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知らない記憶、急性期



 暗闇の中、コツコツとヒールの音が鳴り響く。

 

 ここはどこ?

 私は、いつまでも終わらない階段を永遠と降り続けている。不思議と、疲れはない。


「誰か、居ませんか?」


 さっきからこうやって声をかけてるのだけど、なんの反応もないのよね。

 ここって、ジョン・ドゥさんの居る世界じゃないの? どうして私は、ここを歩いてるの? 何もかもわからないわ。


 でも、足を止めちゃダメな気がしてね。

 振り向くのも、本能的にやってはいけないことだと身体が教えてくれるの。だから、私は前に向かって進むだけ。


「ベル、どこかにいるんでしょう?」


 あの不快な音楽は止まった。

 頭痛を引き起こすのでは? と思うほどの曲は、しばらく脳内に張り付いて離れなかったのに、今はその記憶が薄れつつある。なんなら、メロディがはっきりと思い出せない。

 とはいえ、もう一度聴きたいかと聞かれたら、答えはNOね。一生分聴いたもの。


 今は、こうやって誰かを探しつつ、前へ歩くしかやることがない。

 不思議なことに、足元はパンプスなのにヒールの音がするのよね。しかも、遠くから。この足音は、私のじゃないってこと?


 コツコツ、コツコツ。

 規律の良い音は、私がゆっくり歩けばゆっくりに、速く歩けば速くなる。だからきっと、この足音は私のもの。

 この空間自体が普通じゃないんだもの。真面目に考えているのが馬鹿らしくなってくるでしょう。


「貴女って冷めてるよね」

「わっ!? ベ、ベル!?」

「あはは、待った?」

「待った!」

「ごめんごめん」


 足音を不思議に思い下を向いていると、声が聞こえてきた。

 急いでそちらを向くと、いつものように人を小馬鹿にしたような表情のベルの姿が。私たちは、一緒になってコツコツと足音を鳴らせて、階段を降りていく。


 一瞬立ち止まろうと思ったけど、ベルが背中を押してくるの。だから私は、このまま歩き続ける。……下へ向かって。


「ここ、止まったら戻れなくなるから気をつけて」

「え?」

「後ろを振り向いてもダメよ。このまま、一番下にある扉に向かって歩いて頂戴」

「……わかったわ」


 どうして振り向いちゃダメなの? なぜ、貴女は扉があるとわかるの? そう聞こうと思ったけど、ベルの表情を見て止めた。彼女、なんだかとても思い詰めたような顔してるんですもの。これじゃあ、聞けないでしょう。


 それに、ここはどこなのか、どうして私はここに居たのかも聞きにくい。

 だって、さっきまで普通だったのに、急にいつものベルじゃなくなったの。表情というものが皆無で、全てを諦めているようなそんな顔をしているのよ。言葉だって、とても平坦で感情がない。

 なのに、その優しさって言うのかしら? それは、いつもベルから感じるものなの。


「あんた、鈍臭いから一緒に行ってあげる」

「ここを真っ直ぐ行けば良いんでしょう? 1人でも行けるわ」

「自信過剰。私だって行けなかったんだから、優柔不断なあんたが行けるはずないでしょう」

「何よ、優柔不断じゃないもん」

「はいはい。それよりも、誰かの声がしても絶対に振り向いたらダメだからね。誰もいやしないんだから」

「振り向いたら、どうなるの?」

「あんたは知らなくて良いこと。早く行きましょう」


 そうやって、ベルは私の手首を持って引っ張ってってくれる。

 彼女って、一人っ子なのに面倒見良いわよね。お姉さんが居たら、こんな感じなのかしら。まあ、ベルとは同い年だけど。


 ベルの手は、相変わらず冷たい。

 まるで、雪を掴んでいるような感じで、自分の体温で溶かしてしまいそうな危うさがある。溶けたら彼女が居なくなってしまう気がして、ちゃんと握り返せない。

 だからそのまま、手首を捕まれて私は階段を下り続ける。


「……」

「……」


 会話はない。

 話しかけにくいから、私も無言のまま。


 いつもみたく、嫌味の一つや二つ言えば良いのに。そうすれば、私だって倍にして返してやるのに。

 どうして、黙ったままなの? 


『お嬢様、お食事をお持ちしました』

「え?」


 意を決して話しかけようと口を開くと、耳元で優しい声が響く。

 その声は、どこかで聴いたことのあるもの。


 私は、散々ベルから言われていたのに、声に振り向いてしまった。



***




『お嬢様、お食事をお持ちしました』

『……だれ』


 気づくと、見慣れた場所に立っていた。

 大きな部屋にベッド、机が一つずつ。ソファにティーテーブルも。ここは、グロスターの自室だわ。


 入り口を見ると、燕尾服を着たアレンがトレイ片手にこちらを向いていた。

 ありがとう、と言って受け取ろうとした時、私の後ろから声が聞こえてくる。さっき見た時は居なかったのに。驚いて振り向くと、ベッド上に髪をボサボサにして何かをしている少女が見えた。

 その少女は、ゴールドの髪を振り乱してまるで浮浪者のような雰囲気を醸し出している。天蓋ベッドのカーテンをおろしているからぼんやりとしか見えないけど、私の部屋に誰が居るの?


『初めまして、先日配属になりましたアレンと申します。メアリー料理長より、お料理を届けに参りました』

『……りょう、り』

『お部屋に入ってもよろしいでしょうか?』

『しんじゃう、たべなきゃ』

『!?』


「アレン、危ない!」


 アレンは、入り口で立ち止まりベッドの方へ話しかけている。

 すると、薄いカーテンの向こうからサッと何かが飛び出してきた。毛むくじゃらのそれは、アレンに向かって一直線に駆けていく。


 びっくりして目を閉じた瞬間、ガシャン! と、大きめの衝撃が部屋に響いた。

 陶器の割れる音、トレイが落ちる音、それに……。


『……お、お嬢様? アリスお嬢様ですよね?』

『たべなきゃ、ング、……とらないで、わたしのごはん』

『ッ……』


 クチャクチャとした音が聞こえてくる。

 生々しい音の正体を知りたくて目を開くと、そこには先ほどの衝撃なんか比じゃないほどの光景が飛び込んできた。


「何よ、これ……」


 床に散らばった食事、それを這いつくばるように貪る乱れ髪の少女、それに怯えるアレン。


 その音は、少女が食べ物を食むものだった。

 醜態を晒した少女は、両手が、服が、顔が汚れようと、それを気にせずに床に落ちた食べ物をかき集めて口の中に詰め込んでいる。割れたお皿のかけらもきっと、彼女の口の中に入っていると思う。

 でも、それは些細なこととでも言うように、少女は……アレンがアリスお嬢様と呼んだ少女は、狂ったように食べ物を掴む。


『ア、アリスお嬢様、お、お怪我してしまいますから……』

『んっ、ング……ハッ、はっ』

『……っ』


 これは、私じゃないわ。違う。

 だって、アレンと初めて会ったのは、私がお仕事をしている時だったもの。皇帝陛下からの伝令を届けてくれたのが、貴方との出会いだったでしょう? これは、いつのもの? またジョン・ドゥさんのいたずら?


 アレンは、恐怖を抱きながらも、床に這いつくばる少女を起こそうと必死になっている。なのにその少女は、彼の手を振り払って食事を続けているの。「じゃまするな、これはわたしのだ」とぶつぶつ言いながら。

 これは、私じゃない。違う。違う。こんな無様な姿を、私は知らない。



***



 お母様と一緒に国の情勢を勉強するため、僕は王宮の資料室に居た。


「カイン、書類は遅くとも3分以内に探すのよ」

「はい、お母様」


 お母様は、王妃として国の財政管理をしている。

 隣国なら、宰相の付き人がするんだって。この国にも、いろんな職業が増えて良いと思うんだけどな。そうなると、王族につくのか元老院につくのかで揉めるとか。

 僕が王になってもそんな風だったら嫌だな。1日で胃に穴が空く自信しかない。


 今日は、5年前に起きた賭博違法の事例を勉強していた。

 カジノで働くディーラーが、イカサマ師だったって事件。違法な手法で客を騙し、その上に居た貴族に金銭を横流ししていたらしい。その時、僕はアベル兄さんと遠征で隣国に居たから概要しか知らないけど、かなりの貴族が捕らえられて罰を受けたという話を聞いた。


「うわっ!?」

「どうしたの、カイン?」


 資料室でその時の記録を探していると、持っていたファイルに汚れの酷い書類が挟まっていた。

 その汚さに、僕はファイルごと書類を放り投げてしまった。すると、後ろで座って本を呼んでいたお母様が立ち上がって紙を手にする。


 僕なら、触りたくない。

 なのに、お母様はまるで宝物のように大事に汚れた書類だけを手の中に収めている。


「お母様、捨てましょう。見た限り、誰かの落書きのようですし」

「こんなところに挟まっていたのね……」

「お母様?」


 僕が手を差し出しても、お母様はその紙を離そうとしない。

 それどころか、僕の声が聞こえているかどうかも怪しい。もう一度声をかけようとした、その時だった。お母様は、口を開く。


「アリス……。アリス」


 そう言って、涙を一筋頬に伝わせた。


 アリス? それは、僕の初恋の人の名前だ。

 いつも気丈に振る舞い、仕事をこなす僕の憧れだった。でも、彼女は自殺しちゃったんだ。きっと、疲れちゃったんだと思う。仕事仕事で、色々詰め込んでいたし。

 悲しくてその時たくさん泣いたけど、今はサレンに憑依してるらしい。でも、あれは本物じゃない。一度好きになった相手だもん、間違えるわけはない。

 そういえば、彼女が自殺したのも5年前だな。


 それにしても、その書類は汚い。

 お茶や食べ物でもこぼしたかのようなシミが多いし、臭いも酷そう。こんなの、公的書類なわけないじゃないか。ここは、公的なものしか保存できない資料室だぞ。

 なのに、どうしてお母様はそんな大事そうに持ってるのかな。僕は、まだまだ未熟だからわからないよ。



 

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