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バトンは次の人へ託される



 暗闇の中、声を出していると近くに誰かがやってきた。

 敵か味方かの判断がつかない私は、静かにして様子を伺う。すると、コツコツと靴で床を鳴らす音が聞こえてきた。規律の良い足音は、ここから出られるという安堵よりも不安をかき立ててくる。

 それに、胸が苦しい。息がうまくできない。


「……!?」


 その足音は、とても近くで止まった。再度静寂が訪れたと思いきや、すぐに私の視界に強烈な光が差し込む。


 そして、眩しさに驚いて目を閉じてしまった私に、見知った声が降り注いだ。


「おはようございます、ベル・フォンテーヌ嬢」

「!?」

「ご安心ください。貴女様を傷つけるつもりは毛頭ありませんので」

「……う、う」

「おっと、失礼。レディのお口にして良いものではなかったですね」


 目を開けると、薄暗い部屋の中、こちらを覗くヴィエン卿の姿が確認できた。

 さっきはあれだけ眩しかったのに、今はそうでもない。それよりも、目の前の人物が自由に動いていることに安堵する。


 ヴィエン卿は、そんな私の表情に怪訝な顔をしながら口に巻かれていた布を取ってくれた。

 これが、息苦しかった原因みたい。取られた瞬間、肺の中に新鮮な空気が入り込んでくる。それと同時に、部屋の中がとても寒いことにも気づいた。


「……もしかして、察しが悪い?」

「え?」

「なんか、こっち見て安心していたように感じたので」

「あ……。えっと、ヴィエン卿も捕まったのかなって思って。そうじゃなかったから、安心したってだけです」

「やりづら……」


 どうしたのかしら?

 質問に答えたのに、ヴィエン卿ったらなんだか変な顔して。もしかして、変なこと言っちゃった? 助けてくださったのに、私ってこんな恩知らずな人だった?


 そう思ったのだけど、根本的に間違っていたみたい。

 ヴィエン卿は視線をあちこちに巡らせながら続けて、こう言ってくる。


「……私が、貴女を縛り付けてここに無理矢理押し込んだとは思えないんですか?」

「え?」

「ここ、王宮の霊安室ですよ。寒いでしょう?」

「……え」

「さっきも言ったけど、別に傷つけるつもりはない。ただ、サルバトーレ・ダービーがフォンテーヌになるのを阻止したいだけですから」

「え、それって……」

「大丈夫。ここを出て君がいくら私の名前を言って訴えようが、地方の子爵令嬢の話なんて誰も聞かないと思いますよ。それに……いや。あいつはもう辞めた奴だ。それより、第一騎士団団長候補の私の方が、信頼性抜群でしょう」


 私は、その話の半分も聞いていなかった。

 ヴィエン卿はサヴィ様を処刑させたいの? あのよくわからない男性が、夕方までに書類がなければ処刑されるって言っていたけど……。それを邪魔したいってことよね。

 どうして、貴方が? 騎士団は、国民を守るために居るのでしょう?


 そこで、一気に恐怖が身体を支配してくる。

 自分の知らないところで、何かが蠢いているという恐怖。それが、一番怖い。

 目の前で私を見下ろす彼も、あの不思議な男性も、ダービー伯爵の行為も全部怖い。私は、その恐怖に争い縛られている手に力を入れて抵抗する。ビクともしないけど。


「あんま動くと怪我しますよ? まあ、ここ出す時薬嗅がせるから、怪我しても覚えてないだろうけど」

「嫌! 私は、サヴィ様を助けに行くの。これ、取ってよ」

「元々、そんな素晴らしい人物ではなかったですし、いなくなったところでね」

「それを、貴方が決めるのはおかしいわ」


 ガタガタと震える唇でそう言うと、部屋に響くほどの笑い声をあげてヴィエン卿が馬鹿にしてきた。

 相変わらず何かを探すようにキョロキョロしながらも、時折私に冷たい視線を浴びせてくる。


 今すぐにでも走って逃げ出したいのに、見れば足も何かで縛られているじゃないの。ってことは、ドレスをめくったの!? 


「ははは! ムカつくくらいすごい度胸。この状況で意見が言えるなんて、子爵令嬢にしておくのがもったいない。まあ、ここは防音だからいくらでも叫んで良いですよ。気に入ったので、棺の蓋は開けておいてあげますね」

「!?」


 ヴィエン卿は、そんな私の顔に唾を吐き捨て部屋を出て行ってしまった。そこに、どこからともなく冷たい風が吹き込んで、寒さを運んでくる。屈辱的な気分半分、恐怖半分。泣きたいという気持ちは、不思議と湧いてこない。

 それより、サヴィ様の身が心配だった。首を少しだけ上げて身体を見ると、カバンがないの。棺の壁が高すぎて、周囲は見えないけど……。証明書は、どこに行ったの? ヴィエン卿が持っていった?


 それに、手足に力を入れると、そこが擦れてしまったのかヒリヒリと痛みを感じる。歯でかじろうと口元に手を持っていったけど、舌が切れたみたいで痛い。でも、少しでも緩まれば……。 


「今、俺すげー自分のこと褒めたいんだけど」

「!? えっ、シャルルの兄様?」


 必死になって手に巻かれた縄を噛みちぎっていると、これまた近くから声がした。

 ヴィエン卿が戻ってきたかと思ったけど、なんてことない。そこには、髪をクリーム色にしてスーツを着込んだシャルルの兄様が居たの。私が記憶する彼の格好は、これよ。


 いえ、ちょっとだけ違うかも。

 彼は、今まで見たどの表情よりも殺伐としていた。瞳孔を見開き、その視線は真っ直ぐに扉へと向かっている。

 このまま行けば、怒りが爆発して王宮が吹き飛んでしまう気がするわ。


「あいつのこと殺さなかった俺を褒めてくれ」


 そうやって怒っているのに、彼は私の頬についた唾をハンカチで優しく拭いてくれた。その言動の差が大きすぎて、正直怖い。それに、その格好は何……? 状況がイマイチ飲み込めないわ。


 ボーッとしながら彼の髪を見ていると、いつの間にか手が自由になっていた。

 見ると、その手には小型の刃物が。王宮に入る時は荷物検査があって、刃物類は持ち込めないのに。


「どうだ、動けるか?」

「ごめんなさい、難しいわ。手を貸してもらえるかしら」

「はいよ。捕まって」


 ドミニクに向かって両手を伸ばすと、すぐに起き上がらせてくれた。お馬さんに乗せてもらった時は恥ずかしかったけど、今はそんなこと言っていられない。部屋が薄暗いのもあるかも。

 そのまま外へと出してもらった私は、彼に抱っこされながら周囲に目を向ける。


 見た限り、周辺にカバンはない。肩にもかかっていないし、私が居た棺の中にも見当たらないわ。というか、女性を棺に入れるってどう言うことなの? 失礼しちゃうわ。


「足の痺れとかは?」

「ないと思うわ」

「じゃあ、おろすぞ」

「あっ、まっ……!」


 ドレスの中に隠れている足首も縛られているなんて、自己申告しないとわからないじゃないの。

 案の定、ドミニクが気づかずに私を床に下ろした。もちろん、バランスを崩してそのまま倒れ込んだわ。……彼に向かって。

 胸元を思い切り押し付ける形になった私は、懸命に体勢を整えようとするもののそれは叶わない。


 恥ずかしすぎるどころじゃないわ。一層のこと、ここで彼を殴って記憶でもなくそうか。そう、本気で思うほどには脳が稼働していたみたい。もちろん彼の顔は見れそうにないけど。

 でも、ドミニクは別のことで頭がいっぱいだったらしいの。


「……おい。ちょっと待ってろ、あいつやっぱ殺してくるわ」

「なっ!? な、なんで」

「お前のドレスめくって足触ったんだろ!? ちっくしょう、さっき殺しとけばよかった!」

「や、やめてよ! それより、ナイフ貸して」

「どんくせえお前に、渡すわけねえだろ。ほら、裾だけ持ってろ。あんまめくんなよ!」


 そう言って、ものすごい殺気を放ちつつ私を机に座らせる。

 本当に怖い。ドレスの裾をめくりたくないけど、めくらなかったら私も殺されるんじゃないの? でも、そしたら楽ね。だって、ここは霊安室でしょ? ここにいれば、運ぶ手間が省けるでしょう。


 見渡すと、真新しい棺が数個床置きされている。机に置かれているものは濃いグリーンの彫刻入り、床置きが木材でできてるわね。その違いが、とてもリアルに映る。でも、この場所自体に恐怖は感じない。

 むしろ、落ち着くまである。これって、私が死んでるからよね? ってことは、やっぱりこの身体はベルのものってこと。わかっていたのに、落胆する自分が居る。


「ほい、取れたぞ。ったく、暴れただろ。擦り傷がすげぇぞ。……アリス?」

「え? な、何?」

「……大丈夫か? なんか、気に触ることした? 足には触れてねえよ」

「なんでもないわ。ありがとう、ドミニク。それより、私のカバンも見当たらなくて……」

「ああ、あの騎士団のやつが持っていったぞ」

「なんてこと! ねえ、今時間は? ヴィエン卿にお会いしてくる!」

「待て待て、落ち着け。自分から敵に突っ込んでどうすんだよ!」

「だって、時間が……」


 自分のことなんて、どうでも良いわ。

 今は、サヴィ様のことを考えないと。この部屋、窓も時計もないから時間がわからない。多分、まだ夕方にはなってないと思うけど……。さっきヴィエン卿が「阻止したい」って言っていたから、それが達成できてないってことですものね。でも、何を探していたのかしら。あれは絶対何かを探していたわ。


 私が焦れば焦るほど、ドミニクは平然とこっちを見てくる。

 そういえば、この人に状況説明をちゃんとしていない気がする。でも、今はその時間すら惜しい。

 とにかく、立ち上がってこの部屋を出ないと。そう思って地面に足をつけたと同時に、ドミニクが私の顔をまじまじと見つめてくる。そして、


「……どうしたの?」

「悪りぃがさっき、お前が城門に入る前に証明書は抜き取らせてもらったぜ」

「え!? あ、あの時!?」

「ははは、おもしれぇ顔」


 と、言ってニコッと笑ってきた。

 いつ抜き取られたのか考えてみたら、そういえば彼と別れる時に何かに引っかかった気がしたけど……。そんなことある!? 一応あのカバン、ボタンで止めるタイプだからパッと中身を取られないようになってるんだけど……。


 いえ、この際そんなのどうでも良い。

 それよりも、なんで書類を抜き取ったの? 今、どこにあるの? そっちの方が、重要だわ。


「今、どこにあるの!? なんで取ったの、泥棒!」

「おいおい、せっかく届けてやったのになんだよその言い方は」

「……え?」

「あの城門に居たやつ、ありゃあ隣国のスパイだぞ。何度かあっちの宮殿で見たことあるなーと思ってたけど、さっき近くで見て確信したわ」

「え!? ヴィエン卿が、隣国の……?」

「それに、もう1人もな。だから、俺が抜き取ったワケ。どうせ、取られると思って」


 ドミニクは、フラつく私の身体を支えながら、衝撃的な言葉を口にしてきた。

 衝撃的すぎて、一瞬「スパイってなんだっけ?」って考えちゃったわ。あれよね、シャロンとアレンがうちの屋敷に来たあれよね。


 別に、ドミニクを疑っているわけではない。

 でも、なぜ隣国のスパイがサヴィ様の処刑を進めようとするの? 別に、ダービー伯爵は隣国との取引をしていないし、旅行へ行った話も親戚が居る話も聞いたことがない。繋がりがない気がするのだけど、私の知らない何かがあるってことなのかしら。


「……ありがとう。誰に渡したの?」

「ふっふっふっ」

「ねえってば!」

「まあ、とりあえずお前の役割は終わりな」

「え、終わりって……?」

「これ以上は、適任のやつに任せた方が良いってこと。それに、聞いたところ王妃様とお茶飲むんだって?」

「……あ」


 今はそんなことしてられないって言おうと思ったけど、口にしたら不敬だわ。危ない。

 そうよ、私が王宮に来たのは、表向きエルザ様とのお茶会をするためだった。決めてから結構時間経ってるから、行くことは既にエルザ様に伝わってるわよね……。


 でも、こんな姿で会いに行けないわ。

 装飾が取れちゃってるし、ドレスの裾がほつれちゃってるし……。それに、髪だって顔だってボロボロ。鏡は……こんなところにあるわけないか。


「せっかくいただいたドレスがこうじゃ、お会いできないわ」

「ドレスだけが理由か?」

「……サヴィ様も心配だけど」

「まあ、とりあえずお前は王妃様のところ行け。これ着てな」

「……え!?」


 鏡を探しながらドミニクの話を聞いていると、不意に視界に影が映った。

 びっくりして振り向くと、そこには全く同じドレスがあったの。……ちょっと裾の丈が短いかも。それに、胸元も心なしかこれの方が緩い気が。


 ドミニクは、固まった私に向かって「ダメか?」と聞いてくる。ダメじゃないけど、疑問がわく。

 このサイズ、ベルの身体に合わせてあるわ。どうして、ドミニクが知ってるの? たしかに、このドレスじゃ裾が長すぎるし胸元キツいし。


「ほら、お前連れてくって言ってあんだよ。着替えさせてやるから」

「嫌よ」

「なんで。1人で着れんのか?」

「着れないけど……嫌」

「イリヤには着せてもらってんだろ。何が違うんだよ」

「イリヤは、変な目で私を見ないもの」

「いや、そんなこ……って! 全裸の女なんて見飽きてるっつーの。お前に欲情するほど、俺は欲求不満じゃねえ!」

「なっ……変態!」

「いいから、早くしろ。王妃様の席で、会いたい奴に会えるかもしんねぇだろ。髪と顔もやってやるから」


 私は、天秤にかけた。

 このボロボロのドレスで王妃様に会うか……というか、外に出るか、それとも、ドミニクにお願いするか。


 30秒は考えたと思う。

 結論は出たわ。


「じゃあ、お願い。ただし、布で目を覆ってね。貴方器用だから、それくらいできるわよね」

「うっ……。変なとこ触っちまっても知らねえぞ」

「触った時点で、イリヤに報告する」

「……触らねぇ。あいつとやり合ったら殺しそうだし」


 ドミニクは、私の案を呑んだ。

 本当に器用でね。普通なら10分かかるのに、5分でドレスを着せてくれたわ。髪もメイクも、どこから持ってきたのか奥から鞄が出てきてやってくれて……用意良すぎない?


 それに、誰に私を連れて行くって言ったの?

 会いたい奴って、誰? サヴィ様を助けてくれる適任者って? というか、今何時よ!

 何一つわからないまま、私はドミニクと共に霊安室を出た。




***




 あと5分で、17時の鐘がなる。主人の指定した時間に。

 サルバトーレ・ダービーと待機している私は、待ちきれずに立ち上がり窓の外を眺めていた。


 相変わらず、彼との会話は一切ない。ギルバートからもらった水を飲ませ、お礼を言われてそれっきり。空腹なはずなのに、こちらを頼ってくれない。ずっと、椅子に座って下を向いているだけなの。……当たり前か。


「……はい、今開けます」


 それに、どうやらゲームオーバーみたい。

 コンコンと、部屋をノックする音が聞こえてきた。その音はきっと、彼の処罰規定の書かれた紙を持った主人でしょう。多分、裁判は開かれない。以前もそうだったし。


 これから、サルバトーレ・ダービーはその書面を読んでサインをする。処刑されてた後、財産など蓄えは全て国に還すこと、記念碑は希望しないこと、そして、国を恨まないことが書かれたあの馬鹿馬鹿しい紙にね。

 司書室にあった過去の記録に、エリック様のものも保管されていたわ。震えた手で書いたのがよくわかるサイン付きで、眠ってた。


 私は、わざとらしくコツコツと靴音を鳴らしつつ、サルバトーレ・ダービーの前を通り扉へ向かう。

 せっかく、彼の無実を証明するための書類を死ぬ気で集めたのにな。規則を遵守する元老院を黙らせるために、頑張ったんだけどな。

 やっぱり、私が行けばよかったかな。


 法律を変えるって、難しい。

 そのために、元老院に入ったのに。


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