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彼女に白いカーネーションは必要ない


 夢を見ていた気がする。

 今の今まで、立って寝ていた気がする。


 疲れてるのか? 確かに最近まともに寝ていないが……。


「……イリヤ」

「何、アレン。今、めちゃくちゃ足が痛むから質問には答えられそうにない」

「……クリステル様」

「ごめんなさい、拳銃を見たからか記憶が途切れててよく覚えてないの」

「…………」


 気づいたら、先ほどまで居たはずのベル嬢とジェレミーが居なくなっていた。しかも、イリヤの奥に見えていた馬もない。まさか、誘拐か? と思ったが、それならイリヤが黙っていないはず。……どうなってるんだ? ジェレミーは指名手配中の殺人鬼だぞ?

 それを取り逃したとなれば、俺だってなんらかの処分が下されるだろう。しかし今は、そんな些細な問題はどうでも良い。今は、さっきのアレだ。


 サレン様が「彼女」を名乗った時の比ではない。

 強烈な何かが体内を駆け巡った、アレだ。


『私は、アリス・グロスター。残念だけど、ベルじゃないわ』


 俺の脳が正常に動いているとしたら、確かにそう聞こえた。多少寝不足だが、そんなもの吹き飛んだ。今以上に脳みそがクリアになったことなんてない。だから、聞き間違えるわけがないんだよ。

 アインスが好きだ? そんなこと、一言も言ってなかったぞ。


 俺がこんな悩んでいるのに、イリヤもクリステル様もどこ吹く風のごとく知らん顔している。

 誰か、正解を教えてくれ。


「あ、あの、さっきの……」

「アレン、早く運んでよ。できれば、アインスの居る医療施設が良いなあ」

「ロベール卿。私、この後陛下と隣国に向かうんです。早めに宮殿に戻らないと」

「……はい」


 とりあえず、ここに居る2人は教えてくれないらしい。それは確定した。

 しかも、遠回しに王宮に連れていけと言っている気もする。


 やっぱり、アレか?

 別人なのに、後ろ姿が似ているから勘違いしてしまった現象のアレか? 確かに、アリスお嬢様だと思って声をかけて違かったことは数え切れないほどあるが……。いやでもしかし。やばい、この歳になって本気で泣きそうだ。


「とりあえず、殺人だから現場保存。僕がクリスとここに居るから、アレンはここを真っ直ぐに行ったところにあるミミリップはずれの騎士団駐在所に応援を頼んで。マクシムの指名手配もね。15分以内に戻ってこれたら、知りたいこと教えてあげ「わかった」」


 そうだった。

 後ろを振り向くと、そこには王宮専用御者が乾き切った血の海に顔を沈めている。隣には、足を折られた馬の姿が。

 箱も損傷が大きいな。これは、新しい馬車を手配してイリヤたちを運んだ方が良さそうだ。


 それに、王宮に戻る道にも遺体がある。

 ベル嬢が王宮に戻っているということは、見てしまっただろうか。俺が送って行けば、遺体から目を逸らさせながら移動してあげられたのに。怯えていないと良いのだが……。


 イリヤの声を聞いた俺は、1秒も無駄にしたくない勢いで早馬に跨った。

 15分か。ギリギリだな。



***



 ロベール卿の背中が遠ざかるのを見ながら、私はイリヤに話しかける。


「……ねえ、イリヤ」

「何ー、クリス」

「あれで良かったの?」

「よくないけど、お嬢様の要望を叶えるためには仕方なかったでしょう」

「そっちじゃなくて……」


 もちろん、そっちも気になる。

 まさかジェレミーが、あの「シャルルの兄様」だったとは夢にも思わないでしょう。シャルル様って言ってたから、多分そうよね?

 アリスお嬢様が何度か嬉しそうに口にしていた名前を、忘れるわけがない。私は一度も会ったことがなかったから、お嬢様の良く読んでいたグリム童話の登場人物かと思っていたけど……本当に居たとは驚きだわ。

 しかも、何あのベタ惚れ状態! ロベール卿より酷いんじゃないの? 過去、あの2人の間に何があったの……。


 ……いえ、今考えることじゃない。

 今は、こっちをどうにかしないと。


「ロベール卿のことよ。どうして、素直に教えないの?」

「お嬢様が困っていたから」

「本当に、それだけ?」

「1%くらいは、隣国から来てるご令嬢にべったりって聞いてイラッとしたのもある」

「……それ、比率逆だと思うけど」

「そうとも言う」

「……」


 そうとしか言わないって言ってるようなもんよ、それ。


 イリヤは、私の顔を見ず、ボロボロになったスカートをめくり上げ負傷した足を地面に投げ出している。その表情は、何を考えているのかさっぱりだわ。ポーカーフェイスとはちょっと違うけど、それに近いものがある。


「……よ」

「え?」


 返答を諦めて草原に目を向けていると、イリヤが小さな声で何かをつぶやいた。

 良く聞こえなかったから聞き返すと、


「みんな、ずるいよ。アリスお嬢様が生きていた時は、誰も手を差し伸べなかったのに。今更、それを口にするなんて。……ずるいよ。クリスもアレンも。ジェレミーも」


 と、私にとって痛い言葉を吐いてきた。

 その言葉を否定するだけのものが、私の中にない。


 そもそも、アリスお嬢様が私を許すこと自体おかしいのよ。きっと、私たち王族側があの一家に……彼女に目を付けなければ、殺されることはなかったでしょう。

 その原因を作っておきながら、私は今も平然とアリスお嬢様の隣を歩いている。


「どうして、マルティネスのじっちゃんは僕に伝令を送り付けなかったの? 僕なら、彼女が殺される前に相手を殺してやったのに。1人残らず、殺せたのに。……あんな純粋で他人を疑わない人が、どうして犠牲になったの。おかしいよ。みんな、おかしい……狂ってる」

「……」


 そのifは、もう叶わないもの。

 イリヤの悔しい気持ちは、愚かな私にも十分伝わってくる。


 自分可愛さに逃げたのに、今も彼女の視界に収まっている私。

 目の前で主人を殺されてしまったロベール卿。

 エルザ様が保護しようと言ったのに、その意見を聞かずに「法」を取った陛下。

 ジェレミーだって、何かしらあったはず。じゃなきゃ、彼女が殺されることはなかった。


 アリスお嬢様に関わった全員、イリヤの言葉を完全に否定することはできないでしょう。



 でもね、イリヤ。

 最愛の母親を亡くして数年のあなたに、この役は務まらなかった。だから、陛下はあなたを指名しなかったの。冷遇されながらも家族を愛していたお嬢様の気持ちを無視してでも、武力を行使するであろうあなたには。

 だから、非力なロベール卿と私が選ばれたのよ。


 だから、ジェレミーがあんなこと言ったのよ。




***




『……アリスお嬢様?』


 アリスお嬢様が名乗ったのと同時に、その奥に居るロベール卿に気づいた。話を聞いていたのでしょうね、とても驚愕した表情で彼女を見つめているわ。

 これは、助け舟を出した方が良いかしら? それとも、沈黙すべき?


 イリヤの顔を覗くと……わあ、どうでも良いって表情してるわ。なんなら、ちょうど道端に咲いている白い花を眺めている。


『ち……』

『……ち?』

『ち、ち……』


 静観していると、顔を真っ赤にされたアリスお嬢様が単語……というか、言葉を口にされた。「ち」って何? やっぱり、ここは私が……。


 そんな葛藤を繰り返していると、耳をつんざくような声が轟く。


『違う! そんなこと言ってないわ!』

『……え、でも』

『違う! 違うの! アインス……そう、アインスって言ったのよ! 私は、アインスが好きって言ったの!』

『……』

『……』

『……』

『……おい、そりゃあねえぞ。流石に』


 誰もが沈黙する中、呆れ返った表情を披露するジェレミーが口を開いた。

 そうね。嫌だけど、私もあなたに同感。流石にないわ、アリスお嬢様……。


 彼女は、叫ぶだけ叫んで、両手を肩掛けカバンの紐をギュッと握りしめて下を向いてしまう。表情は見えないけど、絶対に赤面状態ってところね。照れ隠しかしら?

 イリヤの上半身を支えていた私は、そっちに行こうと声をかけた。


『イリ『お嬢様、それよりも時間大丈夫ですか?』』

『あ! そうよ、今何時!?』

『多分、16時ごろかと』

『大変! ねえ、ジェレミー。あのお馬さん使って王宮に送って』

『い゛ってぇ!』


 声をかけようとしたのに、それをイリヤがかき消してくる。しかも、絶対退いてやるもんかって感じで私に体重をかけてくるの。これは確信犯だわ……。


 それに、アリスお嬢様もアリスお嬢様で、ジェレミーの脇腹をツンツンと小突いているし。確か、さっき肋が折れてるって言っていたけど……御愁傷様。

 でも、叫びながらもちょっとだけ嬉しそうにしてるから、そうでもないかも。もしかして、M? 口の端から赤い液体出てますけど。


『ベル嬢、俺が運びますよ。早馬で来ているので』

『え、良いです……』

『え……。えっと、夕方までに証明書を届けないと、彼の処刑が確定してしまうんです』

『知ってるわ』

『え、なん……いや。今からガロン侯爵へ証明書を書いていただき、王宮に戻るには早馬の方が』

『もうここにあるわ』

『……でっ、でも、俺と一緒に行けば、王宮内で迷いませんし』

『昔良く仕事を届けに入っていたから、そのくらい覚えてるわ』

『じゃあ、やはり貴女様はアリ『そ、そういえば、イリヤ!』』

『はい、なんでございましょう』


 アリスお嬢様ったら、意地でもロベール卿と目を合わせないみたい。こうなった彼女は、いくら周囲が宥めてもダメ。

 この性格、全然変わらないわ。ロベール卿には申し訳ないけど、懐かしい。いえ、それを通り越して面白いまである。


 でも、なぜアリスお嬢様はそこまで彼を拒絶するの? 私が知り得ない何かがあったとか?

 今だって、ジェレミーの服を引っ張りながらイリヤの方向いてるし。ジェレミーはジェレミーで、すっごいにやけ顔を隠そうとして隠せてないし。ロベール卿は、石のように動かないし。……そうね、カオスね。


『そういえば、まだジェレミーからの伝言、伝えてなかったの思い出したわ』

『あっ……』

『左様ですか、今聞かせていただけますか?』

『でも、足は大丈夫? その格好、痛くない?』

『大丈夫ですよ。それよりも、時間がないので早く言ってくださいまし』

『い、いや。ちょっ……』

『ええ。あの、イリヤが調べてるお家の夫人が、今度隣国で公開処刑されるのですって。もしかして『あー、ストップ!』』

『何よ、さっきから。自分が伝えてって言ったでしょ』


 アリスお嬢様が話し始めると、イリヤがピクッと動いた。表情は変わらないのに。もちろん、私もね。

 でも、アリスお嬢様は気づいていないわ。だって、ジェレミーを睨むのに忙しそうだし。


 彼の伝言に出てくる夫人は、アリスお嬢様の母親だわ。今の時期に隣国で公開処刑の話は、彼女しかない。

 ってことは、イリヤもグロスター家のことを調べていたのね。後で意見を聞ける時間を設けましょう。彼、鋭い視点で新しい発見をしてくれるから。


『なんでもねえ、忘れろ。イリヤへの伝言じゃなくて、別のやつ宛だったわ』

『そんなことある? あなた、イリヤって言ったわ』

『女に呼ばれてたから、焦って間違ったんだって』

『本当……?』

『本当だって! あいつ、待たせると夜しつこいんだよ』

『夜って?』

『あ〜〜〜〜っ! お前には関係ねえ!』

『何よ!』

『お嬢様、時間時間』

『あっ!』


 全く、アリスお嬢様は締まらないわね。

 でも、それで良い。彼女に、誰が処刑されるかなんて話は必要ない。ましてや、実の母親の話なんて。

 どうやら、ここでもジェレミーとの意見が一致しそうだわ。


 気を利かせたのかなんなのかイリヤが話に割って入ると、お嬢様がハッとしたように焦り出した。


『ねえ、ジェレミー。連れてって。お願い』

『……別に良いけどさあ。俺、こんなことで隊長サンに殺されたくねえん『そうだ、イリヤ! もう一個、ジェレミーから伝言があったわ!』』

『あん? 俺は1つしか言ってねえよ』

『あれ? 伝言じゃなかったかも』

『何を言われたのですか、お嬢様?』


 と、なんだかんだ言いつつも、ジェレミーは服装を整えて乗馬する準備に取り掛かっている。ロベール卿は……固まってるわね。気持ちがわかる分、なんとも言えないな。


 そんな中、アリスお嬢様がイリヤに向かって話し始めた。


『あのね、ジェレミーが私に、「もっとケツをでかくしろ」って言ったの。ケツってなあに?』

『ぶっっっっっ!?』

『ちょ、ちょ……』

『……ジェレミー、教育に悪い』


 やはり、彼女は締まらないわ。緊張感って知ってる?


 しかも、その言葉と同時くらいにジェレミーが吹き出した。と、一緒に地面へ真っ赤な血が滴り落ちる。血と同じくらい顔も赤いし。トマトみたい。

 一方、アリスお嬢様は、なぜそんな反応をされているのかわかっていない様子。ここは、私が教えましょう。

 申し訳ないけど動けないから手招きすると、すぐにお嬢様がやってくる。


『お嬢様、ケツとはお尻のことです』

『なっ!?』

『ジェレミーは、お嬢様を揶揄ったのですよ』

『なっ、なっ……ジェレミ〜〜〜!!!』


 これは、擁護できないわ。


 私の言葉を聞いたお嬢様は、ジェレミーへ突撃していく。

 そして、ものすごい勢いで脇腹を攻撃し始めた。……自業自得って、こういうことを言うのね。ああ、痛そう。見てるだけで、鳥肌が立つ。


『いや、それよりお前は馬に乗る準備しろ。隊長サンは、イリヤを医療施設に運ぶだろう。俺が、お前を送っていくよ』

『わかったけど……準備って?』

『ほら、そっちで繋がれてる馬に挨拶してこい。知らねぇ奴が乗ると、暴れる馬だから』

『わ、わかったわ』


 そんな馬に見えないけど……。

 どうやら、お嬢様を遠ざけるために言ったみたい。だって、それと同時にジェレミーがこっちに来たから。


 彼は、私たちを見下ろすように立ち、


『あいつには、母親が死ぬことを言うな』


 と、低い声で私たちに話しかけてきた。


 私は言うつもりなかったけど、イリヤがね。

 何故なのか分からずに、ジェレミーを見上げている。


『言った方が良いでしょ。そもそも、処刑を止めないと』

『いや? 言うつもりはないし、止めるつもりもねぇよ。アリスは、知らなくて良い』

『なんで。お嬢様は、家族を大切にする人でしょう。知ったら悲しむ』

『だから、知らなくて良い』

『だから助けよう、にならないわけ?』

『ならねえよ。あいつは、それ相応のことをしてんだ』

『……それを決めるのは、お嬢様でしょう』


 きっと、グロスター伯爵夫人は、施設へ放火をしていない。目の前に居る、ジェレミーが仕掛けたことだと思う。

 ということは、あの施設もアリスお嬢様殺害に関与してるってことか。そのヒントを私に託し、同時に、彼が本当にアリスお嬢様を側で見てきたことを伝えているのね。


 イリヤの説得は難しいと判断したジェレミーは、背中を向けた。

 よく見ると、足も負傷してる。左太もも部分のパンツから、血が滲み出しているのが痛々しい。


『ランベールの姉ちゃん。お察しの通り、俺が殺して回ってる連中は全て、あいつの毒殺に関係のあった一家だ。無差別じゃねぇ』

『……やっぱり』

『後で全部話すから、今はアリスを守らせてくれ。お願いだ』

『……』


 ってことは、あなたは5年もの間ずっと、アリスお嬢様の死の真相を探っていたの? そして、それに繋がる人たちを片っ端から殺して回った……。

 褒められることではないけど、捕まえるだけの気力もない。なんなら、私も加担したいところ。そんなので、自分の罪が軽くなるわけはないけど。


 ジェレミーは、今度こそ馬に向かって歩き出した。

 血を地面に向かって吐きながら、一瞬だけロベール卿を見たけど……ん? なんだか、勝ち誇った顔してる。見られてる彼は……ダメだわ、完全に思考停止しちゃって。肝心な時なのに。

 ああ、そうこうしてる間に、お嬢様たちが遠ざかっていくわ。大丈夫かしら……。



 私は、今まで敵視する相手を間違えていたのかもしれない。

 彼も苦しんでる。もしかしたら、私以上に。


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