新しきウォルシュ
20.04.27 サブタイトル変更しました。
アリスティア様とコレット様は、瞬間移動でこちらに来られました。
オルバリス伯爵領は、ウィーデン伯爵領に隣接しておりますので、馬車で来られるのかな? とも思っていましたが、瞬間移動でした。私のようなブロンズ下位の者には、到底無理な高等魔術ですが、アリスティア様にとっては児戯のようなものでしょう。お忙しい方でしょうから、まあ当然のことですね。
我が、ウォルシュ準男爵家始まって以来のVIPの来訪ですので、最初に、お父様とお母様が挨拶されました。そして、その後に、ジョナスお兄様と私です。
「アリスティア様、コレット様。お初にお目にかかります。ウォルシュ家、次男ジョナスです。こちらが、妹、三女、マーゴットです」
私はカーテシーをします。貴族流の正式な挨拶を長々するのは、申し訳ないと思い、ジョナスお兄様に一括してもらうことにしました。
初めて間直に見る、アリスティア様は、想像を絶する美少女でした。この世に、これほどまでに美しく、可憐な女性がいるなんて、神々も罪作りなものです。コレット様のお手紙で、何度もアリスティア様への賛辞を読んでおりましたが、納得がいきました。女性である私でも、もしアリスティア様に愛でも囁かれたとしたら、どんな殿方でも捨てて、彼女のもとへ走ってしまいそうです。それなのに、ジョナスお兄様は、一度も閊えることもなく、挨拶を終えられました。尊敬の念さえ湧きました。私だったら、絶対無理です。
挨拶の後で、よく、スムーズに挨拶できたものですねと、お兄様に聞いてみました。
答えは「観客はカボチャ畑と思え」の応用。
お兄様も、アリスティア様を初めて見た瞬間、「ダメだ、これは絶対、しどろもどろになる!」と、焦り、アリスティア様への挨拶の間、ずっと、相手は生身の人じゃない、絵画だ! 彫刻なのだ! と、自分に言い聞かせて、なんとか乗り切ったそうです。
良い方法かもしれません。いくら、美しかろうが、麗しかろうが、彫刻だと思えれば、緊張なんてしません。
思えればです…… ジョナスお兄様、やはり、あなたは凄いです、私には無理。目の前にいる、アリスティア様は、朗らかによく笑われ、生気に満ち溢れています。このような方を、どのようにしたら、彫刻などと思えるのでしょうか。
アリスティア様とコレット様へのおもてなしは、ウィーデン伯爵からお借りした品で、なんとかなりました。お茶もお菓子も、お二方から、お褒めの言葉をいただきました。伯爵様、貴方様のおかげで、我が家の体面は守られました。ありがとうございます。
お茶のおもてなしが終わった後、アリスティア様が、我が家への訪問の目的を、今日の本題を告げて下さいました。
「ジョナス様、マーゴット様。お二人には、私が計画している文化事業に、ご参加いただきたいと思っているのです」
「文化事業ですか、どのようなものであれ、私と妹には、参加できる能力があるとは思えませんが」
同感です。でも、ジョナスお兄様はまだマシです。油絵、絵画が描けます。私が描けるのはペン画のみ、落書き同然のものです。
「そんなことはありません。お二人の描かれる絵は、大変素晴らしいです。私は、今まで、見て来た絵の中で、一番感動致しました」
アリスティア様からとんでもないお言葉が出ました。コレット様からも
「そうです、私も、手紙に添えて下さる絵には、いつも感心していたのです。それで、これは、絵がお好きなアリスティア様に、是非お見せせねばとなったのです」
「アリスティア様、コレット様。勿体無いお言葉です、ありがとうございます」
「ありがとうございます」
お兄様と私は、頭を下げました。横目で、お兄様の顔を見ました。やはり、かなり嬉しかったのでしょう。顔が紅潮しております。私達の描く絵は、下手とは言われませんが、少々独特なので、褒められることはあまりありませんでした。その分、喜びもひとしおです。
「お二人に参加してもらいたい、文化事業とは、こういうものです。下手で申し訳ないですが、私が見本を作りました」
そう言って、アリスティア様は、大きな紙封筒の中から、数枚の紙を取り出そうとされています。
「アリスティア様が、自ら見本をお作りになられたのですか?」
驚いた私は、つい、尋ねてしまいました。文化事業における、大貴族の役割は、殆どパトロンに限られます。事業の実務に関わることなど、滅多にあることではありません。なんて多才な方なのでしょう。
「ええ、今、この世界には無いものですからね。私自身で作るしかないのです。どうぞ、ご覧下さい」
アリスティア様は私達に、見本を手渡されました。
「「 ! 」」
私も、ジョナスお兄様も、驚きのあまり、息を飲んでしまいました。何なのでしょう、これは?
紙に四角い枠がいくつも並んでいます。その四角い枠の中に、私達の描くペン画よりさらに簡略化された、人の顔や、上半身像、全体像が描かれ、一部の四角い枠には、状況を示すための背景が描きこまれています。
そして、ここが一番、奇妙な点なのですが、枠の中の人物画の横に、袋のようなものが描き込まれ、その中に、言葉、文章が書き込まれています。たぶん、これは、枠の中の人物画の人が喋っていることを示しているのでしょう。こんな手法初めてみました。
「マーゴ、左から、右へ読んで、端に至れば、下の段の左に行き、また右へ、そうやって読んで行ってみろ。人物画の人達の会話が進んでいく。物語が紡がれてゆくぞ!」
ジョナスお兄様の言う通りに読んでみました。全くその通りです。絵の中の人達が会話をしています。物語を読んでいて、没入した時の感覚が、そのまま紙の上で再現されています。この感覚を、どう言ったら良いのでしょう。そう、
紙の上で、人が生きているのです。もちろん絵なので命をもっている訳ではないのですが、そう思えてしまうのです。
これには、アリスティア様の描かれた絵が、手慣れたものであるのも、大きく影響しているでしょう。ご自分で、下手だと申されていましたが、とんでもありません。そして、アリスティア様の絵は、とても斬新です。私とお兄様の絵も独特と言われますが、彼女の絵に比べれば、なんてことはありません。アリスティア様の絵は、可愛さを追求していった究極系のように思えます。この主人公(?)の女の子など、なんて大きな目をしているのでしょう。
「アリスティア様。このようなものは今まで、見たことも聞いたこともありません。絵本が近いかもしれませんが、根本的に別物。何なのです、これは!」
お兄様の声は興奮で、少々震えている上、言葉遣いが粗くなっています。申し訳ございません。私達は気持ちが高ぶっているのです、お許し下さいませ。
「これは、マンガというものです」
「まんが……」
やはり、聞いたことがありません。さきほど、アリスティア様が、この世界には無いものだから、自ら作ったと仰ってられてました。ですから、多分、「まんが」というのは造語、アリスティア様が名付けたものなのでしょう。
「マンガは、物語を語る、見せるための手法です。文字だけの小説、絵に文章が添えられた絵本とも違う、第三の手法なのです。私は、この第三の手法である、マンガを、このオールストレーム王国で文化事業、娯楽産業として、広めて行きたいのです」
この王国でって、話が大きくなってきました。アリスティア様の声も熱を帯びて来ており、頬が少し紅潮されています。
「陛下が福音を得て以来、王朝は安定を取り戻しました。それに伴い、陛下は色々な改革をなされております。これから、オールストレームは豊かになっていくことでしょう。王国民の、衣食住が満たされてゆくのです。とても喜ばしいことです。では、衣食住が満たされれば、次に欲されるものは何でしょうか?」
お兄様は考え込んでいるし、アリスティア様が私の方を、じっと見て来られるので、何か答えなければならないと思いました。
「娯楽でございましょうか?」
「正解です。娯楽です。人生の目的は何でしょう? 究極的には、幸せになること。この一点に尽きるでしょう。しかし、楽しいことばかりある人生など、ありえません。辛く、悲しいことの方が遥かに多いのが、人の人生です」
アリスティア様は現在、十二歳。しかし、この方は本当に十二歳なのでしょうか? 私が十二の頃、何を考えていたでしょう。もっと落書きする紙が欲しいだとか、まともなパンケーキが食べたいなどとしか考えていませんでした。人生の目的とは何ぞや? など、頭の片隅にもありませんでした。
「娯楽は、幸せになるための道具の一つです。悲しみを癒し、明日を生きる力を人々に与えてくれる大切なものなのです。マンガはその娯楽になれます。そして、娯楽としての将来性は、果てしなく有望だと信じます。はっきり言いましょう。文字ばかりの本より、ずっと間口は広いのです。文字を読むのがおぼつかない人達でも、容易についてこれます。娯楽の恩恵にあずかれるのです」
「『まんが』の有用性と、アリスティア様の『まんが』に関する熱意は、よくわかりました。では、私とマーゴットに、何を求められているのでしょうか? そして、それに私達が応えられると、お思いなのですか?」
もうお兄様にも、アリスティア様が私達に何を求めているかなど、分かっているでしょう。でも、やはり、口にしてもらいたいのです
あなた達が、必要なんだと。
「私が、ジョナス様とマーゴット様に求めるのは。マンガの制作者、つまりマンガ家になってもらいたいのです。マンガは絵画とは違います。別のセンスがいるのです。私の知っている画家の中に、そのセンスをもっている方は、おられませんでした。しかし、お二人は違います。コレットから絵を見せて貰った瞬間に、わかりました。あなた達なら、大丈夫です。保証します」
「お褒め頂き、恐縮の限りです」
ジョナスお兄様がこちらを見て来たので、私は力強く頷きました。
「私もマーゴットも、アリスティア様に協力させて頂きます。ただ、絵はなんとか描けるにしても、『まんが』の作り方、ノウハウが私達にはありません。これはどういたしましょう?」
「まずはお礼を。ありがとうございます。ジョナス様、マーゴット様」
アリスティア様は深々と頭を下げられました。あまりに深かったので、頭がテーブルにつくのでは思ってしまいました。自分が間違っていれば、家臣にも頭をさげるというのはどうやら本当のようです。高位貴族が、下位の貴族に頭を下げるなど、滅多にありませんし、あったとしても。少し傾ける程度。このように深々したものなど有り得ません。
「ノウハウに関しては心配しないで下さい。マンガの各種技法は、私がきちんと、お教えしますし、作っていただいた作品の推敲には、私も加わります」
私達はとても驚きました。アリスティア様は、数か月後に貴族学院の入学を控えています、それでなくても、お忙しいでしょうに。
「技法を伝授してくれる上、推敲にまで携わって頂けるのですか?」
「ええ、お二人が自力だけで、作品が完成させられるようになるまでバックアップ致します」
アリスティア様はにこやかに笑って、そう仰られました。
私とお兄様は、お互いの顔を見合わせました。凄いことになってしまいました。今日の、ご訪問で、何らかの繋がりが、できれば良いのになーとは思っていましたが、何らかどころか、共同作業をするまでの関係が成立してしまいました。これはもはや、寄子、寄親の関係並みと言って良いと思います。
「そうそう、報酬関連の話がまだでしたね。原稿料は後で相談するとして、ジョナス様は次男、マーゴット様は三女ということは、家をお継ぎにならないのでしょう」
はて? 何故、今、我が家の相続の話など出て来るのでしょう。お兄様が答えられました。
「はい、ウォルシュ家は、長兄が継ぎます」
「でしたら、お二人とも、オルバリスに移られ、もう一つのウォルシュ家を作られてはいかがですか? こちらと同じ準男爵位と、それに見合う所領も用意します。どうでしょう」
「そ、それは私とマーゴットが、ゲインズブラント家の寄子となるということでしょうか」
ジョナスお兄様の声が、喜びで震えています。
「はい、そうなりますね。新しいウォルシュ家は私の寄子です」
私達が、アリスティア様の寄子……
人生が変わった。変わってしまいました。
ジョナスお兄様も、私も、このままではろくな人生が待ち構えていないことが、目に見えていたのです。展望が一気に開けました。私は、嬉しさのあまり、叫んでしまいます。
「コレット様!」
アリスティア様の隣に、座っていたコレット様は、いきなり私に名前を呼ばれて驚いています。でも、そんなことは気にせず、私はコレット様に抱き着きました。さらにびっくりするコレット様。そして、それを見て、笑いだす、アリスティア様とジョナスお兄様。
「ありがとう、ありがとうございます!」
「あなたと友達になれて、なってくれて、ほんと良かった」
「ありがとうがございます! コレット様!」
人生を覆っていた灰色は一気に消え去りました。
私は、今日と言う、この日を、絶対忘れません。
私とお兄様に、二人の天使が舞い降りた、この輝かしき日を。
今のアリスティアは陛下からの信任を受けているので、かなりの力があります。準男爵家くらいなら作れるのです。