フォンテーヌ家の用心棒
「着いたぞー」
帰りの馬車の中、途中に購入したお嬢様への土産物を両手に包みウトウトしていると、不意にジェレミーの声が聞こえてきた。ハッとしてそちらを向けば、馬車の扉を開けてこちらを覗く奴が居る。どうやら、フォンテーヌ子爵のお屋敷に到着したらしい。
シエラは完全に眠っているな。前の席に横になり、スヤスヤと寝息を立てている。
俺は、内ポケットに試験管が入っているのを確認してから席を立つ。
「ありがと、ジェレミー」
「シエラにゃんぐっすりだな」
「ここ最近ずっとベッドの上だったからな。相当疲れただろう」
「っかしいなあ。俺も、ベッドの上だったが元気だぜ」
「お前とは、用途が違う!」
「ははは、違いねえ」
「ったく、んでお前はそうそっちに持っていくんだよ……」
「んー? 昔、それで情報稼いでたからなあ」
「……は?」
「女とセックスして、ベッドで情報もらうの。わかる?」
「わかるが……は? なんで」
「人間、どんな奴だって快楽には逆らえないんだよ。時には、金よりも強力な武器になる。お前も覚えておけ」
外に出て伸びをしながらジェレミーと会話していると、とんでもない情報が出てきた。
驚きすぎてそっちを見てしまったが……奴は、何事もなかったかのように馬車の中を覗きシエラの頬を突いている。そういえば、シャルルって代々新聞社の記者として働いてるよな。それと関係があるのか?
にしても、それってハニートラップの男性版ってことだよな。……なんて言うんだ?
よくわからんが、それを聞いて何も言えなくなった。話をしている奴の表情が、一瞬だけ曇ったんだ。何を思い出しているのか、俺には理解できない。だから、何も言えない。
「……俺は、誠実に行くよ」
「そっちの方が良いと思うぜ」
「お前は、敵なのか味方なのかマジでわかんねえわ……」
「今は味方だと思っておけよ。俺ぁ、アリスの味方だ。お前がアリスの敵になりゃあ、俺にも敵だってこった」
「……お前は、アリスお嬢様と何があったんだ?」
「さあな。それよか、シエラにゃん起きねえな。俺が運ぶから、お前は車椅子を頼む」
「イ゛っ……!」
まあ、答えは期待してなかった。俺だって、こいつに彼女との関わりを言うつもりないし。案の定と言ったところか。
ジェレミーは、一瞬だけ言葉を詰まらせ、かと思えばいつも通り軽口を叩きながら俺の背中を強めに叩いてきた。地味にいてぇ。
でも、とりあえずこいつのおかげで次に何をすべきかの順序を立てられた気がする。
ジョセフ所有の鉱山は、調べ甲斐のあることを通り越して厄介なほど真っ黒だった。なぜ、シエラの捜索時に気づかなかったのか不思議すぎるほどにな。まず、あそこはもう一度調べ直した方が良い。ジェレミーも、なぜか手伝うと言ってくれてるがそれは要検討にして。
あと、カジノの違法事件の資料も読み返そう。グロスターの事件とダービーの事件も何かしら関わっているような気がするんだ。……それに、あの部屋と暗証番号。アリスお嬢様は、どのようにして関わっていたのだろうか。一緒に居て何も気づかなかった自身を呪いたい。
「……お前そう言えば肋折れてたよな。俺が運ぶから」
「良いって、気ぃ使うな」
「使ってない。シエラを落とされたら溜まったもんじゃないだろ」
「ぶはっ! さすが隊長サ……?」
「……!?」
そうやって会話をしていると、不意に静寂が訪れた。
屋敷を見ながら「お嬢様に買った食べ物を馬車から取らないとなー」と考えていた俺は、会話を止めたジェレミーに視線を戻す。
すると、そこには小さなスコップを片手に持つ庭師の女性が居た。数度しか見たことがないが、フォンテーヌ子爵の元で働く使用人がつけている紋章が、胸に光っている。確か、バーバリー殿と言ったか。
いつの間にここまできたのだろうか。話していたとはいえ、誰かが近づけば気づくはずなのだが……。
「こんにちは、バーバリー殿。シエラを帰しにきました」
「マクシム兄さんのにおいがする。兄さん、どこ」
「あん? マクシムだと?」
「マークス兄さんもどこ」
「お前……」
彼女は、俺の言葉が聞こえていなかったかのようにジェレミーへ詰め寄っている。
マクシムと言えば、ジェレミーと良く一緒に居た言わば相棒じゃなかったか? 一緒に指名手配されてるよな。それに、マークスって……。
まさか、敵がフォンテーヌ子爵のお屋敷にも紛れ込んでいたのか!?
腰にある剣を抜いた同時に、ジェレミーが動いた。凄まじい殺気と共に、近くに居た俺にすら見えない速さの拳を飛ばす。
だが、バーバリー殿はそんな攻撃をものともせずに、ニコニコ笑いながら飛んできた拳を片手で受け止めた。しかも、見間違いでなければ、笑顔で奴の拳を握り潰そうとしている。そのチグハグな行動に寒気を覚え、すぐにシエラの乗っている馬車の扉を閉めた。
「……マジかよ。結構本気出したぞ」
「あそぶ、あそぶ。もっと」
「危ない!」
彼女に背中を向ければ、一瞬のうちにやられてしまうだろう。今まで相手にしてきた誰よりも、その身から感じる手練れさが隠しきれていない。
殺気とは違った雰囲気に飲まれそうになっていると、バーバリー殿が大きく振りかぶるようにしてジェレミーへとスコップを振り下ろす。
それを見ていた俺は、抜いた剣を盾にして間に入り込んだ。
しかし、攻撃の重さが凄まじい。思わず力で負けそうになるものの、かろうじて地面に足をふん縛って止められた。
それは、細身の女性から出ている力ではない。なんなら、マークスなんかの比じゃない。今まで受けてきたどの剣よりも重い攻撃に圧倒されながらも、俺は剣を持つ手に力を入れる。
「グッ……」
「さきにあそんでくれるの?」
「あ、そばない」
「じゃあ、あっち行って」
「!?」
一瞬の出来事だった。
何が起きたのかわからないが、一瞬にして地面が大きくひっくり返った。……と同時に、全身に鈍い痛みが駆け巡る。
脳震盪を起こしそうなほど、地面に頭を強打したらしい。と言うことは、俺は投げられたのか? こんな簡単に?
霞む視界で馬車の方を見ると、すでにジェレミーがバーバリー殿の相手をしていることがわかった。キンキンと甲高い音が聞こえると言うことは、ジェレミーも何かしら武器を持って応戦してるのだろう。その「何か」までは、見えない。
急いで起き上がると、鳩尾に鋭い痛みを感じる。胃が痙攣するような感覚に飲まれるなんて、いつぶりだろう。そんなことを思っていると、すぐに口から地面へと血が滴り落ちた。
「クッソー……。お前、強すぎんだろ」
「おわり? まだ、あそぼ」
見れば、ジェレミーも地面に叩きつけられたところらしい。
バーバリー殿に馬乗りにされ、両腕を地面に固定するように持たれているのが見えた。何があったんだ……?
とにかく、さすがのジェレミーも、動けないようだ。そりゃあ、肋が折れているところ、上から体重をかけられればな。内臓は大丈夫だろうか。
だが、俺は万全の身体だった。
そこまで弱い自覚もない。これでも、戦闘能力の高さを買われて今の地位にいる。なのに、一瞬にしてやられてしまった。
と言うことは、結論は一つ。
バーバリー殿が、強すぎるんだ。
「……どうしたの? って、バーバリーちゃんだ。おはよう」
「シェラ、おはよ。あそんだの」
その力の差に愕然としていると、馬車の扉が開き、中からシエラが顔を出してきた。眠い目を擦っているところを見るに、今起きたらしい。
奴は、この光景を見ても眉一つ動かさずに、バーバリー殿と会話をしている。
「おい、シエラちゃんよ。こいつ、なんだ? タイマンして負けたの初めてなんだが」
「え、ジェレミー負けたの? まさか、アレンも?」
「負けた」
「あはは、まあ仕方ないよ。この子、ほぼ毎日イリヤと遊んでるから」
「まだあそぶ。すぐおわる、つまんない」
「もう終わり。お客さん相手に暴れると、イリヤに怒られるよ」
「……やめる」
「いい子だね、バーバリーちゃん」
シエラは、近寄ってきたバーバリーの頭を優しく撫で上げている。それをつまらなそうに受け入れる彼女は、「まだ遊び足りない」という表情を隠そうともしない。
もう一度相手をしたいところだが……彼女に勝てるだけの技量がないから止めておこう。帰ったら特訓だ。
軽症だったからそうやって悔しがれるが、どうやらジェレミーの方は傷口が開いたらしい。腹部の服を血に染めて、地面に倒れ込んでいる。
「大丈夫か、ジェレミー?」
「右肩と左足付け根の関節外れた。隊長サン、ちょっと付けてよ。動けねえ」
「……マジかよ。あの短時間で」
「ありえねえ。マクシムだって、こんな強かねえぞ……」
「まあ、フォンテーヌ家の用心棒だからね。彼女がいれば、文字通りネズミ一匹も屋敷に入り込んでこないよ」
「いや、言葉の綾だろ」
「ほんとほんと。なんか、そういう動物の気配が屋敷にいるだけでわかるんだって」
「……人間じゃねえ」
口元の血を袖で拭った俺は剣をしまい、そのままジェレミーの方へと歩いて行った。
一応受け身を取ったからか、動いてしまえば痛みはない。だが、悔しすぎる……。
奴の外れた関節を戻すため触診していると、今度はバーバリー殿とジェレミーが驚いたようにこっちを見てきた。……なんだ?
「え、冗談で言ったんだけど。隊長サン、関節戻せるの?」
「戻せるが……ダメか?」
「いや、ダメじゃねえが……。ってか、あれだけ飛ばされたのに良く動けるな」
「受け身取ったからな」
「マジかよ……。こわ」
「すごい! あそぼ!」
「バーバリーちゃん、もうダメ」
「ムー……」
関節の外し方と戻し方は、騎士団に入る時にイリヤから教えてもらったんだ。最初はできなかったが、最近じゃ結構楽にできる。……はあ、でも敗北は敗北だ。鍛え直さないと。
俺は、バーバリー殿がキャッキャとはしゃぎながらジャンプする様子を見つつ、ジェレミーの右肩に向かって力を入れる。
「がぁっ……!」
「あ、悪い。戻すぞ」
「遅え!! イッテェな、嫌がらせかよ。舌噛むとこだったぞ!」
「まあまあ。あと右足?」
「……左足付け根」
「オッケー。やるぞー」
「……っっっ!」
なんて戯れている隣では、バーバリー殿がいつの間にかシエラを抱えて車椅子に乗せてくれている。彼女、騎士団に入らないかな。陛下も喜んで迎えてくれると思う。
いや、その前に疑問を回収せねば。
関節を戻した痛みに悶えるジェレミーを地面に置き去りにし、俺はバーバリー殿に向かって質問をする。
「バーバリー殿は、マクシムとマークスをご存知なのですか?」
「うん。兄さんだから」
「マジで!? 兄弟かよ!」
「……マークスとは、雰囲気似てますね」
「うん! 兄さん、すき。……でも、いない」
「それより、アインス呼んでくるよ。バーバリーちゃん、車椅子押して屋敷入れる?」
「うん」
「ありがとう。お願いね」
と言うことは、まだ何かあるのか?
シエラが話を遮ったのには、理由がある気がする。
俺は、先に屋敷へと入っていく2人見送りながら、ジェレミーと一緒にその場で立ち尽くす。いや、ジェレミーはいまだ地面に横たわってるからちょっと違うか。
でも、ものすごい敗北感というか壁と言うかをヒシヒシと感じていた点は同じだと思う。わかるよ、その気持ち。
「……隊長サン。後で、受け身教えて」
「は?」
「あと、関節の外し方と戻し方も」
「……良いが、敵にはならないでくれよ」
「はいよ……。あんな化け物を敵に回したくねえわ。マクシム3人分の威力はあるぞ……」
「マークスの比じゃなかった……」
そんな会話は、アインスが慌ててこちらに駆けてくるまで、ポツポツと続いた。
とりあえず、お嬢様に買ったプレゼントを壊されなくてよかったよ……。




