エメライン姫
「あら、足が滑ってしまいましたわ。ごめんあそばせ」
自分で言いながら、どんな滑り方やねんと思わざる終えない。ダメだなー、もう少し自制心を鍛えねば。まあ、やってしまったことは仕方がない。このまま行こう。
眼の前にいるのは、エメライン姫、床に倒れ伏した侍女、そして、もう一人の侍女。こちらの侍女の声は全く聞こえて来なかった。とばっちりを避けるために、黙っていたのだろうが、同僚が窮地なのだから、少しくらい姫にとりなしをしてあげても…… って無理か。この侍女も懸命に自らを守っているのであろう、責めることはできない。エメライン姫、見るからに気が強そうだもんなー。
琥珀色の豪華な旅行着を着た、エメライン姫は、美しい少女だった。でも、体は大柄、可愛い系ではない。整った顔は、きりっとした感じの男顔、少女の頃より大人になってからの方が映える容姿だ。身近なところで言うと、オリアーナ大叔母様系統。この世界に、宝塚音楽学校があれば、是非、入学を勧めたい。
突然、乱入して来た私に驚いて、一時停止していたエメライン姫であるが、ようやく我を取り戻して、私をなじって来た。
「何なのあなたは! 足で扉を蹴り開けるなんて、無作法にもほどがあるわ! 失礼千万……」
最初は怒り心頭だったエメライン姫だが、なんだか尻すぼみに。何故?
「なんてお美しくて、なんて可憐な。この世に、このようなお方が……」
姫の侍女が呟くが聞こえた。ああ、そういうことね。エメライン姫も私に見惚れてくれた訳ね。同性まで落とせるこの容姿。野乃の頃の自分に少し分けてあげたい。今の十分の一の魅力の容姿でも、クラス一、学校一の美少女になれただろう。私の人生、容姿格差が酷過ぎる。もう少しバランスを考えて欲しい。
私は、満面の笑みを浮かべて、エメライン姫に挨拶をする。
「お初にお目にかかります。私は、オルバリス伯爵家が三女、アリスティア・フォン・ゲインズブラント。エメライン殿下とは、これから三年間同室、ルームメイトでございます。どうぞ、良しなに」
私の言葉を聞くと、エメライン姫は、キッとした表情になった。
「同室、ルームメイトって何よ、ここは私の部屋よ。何を勘違いしているのか、知らないけれど早く出て行って!」
「はて、ここは二人部屋ですよ。寝台も机も、二つあるではございませんか。勘違いなされているのは殿下の方でございます」
陛下め。ちゃんと伝えておいてよー、面倒くさい。いや、わざと伝えなかったか。この姫なら、最初から、二人部屋だよ、なんて言ったら、絶対拒否するだろうしね。今回は、私に丸投げか。陛下も良い性格してるわね。取り消した呪い、再度かけようかしら。
まあ、陛下への文句は置くとして、姫の反論を聞くのが面倒くさい。早くことを進めよう。
「そんなことより、エメライン殿下は大変お困りのご様子。これはお助けせねばと、馳せ参じたのです。殿下のお悩み、私が見事解決して見せましょう」
馳せ参じる者は、普通、扉を蹴り開けたりはしない。適当だな~と我ながら思う。
「解決? ハハハハハ、伯爵家の三女ごときに何ができるって言うの。身の程を知りなさいよ」
「身の程を知っておりますので、言っているのでございます。では、今直ぐ証明して見せましょう、殿下のお気に入りの枕を取ってまいります。ただ、私はエトレーゼへ行ったことがありません。殿下、お手伝い下さいませ」
エメライン姫の顔に嘲りが浮かぶ。
「はあ? 何で私が手伝わなきゃならないの。えらそうに大言を吐いて、『手伝って下さいませ』。恥ずかしいたらありゃしない。大体、あなた伯爵家なんでしょ、良くてもシルバーの上位。そんな貧相な魔力量で、エトレーゼまで、取りに行ける訳がないじゃない。バッカじゃないの!」
そのシルバーの侍女に、エトレーゼまで取りに行って来いって命令していたのは誰だ? お前だろ、お前。
「これだから、オールストレームのよう成り上がりの国は駄目なのよ。歴史が無いとこれほどまでに、浅はかに……」
エメライン姫の、私への罵倒は、いつの間にか、オールストレームへの罵倒になっている。ああ、もう聞いていられない。これでもそれなりの愛国者なの、早く終わらそう。
私は滔々と悪口をまくし立てている、エメライン姫の足を払った。当然、エメライン姫の体は、傾き、床に倒れて行く。姫には、一瞬のことで何が起こったか分からないであろう。さすがに、一国の王女を床に打ちつける訳には行かないので、足を払う直前に掴んだ肩口を引き寄せ、エメライン姫を抱きとめた。そして、姫を抱いたまま、私は立ち上がった。呆然としているエメライン姫は、完璧なお姫様抱っこ状態。
私が屈強な騎士で、エメライン姫が華奢な姫だったら、たいそう絵になったことだろうが、現実は、華奢な令嬢が、大柄な姫を抱き上げてる訳で、何とも言えない変な絵面である。(私は、結構力がある。大叔母様の訓練の賜物)
「放して下さい、放して下さいまし!」
ようやく、自分の状態を理解した、エメライン姫が訴えてくる。ん? 何だか、さっきまでと姫の感じが違うような。まあ良い、今は枕を取りに行くのが先決。それに集中。
「殿下、跳びますよ。自分の寝室をイメージして下さい」
「え、え、私の寝室?」
私達は跳んだ。
瞬間移動は、知っている場所ならば、かなりの精度で思った所に跳ぶことが出来る。でも知らない場所に跳ぼうとすると、必ず誤差が出る。何エクターも離れたところに出てしまうことなども珍しくない。それ故、私は、目的地(姫の寝室)を知っているエメライン姫を抱いて跳んだ。姫の思考に沿うように瞬間移動の術式を組んで跳んだのだ。この方法はオリアーナ大叔母様に教わった。ゴールドの上位になり、瞬間移動を常用できるようになった大叔母様は、嬉しくなって色々と研究したそうだ。そして、この方法を発見した。やっぱり、大叔母様は天才だね。尊敬します。
私とエメライン姫の瞬間移動、空間跳躍は見事成功した。
「ここが、エメライン殿下の……」
別に、とんでもない部屋だった訳ではない。女の子らしいというか、女の子らし過ぎるというか。
前世的に言うと、ファンシーショップみたいな部屋。
エメライン姫の寝室は、縫いぐるみだの、お人形だの、ピンクのシーツだの、花柄のカーテンだの、小動物のデザインで飾られた小物だの、ありとあらゆる可愛いもので満ち溢れていた。
えーと、なんて言えば良いのだろう。エメライン姫が五六歳の子供なら、微笑ましいのだが、今年で十三、貴族学院に入学する年の娘にしてはね。ちょっとね。
はっきり言って、大柄で、りりしい男顔のエメライン姫からは、全く思い浮かばない部屋、不似合いな部屋。不躾で、相手のことを考えないような者なら、大笑いしてしまうだろう。
エメライン姫は、部屋に着いてから、黙ったまま。うつむき加減なので前髪で目元が隠れ、表情がまったく見えない。
「枕を取ってきます」
エメライン姫は寝台に行き、大きな枕を取り、胸に抱えて戻って来た。そして、私の横に立ち尽くす。
いたたまれない。別に謝る必要はないのだが、いや、そうでもないか。いくら彼女の侍女に対する理不尽な態度に、腹を立てたとはいえ、他人の寝室に押し入ったのは行き過ぎだ。素直に謝ろうかとも、思ったが、止めておいた。ここで謝ると、エメライン姫をさらに傷つけてしまうだろう。
「戻りましょう」
私は、そう言って、彼女の肩を抱いた。
寮の部屋に戻ると、エメライン姫は、一言も喋らず、すぐに枕とともに寝台へ行き、シーツを頭まで被って、大きな大福餅になってしまった。
姫の侍女達は、オロオロするばかり。私もコレット達に何があったのか尋ねられたが、「別に何も……」としか言いようがなかった。実際、たいしたことは何もなかった。ただ、エメライン姫の寝室が、少女趣味、スーパー少女趣味だっただけ。
エメライン姫はその日、寝台から降りて来ることはなかった。晩の食事でさえ取らなかった。
「殿下、サンドイッチとミルクです。ここに置いておきますので、お食べ下さい。何も召し上がらないのは、お体に障りますよ」
私は姫の寝台のサイドボードに、埃が被らないようにフードを掛けたお盆を置いた。
こうして、私の貴族学院の寮における初日が終わった。
なんとも、もやもやする一日。
明日から、見た目と違って、心が超乙女なエメライン姫とどうやって付き合っていこう。
私だって可愛いものは大好き、その手の話を姫に振ってみようかな? うーん、今の感じでは、多分ダメだろう。気を遣っているのがバレバレで、余計に心を閉ざしてしまうに違いない。
ほんとどうしよう。何も良い案が浮かんで来ない。
もういい、寝よう。
明日は入学式、新入生代表の挨拶もしなければならない。夜更かしなどはもっての外。
エメライン姫とのことは、なりゆきに任せよう。
私は左隣りを見た。姫は相変わらず、大福もちのまま。
「私ももう寝ます、エメライン殿下。お休みなさいませ、」
姫からの返事はない、私は寝台に潜り込んだ。
大福餅が二つになった。
エメラインには、過酷な日でした。立ち直ってもらいたいものです。