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彼女の過去


 このまま隠し通そうと思った。

 じゃなきゃ、彼女がまた軽蔑の目に晒されるじゃないか。

 せっかく生き返ったんだ。彼女には、生前よりも幸せに暮らして欲しい。そこに俺が邪魔なら、喜んで消える。そうすれば、彼女の発作を覚えている人は身近に居なくなるだろう?


 なのに、そううまく事は運べないらしい。


「……――お嬢様? 声が……お嬢様、何を」


 発作を抑えようと声をかけていると、開け放たれた扉の前からイリヤが現れた。車椅子姿で、扉の前で固まって動かない。その目線の先は、俺を通り越してベル嬢に向けられている。

 咄嗟に俺は、彼女の身体を隠すように抱きしめた。


 しかし、お嬢様は止まらない。

 必死になって「食べなきゃ、死んじゃう」と言いながら口へと食べ物を運んでいる。


「……アレン」

「違うんだ! お嬢様は……アリスお嬢様は!」

「アレン……」

「少しだけ、お腹が空いているだけなんだ! やめてくれ、もう彼女を「アレン。僕は何も言ってないよ」」


 いくら強く抱きしめても、その手は止まらない。

 一層のこと、手首を掴んでしまおうか。そうすれば、彼女が食事をすることができなく……無理だ。そんなこと、できるわけない。お嬢様から、食事を取り上げるなんて、俺にはできない。

 むしろ、こうなったら人目を気にせず好きなだけ召し上がって欲しい。そうとすら思うんだ。でも、現実こうやって人が来てしまう。ジョセフのように、イリヤのように。


 イリヤはどっちだ?

 ジョセフのように嫌悪するか、クリステル様のように目を逸らすか。どちらにしろ、俺はアリスお嬢様の側から離れないから些細な問題だ。俺が、俺が居れば……。


「落ち着いて、別に取らないから。それより、ベルお嬢様の中身は、アリスお嬢様のままってことで良い?」

「……ああ、アリスお嬢様だ」

「そっか……。彼女は、よくこうなってたの? 初めて見たんだけど」


 しかし、イリヤは想像していた2パターンのどちらにも当てはまらなかった。

 何かを察したのか、そのまま扉を閉めてこちらへと車椅子を進めてくる。恐る恐る振り向くと、特にいつもと変わった様子のないイリヤが見えた。


 俺は言われて初めて、全身に力が入っていることに気づく。

 肩の力を抜くと、食べ物に夢中になっていたアリスお嬢様がぴたりと止まった。


「うっ、うっ……」

「アレン! サイドテーブルに桶がある」

「サンキュ」


 と思えば、今度は青白い顔色をさらに白くさせ、えずき始めた。やはり、胃に負担がかかってしまったらしい。

 すぐさま、イリヤに言われた通りサイドテーブルに置かれていた空の桶に手を伸ばす。幸い、彼女を抱きしめたままでも届く。


 アリスお嬢様は、今の今まで召し上がっていた食べ物を苦しそうに吐き出した。彼女との間に置いた桶に、吐瀉物が募っていく。と言っても、ドライフルーツと胃液だけだが。

 やはり、飲み物を買ってくればよかったな。これじゃあ、食道を傷つけて……ああ、血まで出てきた。


「……グロスター伯爵から食事を受けられなかった次の日は、必ずこうやって発作が起きてた。クリステル様の時は、2回だけ見たことがあるとのことだったが……俺の時は、かなり頻繁だったよ」

「ってことは、それだけ食事の配給がなかったってこと?」

「俺が知ってる限りではな。お仕事の失敗……それこそ、昨日亡くなった領民がいたから数がずれてたとかそういう理由で食事を与えられない時がよくあったんだ」

「それは、虐待でしょう……。僕だって、前後の日に起こった出来事を資料に反映させるのは無理だよ」

「誰だって無理だよ……」


 近くまで来たイリヤは、折れているはずの足で立ち上がり、苦しむお嬢様の隣に腰を下ろした。そして、俺と同様に背中をさすり出す。

 それだけで、なんというか安堵が胸の中に広がっていく。イリヤは、彼女を軽蔑しなかった。むしろ、受け入れてくれた気がする。


 しかし、アリスお嬢様のえずきは止まらない。

 吐くものがないのだろう、全身に力を入れて懸命に胃液を吐いている。このまま吐き続けていたら、骨が折れてしまいそうだ。彼女は今、そのくらい細い。


「知ってること、全部話して。僕は、軽蔑しない。目も逸らさない。もうアリスお嬢様は、フォンテーヌの一員だからね」

「……ありがとう、イリヤ」


 一通り吐き終わり落ち着いたのか、アリスお嬢様は俺の方へ寄りかかってきた。

 それにムッとしている辺り、イリヤも彼女を好いてくれているのがわかる。……が、このポジションは譲らないぞ。彼女が求めてきたらちゃんと応える、と言っただろう。今が、その時だ。


 イリヤが桶をサイドテーブルに戻すとすぐに、彼女は俺の膝に頭を乗せてくる。

 懐かしい。発作が落ち着いた後は、こうやって頭を撫でて寝るまで一緒に過ごしたな。あの時間、俺は嫌いじゃなかった。

 ただ、次の発作はいつ起きるのかそれは怖かったがな。彼女の寝顔を見て、こんな幼い女の子が過酷な環境に身を置いているという事実に心を何度痛めたことか。無論あんな環境じゃ医者も呼べないし、こうやって寄り添うことしかできない俺にとって、その時間は甘えられて嬉しい反面、自分の不甲斐なさに押しつぶされるものだった。


 でも、今なら。

 今なら、アインスが居る。彼ならきっと、いつものように優しい顔で「治ります」と言ってくれると思う。5年前に俺ができなかったことをしてくれると思う。イリヤだって、ここの使用人だってみんな彼女を軽蔑せず接してくれると思う。

 それだけの温かさがあるだろう。ここは、グロスター家じゃない。


「俺も聞いただけなんだが、事の発端は父様がミミリップの領主に選ばれたことで……」


 俺は、ベル嬢の頭を撫でながら、ポツポツとイリヤに話を始める。



***



 俺が彼女を認識したのは、潜入捜査の伝令をいただくずっとずっと前のこと。


 その日は、大雨の中強めの風が吹き荒れ、嵐のような天候だったことをよく覚えている。

 自分の屋敷に居た俺は、新しいお仕事をいただいたとかで走り回っている父様が心配で心配で仕方なかった。

 聞けば、屋敷を出て30分も西へ行ったところでは、浸水が始まって避難勧告が出ているとか。もう少ししたら、そこから避難してきた領民がこの屋敷に来て暖を取るらしい。


 その準備で屋敷中が忙しない中、父様が帰ってこられた。

 玄関の前でずぶ濡れになりながらも、どこか放心状態になって何かを探している。領民にお貸しする毛布を運んでいた俺は、その足取りで父様のところへ声をかけに行った。


『父様、お帰りなさい』

『……ああ、息子よ。アレンよ』

『と、父様!?』


 いつもなら、「留守中に何か変わったことは?」「母さんのお手伝いはできたか?」と聞きながら頭を撫でてくれるだけなのに、今日は違った。なぜか、泣きそうになりながら俺のことを毛布ごと抱きしめてきたんだ。……いや、雨のせいでそう見えたのかも。父様は、王宮で王族のお仕事に従事する侯爵だ。泣くわけない。震えているのも、寒かったからだろう。


 そんな父様に向かって俺は、持っていた毛布をかけた。

 すると今度は、頭を撫でながら「ありがとう」と言ってくる。今日はどうしたんだ? まだ褒められるようなことをしているつもりはないのだが……。

 元々、父様はお優しい。お仕事で忙しいのにも関わらず、俺の勉強を見てくれるし、遠出すれば仕事だろうがなんだろうが屋敷中の人たちへの手土産も忘れない。でも、やはり今日は変だ。


『……引き続き、領民の受け入れ準備を頼んだぞ』

『はい、父様。それより、そんな格好でいましたら風邪を引いてしまいます』

『優しいな、アレン』


 父様は、再度俺の頭を撫でると、後ろで待機していた母様のところへと向かっていった。

 仕事の話をするのに邪魔だろうから、自分の仕事に戻ろう。毛布が濡れてしまったから、メイドのマーレリーさんに乾かしてもらって……。


『まあ! そんな子が……』

『あの目は、生涯忘れそうにないよ。うちからも、彼女へ支援を送ろうと思う。良いかい?』

『そんなこと! 誰も反対しませんわ』

『ありがとう。……受け取ってくれるかどうかが問題だが』

『そこは、陛下にお任せしましょう。伯爵の懐に入ってしまったらそれこそ意味がないもの』

『そうだな。噂では、領民からも金を奪ってるとかで……。早く現領主と交代して統治したいよ』

『いつ交代なんですか?』

『まだ決まってない。今回のことがあって、先延ばしになるかもしれん』

『そうですか……。保護の用意はしておきますね』

『そうしてくれるとありがたい』


 ……保護?

 傷ついた動物でもいたのだろうか。最近、指定区域外での鷹狩が問題になっていると父様がおっしゃっていたのを聞いたことがある。

 でも、それを「彼女」と言うか? 何があったのだろう。気になるが、今は領民の受け入れ準備が先だ。この毛布を乾かして、あと、食事の準備もしないと。

 俺は、そのままマーレリーさんの居るリネン室へと走っていく。


 その「彼女」がアリスお嬢様だと、そして、父様の様子が変だった理由を知ったのは数日後……いや、数年後の話だった。


 


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