王族と元老院の溝
外が騒がしくなっていることに気づいた私は、サルバトーレ様から離れて扉を開けた。
すると、
「あ、クラリスさん。どうも!」
「……ど、どうも」
「サルバトーレ様あ、息してますかあ?」
「……あ、ああ」
「良かったあ! ベルお嬢様が御喜びになりますね! ところで、約束の時間を指定した人はどこに? まーさーかー遅れてきてるとか、ありえないですよねえ?」
と、これまた場違いな元気さを披露するイリヤさんの姿が視界に入ってくる。
車椅子に乗っているけど、怪我でもしたのかしら? 見たところ、いつものメイド服を着て普通にしているけど……。というか、どうして王宮に入れたの? 普通は、入れないのだけど。
それに、唖然とした表情の元老院たちの様子も、よくよく考えてみたらおかしいわ。こんなあんぐりと口を開けて、醜態を晒すなんてありえない。ルフェーブル卿、そういう態度に厳しいから。
でも、私よりも後に入職してきた人は驚いてない。むしろ、「なぜみんなそんな驚いてるの?」みたいな表情で眺めてる。
その疑問は、後から入ってきた陛下によって解明した。
「改めて紹介しよう。私の妹の子、イリヤ・ルフェーブルだ。無論、ルフェーブルの子息でもある」
「……嘘」
「え、お、おと……?」
扉が閉じる中、イリヤさんはにこやかな笑みを浮かべて外に向かって手を振っている。……この度胸というかなんというか、完全に王族の血が入っているわ。嘘じゃないことは、その態度を見ただけでわかった。
それに、男!? その肌質で!? 負けたわ。私、多分今目の下のクマがひどいと思う……。
唖然とする中、イリヤさんは腰に手を当ててふんぞりかえったり、「ふふん。イリヤは世界一可愛いのです。常識です」と良くわからないことを言ったり。
ここまで自信満々に言われると、そうとしか思えなくなる。いえ、普通に可愛いわ。認めましょう……。
隣を見えると、これまた怪訝そうな顔をしてサルバトーレ様がイリヤさんを凝視しているわ。多分、私もあんな顔をしているのでしょうね。
「ってことだから、イリヤはここで待機」
「わかったよ、マルティネスのじっちゃん。後で、香水とネイルとアイシャドウよろしくね。もちろん、ジューンブライド社の!」
「一番高いところのじゃないか……。まあ、良いよ。その代わり、ちゃんと屋敷まで2人を頼んだぞ」
「はいはーい! ……あっ。アイシャドウは、ピンクかパープル! ネイルは、001と042は外さないでよね!」
「クリス。後で私のポケットマネーから購入しておいてくれ。私には覚えきれん」
「わかりました。では、その分陛下のおやつは少なくさせていただきますね」
「うっ。そ、それは……」
「なんでしょうか?」
「……いえ、なんでもございません」
突っ込む暇もなかった。
陛下とクリステル様は、そんな庶民じみた会話をしながら颯爽と部屋を出て行ってしまわれたの。次の執務があるのでしょうね。分厚いコートを着ていらしたから、外出関係?
扉が閉じると、再び静寂が訪れる。……いえ、イリヤさんの鼻歌が部屋に響き渡ると言った方が語弊がなさそう。彼女……彼は、とても楽しそうに音を奏ている。いえ、やっぱり女性にしか見えない!
「あっ、そうだ。サルバトーレ様あ。どうせあの人は来ないと思いますので、この後イリヤと一緒に王宮の書類提出係まで行きましょう〜。そこに置いてある書類が例のやつですよね」
「あ、ああ。陛下が持ってきて下さって……」
「いいえ〜? ベルお嬢様がご自身のお考えで動き、わざわざミミリップまで出向いてガロン侯爵にいただいてきたんですよ。ちょっと色々あってじっちゃんに持ってきてもらいましたが、王宮まではお嬢様が運んでいます」
「……ベルが?」
「はい。必死に書類を守って可愛らしかったですよぉ」
「ベルが……」
それを聞いたサルバトーレ様、とても嬉しそう。
なのに、その笑顔を見た私は少しだけ胸の奥がチクリと痛む。やっぱり、私が署名書を取ってくれば良かった。そうすれば、少しは彼の役に立てていたのに。
と、その時、扉がコンコンと音を立てた。
私は、素早く立ち上がって、扉へと向かう。
「失礼いたします。ルフェーブル侯爵より、伝言です」
「私が聞きます」
すると、そこには最近入ってきたばかりの後輩、ペネマティの姿が。震えた手で敬礼をしながら、こちらに向かって大きな声で報告をしてくれている。
こういう子が元老院に増えると良いのだけどね。こういう、裏表のない子というか。
見れば、いつの間にか扉前に居た元老院の人たちが1人残らず居なくなっているじゃないの。逃げたわね、確実に。
イリヤさんって、そんなに怖い人なの? そうは見えないけど……。
「ルフェーブル侯爵は、新しい仕事が割り振られたためここには来れません。必要書類が時間内に用意されたとのことで、ダービー伯爵のご子息はフォンテーヌの名を授かることが認められました。こちら、その書類になります。帰りに王宮受付にてご提出をお願いいたします」
「ありがとうございます。他に、何か伝言はありましたか?」
「えっと……。サルバトーレ・ダービー殿は、そのまま帰ってよろしいとのことで……」
「ちょっと待って。旦那様と奥様が殺されたのよ! その件はどうなったの」
そのまま帰ってよろしい? 顔も出さないで、何を言っているの?
ペネマティが悪いわけではないのは百も承知で、私は鋭い声をあげる。
すると、萎縮してしまった彼女が、
「ああ。そちらは自殺と断定され、処理が完了しました。毒で楽に死んで息子に罪をきせようとしたのでしょう、との見解で」
と、こともなげに、ケロッとした様子で言葉を伝えてきた。目の前に、その息子が居ると言うのに。
それに、見解って誰が出したの? ギルバートが出すとは思えない。
元老院での生活をしていた時、彼女の明るさ、軽快さが新鮮だったのに。裏表がなくて、それでいて……。
今は、ただただ空気の読めない子と化しているペネマティを見ていることしかできない。
自殺なわけないでしょう。
自殺するような人が、罪をなすりつけようとする人が、息子の居る部屋まで歩いて来るの? そんなわけないでしょう。それに、たとえ歩いてきたとしてもあの場所を教えた人間が必ずいるはず。そんなことわからないほど、元老院も馬鹿じゃない。
私がそう怒鳴りつけようとした時、サルバトーレ様の隣に座っていたイリヤさんが口を開けた。
「ははは、さすがルフェーブル! 自身の都合によって解釈を押し付け、それを部下にまるで宗教のように浸透させる。仕事において、思想の自由があるのにも関わらず! さすがだよ、元老院。人が思考する権利を奪う場所!」
そちらに視線を向けると、今の今まで女性に見えていたイリヤさんが男性の表情で笑っていたの。ものすごい殺気を、身体にまといながら。その空気が伝染して、私の身体に鳥肌として襲いかかってくる。
ペネマティも、彼の勢いに負けて床に突っ伏してしまった。
それでも、イリヤさんの笑い声は部屋の中だけに止まらず、開け放たれた扉を通して部屋の外まで聞こえるよう響く。その声は、長年の恨みが募っているように感じてしまった。気のせいかもしれないけど。
彼は、笑いながらゆっくりと車椅子を操作してペネマティへと向かう。
「ねえ、君。上司に伝言してよ」
「ひっ……あ、こ、来ないで、来ないで」
「法の抜け道見つけて裏工作ばかりしてる暇があったら、真犯人の1人や2人捕まえてこい。この無能って。一字一句違わずに、伝えてね♡」
「ヒッ、あ、は、はひ……」
「ああ、それに」
扉を支えていた私は、そこでアンモニア臭が漂っていることに気づく。
見ると、目の前でガタガタと全身を震わせて涙を流しているペネマティが、失禁していた。それが、絨毯に染み渡り臭いを撒き散らしている。
その光景に顔を歪ませていると、
「自分で汚した処理を、まさか他人にやらせないよねえ?」
と、これまた威圧感を出してペネマティに向かって汚いものを見るような目を向けていた。
その見下し様は、まるでルフェーブル侯爵そのもの。彼の子息であるという、何よりの証拠を突きつけてくる。
ペネマティは、ものすごいスピードで上着を脱ぎ絨毯に向かって押し付け始めた。
可哀想になって手伝おうとするものの、イリヤさんに止められてしまう。
でも、ペネマティも大概だわ。そんな状況なのに、彼女ったら、
「そ、そういえば、もう一つ伝言がっ、あ、ありました! あの、クラリスさんは本日付で解雇です失礼しました!」
と、喋るだけしゃべって逃げるようにして走って行ってしまったんですもの。
さすがに私も、それには驚いて何も声をかけられなかった。
まあ、わかっていたわ。任務失敗だものね。解雇は良いのだけど……。
「えーん、イリヤ怖かったよぅ。メソメソだよぅ」
「……」
「……」
……この人、ルフェーブル侯爵と王族の血が入ってるって、人類最強じゃない?
さっきの雰囲気をガラッと変えて、今は普通に車椅子の中で小さく縮こまっている。……切り替えが早すぎるわ。何がしたいの?
とにかく自由になった私たちは、そのまま王宮の受付に出向き書類を提出させた。
職務関係に関しても問い合わせると、ペネマティの言っていた通り本日付で解雇処分になってたけど……。ギルバートは、そのまま在籍中だった。
弟には悪いけど、肩の荷が降りたみたいでとても清々しい気持ちだわ。




