王都よりの手紙
オルバリス伯爵領。
オールストレーム王国の最北部に位置し、伯爵領として一二を争う広さを有している。しかし、気候がかなり寒冷なため、王国で主食となっているバイツ麦が育たず、安価なランダ麦が主産物となっている。そのため、領土の広さの割に、経済的には恵まれているとは言えない。領都はタルモ。
そのタルモの東南の端に位置するは、オルバリス伯爵邸。外周、6エクター(約3キロメートル)の広大な庭園を有し、豪壮な四階建てのカントリーハウスが、現王朝創建以来続く伯爵家としての威厳をみせている。
その三階にある執務室、一人の男が深夜にも関わらず、進行表を前に頭を悩ませている。
「春播き用のスケジュールはこれで大丈夫だろうか……いや、これでは分家連中から反発を買うな、奴らの負担が多い。しかし、本家の負担を増やすのも辛い。近衛に行ったリーアムがおってくれたら、だいぶ楽なんだが…… いっそ、アリスティアとエルシミリアに術式を教えて手伝わすか? あの二人なら魔力量的に全く問題はない」
男はつけペンをペン立てに戻し、腕を組む。
「……いや、ダメだ。眷属の紋章も得ていない娘達に無茶はさせられん、特にアリスティア。もし、あの子の魔力が暴走したら大災害だ。私では抑えきれん」
その男の名は、ロバート・フォン・ゲインズブラント。
オルバリス伯爵家、第十二代当主。魔力量は「シルバー」の中位。
妻はエリザベート、子供は四人。
長男リーアム、長女アイラ、次女アリスティア、三女エルシミリア。
「まあ、我が家なんかいい方か、ブロンズやアイアンの連中なんて大変なんてもんじゃない」
うちの男爵様は、しょぼくてかなわん。隣の侯爵様とは大違いだ。我らは不幸だ、なんでこんな領地に生まれてしまったんだ……。
彼らの領の平民達のぼやきが容易に想像できる。しかし、他人ごとではない。領主一族の魔力量はそれなりにあっても、オルバリス伯爵領は気候が厳しいのだ。その分、収穫量は少ない。平民達が満足しているとは言えない。
この国において、麦の収穫が行われると税として四割が徴収される。しかし、徴税官が持って帰るのはそれだけではない。翌年用の種籾も一緒に徴収される。領主一族によって魔術改変される必要があるからだ。
改変された種籾は、「グランド・エフ」と呼ばれ、収穫量は、改変されていない種籾に比べ、領主の能力によるばらつきがあるが、平均約三倍になる。
しかし、グランド・エフの形質は遺伝しない。グランド・エフから収穫される籾は、普通の麦の籾である。だから、毎年毎年、種籾の魔術改変は行われ、領の農家へ配布される。
ロバートは時々考える。
どうして、神々はこういうことを為されるのであろう?
もし、最初からグランド・エフの形質が遺伝する麦があったとすれば、この世の貧困はかなり減少するだろうし、飢饉における数多の死者も少なくできる。伝承では、神々の一柱が「形質が遺伝する麦」を人に与えたとの話がある。しかし他の11柱の神々によって、それは葬られた。神々の間でも意見の対立や闘争があるのだろうか? あるとすれば、結局、神々も人と同じではないか。
いや、いや、これ以上神々に不敬なことを考えても仕方あるまい。その神々のおかげで、魔力のある貴族達は、男爵様だ、伯爵様だ、王族だ、などと威張って税を徴収できるのだ。文句を言ってはいけないどころか、毎日、感謝の祈りを捧げなくてはいけないほど、優遇されている。
しかし、平民達の身になって考えてみると、理不尽以外のなにものでもないと思ってしまう。
それでも、貴族には貴族なりの苦労もあるのだ。みんながみんな膨大な魔力を持っている訳ではない。伯爵として極平均的魔力量を持っているロバートにしても、種籾の魔術改変を(それも一族総出で)終える頃には、もはや、魔力量は底をつき、自分は出涸らしになったのではないかと思うくらいフラフラになる。
あー、後二年。二年すればアリスティアとエルシミリアが眷属の紋章を賜れる。あの子達が、魔術をきちんと使えるようになれば、オルバリスは豊かになる。初代以来の黄金期を迎えるだろう。
「なんとか、それまで持ちこたえねば………ん?」
他者の魔力の気配を感じた、その瞬間、一通の手紙がロバートの執務机の上に、淡い光ともに現出する。その手紙の上には「父上様へ」と流麗な文字が書かれている。
「リーアムか」
「王都から瞬間転送魔術とはあきれる、こんなことに魔力を使うくらいなら帰郷して手伝ってくれ……」
いや、これは緊急なのだ。すぐ、そう思いつかない自分はかなり疲れているようだ。急いで封をきる。中の文を取り出し内容を確認する。
「王宮が動きだしたか……思っていたよりも早い、くそ! こんな辛どい時期に!」
深夜に妻を叩き起こすのは忍びないが、早く知らせねばなるまい。扉を開け、静まりかえった暗い廊下を足早に妻の部屋へ向かう。
「アリスティア、エルシミリア……、お前たちを王族の権力闘争の駒にさせてなるものか!」
「グランド・エフ」は現実にあるF1種のスーパーバージョンとお考え下さい。