昔取った杵柄
私はマンガの知識を、それなりに持っている。
知識とは言っても、沢山の作品を読んだ、集めていたとかではない。マンガの描き方(作画方法)、話の展開のさせ方、編集者との共同作業である、作品の練りこみの仕方、そういう知識を持っている。
それらは、前世の母親、万理恵 母さんから教えてもらった。母さんは、若い頃、短期間だがマンガ家だった。絵を描く速度、筆が、遅かったため途中で止めたそうだが、ノウハウはばっちり溜め込んでいた。
マンガ家は、子供にとっては、今も昔も憧れの職業。新人作家の原稿料の安さ、一ページ描きあげるのにかかる時間、労力などを知ると、一気に夢も覚めるだろうが、人気なのは事実。私もマンガは大好きだったので、親が一時でも成れたのであれば、自分にも才能があるかも! と、短絡した。
元々、絵を描くのは好きだったから、それなりに描けた。母さんから、マンガ制作の基本を一通り教わった後、初制作にガリガリと取り組み、二カ月かけて、二十四ページの作品を一本描き上げた。
はっきり言うと、それなりの才能はあった。母さんが私の描いた作品を見て、言ってくれた。
「話も絵も、ちゃんと形になっているわ。これなら、最終選考くらいなら残るわよ」
実際、新人賞に応募してみると、ほんとに最終選考まで残った。賞はもらえなかったけれど、出版社の編集者から電話も貰った。しかし、
『やった! このまま、マンガ家を目指そう!』
などとはならなかった。私は母さんの才能を受け継いでいた。けれど、受け継がなくても良いものまで受け継いでしまった。
遅筆。
母さんに尋ねた。
「いっぱい描けば、筆って早くなるものなの?」
「少しはね。でも、早い人は最初から早いわよ。私がアシ(アシスタント)してた先生も速筆だったけど、最初から早かったと言ってたわ」
私はマンガ家をすっぱり断念した。どう考えても、私より根性がある母さんが続けられなかったのだ、私には無理、あきらめよう。読むほうで楽しもう、その方が良い、才能のある人は沢山いる。その人達に任せよう。任せればいいんだ……と。
これは、今でも苦い記憶として、私の中に残っている。マンガ家になれなかったのが、苦い訳ではない。大した努力もせず、投げ出したことが、苦く、情けない。投げ出すにしても、あまりにも早過ぎ、あの程度で投げ出していては、何物にもなれない。
私は今、転生して伯爵令嬢、アリスティアとして生きている。そして、その地位に伴う責任を、きちんと果たしたいと思っている。だから、マンガ家になりたいなどとは、露にも思ってはいない。それに、もしなりたいと思ったとしても、この世界にはマンガなど、一冊たりとも存在しない。そのような世界では、なりようがない。
今の私には、オルバリス伯爵家の一員として、やらなければならないことが山積みになっている。普段の勉学(学問、教養、ダンス、マナー etc)は勿論、、数か月後に迫った、王都貴族学院への入学(高位貴族の義務)の準備、そして、領主一族としての賦役。
魔術が使えるようになったので、いろいろなところへ、駆り出されることが多くなった。今、駆り出されているのは、領内の街道整備。意外にも、土木魔術に才を発揮し始めた、エルシミリアと共に、道を舗装しまくっている。
舗装とはいっても、アスファルトなどを使うものではない。道の下に、砕石を厚く敷き詰めることによって、水捌けを良くし、ぬかるまない道を作るローマ式舗装。原始的な舗装だが、これが、されていると、されていないでは大違い、馬車など、同じ時間で走れる距離が倍増する。つまり、流通が著しく良くなり、経済発展に付与する効果は計り知れないものがある。
アレグザンター陛下も、コーデリアから得た、プラチナ中位という膨大な魔力でもって、王都周辺の街道を整備しまくっている。陛下、あまりご無理なされませぬように。魔力と体力は別物ですよ。ご自愛下さいませ。
「はあ、疲れました」
道路整備終え、屋敷に帰って来た私は、ガタンと椅子に腰を降ろした。
今日は6エクター(約3キロメートル)の舗装を完成させた。魔力的には楽勝なのだが、土を掘る深さ、敷き詰める砕石のサイズの調整、砕石の上にのせる土の改質、出来た路面の圧縮強度 等、魔術的に気を配らねばならぬことが山のようにあり、脳が悲鳴を上げていた。今日は、もう頭を使いたくない。
「アリスティア様。お疲れさまでした、冷たいレモネードをお持ちしました」
「ありがとう、ナンシー。気が利くわね」
ナンシーはニコッと笑うと一礼して、部屋から出て行った。今日はカンカン照りの夏日、そして、私の疲れた脳は糖分を欲している。冷たく甘いレモネードは、今の私にとって、最高の飲み物。ほんと優秀だな、ナンシーさん、いや、ナンシー。
今日はもう休む。勉強なんて絶対しない。本でも読んで過ごそう。私は積んであった本の山から、一冊取り上げて、開いた。
ダメだ、目が文字の上を滑るだけで、全然頭に入って来ない。すぐに本を閉じた。
あー、マンガが読みたい。なんで、この世界にはマンガが無いの?
文字情報ばかりの本は、脳が疲れている時には、少々辛い。文字から、言葉から想像しなければならないので、脳を結構使うのだ。その点、マンガは視覚情報が、最初から提供されているので楽だ。疲れている時でも読み進める。そして、好みの絵柄だったりすると最高だ。
読みたい、読みたい、読みたい、読みた~~~い!
と、頭の中で、駄々っ子を演じていると、コレットの声がした。
「コレットです。アリスティア様、ちょっと宜しいでしょうか」
コレットの要件は、絵を見て欲しいとの、ことだった。
「私は、マーゴット様という準男爵家のご令嬢と文通をしているのですが、彼女は、いつも手紙に絵を添えてくれるのです。その絵は、マーゴット様が描かれたものであったり、彼女の兄、ジョナス様のものであったりするのですが、お二人の絵、少し変わった画風なのですが、どちらとも大変素晴らしいのです」
どれどれ、中一にして新人賞の最終選考に残った私、孵らなかった(腐った)マンガ家の卵である私が、見て進ぜよう~。
「こ、これは!」
上手い! 上手過ぎる! 上手いと言っても、写真のように細密に描けてるとかではない。線が整理され、すっきりとしているのに、物の特徴をきちんと捉えている。つまりデザイン的な処理が抜群になされている。この人物画など、マンガ編集部に、こういうキャラで行きたいのですがと、持ち込んでも大丈夫なレベル。
この世界の絵画は、前世の知識を持つ私からみれば、まだまだだ。写実に拘っている限り、発展は望めそうにないと常々思っていた。しかし、新たなる才能は、どこにでも芽吹くもの。時代は進み出している。
「コレット、この絵の主、マーゴット様とジョナス様に紹介していただけませんか。即刻お会いしたいのです」
「は、はい。紹介などは簡単でございますが、そんなに、お二人の絵は素晴らしいのですか?」
「素晴らしい、とても素晴らしい。こんな才能、放っておくことなど出来ません。すぐ、囲い込みます。コレットも協力して下さいね」
「は、はい! わかりました!」
コレットはとても嬉しそう。自分の友達が、絶賛されているのだ。嬉しくない訳がない。
コレット、ありがとう! あなたが、絵を見るセンスがあって良かった。マーゴット様と友達になってくれて良かった!
さあ、どうやって、マーゴットとジョナスに「マンガ」を理解してもらおう。やはり、数枚くらいのものでも良いから、実物を見せるのが一番だろう。私は、紙とペンを取り出した。
まずは、ネタを考え、絵コンテをきらなければね。
十数年ぶりのマンガ制作。
腕が鳴りますわ。
この世界の印刷とかどうなってるんでしょう? 印刷機があるのか、それとも、魔術で?
本が沢山あるようですから、何らかの方法はあるのでしょう。