えたいのだけど」
「成仏なんて言葉、よく知ってるね」
「……本で読んだの。地獄で苦しむより、成仏して綺麗さっぱり居なくなりたい」
「地獄って……。君は、生前に何か罪を犯したのかい?」
「……犯した」
「ほお。話してみて」
コツコツとどこからか規律的な音がする。
それは、私の心を見透かしているかのように反響した。だから、話さなくて良いものなのに口が勝手に動く。適当にはぐらかせば良いのに、私はどうしたんだろう。
でも、相手は聞くみたい。
どうして、私の話なんか聞きたいの? こんな根暗で口数の少ない……あれ?
「……私、死んでからの方がおしゃべりになってる?」
「そうなのかい? 普通、年頃のご令嬢はもっと喋るよ」
「……でも、私はいつも頭痛が酷くて口を動かすのも嫌だったから。元々頭も良くないし、私の話なんて面白くも何も「でも、私は君と話したいな。そういうのじゃダメかな」」
「ダメ。私は、異端者だから」
「じゃあ、私も異端になろうか。それで、おあいこだ」
「……変な人」
それは、私に向かって温かい眼差しを送ってくる。見えないけど、そう言う視線がわかるの。これも変だな。本当、変な夢。それに、変な人。
しかも、この人は初対面でしょう。
どうして、私と話そうと思ってるの? 何か裏があるとしか考えられない。考えられないんだけど……それ以上の思考が働かない。きっと、いつも考えることはイリヤに任せてた罰だ。
罰なら、話さないと。
「……私、男性を愛せないの。婚約者は居たけど、近くに来られるのも嫌だった。好意的な目を向けられると、鳥肌が立つの。変でしょう?」
「変かどうかを決めるのは、私じゃないよ。君が正常だと思えば、全部正常になる」
「でも、他の人は男性を愛して、子を産んで家系図を増やしていくのよ。私には、それがダメなの。考えるだけで……」
「あー……ごめん。泣かせるつもりはなかったんだ」
「泣いてない」
「泣いてるよ。涙を拭えなくてごめん」
「……バカ」
あー、ダメ。めんどくさ。
なんで泣くのよ。めんどくさい女になりたくないんだけど。生きててごめんなさい。子孫繁栄を止める私は、生きている資格がない。
なのに、両親も使用人もみんな優しいの。無条件に、私に優しくしてくるの。
それが、私には耐えられなかった。きっと、私が「男性を愛せない」と口に出せば手のひら返したようにみんな私を邪険にする。そんなのわかりきったこと。
着ている服で涙を拭っていると、近くに居るそれは本当に申し訳なさそうな声を出す。
きっと、この人も私を気味悪がってすぐ離れていく。そう思っていれば、気持ちが軽い。この人は、家族じゃない。他人だし。
「それに、私は女性が好きなの。みんなが男性を愛しているように、私は女性を愛していた。キスしたいし、身体も交わりたい」
「凹同士なのに?」
「あんた、デリカシーないわね……」
「はは、涙止まった」
「……調子狂う」
そう思ったのに、それは私の話を普通に聞いている。
それが、私には「受け入れてくれた」と映った。どちらかというと、そっちの理由で涙が止まったの。変なこと想像したわけじゃない。
凹同士だってなんだって良いじゃないの。
子はできないけど、心が満たされそうなんだから。……結局、そんなことできなかったけど。
「じゃあ、次は私だ」
「……貴方がどうしたの?」
「君の話を聞いたんだ。君も、私の話を聞いてくれても良いじゃないか」
「あー、そう言うことね。どうぞ、私は死んだから時間はたくさんあるし」
なるほど。
この人は、話を聞いて欲しかったのか。私の話は前座で、メインはこっちってことね。
それが、なんだかおかしい。意識してなかったけど、生前の私は悲劇のヒロインになっていたかも。それを今気づくなんて。
そうよね、私は世界の中心じゃない。むしろ、世界の端っこにも居ないかも。みんながみんな、私を見てるわけじゃないでしょう。なのに、私ったら。
笑わせてくれたお礼と言ったらなんだけど、話を聞きましょうか。
私は、気分が軽くなってその人の言葉に耳を傾ける。
「じゃあ、失礼して」
「……!?」
すると、突然私の右手が浮いた。
思ってもみなかったことに、急いで手を引っ込めようと力を入れる。でも、びくともしない。というか、誰かに触れられているという感覚はない。……これは何?
よくわからないけど、今、手の甲に何かが触れた。
そして、その人はこう言ってきたの。
「ベル・フォンテーヌ嬢、ずっとお待ちしておりました。私と、お付き合いしてくださいますか」
「…………は?」
あれ? 私、死んだのよね。
え? 今度は、この人の話を聞く番なんだけど。話題は何?
生前一度たりともされたことのない行為に、思考が停止する。できれば、イリヤが欲しい。
イリヤ、この状況を30字くらいでわかりやすく説明して。切実に。
「おや、私の話を聞いてくれるとのお話だったと思うけど?」
「……聞いてたけど」
「じゃあ、返事は?」
「……無理」
「はやっ!? え、もう少し考えるとか」
「無理。だって、貴方男性でしょう。わかるのよ、そういうの」
「じゃ、じゃあ、女性になるから」
「そんなこと、できるわけないでしょう! なんなの、貴方! それに、ここは」
え、この人私と「お付き合いしたい」って言った? 聞き間違いじゃ……ないっぽい。え、今日はエイプリールフールだった?
少し時間が経つと、頭が今までにないほどフル回転を始めた。と、同時に、出てくる出てくる言葉の数々。まるで、波が砂浜に押し寄せるようにどんどん溢れてくる。止まらない。
「ここは、死んだ人たちが通過する場所。私は、その管理人……と言えば納得するかな」
「……なんだ、仕事仲間が欲しかっただけね。ごめんなさい、感情的になって」
「いや、仕事は私だけで回るよ。私は、君に告白した。君を愛してる。一目惚れした。これからも愛したい。あと、どんな愛をささやけば君は信じる?」
「…………帰ろう。あ、違う。消えよう。出口はどこ?」
「ちょおおお!!」
うん、やっぱりイリヤが欲しい。
そして、そろそろ口が疲れてきた。それに、なんだか顔中が痛い。筋肉痛っぽい痛みがする。まさか、表情筋を使ってるから?
手を振り払い立ち上がって出口なるものを探していると、それは急に慌て出した。不覚にも、吹き出してしまったわ。
「あの、返事はすぐじゃなくて良いから。この空間の一角を君の部屋にして良いし、何か欲しければ私に言ってくれれば出す」
「別に、望んでないけど」
「ほ、ほら! 君が突然死んだら、家族がびっくりするだろう? 君を戻すことはできないけど、死んだ人間でよければ入れ替えてあげる! ちゃんと男性を愛せる人を身体に入れれば、子孫繁栄も止まらないし、家族も使用人もWINWINだろう!? もちろん、その人物の記憶は君のものを継続させる! どうだ!」
どうだ! って……。
私は、その話を聞き終えて「で? 出口は?」って言おうと思った。でも、言葉は出てこなかった。なんなら、別の言葉が飛び出してくる。
「……それって、死んで数年経ってる人でも良いの?」
「ああ、もちろん! 10年以上じゃなければ、呼び戻せる」
「じゃあ、嫌いな人が居るの。私の好きな人を独り占めしてた人」
「嫌いな人を入れるのかい?」
「ええ。その人、すごくわがままで領民から金銭を搾取して贅沢三昧な生活を送ってた人なの。記憶は消さなくて良いわ。そんな人が子爵令嬢になったらどう? すぐ根を上げて逃げ出すわ。それが見たい」
「君はそれで良いのかい? 自分の身体だろう」
「良いの。自分の身体に未練なんてないし。家族も使用人も、もう会わない他人よ。なら、生前の憂さ晴らしをしたって良いでしょ」
それは、半分冗談だった。
これで性格が悪いって思われたでしょ。そうすれば出口とやらに連れてってくれると思うし、さっきの告白も白紙になるでしょう。めんどくさいことを全部断ち切って、私は新たな旅立ち! 完璧じゃない?
なのに、それは私の予想を大きく裏切る。
「よし、君が良いなら良いよ。名前は?」
「え……?」
「もしかして、名前を知らない?」
「……アリス・グロスター」
「ふんふん。4年前に毒殺されてるね。条件も良さげだ」
「条件?」
「君と同じ死因じゃないと、弾かれる可能性がある」
「そういうの、後出しって言うのよ」
「まあ、良いじゃないか。君の要望は通るんだから」
「……適当」
まさか、聞いてくれるなんて思ってなかった。
もしかして、本当にこの人は私を好いてくれてるの? それとも、何か別の目的が? わからないな、こんなめんどくさい人間の言うことを聞くような人じゃないと思うんだけど。
でも、それがもしできるのであればこれほど時間つぶしになることはない。
せいぜい、惨めになって自分を呪うと良いわ。できれば、「私はアリス・グロスターよ!」とか言って周りからアタオカ認定でもされないかしら? そうなったら、冥土の土産ってやつにしてあげる。
「ってことで、さっきの答えを真剣に答えてくれるかな?」
「さっきって?」
「それがメインなんだけど! 私が君に告白したことだよ!」
「……ああ、それって本気なの?」
「本気じゃなければ、こうやって残留させないさ」
「とか言って、みんなに同じこと「言ってない! 神に誓う。君は可愛い!」」
「……きも」
私がそう言うと、それは周囲の空気を震わせて喜んでる気がする。
え、本当に気持ち悪いんだけど。というか、なんで私はこれの気持ちがわかるの? 死んだから?
……あー、そっか。これは、長い夢かも。そう思おうって決意した瞬間、何もかもがどうでもよくなった。それよりも、アリス・グロスターの無様な姿を最前線で見たい。
でも、これだけは聞いておこうか。
なんて言ったら良いかわかんないし。
「貴方、名前は?」
「私かい? いくつかあるけど」
「人間の名前にしてね。貴方、人間じゃない気がするからそっち系の名前だと発音できそうにない」
「はは、深読みがすごいね。良いよ、私も人間だった時期がある」
「へえ、そうなの」
「もっと私に興味を持って!」
「持ってる持ってる。で、名前は?」
この人、最初よりも打ち解けてきたわね。まあ、私もだと思うけど。
明日は顔中が筋肉痛だと思う。この人に、その責任を取ってもらおう。
なんて考えていると、その人は私の質問に楽しそうな声で答えてくる。
「私は、フラン」
「愛称?」
「いや? 本名がフランだよ。ファミリーネームも居る?」
「要らない。長くなりそうだし」
「もっと私に興味を持ってくれって!」
「はいはい。フラン、よろしく」
その名前は、どこかで聞いたことがあるもの。
でも、思い出せない。
やっぱり、イリヤが欲しい。このポンコツな脳みそじゃ限界がある。
私はあと何回、彼を欲するんだろうな。ないものねだりってこういうことを言うのかも。
このお話はこれ以上深掘りすることはしません。
名前に関しての解釈はご自由にお願いします。