ルーシャの帰郷
ルーシャです。
本日、アリスティア達はオルバリスに向けて、馬車で出発しました。私は、王都でしなければならないことがあるため、五日程こちらに残ることなりました。
しなければならないこと、それは病人、怪我人の治療です。
私が、ゲインズブラント家の養女になって二月たちます。当然ですが、その間に王都ノルバートでは、多くの病人や怪我人が出ています。回復魔術の術者を雇える者は、良いのです。でも、貧乏で雇えない者、術者を雇えても、その術者では手に負えない重篤な者。その者達を、私は救わねばなりません。それが、聖女の役目です、義務なのです。
今日は王都にある、最大の救民院に出向くことになっています。先ほど受けた連絡によると、千名に近い、病人、怪我人が集まっているようです。多いです、昔の私なら、裸足で逃げ出したことでしょう。しかし、今の私は、昔とは違います。コーデリアから魔力槽の譲渡を受け、プラチナの下位という、夢のような位階になっています。魔力の枯渇など、まったく心配することがありません。嬉しい、ほんと嬉しい。
天にいらっしゃられるお母様。見ていて下さいませ。私は、これから癒して、癒して癒しまくります。聖女、改め、スーパー聖女です。
この名称は、コーデリアとアリスティアに大笑いされました。
『スーパー聖女って、スーパー銭湯、みたいでカッコ悪いです。ルー姉様』
『普通に、聖女でいいではありませんか、ルーシャお姉様』
そうでしょうか? 私はカッコ良いと思うのですが、妹二人が反対するのです。口外は止めておきましょう。私の心の中だけの名称に致します。
しかし、「スーパーせんとう」 とは何ぞや? 訳のわからない言葉を使う妹が、また一人出来ました。アリスティアとコーデリア、この二人は似てるように思えます。外見とか、表層的な性格とかではなく、魂の奥底のレベルで。似ているように思えるのです。気のせいでしょうか?
救民院へ向かわねばならぬ時刻まで、まだかなりの時間があります。久々に、実家に戻ってみることにします。王都に戻って来ているのです。一度くらい顔を出しておかないと……。
ベネディクトお父様は、私を王子の妃にするため、アリスティアとエルシミリアに暗殺者を送った犯罪者です。しかし、私もお父様と同じようなものです。普段、あまりにもアリスティア達と、仲良く姉妹しているので、つい忘れがちになりますが、かつて、私自身もアリスティアの魔力欲しさに、彼女に禁術を使おうとしたのです。
それなのに、私は、お父様を放っていました。自分がお父様と同じ、犯罪者であることを思い出すのが辛かったのです。
「お父様、お久しぶりです。お元気にしておられましたか」
「ルーシャ、お前も元気そうで何よりだ。先日のあれ、見たよ。陛下とお前たちは、とんでもないところ、神々に関われるところまで行ってしまっているのだな。凄いよ、凄かったよ」
私はちょっと驚きました。己の欲を追い求めるばかりの、俗物だったお父様から、このような素直な賛辞が、出て来るとは夢にも思っていなかったのです。
「自分の娘が、神々に認められ、尊き者になっていくのは、本来、誇りに思わなければならないことだろう。だが、私は寂しいよ。私のような凡人には、もうお前達と関わってゆく術がない。もし、何か出来ることがあったら言ってくれ。私には思いつかないよ」
「お父様……」
ベネディクトお父様からは、俗物臭がなくなっていました。そして、それと同時に、覇気も無くなっています。この様子では、もう悪いことは考えないでしょう。これは良いことだと思いたかったです。
でも、思えませんでした。心の中で「俗物」と馬鹿にしていた私ではありましたが、背中をまるめ、しょぼくれてしまっているお父様の姿を見るのは、やはり、辛いし、寂しいものです。
ゲインズブラント家はお父様を、許してはいません。利用価値を認め、罪の贖いを保留してくれているだけです。
私はもう、メイチェスター家の者ではなく、ゲインズブラント家の一員です。形式上は、ベネディクトお父様を助ける義理はないのです。でも、それで簡単に割り切るような者は「聖女」どころか、「人」としての資格もないでしょう。
私は、聖女も、人も、辞めたくはありません。
「お父様、この後、私は救民院に行って、病人達の治療を行うのですが、一緒に来られませんか?」
お父様は、私の急な申し出に驚かれました。でも、ゆっくりと首を振られました。
「私が行っても、出来ることは何もない。邪魔になるだけだ。遠慮するよ」
「手伝って欲しいとか、そういうのではないのです。お父様に私の治療を見て貰いたい。ただの私の自己顕示欲なのです。来て下さいませ」
「自己顕示欲か、聖女にもあるものなのか…… わかった。同行しよう」
お父様は、少し笑っていました。久々に見たお父様の笑顔です。こういう笑い方も出来たのですね。私は、お父様を俗物と蔑んでおりましたので、お父様の表情など、気にもしませんでした。
良く考えると、お母様が流行り病にかかった時、お父様は必死で回復術者を探して来てくれました。私欲のために、殺人まで犯そうしたお父様ですが、人の情が無い訳でないのです。私はそういう部分を、今まで無視して来ました。お母様を失くした悲しみや、平凡な自分への嫌悪と憐憫にかまけているだけの、自己中心的な人間でした。
ベネディクトお父様のことを悪く言えるような、人間ではありません。
お父様、私も同類です。私も手伝います、一緒に罪を償っていきましょう。そうすれば、いつか、苦笑や乾いた笑いではなく、素直な、心からの笑いが出せる時が来ます。きっと来ます。私はそう信じます。
救民院に着きました。
千人近くの病人は、迫力があります。オルバリスのロートンで治療した時は、三百人くらいでした。あの数でも、腰がひけたのですが、その三倍以上です。お父様が、病人のあまりの多さに、私に問いかけて来ました。
「ルーシャ、いくらなんでもこの数は無理だろう。どうするんだ? 日を分けてするのか?」
「いえ、体を動かすのさえ大変な病人達に集まって貰っているのです。そんなことは出来ません。一気に、一気に行きます。回復魔術の全体掛けです」
「回復魔術の全体掛け…… そんな神人のレベルの魔術が出来るのか?」
「出来るのです。もう私は、ただの聖女ではございません、スーパー聖女なのです!」
あー、心の中に留めておこうと思ったのに言ってしまいました。まあ、いいでしょう。皆さん、「スーパー聖女」ってカッコ良いと思いません? アリスティア達の感覚がおかしいのですよ、きっと。
回復魔術の全体掛けは見事成功しました。
千人近くを一回で治療する大魔術でした。かなり疲労するかと思ったのですが、ロートンでの治療の時の四分の一ほどの疲れしかありません。プラチナという位階は、本当に凄いです。コーデリアには何度感謝してもしきれません。
病気や怪我から回復した人達が、お礼にやって来ました。私は慣れていますので、いつも通りに、にこやかに対応していましたところ、ふと、横を見ると、ベネディクトお父様のところへも、大勢の元病人、元怪我人が詰めかけています。
「枢機卿様、ありがとうございます! もう治らないとあきらめていたのです。それがこんなに!」
「息子が、息子の目が見えるようになりました。何たる奇跡でしょう、ありがとうございます! ありがとうございます!」
「母を、母を直して頂いて、母は老人に金を使うなと、回復術者に決してかかろうとはしなかったのです。うう」
お父様は困惑しておられます。
「皆、何を勘違いしておる。私が治したのではない。ルーシャが、聖女が神々の助けを得て、そなた達を癒したのだ。感謝すべきは私にではない」
「何をおっしゃられるのですか、枢機卿様! あなた様がおられなかったら、聖女様はこの世に存在されておられません。私達は、枢機卿様に如何に感謝してもしきれないのです!」
「ほんとそうです、枢機卿様だからこそ、神々は、このような素晴らしき聖女様をお与えになったのです。それを、自分は何もしていないなどとは、御謙遜がすぎます」
「ありがとうございます、枢機卿様!」
沢山の人が、次々とお父様の手を握って感謝を表しています。
「そうか、そうかのう……」
あたふたと対応している、お父様の顔は、泣き笑いに。
私は、お父様の涙を初めて見ました。
驚きました。お父様は泣かない人だと思っていました。
お父様は、お母様が亡くなった時は、泣いたでしょうか?
きっと、泣いたに違いありません。お父様は、未だ独り身です。
親不孝者……
私に、お似合いの言葉です。
私は、人を思いやれない愚かな娘。
情けない。
オルバリスに戻れませんでした。枢機卿は奥さんが死ななければ、あんな事はしなかったと思います。かと言って許されることではありませんが。