アリスの魔法
翌日、私は早く起きたつもりだったが、エメライン殿下は既に起きていた。
「おはようございます、エメライン殿下」
昨日、あのようなことがあったので、出来る限りの穏やかな笑顔で、朝の挨拶をした。返事してくれるかな。してくれたら良いんだけど。
「お、おはようございます、アリスティア様」
良し、返事してくれた! と喜びはしたが、声が蚊の鳴くような小さな声だった。体の調子でも悪いのだろうか? と心配し、エメライン殿下をよく見てみると、顔が妙に赤らんでいる。風邪をひかせてしまった?
今はマイス月、冬。部屋の温度は、備え付けの小型暖炉に、魔術で改変した持続性の高い薪を燃やし、十分配慮したつもりだったが、エトレーゼはオールストレームに比べ、かなり暖かい土地。殿下は、私達ほど寒さへの耐性が無いのかもしれない。
エメライン殿下の表情が妙に惚けて見える。これは、やはり風邪だろう、熱もあるに違いない。私は殿下の下へ駆け寄った。
なんてこと! 寮生活、二日目にして、ルームメイトの、それも一国の次期女王の体調を崩させてしまうなんて! 外交問題になったらどうしよう。
「殿下、ちょっと失礼します!」
「え、え、何ですの!? アリスティア様?」
エメライン殿下は私の突然の行動に、驚かれている。私は殿下の前髪を左手でかき上げ、そのまま彼女の頭を抑えた。そして、自分の前髪を右手であげ、露出したおでこを、エメライン殿下のおでこに押し当てた。
エメライン殿下の、ナイルグリーンの瞳がアップになった。奇麗な色してる。自分の瞳の色、薄菫色より、こっちの方が好きかも。殿下の鼻先が私の頬に当たっている。ちょっとくすぐったい。
「うーん、少し熱いような気もしますが、あっても微熱ですね」
私はエメライン殿下から体を離した。そして、安堵のあまり彼女の手をとってしまう。体が大柄なだけあって、手も大きい。長い指が奇麗。ピアニストに向いている手だね。私の手は小さめ、遠くの鍵盤が届かない。羨ましい。
「これなら、普通の風邪薬で十分ですね。回復魔術を使っても良いのですが、何故か風邪って、魔術が効きにくいんですよね。普通に治したほうが……」
と、言いながら、視線を上げてみると、エメライン殿下の顔が真っ赤、今にも湯気を吹きそう。そして、パタン! 殿下は意識を失って、後ろの寝台に倒れこんだ。
ウソでしょ! 微熱しかなかったのに、何で倒れるのよー!
あの程度の熱で倒れてたら、日常生活できないじゃない! エメライン殿下、虚弱過ぎる! 引き籠ってた頃のコーデだってもっと体力有ったわよ! もやしっ娘、極まれり!!
狼狽した私は、安易に最終手段に飛びついた。オルバリス伯爵家王都別邸へ瞬間移動で跳び、ルーシャお姉様を叩き起こした。そして、寝ぼけ眼のお姉様を連れて寮へと戻って来た。
「アリス、この娘、エメライン殿下はどこも悪くない。風邪もひいてない。貴女、何か殿下に変なことしたの?」
ルーシャお姉様の目が私を非難している。よくお眠りのところ、叩き起こしたのは申し訳なかったし、寝言でリーアム兄上の名を呼んでいたのを聞いてしまったのも悪かったと思っている。しかし、しかしだ。
「お姉様、冤罪は止めて下さい。私は何もしてません。何もしてないのに、エメライン殿下が勝手に倒れたんです。私は悪くありません。信じて下さい、本当です」
「皆、そう言うわ」
おい、聖女ともあろう御方が、人間性悪説に立ってどうするんです! もっと人を信じましょうよ。私は良い子よ、ほんと良い子。ルーシャお姉様とリーアムお兄様が付き合ってるのも、知ってるけど黙ってて上げてるよ。エルシーやコーデだったら、大喜びで、ふれまわって囃し立ててる。ね、出来た妹でしょ。信じないでどうするの。
「まあ、良いわ。推定無罪にしておきましょう」
推定じゃないの! ほんとに無罪なの! 無罪!
「ううっ」
あ、エメライン殿下の意識が戻ったみたい。殿下が上半身を起き上がらせた。
「あれ、私は、今まで何を……」
ルーシャお姉様が、殿下に近づいた。ちょうど、私と殿下の間にはいるようになり、私は殿下から死角になった。
「気がつかれたのですね。エメライン殿下」
「貴女は……」
「私は、ルーシャ・フォン・ゲインズブラント。アリスティアの姉です。回復魔術を得意としております。アリスが、殿下がいきなり倒れられたと、泣きついて来たので見に来ました。でも、殿下は、どこも悪くありません。ご心配なさらないで下さいませ」
「御迷惑をおかけして申し訳ありません。私はエメライン エトレーゼ。以後、お見知りおき下さい。アリスティア様の姉上でいらしゃるのですね。姉妹揃ってお美しい。羨ましいかぎりです」
「お褒め頂きありがとうございます。殿下もお美しいですよ、成人されたら、さぞ華やかな美女になられることでしょう」
「お上手でございますね。私は、このような大柄な体は好きではありません。アリスティア様のような華奢で可憐な娘に生まれとうございました」
人は無いモノねだりをするもの、私はエメライン殿下の立派なお胸が羨ましい。私のもさすがに、少しは膨らんできたが、期待していたほどではなかった。がっかりである。まあ、エルシーも、コーデも私同様、ダメダメであるのが幸いだ。どちらか一人でも、ペッタンの呪いから抜け出したりしたら、湧き上がる嫉妬心は如何ばかりであろう。
「エメライン殿下、本当にようございました。心配しましたよ」
いつまでも、ルーシャお姉様の後ろにいるのも何なので、蔭から出てエメライン殿下に声をかけた。
「あ、アリスティア様」
途端に、殿下のお顔が、赤みを増す。何故に?
それにしても、エメライン殿下は私がいることに気がついていなかったようだ。いくら、お姉様の後ろにいたとは言え、気がつかない? とも思うが、まあ、ルーシャお姉様は、絶世の美女、見惚れていて、まわりに注意がいかなかったのであろう。
「お恥ずかしいところをお見せしてしまい、申し訳ありません。なんとお詫びして良いやら」
エメライン殿下が、謝って来る。窄めた肩がほんとに申し訳なさそう。
あれ? エメライン殿下って、普通に良い娘じゃね? 昨日の侍女を罵倒していたのは、何だったの? もしかして多重人格? まさかね。まあ、良いや。悪い方向に変わられるのならともかく、良い方向にかわったのなら、何の問題もなし。ホッとした。私の学院生活に希望が見えて来たよ。やったね!
「気にしないで下さいませ。そんなことよりエメライン殿下、お腹空いてられません?」
私はお盆を見た。フードが外され、皿とカップが空であるので、殿下は食べられたようだが、あれくらいの量で、育ち盛りの私達のお腹が持つ訳がない。
「もう、食堂は開いています。一緒に朝食を摂りにいきませんか。一階で、妹のエルシーも誘います。殿下に紹介したいですし」
「はい、喜んで。お供いたします」
エメライン殿下は、笑顔で了解してくれた。良かった、昨日の件があるので険悪になったらどうしようと悩んでいたのは杞憂だった。ただ、ちょっと気になった。
「お供します」って何? エメライン殿下は王女、それも次の女王になる皇太子。それに比べ、私は伯爵家の子女。どう考えても、お供するのは私でしょう。変なの。まあ、良いや。細かいことばかり気にしていてもしようがない。
この後、ルーシャお姉様にお礼を言って、私達は食堂へ向かった。途中で、エルシミリアの部屋に寄り、エルシーも合流したのだけれど、エメライン殿下のエルシーに対する態度も、とても丁寧で好感が持てるものだった。エルシーが、こっそりと聞いて来た。
「アリス姉様、エメライン姫にどんな魔法をおかけになったのですか?」
「さあ、こっちが教えて欲しいくらい。私にも訳が分からないの」
この後、私達は部屋に戻り、服装を整え、入学式に向かった。
入学式は無事に終了した。トラブル何も無し、なんて晴れやかな気持ち、平穏が一番。
「アリスティア様。今日の新入生代表挨拶、とても素敵でした。あのように堂々とした立派な挨拶を聞いたのは初めてです。皆と同様、私も見惚れ、聞き惚れていました」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
エメライン殿下が、こちらが、こっぱずかしくなるくらい褒めてくれる。ノルバートの奇跡の時、私は、陛下と共に何万もの群衆の前に立った、その経験の御蔭で、舞台度胸だけはついたけれど、私の挨拶はそんなに上手いものではない、半分お世辞だろう。
「エメライン殿下の留学生代表挨拶も良かったですよ。外国の学院に来てそうそう、あれだけの挨拶はなかなか出来るものではありません。素晴らしいです」
「あれは、アリスティア様が見て下さってるのに、恥ずかしい真似はできないと思い、必死に頑張った結果です」
そう言って、エメライン殿下は、少し恥じらうような笑みを浮かべられた。その笑みはとても初々しい、可愛らしい笑みだった。
エメライン殿下は、大柄で男顔なため、どうしても男性的な雰囲気で捉えられてしまう。でも、本質は、あの寝室を見ればわかるように、とっても乙女。私なんかよりずっと……。
「アリスティア様」
「はい、エメライン殿下。何でしょう」
「この部屋にいる時だけで、二人だけの時で良いのです、私のことは、エメラインと、殿下なしでお呼びいただけませんか」
「一国の王女であるお方を、呼び捨てにするのはさすがに」
「ここにいる時だけでも、王女であることを忘れたいのです。お願いです」
私にもオルバリス伯爵家令嬢として、それなりの立場がある。しかし、エメライン殿下に比べれば、はるかに自由、気楽なもの。だから、殿下だって学院の三年間くらい楽しく過ごしても良いだろう、いや、過ごしてもらいたい。
「わかりました。では私のことも、アリスとお呼び下さいませ」
「アリス、アリス様」
「『様』は要りませんよ」
「嫌です。絶対外しません。アリス様はアリス様です」
ああ、こういう会話、昔したな。懐かしい。
エルシーも頑なに『様』無しは嫌がったっけ。私は外してくれる方が、気楽で良いのに。まあ、いいか。
「わかりました。それで良いですよ。エメライン」
「ありがとうございます。アリス様!」
エメライン殿下はとっても嬉しそうだ。殿下の思考はよくわからない。そんなに嬉しがることだろうか?
その日の晩。夢をみた。
夢の中で、何故か私は、新妻をもらったばかりのサラリーマンだった。
「ただいま、エメライン」
「おかえりなさい、あなた。今日はお早いお帰りね」
「ああ、君の顔を早く見たくて、早く切り上げたんだ。課長がえらく怒ってたよ」
「まあ、上司の恨みを買ってはダメですよ。ほんとに、あなたって人は」
と言いつつ、エメラインはとっても嬉しそう。
「アリス様。ご飯にする? 先にお風呂にする? それとも……」
ア・タ・シ?
覚えているのはここまで、何でこんな夢を見た?
訳が分からない。
アリスに寄って来るのは女性ばかり。前世合わせると彼氏いない歴28年。