下準備
「エメライン。男性貴族の欠陥紋章問題を解決できない現状では、オールストレームはエトレーゼに本格的に介入することはないと、陛下は明言してくれましたよ」
私はアリス様の言葉に安堵しました。そして、同時に気を引き締めねばと思ったのです。
父上、フレドリック様の命を助ける作戦において、オールストレームが協力していることを絶対に前に出してはいけません。父上はれっきとしたエトレーゼの国民です。その国民である父上に対して、エトレーゼ王朝の同意無しに、他国、オールストレームが干渉するのは完璧に国際法違反です。
いくら善意であろうと、法律に違反すれば、オールストレームに理は無くなります。エトレーゼは攻守逆転とばかりに、オールストレームを非難するでしょう。近隣諸国も、オールストレームに理がなければ、擁護したくても擁護できません。オールストレームは強国なので、無視は出来ます。出来ますが、国際社会における立場は確実に悪くなります。
まかり間違えば、オールストレームは国際法を守らない、無頼な国家であると、レッテルを張られてしまいます。
私は、オールストレームでは、アリス様をはじめ、色々な方に良くして貰っています。そのオールストレームに迷惑をかけることは出来ません。それ故、私はエトレーゼに魔術薬を持って帰ってきました。
私が、エトレーゼで何をしようと違法でない限り、エトレーゼ王朝は干渉できません。だって私はれっきとしたエトレーゼ国民。それも王女であり、次期女王であるのですから。
一昨日、父上にどうやって薬を届けるか、を皆で検討した時、最初は誰も意見を言おうとはしませんでした。言えないのは当然です。妥当な方法は一つしかないのです。私は言いました。
『私がエトレーゼに戻って、父上に飲ませます』
今のエトレーゼの王宮は、姉達、反女王派が支配しています。臣下から見放された母上は、もはや傀儡の女王に過ぎません。このような状況で、エトレーゼに薬を送ったとしても、父上に届く可能性は殆どないでしょう。握り潰されて終わりです。姉上達は、子作りが終わった後の男性貴族には、大した価値は認めてはいないのです。たとえ、それが自分達の父である可能性がある男性であったとしても。
「一人で戻られるのですか? それは少々危険ではありませんか?」
アリス様が心配して下さいました。
「大丈夫です。見かけ上、フレドリック様のお見舞いに戻るだけです。姉達もさすがに、難癖はつけられないでしょう」
「自らの母に、女王に背いた方達ですよ。妹である貴女などに遠慮するでしょうか? 必ず何か仕掛けてきますよ。それに貴女は一人で対応出来るのですか?」
私の楽観論に、ルーシャ先生が疑問を呈されました。この御方は聖女様ですが、優しいだけの方ではありません。人の持つ醜い部分を真っ直ぐに見つめられる方です。
「……」
私はルーシャ先生の問いかけに答えることが出来ませんでした。私は王宮で、王女として守られ、ワガママいっぱいに育った小娘です。そんな何の経験も無い私では、何かことが有った場合、ろくな対応は出来はしないでしょう。けれど、それでも! そう言おうと思った時、今まで、黙っておられたエルシミリア様が発言されました。
「一人で行かなければ良いではありませんか。アリス姉様について行ってもらえば良いのです」
「アリス様が付いて来て下されば、心強いのは確かです。でも、それではオールストレームが前面に出てしまいます。皆様に、オールストレームに迷惑がかかってしまうのです。それだけは嫌です、本当に嫌なのです」
「エルシー、私もついて行ってあげたいけれど、陛下はエトレーゼと事を構える気はないの。エメライン殿下を守る方法は別のを考えましょう」
アリス様が苦々しい表情で仰られました。そうです、アリス様が前面にでるのは絶対避けるべきです。
「考えなくて良いですよ、エメライン殿下が一人で帰ったように見えれば良いのでしょ。カインに助けてもらいましょうよ。アリス姉様がカインになれば、エトレーゼに悟られず、エメライン殿下についていけますよ」
「「 あー! その手が! 」」
アリス様とルーシャ先生が、これだ!と言う感じで納得されていますが、私には、何の話をしているのやら、さっぱりです。
「あのー、かいんって、かいんになるって、どういうことですか? 私には意味が……」
「これがカイン。私が生まれる時、神様から授けられたものです」
そう言って、不思議なメダルを見せてくれました。とんでもない精緻さで作られたメダルです、人の技で作れるものではありません。アリス様は神々から頂いたと仰いましたが、さもありなんです。
そして、アリス様はとんでもないことを仰いました。
「カインはね、人にもなれるのですよ。出て来て、カイン!」
アリス様はメダルを前方に投げられました。すると、何ということでしょう! 一瞬、閃光が走ったかと思うと、目の前に、変わった服を着た異国人の少女が現われました。投げられたメダルは何処にもありません。私は驚愕のあまり腰を抜かしてしまいました。
「初めまして、エメライン殿下。僕はカイン。よろしくね。アリスティアと仲良くしてくれてありがとう」
カインと名乗った少女は、そう言って、座り込んでしまった私に手を指し伸べてくれました。カイン様はアリス様のような超絶美少女ではありませんが、表情がクリクリ替わる愛らしい娘です。
「こ、こちらこそ、カイン様。よろしくお願いします。エメラインです」
何故でしょう。カイン様はアリス様とは似ても似つかないのに、アリス様と対した時のように、どぎまぎしてしまいます。
「カインはね、私の使い魔、分身みたいなもの。だから、私達は意識を入れ替えれるの」
アリス様がさらに、とんでもないことを仰いました。もう、私の常識がついていけません。頭が沸騰しそうです。
「ちょっとやってみるわね。カインお願い!」
「了解!]
その瞬間、アリス様とカイン様の雰囲気が、微妙に変わりました。なんとなく目つきが入れ替わったような……。
「もう、変わりましたよ。今、カインの体で喋ってるのは私、アリスティア。意識はアリスティアなの。ほんとよ」
「僕も変わってる。相変わらず、アリスティアの胸は小っちゃいね」
「こっちだって同じじゃない! 私の方がまだ可能性があるわ!」
自らの胸に手を当て、虚しい戦いを繰り広げるお二方。ほんとに入れ替わってるの? ほんとにそんなことが出来るの? 信じるべきか、信じないべきかと悩んでいる私に、エルシミリア様が言ってくれました。
「エメライン殿下。信じられない気持ちは分かりますが、ほんとうに入れ替わっているんです。保証しますよ」
エルシミリア様はとても穏やかな表情をされています。嘘を仰ってるとは到底思えません。私は信じることにしました。
「アリス姉様、メダル状態になってみて下さい。前に、なれたと言ってられましたよね」
エルシミリア様は、カイン様、黒髪の異国少女になったアリス様にそう告げました。
「わかったわ、ちょっと待ってね。えーとね、こうだったかな、あ、思い出した。こうだ!」
一瞬で、黒髪の異国少女は目の前から消えました。明らかに瞬間移動ではありません。術式の詠唱など何もありませんでした。
床の上には、先ほどまで何も無かったのに、メダルが転がっています。エルシミリア様は、そっと拾い上げると、愛しそうにメダルを数度撫で、私に手渡してくれました。
「大事に扱って下さいね。今、そのメダルの中に入ってるのは、アリスティアお姉様ですから」
私は受け取ったメダルをじっくり見ました。不思議なメダルですが、メダルはメダルに過ぎません。ほんとに、こんなものの中に、人の意識が入れるものなのでしょうか。
「心の中で話かけてみて下さい、そうすれば本当だと分かりますよ」
あまりに不思議なことばかりで、頭がついていけてませんが、なんとか頑張って、話かけてみました。
メダルさん、メダルさん、今、あなたは本当にアリス様なのですか? ほんとにアリス様?
『ほんとです、エメライン。金属の体ってへんな感じですよ』
心の中にアリス様の声が聞こえて来てました。他人の声が心の中に、直接に響くなど初めての経験です。その感覚のあまり奇妙さにびっくりしてしまった私は、あろうことか、アリス様の意識が入ったメダルを放り投げてしまいました。
「うわぁ! 頭の中で声が!」
アリス様の意識の入ったメダルは、運悪く開いていた窓から外へ。
『あ~れ~!』
「きゃあ、アリス姉様! いずこへー!」
アリス様とエルシミリア様の悲鳴が、私の内と外で虚しく響きました。
ここは南国。
冬にも関わらず、太陽がさんさんと大建築物に降りそそいでいます。その大建築物は、私にとって馴染みのもの、数カ月前まで暮らしていた我が家です。
『エメライン、これがエトレーゼの王宮なのですね。以前はいきなり、中に入ったのでわかりませんでしたが、素晴らしいです。積み重ねた歴史は伊達ではありませんね、風格がちがいます。立派なものです』
お褒めいただきありがとうございます。アリス様。
私は、今、王宮の正門前にある広場にいます。胸元に、アリス様の意識の入ったメダルをいれた子袋を、ポケットには魔術薬を忍ばせて立っています。ここへは瞬間移動でやって来ました。自分の瞬間移動でもなんとか来れる距離ですが、私が魔力を減らさないようにと、エルシミリア様が送ってくれました。
「何が起こるか分かりません、十分お気を付け下さい。エメライン殿下、アリス姉様」
そう言って、エルシミリア様はオールストレームへ戻られました。
『さあ、王宮へ行きましょう、エメライン。フレドリック様の命を救いましょう』
はい、アリス様。
これから父上の御命を救わなければならないのに、不謹慎ですが、私の心は幸福感でいっぱいです。今、お慕いしているアリス様の声は直接心の中に響いてきます。この感覚はなんと言ったら良いのでしょう。そう、二人の心の垣根が無くなって一体となったような、素晴らしき、至高の感覚です。何十年連れ添った夫婦でも得られないものです。心が蕩けてしまいそうになります。
しかし、幸せに惚けていてはいけません。気を引き締めましょう。いざ!
私は、正門の門衛たちのところへ向かいました。
「私は、エメライン・エトレーゼ。忘れましたか? 早く門を開けなさい」
「何故、姉上達に問い合わせるのです。彼女らは臣籍に降下しました。もはや、王族、王宮の主ではありません」
「もう一度いいます、これが最後です。開けなさい、私はエトレーゼの次期女王、命令に従いなさい」
「死にたいのですか? あなた方は」
門は漸く開きました。
『エメライン、どうやら難しくなりそうね。荒事はなんとしても避けたいのだけれど……』
アリス様の言葉に、私は返事が出来ませんでした。
先ほどまで、私の心を満たしていた幸福感は霧散していました。
アリスティアがお忍びをしたい時は、カインと入れ替われば良いです。でも、異人種、異国人ですので目立つことに変わりはありません。