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乗り越えられないトラウマ



 フォンテーヌ子爵のお屋敷に到着するなり、フォーリー殿とアラン殿が出迎えてくれた。

 どうやら、ジェレミーの奴はここへ来る前に連絡を入れていたらしい。全く、抜かりないよ。きっと、馬車を借りろと指示したのにも理由があるに違いない。


 馬車を降りた俺は、フォーリー殿に案内され真っ直ぐと玄関へ向かって歩いていく。

 その後ろでは、アラン殿と一緒に馬車の位置を直すジェレミーの姿が。「御者はいらねえ」と言うからなんだと思えば、あいつが御者をしてここまで来たんだ。俺だって駆れるって言ったのに、譲らねえの。なんで、お前がフォンテーヌ子爵のお屋敷の場所を知ってるんだよ!


「ご足労いただきありがとうございます。準備は整っておりますが、少々お待ちいただくかと思われます。ベルお嬢様のお顔だけでも見て行かれませんか?」

「今日は、ベル嬢はお出かけではないのですね。お部屋でお仕事をしているのであれば、邪魔してしまうのでそのまま帰ります」

「……ご存知なかったのですね。失礼しました」

「何か……」


 ジェレミーにイラつきながら会話を続けていると、玄関前でフォーリー殿が立ち止まる。

 見ると、いつもの生き生きとした表情が完全に消えているじゃないか。何があったのか聞くのが怖いほど、その顔は沈んでいる。


 やめろよ。

 ベル嬢は、アリスお嬢様なんだろう? 彼女に何かあると思うだけで、心臓がズキズキと痛み出す。

 無事でいてくれ。お願いだから……。


「お嬢様は、1週間ほど前から意識がありません。脈も弱く、呼吸器をつけていないと存命できないほど弱っております」

「…………え?」


 フォーリー殿の言葉を聞いた途端、目の前が真っ暗になった。

 隊長としての不甲斐なさ、ジェレミーへの苛立ち、その他もろもろの感情が、一気に剥がれ落ちていく。

 何があった? 1週間、俺が普通に過ごしている間に?

 

 俺は、走ってアリスお嬢様のところへ行こうとする足を抑えて「案内お願いしても良いですか」と、フォーリー殿に向かってお願いをした。多分、言ったはず。それに途中、クラリス殿とすれ違ったかもしれん。今の今の出来事なのに、すでに記憶が曖昧になっている。



***



 ベル嬢のお部屋は、とてもシンプルだった。アリスお嬢様が好みそうな装飾の数々が視界に飛び込んでくる。そして、ソファ付近で沈んでいるイリヤも。


 ここに来る途中、フォンテーヌ子爵とご夫人に挨拶をしたのだが……。多分、お互い上の空だったからちゃんと挨拶できたかどうかは怪しい。


「……アレン」

「ベル嬢は?」

「入って良いよ。顔見てあげて」

「失礼する。フォーリー殿、ありがとう」

「準備ができましたら、お呼びしますので少々お待ちください」


 俺が部屋へ入ったのを見届けたフォーリー殿は、ゆっくりとお辞儀をして部屋を去っていく。その間、一度もベル嬢の方を向かなかった。少しは顔を見て行っても良いのに。あれは、意図的に見ないようにしていたな。


 その理由は、彼女の眠るベッドに近づいて初めてわかった。


「……ベル嬢」

「昨夜から、みるみるうちにそうなっていったんだ。アインスも、原因がわからないって」

「そんな、急激に?」


 ベル嬢は、呼吸器をつけているだけではなかった。頬が痩けて、まるで餓死寸前のようなお姿で眠っていたんだ。

 昨夜から? そんなことあるのか?


 俺は、無意識に彼女の頬に手を添える。

 そこから、体温は感じられない。冷たいんだ。ものすごく。

 かといって、こちらの体温を奪うような冷たさではない。説明しにくいのだが、何もかもを遮断しているようなそんな印象を受けた。


「サルバトーレ様がフォンテーヌになった日、宮殿で倒れたんだ。その時はまだここまでひどくなかった」

「え? あの日?」

「うん。アインスが、ダービー伯爵の最期の食事内容を知らずに話しちゃったの。その時は蒼白になっただけで終わったんだけど、その後サルバトーレ様の食事内容を聞いてそのまま……」

「サルバトーレ様の食事内容?」


 ダービー伯爵の食事は、アリスお嬢様の好物だった。きっと、何か感じるものがあったのだろう。得体の知れないものを前に、怖かったろうな。

 それに、あの時俺は彼女の前で何をした? 別の女性に「アリスお嬢様」と呼んでいるところを見せてしまったじゃないか。その時のショックもあったと思う。やはり、あの時宮殿まで行ってちゃんと説明すれば良かったんだ。なぜ俺は、アリスお嬢様のことになると考えることができなくなるんだ?


 いや、今はそれじゃない。

 サルバトーレ様の食事内容? 確か、エビのポワレにローストビーフサラダ、オレンジタルトに……。


「っ……」

「アレン? アレン!」


 サルバトーレ殿が治療中で食べなかったというメニューを思い出していると、唐突に激しい頭痛に襲われた。急すぎる痛みに、頭を抱えて床に膝をつく。

 それでも冷静になって思い出そうとするものの、後頭部を鈍器で殴られたかのような痛みが徐々に全身へと行き渡る。無理だ、これ以上考えられん。


 息苦しくなって荒い呼吸を繰り返していると、車椅子を押してイリヤが来てくれた。心配されているのをわかっているのに、俺は頭を抱えることで精一杯だった。


「サルバトーレ様のメニューが何かあるの?」

「……わからん。頭が、……割れる」

「待ってて、アインス連れてくるから!」

「イ゛リ……あぁあ」


 大丈夫、すぐ治る。

 そう言おうとするものの、言葉がうまく出てこない。イリヤを止めようと立ち上がるものの、ベッドに手をつかないと足に力が入らないんだ。歪みまくる視界の隅に、部屋を出て行くイリヤが見える気がする。


 視界が白く霞む中、ベッドに置いた手に冷たい何かが重なった。

 俺は、その何かを握り返す。すると、


「……アレン?」

「お嬢様!? アリスお嬢様! 私です、アレンです!」

「……アレン。あのね、私ね。今も、食べるのが好き。忙しいと、たまに忘れちゃうけど」


 と、1週間眠っていたはずのお嬢様の声が聞こえてきた。


 急にクリアになった視界を頼りに、ガバッと立ち上がり顔を覗くと、弱々しいがこちらを向く少女が居る。小さくか弱い声を聞き逃さぬよう顔を近づけるも、お嬢様の身体が動くことはない。

 握られた手が冷たいまま、お嬢様は口を開く。


「貴方が、食……楽しさを……くれたのよ。だから、私……」

「……お嬢様?」

「……」

「お嬢様! アリスお嬢様!!」


 しかし、それは一瞬の出来事だった。

 フッと表情から力が抜けたと思ったら、そのままお嬢様は眠りに入られた。


 今の出来事は、夢か?

 握ったままの手は、相変わらず冷たい。


「ロベール殿、どうされましたか? イリヤから、頭痛がと」

「アインス。今、お嬢様がお話されたんだ。俺が、名前を呼んだら、目を開けて……」

「なんと!」


 夢か現か、その境目に悩んでいると、息を切らしたアインスがやってきた。

 俺は、今の状況を伝えるべく、アインスへ言葉を紡ぐ。すると、彼はお嬢様の方へとパッと移動してくる。


「でも、夢だったかもしれん。その、今の今まで頭痛があったから」

「いえ、お話されたかはわかりかねますが、首をこちらに動かした形跡があります。枕のシワが、先ほどと異なってる」

「じゃあ、今のは……」

「やはり、アリスお嬢様にとって貴殿は特別なようですな。生前、親しかったのでしょう」

「いえ、主人と使用人の関係で、半年も関わってないと思います」

「ふむ。では、偶然の線もありますな」


 アインスは、慣れた手つきでお嬢様の脈や熱を計り、サイドテーブルに置かれていたカルテだろうか。それに記録をしながら話を続けてくる。


 俺は、彼女にとってただの執事だ。俺が特別な感情を抱いてただけで、彼女にとっては代わりのきく執事。だから、あの満月の日に伝えた言葉を濁されたんだ。特別なわけないだろう。

 俺はただ、定期的に食事を運び、お仕事に疲れた時は休憩を入れさせたりお庭で一緒に花を育てたりしただけだ。しかも、お嬢様に隠し事をしながら。最低な執事だったと思う。


「きっと、そうでしょう。すぐに呼ばずすみません」

「それより、頭痛はどうですか?」

「今はなんとも」

「たまに、急に痛むのですか?」

「いえ、初めてだと思う」

「その時、何かしていましたか?」

「イリヤと会話してた。お嬢様が倒れた時の話を、ちょうど」

「なるほど。きっと過労か睡眠不足でしょう。あまり思い詰めるのもよろしくない」

「……ありがとう、アインス」


 会話をしながらも、視線は双方アリスお嬢様を向いている。また目が覚めないかと、待ってるんだ。でも、彼女は目覚めるどころかピクリとも動かない。先ほどのは、奇跡だったのか。


 しかし、これで彼女がアリスお嬢様であると確定した。

 だからと言って、アリスお嬢様と常に呼ぶわけには行かないが。俺は、今まで通り彼女が頼ってきたらそれに答えるだけでいよう。拒絶されれば、姿は見せない。そのスタンスで行こう。

 今は、「アリスお嬢様化」するサレン様の謎を解かねばいけない。本物の彼女がいたと、敵にバレでもしたらそれこそまた殺されるかもしれないだろう。アリスお嬢様とゆっくりお話しするのは、それからの方が安全だ。


「隊長サンー。準備できたぞー」

「ジェレ……シエラ!?」

「やあ、アレン。いつの間に、ジェレミーと仲良しになったの?」

「「なってねえ!」」

「はは、シンクロ」


 新たな決意をしているところに、ジェレミーの声が聞こえてきた。お前もアリスお嬢様に声をかけてみろ、起きるかもしれない、と言おうと口を開く前に、視界に車椅子姿のシエラが飛び込んでくる。

 久しぶりに見たシエラは、少々痩せ細ってはいるものの、以前と変わらない目力でこちらを見ていた。軽快に笑うその様子も、とても懐かしい。……が、仲良しにはなってないぞ。


 どうやら、ジェレミーがシエラの車椅子を押してやってきたらしい。

 まさか、拾い物ってシエラのことか?


「そこの医療者サン。アリスの顔見ても良いか?」

「どうぞ。今、起きたようなのですが、また眠ってしまわれました」

「……がんばれ、アリス。死んだら承知しねえからな」


 俺にシエラを預けたジェレミーは、アインスに一言断りを入れてベル嬢のお顔を覗きに行った。

 その横顔は、今まで見た奴の表情の中で一番人間らしいもの。何を思い出しているのか、哀愁漂う表情でベル嬢を見ながら頬に手を当てている。

 それだけで、ジェレミーが本気で彼女を愛していることを理解した。じゃなきゃ、あんな優しげな視線を他人に向けられるはずがない。ましてや、血も涙もない殺人鬼が。


 ジェレミーの表情を見ながらボーッとしている中、奴が「アリス」と言ったことに時差で気づく。


「え、アインスもアリスお嬢様だと知ってた?」

「ええ。ご本人よりお聞きしております」

「ジェレミーは……」

「好いた女のこたぁ、忘れねえよ」

「……シエラもか」

「いや、僕は今知った」

「そうか、知らないのは俺だけ……って!? お前もか! もっと驚けよ!」

「これでも、十分驚いてるよ。何、憑依ってこと? ベルお嬢様はどこに?」


 シエラは、俺の話の中でしかアリスお嬢様を知らないからまあ良い。

 しかし、アリスお嬢様はなぜ俺には話してくださらなかった? サレン様との距離が近すぎた? それとも、言うほどの仲ではなかったからか。……自分で言っておきながら、凹んできたぞ。


 多分、俺が潜入捜査で執事をしていたことに気づいたからだろうな。彼女は聡いから。


「まあ、それは置いとこう。シエラちゃん、馬車に乗るぞ」

「だから、ちゃんはやめてよ」

「じゃあ、シエラぽん……。シエラにゃん……。シエラにゃん良いな」

「……ちゃんでお願いします」

「おい、ジェレミー。どこ行くつもりだ?」

「移動しながら話すよ。医療者サン、ちとシエラにゃん借りるわ」

「はい、どうぞ。危険なことはしないように、シエラにゃん」

「ちょ、アインス殿まで……」


 どうやら、シエラは説明してもらったらしい。

 俺は受けてないぞ。そんな茶番をする暇があったら、説明しろ。


 結局、その部屋を出るまでイリヤは来なかった。

 ジェレミーと顔を合わせれば、多分喧嘩になるからだろう。今まで散々やり合ってきて「これから仲良くしましょう」は意味がわからんもんな。なのに自由にさせてるってことは、害はないと判断してるからか。


 俺は、再度アリスお嬢様のお顔を覗きにベッドへと近づいた。

 手を握って名前を呼んでみたが……当然、返事はない。それに落胆しつつ、いつの間にか玄関へと向かってしまったシエラとジェレミーの後を追って、急いで部屋を後にした。

 後ろでは、アインスがいつも通りの雰囲気で手を振っている。そういえば、サルバトーレ殿の姿が見えんぞ。クラリス殿は、先ほど洗濯カゴを持って歩く姿を見たが……。挨拶したかな、覚えとらん。


 

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