逃亡者の影に潜むは
ダービー伯爵と伯爵夫人の尋問を終えた俺は、待機室で尋問の記録を作成していた。
2人は、別室にてそれぞれ20分の尋問を受け、今は牢屋にて騎士団の管理の元収容されている。牢屋の管理体制が気に食わない俺は、陛下とルフェーブル卿に許可をいただき、ヴィエンとその下に居る団員を3名ほど配置した。まだ安心できないが、居ないよりはずっとマシだろう。
尋問では、俺とヴィエンの他にルフェーブル卿と元老院が2名、王宮記録係1名、王族代表でシン様が集まった。クリステル様も入室予定だったが、どうやら別件で動いているらしい。直前に、入室拒否の連絡が来ていた。
本来ならば、第二騎士団団長であるラベルを入室させるべきなのだが、奴にはサレン様の警護を頼んである。故に、第一騎士団団長候補のヴィエンがついてきてくれたんだ。
「……はあ」
尋問は、問題なく終わった。……いや、問題がなさすぎて終わったというべきか。伯爵も伯爵夫人も、口裏を合わせたかのように同じ回答を繰り返しただけだった。単独犯、国を混乱させたかった、お金が欲しかった、と。
同時に解毒薬も作っていたらしく、毒が領民にまわった時点でそちらを医療施設に高額で売りつけるつもりだったらしい。しかし、その薬の作成に協力してくれていたモンテディオが火災になってしまい、薬が全て燃えてしまったとか。
一応話の筋は通っているものの、どこまで信じたら良いのかわからない俺は、特に質問をせずに尋問内容を聞くに徹した。それに、なぜか2人とも「質問をしてくれ」という雰囲気を隠そうともせず尋問に挑んできたんだ。普通なら、嫌がるだろう。
まだ、何かある。その尋問で、俺はそう感じた。
「はい、少々お待ちください」
ため息まじりに筆を走らせていると、コンコンと待機室の扉を叩く人が居る。声を出すと、すぐに扉を叩く音が消えた。ということは、緊急ではないってことか。
俺は、筆を立てて背伸びをしてから入り口の方へと向かった。
扉を開けると、そこには先ほど尋問室前で立っていたサルバトーレ・ダービーの付き人の姿が。俺に向かって、頭を深々と下げている。
「どうされましたか?」
「お仕事中に失礼いたします、サルバトーレ・ダービー様の付き人をしておりますクラリスと申します。替えのワイシャツをいただけたらと思い声をかけさせていただきました。アインスさんに、ロベール卿に聞いてみると良いと言われまして」
「アインスか! 良いですよ、団員の予備が複数枚ありますから。サイズはいくつですか?」
「Lサイズをお願いいたします」
「お部屋、暑いですか? 空調器具をお持ちしても良いですが」
クラリスと名乗った女性は、どこかクリステル様を連想させるような雰囲気を醸し出していた。見るだけで、忠実な仕事人だとわかる。
しかし、少し痩せ細ったように見えるのはやはり心労からか。環境が著しく変化し、身体がついていってないよう感じてしまう。
とはいえ、それを心配する立場にない俺は、できるだけ負担に感じさせないよう軽い口調で話しかけるしかない。ワイシャツの替えが欲しいということは、汗をかいたのだろうか。
俺が立ち上がると、制服を見たからかギョッとした表情になられた。ここで、初めて服に目が行ったらしい。でも、そんな偉い立場じゃないから普通にしていて欲しい。
「す、すみません。お忙しいところなのに……」
「大丈夫ですよ。部下が優秀なので、私は暇なんです。だからほら、私以外部屋にいないでしょう?」
「お気遣いありがとうございます。すみません、立場を存じ上げずに」
「はい、もう謝罪はなしですよ。これ、持っていってください」
「……ありがとうございます」
本来ならば、俺はまだ隊長になるような器ではない。それは、自分でもよくわかっているんだ。
あと少なくとも3年は、イリヤの下で色々学ぶ予定だった。引き継ぎも何もなしに、奴が強制除名されたあの日から2年。あれから、俺は成長しているのだろうか。
突然居なくなったイリヤの穴を埋めるため、規則から何からひっくり返して整え、自らの視野の狭さを実感して騎士団を2つに分けた。第一を戦闘要員に、第二を警護・護衛、その他王族や貴族、領民の要望にすぐ動けるよう配置して、俺はその監視役と書類整理に穴埋め要員。眠っている暇なんてない。
それでも、ふと立ち止まって考えると、イリヤならもっとスマートにやれたという思いは消えてくれない。
あいつは1人でなんでもできた。俺のように、シエラやラベル、ヴィエンといった支えがなくたってなんでも。まだ、学びたかったな。過去を振り返っても仕方ないのはわかっているものの、どうしてもそう考えてしまうよ。俺は、過去を振り返ってばかりの男だな。
「どうぞ、こちらです。空調の調整しましょうか?」
「いえ、大丈夫です。サルバトーレ様のお怪我が酷く、ワイシャツが血で染まってしまい着れないだけですので」
「なんと! 先週襲われた時の傷ですよね。どこかぶつけたのですか?」
「いえ……。元老院のあの背の高い方に押されて……」
「サラヴァン卿か……。申し訳ございません、こちらの不注意です。あれではベッドが硬いでしょう。今、別のものを運ばせます」
予備のYシャツを手渡すと、これまた礼儀正しい態度でお辞儀をして受け取るクラリス殿。完全に、萎縮している様子が、見ていてわかる。いや、そんなかしこまらないでほしい。きっと、年齢で言えば貴女の方が上な気がするし。……いや、女性の歳を勘繰るのは良くないか。
俺がそう提案すると、小さな声で感謝の言葉が返ってきた。やはり、クリステル様に似ている。
「では、一緒に行きましょうか。アインスにも会いたいので」
「あ、はい! お願いします」
「そろそろ、昼食の時間ですね。ダービー伯爵とご夫人、サルバトーレ殿にも配給されている頃かと思います。クラリス殿も何か召し上がりますか? と言っても、食堂のものでは味気ないかな?」
「いえ……。サルバトーレ様が召し上がって落ち着いたら考えます」
「わかりました。好みを教えていただければ、見繕ってお部屋に持っていくこともできますので」
「……」
「クラリス殿?」
部屋に鍵をかけて一緒に廊下へ出ると、クラリス殿が立ち止まった。
後ろを振り返ると、ワイシャツを握りしめて下を向く彼女が。表情が見えない分、何かしてしまったのかと気に揉んでしまう。
でも、そうではないらしい。
彼女は、小さな声でこう続けた。
「……旦那様と奥様は、本当に罪を犯されたのでしょうか」
「尋問内容をお教えすることはできませんが、ほぼ確定でしょう。犯人しか知り得ない情報を持っていましたから」
「そうですか。……お2人が。私たち使用人を気遣い、サルバトーレ様の養子に関する書類も用意していたあのお2人が、城下町の領民たちへ毒を流すように思えないのです」
「……クラリス殿」
「もちろん、黒い噂は存じ上げていました。怪しい訪問客もありましたし、突然お人が変わられたように激怒したり泣き出したりもここ近年頻繁に起きていて……。でも、根はお優しい方たちなのです。人を大量に殺すような、そんなお方では……」
きっと、クラリス殿は現実を受け止められていないのだろう。
先ほどから腹部を何度もさすっているところを見ると、彼女も襲撃された際の傷が癒えていないと見た。俺は、そんな彼女へひとつだけ、真実を伝えようと決意する。幸い、廊下には人っこ一人居ない。
「クラリス殿。その傷を作った襲撃事件に関してですが、犯人の1人が捕まりましてダービー伯爵の指示だったと漏らしました」
「……え?」
「頼まれたそうです。あの日、あの道を通る馬車の中の人を派手に傷つけてくれと。馬車の形、対象人物、全て貴女方と一致していますのでまず間違いないでしょう」
「……そうですか。それは、場所も指定されていたということですよね」
「はい。あの茂みの中で、と言われていたようです」
怒るだろうか。それとも、泣くだろうか。受け止めてくれるだろうか。
そう思ったが、俺の予想は全て外れた。彼女は、ホッとしたような表情になって再度腹部を優しくさすっている。
傷つけられてもなお、クラリス殿はダービー伯爵に縋り付くのか。それほど、雇用期間が長かった? そこまで調べていない俺には、その笑みに近い表情の意味がわからない。
「やはり、旦那様に人を殺すのは無理です。せいぜい、どこからか機密文書を盗み出し、それで小銭稼ぎするのが関の山です」
「なぜ、そう思うのですか?」
「……だって、あの茂みはフォンテーヌ家の周辺ですよ。カーブはありますが、一本道でお屋敷まで行けますし、あそこで悲鳴をあげれば少なくともお庭にいらっしゃる庭師の女性の耳には聞こえるでしょう。そんな場所で襲えなんて、意図があるとしか思えません」
「確かに、あの場所なら誰かしら気づくでしょうね。こちらで調べてみます」
「ありがとうございます。すみません、お仕事を増やしてしまって」
「もし、裏で誰かに操られているとすれば、それを炙り出す方が私の仕事ですから」
元老院は必要ないと言ったが、こういう話が聞けるから周囲への事情聴取も必要だと思う。
陛下には好きに動いて良いと許可をいただいているし、俺は俺で情報を集めてみようか。こういう時、シエラが側にいてくれればな……。いや、自分でやってみせる。とりあえず、ルフェーブル卿なら話を聞いてくれるだろう。昼時を過ぎたら一旦あっちにコンタクトを取ってみよう。
俺がそう口にすると、さらにホッとしたような表情になって、クラリス殿はやっと前を向かれて歩き出した。それによりそう形で、俺も歩き出す。
彼女にとって敵しかいない場所で、話を聞いてくれる人の存在が大きいのだろう。それが、手にとるようにわかった。もう少し、こちら側に余裕があればもっと話を聞けるのだが。不甲斐ないな。
「それに、サルバトーレ殿の養子の件ですが」
「何か不備が?」
「いえ、書類自体は承認されています。しかし、このまま裁判になれば少し薄いですね。先ほど尋問した際に、本人は拒否されると言っておりましたし。私も、養子の件は賛成しています。彼を説得させ、他に何か実績があれば裁判長側への心証も良いと思いますが……」
「説得は私の方でおこないます。ですが、実績とは何をさしていますか?」
「フォンテーヌのお家での実績です。仕事をしても良いですし、住んだ日数が1ヶ月を超えていても良いです」
「……住んだ日数は浅いです。お仕事も……私はしばらく医療室で寝込んでいて状況が不明です。本人に聞いてみます」
「では、その話も一緒に聞いてみましょう」
元老院のしたこととはいえ、こちら側の不手際でサルバトーレ殿に傷を負わせてしまうとは。後ほどルフェーブル卿に共有しておこう。これは許されない。先方も、怪我人だとわかっていたはずなのに。
騎士団の隊長としては、ダービー一家の処刑は確定だと思っている。状況が状況だ。今でも、意識不明の重体になっている患者が200は超えるとの話があるし、いつ死者が500を超えてもおかしくないだろう。
まあ、一個人としては、サルバトーレ殿の処刑は免れてほしいとは思うよ。御年20であられる彼は、元老院も認めるほど無関係だと証明されている。いくらでも関与できる年齢であるというのに。ということは、ダービー伯爵とご夫人がその事実を懸命に隠し通した証明でもあるじゃないか。
そう考えると、やはりこの事件にも裏があるようだ。サルバトーレ殿の部屋で用事を済ませたら、ルフェーブル卿の元へ行く前に少し調べてみよう。
しかし、その予定は変更することになりそうだった。
「アレン、緊急事態だ!」
「なんだ、ヴィエン」
廊下をゆっくりと歩いていると、後ろからものすごい勢いでヴィエンが走ってきた。その勢いに驚いた俺とクラリス殿は、同時に立ち止まる。
ヴィエンは、ダービー伯爵たちに付いていたはず。と言うことは、そっちでトラブルか。
クラリス殿に聞かれないようヴィエンの方へと歩み寄るも、それどことではないらしい。奴は、息を整える暇もなくこう言った。
「ダービー伯爵が逃亡した!」
「なんだと。状況は?」
「お2人同時に尋問室にて昼食をとっている最中、ご夫人が苦しみ出して……。そのまま倒れてそちらに全員がつきっきりになっている時に、ダービー伯爵が……申し訳ございません!」
「わかった。謝罪は後でだ。今は、ダービー伯爵を探そう」
「はっ!」
「ご夫人の体調はどうだ?」
「それが……そのまま息を」
その言葉に、後ろで聞いていたクラリスが息を飲む音が聞こえてくる。「そんな」と小さな声で呟くそれを、俺は申し訳なさでしっかりと聞き取れない。
容疑者が王宮内で殺されるだと? あって良いことではない。
何が起きたんだ? しかし、これだけははっきりと言える。
「ヴィエンは、食事を保存しておけ。毒が入っていた恐れがある」
「はっ! 今、ニコラとフランシスが現場を見張っていますので、伝えてきます」
「俺は、サルバトーレ殿に事情を話して、待機してもらいに行く。それから、王宮と宮殿を捜索しよう」
ここでも毒か。
入れられたのか、それとも自ら入れたのか。いや、身体検査はしているので、後者はない。
まさか、ダービー伯爵がなんらかの方法で夫人を殺して逃げた? なんて、クラリス殿の居る手前そんな話はできないな。
幸いアインスが来ているから、協力をあおいでみよう。
俺は、遠ざかるヴィエンの背中を見つつ、隣で倒れそうになるクラリス殿を支えながら彼女の主人の居る部屋を目指す。これ以上、犠牲者は出したくない。