「今日は、香水をつけていないのですね」
隣国は、いつ来ても晴れだった。
かなり頻繁に来ているはずだが、一度も雨の日になったことがない。
なのに、今日に限って雨とは。とんだ皮肉だろう。
「ご足労感謝いたします、「ブロー」」
「……」
立派すぎる待機室の中、頭まで黒装束に身を包んでいると、正反対の服装をした男性が入ってきた。それは、外の薄暗い天気に抗うように眩しく光り輝いている。
真っ白とは少し違い、薄いクリーム色のローブを着こなし立つ目の前の人物は、この国……カウヌ国の牧師。これから行う「儀式」の中で、重要な役割を担う人物だ。
挨拶の代わりに頭をゆっくりと下げると、牧師はソファに座らず窓辺へとゆっくり歩き出す。
「雨ですな」
「……」
「今日は、顔の確認が大変そうです。できるだけ、綺麗に切ってくださいね」
「……」
彼は、「ブロー」が口を割らないことを知っている。故に、これは独り言だろう。慣れている「儀式」において、新聞社にこちらの情報を売ろうと企んでいるような輩ではない。
なぜ知っているかと言うと、この仕事を定期的に請け負っているという情報を掴んで事前に調べたからだ。どうやら、ご両親が流行り病になり金がかかるとのことだった。もう高齢なのだから、そのまま逝かせてやれば良いのに。……こんな、誰もが喜んで請け負わない仕事を進んでやろうとするほど大切なご両親なのか。
部屋の中に響く雨音と一緒に彼の声を聞きつつ、出番が来るまで静かに待機する。
今日は、罪人「テレサ・グロスター」の処刑日。請け負っている仕事は3つある。
ギロチンと柵の設置、収容所から処刑台へ罪人の搬送、そして、執行。後片付けは……そこでのほほんと顔を出している牧師と、この国の騎士団がやってくれるだろう。あいつの血を触るのは勘弁だ。
***
「陛下、濡れませんか?」
「大丈夫だよ、ありがとう」
「父様、お風邪を引かれませんように」
「そうですよ。国に帰っても執務が多いのでしょう?」
テレサ・グロスターの顔を確認した翌日。
カウヌ国で一夜を過ごした私たちは、城下町にある時計台が見える場所に来ていた。
私たちの他にも、民衆が詰めかけている。無論、ここは民衆の居る場所とは異なり、この国の陛下が手配してくださった建物のバルコニー。きっと、民衆よりも罪人の執行される風景が鮮明に見えるでしょうね。
テレサ・グロスターは、記憶にある人物とは別人に成り果てていた。
私が顔を見せても「シャロン」だと気づかれないほどには憔悴していて、実際、いばりちらしていたあの時期に比べずいぶん痩せ細ったわ。どうやって隣国に到着したのか、夫の末路を知っているのか、それに、ミミリップの領民長はどうしたのか……そんな質問に一切答えない彼女は、聞けば舌を切り取られたとか。こっちの罪人は、「死人になる前に口なしになる」のですって。
「お話の途中で失礼いたします。マルティネス国王陛下へ早馬が来ております。お通ししてもよろしいでしょうか」
「構わないよ。誰かな」
「失礼いたします、陛下」
罪人の登場を待っていると、そこにこの国の陛下……ノーラ国王陛下の付き人であるミシャが顔を出してきた。ノーラ国王陛下の表情が豊な分、彼女はまるで死人のように顔色ってものがない。それが、雨の中不気味に映り込む。
そんな彼女に頭を下げていると、見知った声が降り注いできた。
「……ロベール侯爵」
「お話があり、息子の代わりに参りました」
「許可する。要件を」
顔をあげると、すでにミシャの姿はない。代わりに、ずぶ濡れになりながら立っているロベール侯爵のお姿が視界に入ってきた。風邪を引くという心配よりも、彼の暗い表情に釘付けになる。
いつでもどんな時でも笑っている彼が、あんな表情をするなんて。
ロベール侯爵は、素早く陛下に近寄り何やら耳元で話をしている。
私のところまでは、雨の音もありよく聞き取れない。けど、良い話ではなさそうね。陛下の表情がどんどん険しいものになっていくから。
「なんと……」
「ご判断はお任せします。……私も、この茶番を見ていってよろしいでしょうか」
話し終えたロベール侯爵は、そう言って陛下よりも一歩下がってその場に留まった。陛下が何も言わないなら、私たちがとやかく言う必要はないわね。それに、ロベール侯爵はグロスター伯爵のお屋敷のある領地を管理しているのですもの。見ていく権利はあるわ。
チラッと横目で見ると、アベル様もアシ様も何か話すことなくその場に立っている。これでは、外部の人から見たらただの付き人として映るでしょうね。それでも、ロベール侯爵は礼儀正しいから会釈をして姿を認識しているようだけど。
アベル様とアシ様の身分は、侯爵の名を語っている人にも知られていない。
「ちょうど、来たよ。見ていくと良い」
「ありがとうございます。……彼女、痩せましたな」
2人の会話で視線を外へ向けると、テレサ・グロスターがゆっくりと断頭台に向かって歩いているところだった。手錠はもちろん、足枷もつけて歩きにくそうだわ。それでも、抵抗することなく自身の「死」に向かって歩いている。
それに気づいた民衆が、一気に彼女へ罵倒するような言葉を吐き散らしてきた。家族を殺された人たちでしょう。それか、モンテディオで製造していた薬を必要としている人々……。私には、その光景がダービー伯爵が生きて斬首されていたら……というifのものに感じる。
テレサ・グロスターは、雨も民衆も気にせず、ただただ下を向きながら歩いている。
あれが、アリスお嬢様の母親であること、また、彼女を徹底的に虐待して悦に浸っていた人物であるとは考えにくい。かといって、別人ではないことは確認済み。ここまで変わってしまう間に、何があったのか……。
「痩せたな。アリスの幼少期を思い出すよ」
「そうですなあ」
「……そんなひどかったのですか?」
「ああ。私が気づいた時は、餓死寸前だった。骨と皮しかない何かが丸い目玉を光らせて暗い部屋に居た時の光景は、今も忘れられない」
「……それは」
「その時点で、私が保護すれば良かったんだ。なのに、私はあの子の意見を聞いてしまった……」
このお話は、アシ様は存じ上げているもの。故に、陛下が苦しそうな声を発する度に、彼女が顔色を真っ青にされながらもアベル様に寄り添うようにして立っていらっしゃる。彼女も、同じような環境で育ったから、他人事ではないのでしょう。
アリスお嬢様は、幼少期のほとんどを屋根裏部屋で過ごした。しかも、食事は聞くところ1週間に1回、それも、木の根っこや干からびた野菜の端っこだけ。水分は、屋根裏部屋に滴る雨水を飲んでいたらしい。ミミリップの次期領主として確定していたロベール侯爵が、各領地の管理状況を調べるなんて言い出さなければきっと彼女は餓死していたでしょうね。
私が接する限り、その苦しい過去をアリスお嬢様は覚えていらっしゃらない。何度も思い出させようとしたけど、陛下は「忘れていた方が幸せな記憶もある」と言ってそのままにしたの。
グロスターの性格を知っていた陛下はその後、王族の意見を聞かずにある程度体力を取り戻した彼女に仕事を渡した。正確には、グロスターに難易度の高い仕事をね。案の定、彼は仕事を放棄して娘に「やれ」と言って横流ししたわ。それを確認して、すぐさま彼女が勉強して将来仕事ができるよう手助けする内容に切り替えたけど。
仕事をすることによって、屋敷に居場所を作ってあげる……。陛下のしたことは、引き離すことではなくてそっちだったの。アリスお嬢様が、家族と離れたくなかったらしくてね。
それでも彼女は、家族の役に立てることに喜びを感じ猛勉強して、陛下が思った以上に優秀な人物になったの。それに目をつけて、本腰を入れて彼女を1から調べスカウトしようとした矢先に……。
「主文。被告人を死刑と処する。理由、略。全文は後日日刊ダンクワーズにて公開」
「モンテディオに散った魂に、救いを」
テレサ・グロスターは、いつの間にか断頭台前に膝を置き祈りを捧げる格好をしていた。
この国では、死刑囚が暴れないよう少量の麻薬を嗅がせるのですって。それもあり、彼女はとても従順に執行の手順を踏んでいる。その隣には、執行人である真っ黒のマントを頭から被った人物が立っていた。雨の中、あのマントは身体に張り付いて気持ち悪いでしょうね。
裁判長と牧師が提携文を読み上げるとすぐに、テレサ・グロスターは断頭台に頭を乗せた。
「アベル。アシに見せないよう抱いていなさい」
「はい、お父様」
「クリスは……大丈夫そうだな」
「どう言う意味かわかりませんが、大丈夫です」
陛下ったら、こんな時まで冗談を言うなんて。私が繊細じゃないと言いたいのかしら? 言い返すと、ロベール侯爵と一緒に笑っていらっしゃるわ。全く。
少々乙女心を傷つけ……まあ、屁にも思っていないけど。そんな気持ちの中、テレサ・グロスターを最期に見ようと断頭台に目を向けた瞬間のことだった。
リーン、リーン。
執行を促す鐘が鳴り響く中、黒いマントの執行人がテレサ・グロスターへと顔を近づけた。
すると、今の今まで従順にしていた彼女が、断頭台から頭を持ち上げる動作をしたの。ここからだと雨のせいもあって表情は見えないけど、全身の力を振り絞って執行人の方を向こうとしている。
けど、その瞬間、執行人は断頭台の刃物を素早く下に振り下ろした。
ダン! と、刃物が落ちる音に遅れて、頭が地面に落ちるトンという音が続けて広場に響き渡る。そして、民衆の歓喜の声。
「今のは相当痛みを感じたでしょうね」
「……どう言う意味ですか?」
それを見ていたロベール侯爵は、民衆の声にかき消されそうな声量で口を開く。意味のわからなかった私は、隣にいたこともあり質問をしてしまった。
「断頭台とは、台に頭を乗せることで瞬時に首を切れるような造りになっているのですよ。なのに、彼女は頭を上げてしまった……。あれでは、完全に切られるまでの時間が通常よりも長い。だから、切られる恐怖と共に、痛みを感じながら逝ったのだろうなと思ってね」
「…………!?」
そうなんですね。そう言おうとしたところ、私はありえない光景に口を閉ざす。
「どうされましたか?」
「あ……。いえ、なんでも」
「気持ちの良いものではないでしょう。少し休んでも良いですよ。まだ、遺体の処理や掃除が残っていますから、陛下も最後まで見ていくと思いますし」
「……いえ、大丈夫です。私も、陛下の隣で見届けます。仕事ですから」
「そうですか。無理はしないでくださいね」
ロベール卿は、そう言ってアベル様とアシ様の方へ挨拶に向かった。陛下は……ボーッとしながらテレサ・グロスターだったものを見ているわ。
でも、私の視線はそこじゃなかった。
「……ジェレミー」
宮殿医療者が死亡確認するや否や、黒いマントを羽織った執行人が踵を返して去っていく。その瞬間、チラッとこっちを向いたの。あれは、絶対に彼だわ……。
思わずつぶやいた私の言葉は、幸い雨によって誰の耳にも届かずに済んだ。
その後、あの場に居た牧師が「執行人の彼は誰ですか? 私に執行代を譲ってくれたのです。せめて、せめてお礼を……!」と涙ながらに、後から来たノーラ国王陛下へ懇願していたのは……また、別の物語になりそうね。