彼女を愛した男の末路
宮殿へ戻ると、ロベール卿が話をつけてくれていたらしくそのまま顔パスで建物の中に入れた。心配していたところだったから、良かった良かった。旦那様と奥様の場所も騎士団の団員に教えてもらったし、あとは無事を確認して……。
と思ったのだが、言われた場所へ行ってみると予想外というか想定内というかよくわからない光景が広がっていた。
「はい! 今やった計算式を100回ノートに書き写してください!」
「ひー、シン様スパルタ過ぎます……」
「あなた、シン様に向かって失礼ですよ。せっかくお時間をいただいているのですから、やりましょう」
「うう……」
「……えっと」
ここは、客間だな。
サレン様に使っている客間が東で、ここが西の客間だ。作りが同じなのだが、入った感じとても狭く感じた。なぜなら……。
「おお、アインスじゃないか! サルバトーレ君は一緒じゃないのか?」
「あ! フォンテーヌ子爵、逃げないでください! って、アインス!?」
西の客間は、どこから持ってきたのやらキャスターのついた黒板が持ち込まれていた。そして、多分図書室にあった机と椅子が2つずつ。
まるで、学舎のような空間が広がっていたんだ。黒板とかがある分、部屋が狭く感じる。
どこかで見たような光景に唖然としつつも入室すると、その気配で旦那様が振り向いた。奥様の顔色も良いし、お2人に危険が迫っているようなことはないと見て間違いない。……いや、彼らにとっては勉強が「危険」かもしれぬがそれは置いておき。
わかってはいたものの、やはり旦那様と奥様には緊張感というものがない。それに便乗したシン様を責めるわけにはいかんな。こっちを向いてとても嬉しそうに手を振っているし。
しかも、よくよく見ると、その奥にカイン皇子もいるじゃないか。本を片手に、楽しそうにシン様の方を向いている。……説明が欲しい。切実に。
「えっと、どんな状況でしょうか……」
「聞いてくれ、アインス! シン様が、私たちに算数を……」
「いいじゃないですか、これから役に立つでしょうから」
「嫌だ! 私は、数字よりも物語を読んでいたい!」
「じゃあ、僕と一緒に中庭で読書でも?」
「カイン皇子! 是非とも「ダメです! 子爵は、この問題を解くまで部屋から出るの禁止です!」」
「そ、そんな……」
「あなた、解けば楽しいわよ。サルバトーレさんも頑張っているのだから、私たちも頑張りましょう。私はもう半分解き終わってるわ」
「な、なんだと! 裏切り者ぉ!」
しかし、返ってきた答えは多分1からの説明ではなく、少なく見積もっても5からのもの。到底、何がどうしてこんな話になったのかの考察は難しい。
まあ、サルバトーレ様の情報がここに来ていないことは確定したな。旦那様が同行者として登録しているから、逐一状況報告されるようになっているはずなのだが……。団員に案内されてここにたどり着いたし、居場所を知らないわけでもなさそうだし、どうしたんだ?
「とりあえず、その勉強会の続きは後ほどにしたほうがよろしいかと」
「……何か、進展があったのか?」
「はい。まず、残念ですがダービー伯爵とご夫人はお亡くなりになられました」
やはり、知らなかったらしい。
今まで、まるでパーティ全開のごとくはしゃいでいらした面々は、私の言葉によって表情を一変させた。旦那様に至っては無表情で持っていたペンを絨毯の上に転がし、奥様は立ち上がって顔を両手で覆っている。
これ以上情報を伝えるのも心が痛むが、誰かは言わないといけないだろう。私は、そのまま話を続けた。
「待機室で召し上がった昼食に、毒が仕込まれていたようです」
「じゃあ、サルバトーレくんは……」
「サルバトーレ様は、別の場所でクラリス殿と私とで待機していたので存命です。しかし、養子縁組が危うくなってきました。屋敷に長期居住していた記録か、フォンテーヌ子爵に課されたお仕事をお手伝いした記録があればとのことでしたが、今はどちらもない状態で」
と、まあこんな感じで多少端折ったが伝わっただろう。……多分、伝わった。多分。いや、自信がない。
奥様はハンカチを出して涙を拭っているが、なぜか旦那様はホッとした表情をしている。泣けとは言わんが、なぜだろう。
私の話を聞いて、カイン皇子もこちらへやってきた。相当驚いたようで、いつも手にしている本は座っていた場所に置き去りにされている。
シン様も同様、唖然となされて持っていたチョークを落としているし……。だからこそ、旦那様の表情が不謹慎にうつる。しかし、それには理由があったらしい。
「なら、大丈夫だ」
「……なぜでしょう」
「ダービーくんに頼まれて、サルバトーレくんには仕事を手伝わせていたからな! 決して、私が仕事の遅い人間だから手伝わせていたのでは……なくて……なくて、だな」
「旦那様……」
ああ、そうか。
旦那様の表情は、サルバトーレ様を救うための手立てがちゃんと準備されていたこと……いや、それを見越してダービー伯爵がお願いしていたことに対する安堵を示されていたのか。子を持たぬ私にはわからんが、ダービー伯爵が子を心配できる親であったことにホッとしたのだろう。
続けて、旦那様はボロボロと涙をこぼされた。
その泣き方が、まるで子どもを連想させるような感情の切り替わりを見せてくる。こういうところは、ベルお嬢様にそっくりだ。無論、アリスお嬢様にも似たところがある。
だからこそ、旦那様の喜怒哀楽に周囲が引っ張られてこのようにシン様やカイン皇子までもが涙に呑まれて行くのだろうな。パーティを開催している時の旦那様も然り。ああ、やはり旦那様は主人に相応しい人物だ。疑った私が愚かだった。
しかし、仕事をしたからといってそれが口頭で「はいそうですか」とはならない部分はどうするのか。そこまで考えられないのも、旦那様らしいと言えばらしいが……。
「では、そのお仕事はどう証明されますか? 現物がないと、元老院は納得しないかと。しかも、あちら側が本日夕方までに持ってこい、なければ夜にでも執行という運びになっておりまして……」
「え! そんな話が、なぜここに届かない!?」
「元老院と言えども、それは許されないことでは? 陛下はご存知なのですか!?」
「カイン皇子、シン様、少々失礼します。アインスよ」
やはり、この情報も届いていなかったか。
こんな重要なものが知らされていないとなると、ここにも故意的なものを感じざるを得ないな。伝達係は誰であったのか、後で調べた方が良さそうだ。
そう思っていると、涙を拭った旦那様が真っ直ぐに私の目を見てきた。隣では、奥様も同じよう私を見ている。
「なんでしょうか、旦那様」
「私は、ポンコツだ。誰か居ないと、足し算だってロクにできん」
「……あ、えっと」
危ない。「はいそうですね」と言いそうになった。仮にも、雇っていただいている主人に。危ない。
しかし、なぜ今その話が出てくるのかわからないな。
カイン皇子とシン様も同様、困惑の表情を披露している。なのに、奥様はわかったような顔して立っているし……なんだ?
「私ができるのは、一度信じた人を信じることだけだ。ダービーくんだってやったことは許されないしよう……擁護? あの、あれだ。味方になることはできんが、行動には意味を持つ人だから。彼なら、サルバトーレくんを死ぬまで守ろうとするだろうし、使用人にも優しいし、料理もうまい。それだけは、信じてるよ。私にはそれしかできんからな、うん」
「……旦那様」
やはり、文法の勉強をさせたほうが良いのかもしれない。言っていることが繋がっていない。
でも、言いたいことはよく伝わってくる。旦那様は、このような性格故に私には見えないものが見えているに違いない。
実際、サルバトーレ様の身を案じたダービー伯爵が、奇跡のような行動を取られているからな。目の前で見ている私には、旦那様の言葉に説得力を感じる。
カイン皇子はポカーンとしているが、シン様には伝わっているようだ。「仕方ないな」というような表情になっているじゃないか。
「でも、あなた。それは、威張れるものではないですわね」
「む、そうか。そうだな。ダービーくんを信じるなど、亡くなった領民たちの前では言えんしな」
「そうですよ。私だって、ベルが犠牲になったら犯人を殺してでも制裁を加えたいですもの」
「こ、こっちだって同じだ! 犠牲者に、残された家族、知り合い……うっ。なんだか、悲しくなってきたぞ」
「フォンテーヌ子爵は、感情が豊かですね」
「いやはや、それほどでも」
褒めてはいない。
……なんて、言える雰囲気ではないが。
にしても、王族相手に平然と会話をする旦那様と奥様はやはり大物な気がする。
こういう締まらないところは、ベルお嬢様よりもアリスお嬢様に似ていらっしゃるな。ということは、アリスお嬢様も大物なのか?
彼女も、旦那様たち同様人を惹きつける何かがある。きっと、それに救われた人は1人や2人ではないだろう。彼女自身、救われなかったのが悲劇というものだろうな。
それに、奥様の言った「我が子が犠牲になったら」の話も心に止めておかねば。
私は、ベルお嬢様がやられてしまった毒の根源を知っている。陛下の耳に入れておいたが、どうなることやら。
「ところで、旦那様。サルバトーレ様のお仕事の証明はどうされるおつもりで?」
「ベルが持ってくるよ。あの子は、そういう子だから」
「……そうですね」
旦那様は、今日一で自信に満ち溢れたお姿でそう言い切った。そして、続けて、
「サルバトーレくんは、クラリスがついてるのか?」
「ええ、そうですが……」
「なんだ、アインス」
「その、彼女にも色々事情があるようで。純粋な付き人ではない気もしていまして」
「大丈夫。あの子は、主人を裏切るようなことはしない」
「私もそう思うわ。クラリスちゃんの目は、とても透き通っていて綺麗だったもの」
と、これまた自信満々に言い切ってしまう。ここまで言われて心配していれば、それこそ旦那様の機嫌を損なうだろうなと思ってしまうほどに。ここは、クラリス殿を信じてみるか。
夕方になってもロベール卿とアリスお嬢様が来なければ、私が出向こう。流石のルフェーブル卿も約束は守るお方だから、夕方までは待つと思うしな。
私は、苦笑するシン様とアイコンタクトしながら、旦那様の「ところで、もう算数は終わりだろう?」と怯える言葉にずっこけた。このお方は、本当に締まらないな。緊張感というものがない。
***
「……おい、なんだよさっきのは」
「こっちのセリフよ。恥かいたじゃないの」
「ありゃあ、お前が知らなかったのが悪い。……ってそうじゃなくて! アレン・ロベールへの態度だよ!」
「……」
私は今、カバンを肩にかけたままジェレミーとお馬さんの上に居る。つまり、移動中。
悶々としたものが脳内を駆け巡り爆発しそうになっているところに、手綱を握るジェレミーが呆れた声で質問をしてきた。
私にだってわからないわよ! と、叫びそうになるのをなんとか抑え、彼のTシャツを握る手に力を入れる。
「俺が言うのもなんだけどさ、あいつにはそんな態度取ってやんなよ」
「……なんで」
「なんでって……。あいつ、お前が死んで精神ブッ壊したんだぞ。それほど、好意を抱いてたってことだろ」
「知らない。アレンは、私のこと騙してたし」
さっき、私が「アリスだ」って言ったのをアレンに聞かれちゃったのよね。その時、咄嗟に「違う!」って叫んじゃって。
しかも、「アインスって言ったの! 私はアインスが好きって言ったの!」とかよくわからないことをつぶやく始末。確かに好きだけど、あのタイミングで言ったら恋愛感情を抱いていると思われても仕方ないじゃないの。サヴィ様……は、もう婚約者になれないけど、だからって……。
そんな私を王宮まで乗せていってくれているジェレミーは、大きすぎるため息をつく。
「お前だって、こっちに戻ってどんくらい経つよ? 調べたところ、フォンテーヌの仕事が急に回り出したのは結構前だと思うが、あれもお前がやってたんだろ」
「だから、何」
「いや、だから……。こっちに戻ってきたなら、いの一番にアレン・ロベールに会いに行けよって言ってんの。お前も騙してたんだよ」
「どうして、家族よりも先にアレンに会いに行くの? どうせ、私の家の悪事を暴いたとかで騎士団のトップになったのでしょう。生憎、そんな人に会いに行くような趣味は持ち合わせていないの」
「あー、もう。お前は、昔から頑固だよな」
「嫌なら、王宮着いたら金輪際関わらなくて良いわ」
どうしてここまで頑なになっているのか、自分自身わからない。答えを持っていないから、こうやって身のない返事をするしかないの。そんな自分にイライラする。
私は、こんな小さい人間だったのかしら? 嫌だわ。何がしたいの?
ジェレミーは、アレンの代わりに王宮まで送ってくれている。けど、それが終わればまたどこかに姿を消すのでしょうね。
本当はアレンがこっちに来る予定だったのだけど、彼はイリヤとシャロンを連れて近くの診療所へ向かったの。シャロンだけじゃイリヤを運べないし、かといってジェレミーに託すのは危険すぎるでしょう。
イリヤは最後まで反対していたけど、私が「大丈夫」って言ったの。だって、この人……。
「そう言うとこがずっと好きだったよ。今だって、夢見てるみてぇで気持ちが追いついてない」
「……そんなストレートに言わないでよ。私の顔に傷作っておきながら」
「悪かったよ……。もし、完治しなけりゃあ俺がもらってやる。一応、伯爵の爵位持ってるから」
「嫌よ、犯罪者となんて」
「……はは」
こんな感じで、私にベタ惚れなんですもの。イリヤとシャロンが、それを見て引くくらいにね。変な趣味。
私だって、敵意と好意くらいの区別は付く。今、この人が私に向けているのは100%好意。悪いけど、サヴィ様の書類を間に合わせるために利用させてもらうわ。
本当はアレンが私を……というか、書類を届ける手筈になっていたらしいけど……。私が、彼と2人になるのが無理だったからジェレミーを選んだって感じ。でも、どうして無理だってなったのかわからないわ。頬を横切る風を感じながら考えるも、答えは出ない。
「まあ、お前が居るなら他はどうでも良い。今度は絶対に守るから」
「どうして、そこまで? あなた、確か婚約者が居たじゃないの」
「……この手で殺したよ。もう、この世に居ない」
「そ、そう……」
私に敵意はないけど……一緒に過ごすには怖すぎる相手だわ。ジェレミーは、自らの手で殺してでもなお、その人を恨んでいるらしい。声に、怒りが込められている。
それを聞いた私は、この人が指名手配中の殺人鬼であることを思い出す。
でも、今は怖くない。
むしろ、その背中が温かいとまで思ってしまう。というかこの人、本当に骨折してるの? さっきから抱きついてるのになんとも言ってこないし、嘘ついてない?
「ねえ、ジェレミ「ドミニク」」
「え?」
「ドミニクで良いよ。それとも、昔みたいに呼ぶか?」
「な!? ……もう、そんな歳じゃないわ」
「なんて呼んでいたか、覚えてるか?」
「……シャルルの兄様」
「ははは! ……本当に、アリスなんだな。本当に……本当に」
そう言って、ジェレミーは……ドミニクは肩を震わせた。
笑っているからじゃない。5家族を殺した血も涙もない殺人鬼が、泣いている。
この人は、なぜそこまでして私を覚えていてくれたのか。それに、あれほど礼儀正しかった彼が、ここまで堕ちた理由も気になる。
なのにここでもまた、思考が停止するの。5年前の記憶だから?
「……ドミニク、王宮までよろしくね」
「王宮までにするつもりねえよ。お前がこの世にいる限り、死んでも守ってやる」
「じゃあ、もう人を殺さないで。傷つけるのもダメ」
「わかった。もうしない」
「冗談半分で聞いておくわ」
「それでこそ、「アリスさん」だ」
それからドミニクは、馬を走らせながら「今の家族は優しいか」と聞いてきた。肯定すると「なら良い」と言って、それから王宮に着くまでの間は一言も話さなかったわ。何が聞きたかったのかしら?
本当、彼は今も昔も不思議な人ね。