オータムチューリップを手のひらに(後)
馬車の窓から見える景色を、初めてじっくり見た気がする。いつもは、本を片手に父様と会話するのに必死だから。
でも、こうやってゆっくり見るのも良いな。俺が足で走ってもこんなスピード感のある景色を拝めることはないし、ここだけの景色って感じで飽きない。
隣を見ると、お嬢様も外の景色に夢中なようだった。俺と同じく流れる景色を見慣れていないせいか、目の動きだけで追ってる気がする。あれでは、疲れてしまうだろう。
これが伯爵令嬢か……。この歳であれば、お茶会へ行くのに一番馬車を使う回数が多いはずなのに。きっと、指で数えられる回数程度しか乗ったことがないんだろうな。だからこそ、彼女は「お出かけ」に飛びついた。
怪我だって、伯爵令嬢であればもっと大事になるはず。ましてや、顔だぞ? なのに、どうして彼女は文句も言わずにそれを受け入れてるんだろうか。もう、そういう感情が殺されてしまっているのか? それしか考えられない。
「アレン、治療ありがとう。あと、ランチもいただいちゃって……」
「私の手柄じゃないですよ。御者が優しい方で良かったですね」
「でも、手配してくれたのはアレンだから」
あれから、広場でアリスお嬢様の怪我を清潔にしているところにロベール専属御者のシェルフが来た。父様に言われたのか、どこからどう見ても侯爵家お抱えの御者には見えない姿で。
油断すれば、浮浪者と間違えそうだ。無論、俺を見ても「初めまして」と挨拶してくれた。その徹底された演技によって、俺は今が潜入捜査であったことを思い出す。
シェルフは、お嬢様の怪我を見て真っ先に治療をしてくれた。それから、ミミリップから離れてサルメント地方の入り口付近で食事をして。
気を抜かないようにしようって誓ったばかりなのに、俺はお嬢様の笑顔を見るたびに思考が停止する。彼女は、本当に楽しそうにしてるんだ。先程は、一口サンドイッチの詰め合わせを召し上がられていた。小動物のようにちまちま大切そうに召し上がっていて、まじで天使だった。そのせいで、自分は何を食べたのか正直覚えていない。……相当だな。
「ん……」
「どうされましたか?」
「あ……いえ。なんでも」
「目が疲れたのでしょう。目的地までもう少し時間があるので、目を瞑ってはいかがでしょうか?」
「でも……」
「帰り分の馬車代もいただいていますから、また景色は見れますよ」
「……どうして、私が景色を見たいってわかったの?」
俺らの会話が聞こえているのか、シェルフの駆る馬のスピードがゆっくりと落ちていく。それに伴い、窓から見える景色も目で追えるスピードになっていった。でも、俺はそれを見られない。
それよりも、こちらに向いている澄み切った瞳を捉えるので精一杯だった。初めてお会いした時からそうだ。彼女の瞳には、一度見たら吸い込まれそうな何かが隠されている気がする。
それとも、俺がただ単に惚れてるだけ?
アリスお嬢様は、純真無垢な表情で俺を見てきた。
こういうのを見ると、やはり彼女が好きなんだなと実感する。会って間もないのにこれって、どうなっちゃうんだ? 自分で自分が怖い。
「そう思ったのですが、違いましたか?」
「ううん、景色が見たかったの。でも、私はアレンにそう言ってなかったから」
「お嬢様の専属ですから、わかりますよ」
「……えへへ。専属って良いね」
「そうですよ。お得です」
「じゃあ、大切にしないと。今日は、自分のお小遣いも持ってきたから、アレンに何か……あっ」
「どうされました?」
ゆっくりとしたテンポで揺れる馬車の中、お嬢様がハッとしたように口へ手を当てた。聞き返さない方が良いかなって思ったけど、可愛かったからそこは許して欲しい。
俺が質問をすると、前を向いていたお嬢様が再度こちらを向いてきた。その表情は、申し訳なさそうだ。
「……アレンに何かプレゼントを贈ろうと思ったの。でも、こういうのって先に言ったらダメよね……」
「そうですね。お気持ちだけいただきましょうか」
「……うー。失敗したわ」
お嬢様は、一般常識はある。しかし、それが日常化してないためか、よく言えば素直、直接的に言えば世間知らずと言う感じだ。はっきりとした物言いをするとき、彼女を知らない人間が聞けば「計算高い」と感じるだろう。
でも、彼女の境遇を知ってる俺からすれば、かわいいなって思うだけで終わる。だって、彼女の言葉に裏がないから。それは、聞いていればわかる。俺はね。
馬車の座席に置いた手が、お嬢様の手と重なりそうになった。でもそれは、馬車の揺れによって回避される。
本来であれば、こういう時って従者は隣じゃなくて主人と対面して座るんだよね。でも、シェルフが「馬車酔いすると大変ですから、こちらに」と言ってきたから、進行方向を向いて座っている。前の座席には、荷物を置いて。
「アレン」
「はい、なんでしょうか」
「少しだけ目を瞑るから、代わりに景色を見ておいてくれる?」
「かしこまりました。独り占めしておきます」
俺の言葉にクスッと笑ったお嬢様は、壁際に身体を持たせて目を瞑られた。
***
「アレン! こっち、こっち」
「お嬢様、走らないでください! 石畳は転ぶと痛いです」
「でも、あんなに球根が!」
サルメント地方は、ミミリップとは対照的に活気にあふれていた。いかに、グロスター伯爵が搾取し周囲に悪影響を与えているかがよくわかる。アリスお嬢様には申し訳ないが、定期連絡では彼が黒であることは伝えないといけない。
でも、彼女は悪くない。先週だって、グロスター伯爵に向かってお金の使い方を注意なさって……。
いや、今はそれどころじゃない。
馬車を降りた俺らは、真っ先に球根を購入するため花屋に向かった。……のだが、例の如くアリスお嬢様の暴走がすごい。いや、ひどい! これでは、怪我待ちしてるみたいじゃないか! このじゃじゃ馬!
花屋の店先に並ぶ球根の多さに大興奮した彼女は、それに向かって一目散に走る。これ以上怪我を増やしたら、俺は心臓が保たない!
「球根は逃げません! ご令嬢としての品格を……!」
「はっ……。そうね。こんなんじゃダメだわ」
「そうですよ、……落ち着いて行動しましょう」
別に、品格とかそう言うのはどうでも良い。自由に走り回るお嬢様を見ている方が好きだし。
でも、そうじゃない。怪我をしたらどうするんだって話だ。彼女には、こういう言い方のほうが響く。
俺の話を聞いたお嬢様は、急にシャンとして優雅な足取りで歩き出す。なぜか、表情までもピシッとされて。
これはこれで可愛らしい。いつまで持つかな、その表情。
お嬢様は、おとなしくしていれば気品のある伯爵令嬢そのもの。おとなしくしていれば。
故に、こうやって歩くだけで周囲からの視線がすごいんだ。ほら、あそこで見ている真っ赤な髪色のご令嬢なんか、お嬢様に釘付けだ。先ほどから、ずっと目で追っている。
「アレン、何色が好き?」
「お嬢様の好きな色でしたら、なんでも」
「そうじゃなくて! アレンの好きな色を聞いたのよ」
「うーん。今まで考えたことないですが、アリスお嬢様を見て赤は好きだなって思いました」
「じゃあ、赤いチューリップの球根1つね。あと、ジェームズの好きな白い球根も」
「ありがとうございます」
店先で立ち止まると、すぐさま店主らしき人物が近くまでやってきた。
でも、声はかけてこない。下手に声をかけて機嫌を損ねたら商売に影響するからと、父様から聞いたことがある。
アリスお嬢様は、店主に気づかず俺と会話を続けている。
もしかして、買い物の仕方もわかっていないのでは? その心配は的中した。
「……アレン。商品って、触っても良いの?」
「ご令嬢としてでしたら、店主を呼んで注文をしたほうが良いですね。手が汚れてしまいます」
「別に汚れても良いけど……お店側からしたらそうもいかないって感じ?」
「はい、そのように思っていただいて構いません」
「わかったわ。……すみません」
まさか、買い物の仕方も知らないとは。アリスお嬢様は、他のご令嬢とは育っている環境が違いすぎる。それが、俺の気持ちを暗くする。
なのに、アリスお嬢様はいつでも明るい。言われた通りに店主を呼び、ハキハキとした声で注文を始めた。
店主は店主で、笑顔で対応……というか、頬を染めるな! お嬢様の魅力を知っているのは俺だけで十分!
俺が睨むと、それに気づいた店主がシュンとした表情になって接客を続けている。
ちょっと大人気なかったかもしれない。
「アレン、ありがとう。買えたわ」
「良かったですね。買い物って楽しいですよね」
「ええ! とても楽しい。……でも、私はそれに溺れるつもりはないから安心してね」
「え?」
「……お金を使って経済を回すのも、貴族の役割だと思う。でもそれは、与えられた金額内ですることでしょう? お父様お母様たちみたいなのは違うと思うから」
「……お嬢様」
「お待たせしました! オータムチューリップの球根4つで880Gね」
話に割って入ってきた店主は、アリスお嬢様に負けないほど明るい声で袋に入った商品を手渡してきた。でも、見た感じ球根4つにしては大きな袋だ。なんだか、球根と一緒に苗が入っている気が……。
とりあえず言われた金額を支払うと、ピン札だったため喜ばれた。「ついでに……」と言って、白とピンクの2色の花弁を咲かせるオータムチューリップの球根ももらってしまったよ。気前の良い店主だ。
「毎度! また来てね」
「ええ、ありがとう!」
アリスお嬢様と一緒に一礼すると、店主が手を振ってくれた。……良い人だったな。最初に睨んで悪かったよ。反省だ。
袋を受け取った俺は、先に歩くアリスお嬢様の元へと急ぐ。
「これ、球根以外も入っていますね」
「ええ。おまけで、バラの苗をもらったの。えっと……フォーエバーローズって言う品種で、白い花が咲くんですって」
「……へえ」
フォーエバーローズとは、ミニ薔薇のこと。
白の花言葉は確か……「私はあなたにふさわしい」。花言葉は、姉さんに嫌ってほど教えられてきたから覚えている。
そして、店主! お前の顔も覚えたからな! やっぱ、敵だったじゃんか!!
振り向くと……ほら、牽制してやがる! 店主は、俺に向かって見下すような表情を披露してきた。……待てよ、その隣の店の売り子もアリスお嬢様を見てる。なんなら、さっきの赤い髪色のご令嬢も。
こうやって、ミミリップから少し離れればお嬢様は人気者だ。それが嬉しくもあり、複雑でもある。
***
あれから、計り売りの菓子屋に行ったり、チョコレート専門店に行ったりして時間を潰した。お嬢様は、そのようなお店に入ったことがないとのことだった。まあ、わかっていたが……彼女の境遇を聞く度、気分が下がっていくのは止められない。
これからは、俺が彼女に楽しさを教えてあげられたら良いな。少しずつ、外の世界の常識を覚えさせて。今日は買い物を教えられたから、次は野良馬車の予約方法とか。
飲食店での注文方法でも良いな。彼女がパフェを口いっぱいに頬張って召し上がるお姿を拝みたい。発作が起きたら大変だから、体調の良い日にでも誘ってみようか。
「……ん」
「おやすみなさい、お嬢様」
帰りの馬車の中、お嬢様は俺の肩に頭を持たせて眠りにつく。
ここから表情は見えないけど、体温が俺の身体にしみてくるような気がする。とても心地が良い。本当は、俺の膝に頭を乗せて横にさせたいけど……それは、身体が痛むからやめておこう。
俺は、球根と苗の入った袋を両手に持って幸せを噛み締めた。
今日の出来事が、彼女にとってもかけがえのない思い出となりますように。
***
「ジェームズ、ここで良い?」
「はい、そこで土を被せちゃいましょう」
サルメント地方から戻った私とアレンは、そのままの足取りでジェームズのところへ行き、余ったお金と買ってきたものを手渡した。
楽しかったな。何度か外に出向いたことはあったけど、自分で買い物をする経験をしたのは初めてだった。……初めてがアレンで良かったかも。彼は、とても丁寧にいろんなことを教えてくれたわ。
今は、ジェームズと一緒に球根を植えてるところ!
私たちが出かけている間に、植える場所を確保しておいてくれたみたい。一旦着替えに屋敷へ行き、お庭へ戻るとジェームズが準備をして待っててくれたの。
「こんな感じ?」
「はい、お上手ですよ。……今日は、どちらに行かれたのですか?」
「チョコレート専門店! あのね、店前からとっても良い匂いがしたのよ。焼いてすぐのカカオの香りって、香ばしいのね」
「それはそれは。良い体験をしましたね」
「ええ! 他にも、お菓子の計り売りしたり、サンドイッチも食べたわ」
「アレンくんがちゃんと案内できたみたいですね」
「アレンが居なかったら、買い物の仕方も分からなかったから助かったわ。次からは、1人でできると思う。アレン、格好良かったな」
植物の世話って、力が必要だし、手間もかかる。でも、その分愛おしいのよね。きっと、動物を飼ってもこういう気持ちになるんだと思う。
お兄様が鷹狩りに良く行かれるから、今度ついていってみようかしら?
ポンポンと土を被せると、花壇が新装されワクワクとした気持ちになる。
新しい花が咲くのは来年ね。来年が楽しみだな。
「お嬢様、呼びましたか?」
「ううん。アレンの話をしてただけ」
「どんなお話で?」
「秘密ー。ねー、ジェームズ」
「はい、秘密です」
嫌われ者の私が、アレンのことを格好良かったなんて言ったら失礼だわ。今日一緒に居てわかったけど、彼とは住む世界が違いすぎる。なんでも知ってるし、馬車もパパッと手配しちゃうし。
だからこそ憧れるし、一緒に並んで歩きたいと思う。……なんて、やっぱりアレンに失礼だわ。こんな私に好かれたら、アレンまでもみんなから石を投げられちゃう。
額の傷は、いつか消える。
でも、私が石を投げられたという記憶は消えない。
それを、アレンには経験してほしくないの。
スコップを持ったアレンが近づくと、ジェームズが私との話を合わせてくれた。
ごめんね、アレン。
「悪いところがあったら直しますから、これからも専属として従事させてください」
「それはもちろん! アレンが嫌になるまでは、お願いしたいわ」
「嫌になることなんてないですよ」
「……」
「お話の途中ですが、お水やりも忘れないように」
「はっ! そうだった!」
「ジョウロをお持ちしますね!」
16歳の夏。
私は、アレンの笑顔を見て決意する。
今植えたチューリップが咲いたら、真っ先に彼へ花束にしてプレゼントしよう。嫌われ者の私に、新しいことを教えてくれたお礼に。
それとも、チョコレート専門店にあった生チョコの方が喜ぶかしら? 今度は、彼にバレないように準備しないと!
……アレンが、来年も私の隣に居てくれますように。