忠誠を誓った彼女、朝を約束した彼女
燃え盛る炎の中、高笑いする男性が居る。
私は、この男性を知っている気がした。でも、誰なのかはもちろん、どこで会ったかすら覚えていない。
懸命に思い出している最中も、男性は松明片手に、狂ったように笑い続ける。逃げもせず、火傷を負っているであろう身体の痛みがわかっていないかのように。
その声は、彼が炎に飲まれる瞬間までずっとずっと続いた。
***
ハッとして目を覚ますと、そこは霊安室の机の上だった。
どうやら、眠ってしまったみたい。何か夢を見たような気がするのだけど……。よく覚えてない。赤いものがたくさん見えたから、きっとさくらんぼかイチゴを食べていた夢ね。そんな気がするわ。
「……ジョン・ドウさん?」
先ほどまでおしゃべりしていたジョン・ドウさんが、いつの間にかいなくなっていた。
元々姿は見えないのだけど、気配っていうのかしら? そういうのも、なくなっていたの。結局、あの人は何しに来たのかしら? まさか、本当に私を説得しにきたわけじゃなさそうだったし……。
「おい、大丈夫か?」
「ピャあ!?」
棺の並ぶ奥に目を向けながらボーッとしていると、後ろから急に声がした。
まさか、死体がしゃべった!? 私を仲間だと思って、目覚めた!?
そそそそ、そんなこと……!? え、私もゾンビになって「こんにちは」とか言った方が良いかしら!?
状況が飲み込めなかった私は、机から立ち上がり目の前の壁に向かって激突した。……いえ、壁じゃなかったみたい。
「大丈夫ですか?」
「っっっっ!? え、あ……」
「ぶはっ。面白ぇなあ、お前さんは」
「……え? え?」
私が壁だと思ったのは、目の前に居たアレンだった。後ろには、ドミニクもいるわ。双方、服をボロボロにしながら立っている。
それになぜか、私はアレンの腕の中にすっぽりと収まっていたの。
アレンの顔を見上げてボーッとしていると、それをドミニクが強引に引き剥がしてくる。その間、彼とは一度も視線が合わなかった。
「おい、俺のお胸様に触んじゃねえ!」
「女性をそういう目で見るな!」
「何を偉そうに! 俺が助けてやんなかったらお前、心臓真っ二つだったぞ!」
「それとこれとは話が別だろ! それより、お前だって俺が間に入らなかったら動脈切られてたじゃんか!」
「んだと? おい、そこに立て。勝負だ!」
「良いだろう、望むところ!」
「ストーーーーーップ!!!」
どうして目を合わせてくれなかったのか、なのに、どうして優しく抱きしめてくれるのか考えていると、いつの間にか目の前で火花を散らせている2人が居た。
なぜ、こんな流れになったの? 聞いていなかったから、発端がいまいちよくわかっていない。
でも、とりあえずアレンの腕の中が心地よかったって事実だけが身体に残る。
今はドミニクに抱きしめられてるけど……変なところ触ってきそうで怖いわ。離れて欲しい。
「ねえ、それよりもエルザ様のところに行くのでしょう? 案内してよ」
「俺が案内してやる。ほら、行くぞ」
「何言ってんだ、お尋ね者が宮殿を歩くな。ベル嬢、私が案内しますから」
「はあ? こいつを着飾ったのは俺だ。俺が連れてく」
「着飾りご苦労様。お前の出番はもう終わりだ」
「んだとぉ?」
「……」
アレン?
私がアリスだってわかってるでしょう。どうして、名前を呼んでくれないの? どうして、目を合わせてくれないの?
どうして、「ベル嬢」と呼ぶの?
私は、2人が争っている姿が視界に入らず、ただただその場で立ち尽くす。
***
ジェレミーと嫌々共同してヴィエンとマークスを牢屋に放り込んだ俺らは、宮殿へ向かっていた。途中、ベル嬢を霊安室に取り残してきたと訳のわからんことを言い出した馬鹿をぶっ叩き、迎えに行ったが……。
彼女がアリスお嬢様であると実感した途端、ものすごく離したくない気持ちになってしまい抱きしめてしまった。ジェレミーに引き剥がされていなければ多分、ずっとあのままでいたかもしれん。嫌われるところだった。
とにかく、ベル嬢。彼女は、ベル嬢だ。落ち着け。これ以上嫌われてどうする。
そうそう。そのベル嬢を迎え、俺らは宮殿へと向かっていた。
「アレン!」
すると、前からなぜかサレン様が走ってこられた。その後ろには、ラベルがものすごい汗をかきながら追いかけている。まさか、脱走!? ……には見えんが。
でも、サレン様はご自身の立場をご存知なはずだから、あの部屋から俺の許可なしに出ようと思わないはず。
となれば、答えは一つだけ。
「どうされましたか、アリスお嬢様」
「あのね、アレン。この人が、外出ちゃダメって言うの。私、新聞社に行って植物カレンダーの人を探したいのよ!」
やはり、このタイミングで動いたらしい。予想通りだ。
しかし、少々まずいタイミングだった。これも、敵の策なのか?
いや、偶然だろう。ベル嬢がアリスお嬢様だと、気づくはずがない。こんな奇跡としか言いようのない現象を、すぐに信じて実行に移すような敵ではないはずだ。
気づいていれば、フォンテーヌ家へ接触を図ってくるだろう。不審なやつがいればイリヤが黙ってないし、今はまだ大丈夫と見て間違いない。
俺は、後ろに居る本物のアリスお嬢様とジェレミーを直視できずにいる。
説明しておけばよかった。しかしまあ、説明したところで……。どのみち、もう遅いが。
「んだ、この嬢ちゃんは。寝ぼけたこと言ってんじゃねえよ、こいつがア「ドミニク、ベル嬢をご案内してくれ」」
「はあ? んに言って「ご案内しろ」」
「……ったく、後で説明しろよ」
案の定、食いついてきたジェレミーは、俺の言葉で半分……いや、それ以下かもしれないが納得した様子で、ベル嬢の肩を掴み歩き出した。
その時、見ないようにしていたベル嬢の表情が視界に入ってしまう。
彼女は、俺を真っ直ぐ見ていた。
翡翠の濁りない瞳で、今にでも泣きそうな表情をしながらこちらに視線を向けている。それに、小さく開かれた唇が、小刻みに震えていたのが一瞬だけ見えた。
ベル嬢から見た俺は、どんな風に映っているのだろうか。少なくとも、良い感情ではないことは確かだ。
「あ、私ったらごめんなさい。お話をしていたのね」
「いえ、大丈夫ですよ。それよりも、お部屋でお話しましょう。お茶をお持ちします。」
「ええ! あのね、今日はカモミールの気分なの。お庭にある生のお花を浮かべたいのだけど、採ってきても良いかしら?」
「あるかわかりませんが、採ってきますよ」
サレン様とお話をしている中、ベル嬢がジェレミーに促されて廊下を曲がっていく。
この後、牢屋に行ってヴィエンたちと話をしようと思ったが……先にサレン様だな。陛下は隣国に向かわれたから、エルザ様に報告もしないといけない。
それに、ルフェーブル卿とだって、まともに話をしていないじゃないか。さっき、ジェレミーからサルバトーレ殿の顛末を聞いたが、納得がいかん。直接会って、真相を……。
「……」
「アレン?」
しかし、そこで気持ちが限界だった。
無理だ。あの表情を放っておくほど、俺は鬼畜になれない。
「すみません、アリスお嬢様。先ほどの男性に伝言を忘れてしまったので、少々お待ちいただいてもよろしいでしょうか」
「ええ、良いわ。ちょうど、お部屋にある帽子を取りに戻ろうと思っていたから」
「ありがとうございます。では、後ほどお部屋へお伺いしますね。……おい、ラベル。部屋までご案内しろ」
「は、はい!」
ラベルの返事が聞こえるか聞こえないかのところで、俺は走り出した。
これ以上、アリスお嬢様を傷つけてどうする。
彼女は、笑って過ごすべきだ。そうじゃなきゃ、生き返った意味がない。
彼女には、以前の分まで幸せになってもらわないとダメなんだ。そのために、俺はここに居るのだろう?
目的がはっきりした今、やるべきことが明確化しか気がする。
自身の地位を利用して5年前の真相を暴いてやる。その気持ちが、今までの中で一番強い。
もう、迷いたくない。失いたくもない。
だから、誤解だけは解こう。それから、「仕事」に戻っても問題ないはず。