エルシミリアの溜息
ベルノルトお祖父様から、国王、アレグザンター陛下のオルバリス訪問が伝えられると、ゲインズブラント邸は、てんやわんやになった。
オルバリスは、オールストレーム最北部に有る為、王都からはかなり遠い。それゆえ、国王の訪問など滅多にあることではなかった。前回の訪問などは、十三年前、遠い昔だ。その十三年の間に、ゲインズブラント邸の使用人の半分近くは入れ替わっている。そして、入れ替わっていない使用人達も、前回の訪問は忘却の彼方。
つまり、国王の訪問、滞在時における、応接のノウハウが、ゲインズブラント邸では失われていると言っても過言ではない。
家宰ローレンツと家政婦長が、必死で前回の資料を調べた。そして、その資料と記憶を頼りに、使用人達を再教育しつつ、館、カントリーハウスの整備に奔走してくれている。国王をがっかりさせるような応接、館では、オルバリス伯爵家の面子がたたない。
使用人達には、今回の訪問が無事済めば、何かしらの労いをしなければならないのは明らか。それほど、大変な苦労をかけている。
どんな、労いが良いでしょう? 今度、お父様やお母様と相談いたしましょう。などと考えつつ、私、エルシミリアは教本をぼーっと眺めていた。
今、私達、三姉妹がいるのは、館の図書室。
室の中央に置かれた、丸い読書机で、三人揃ってマナーを再勉強中。基本は押さえているが、やはり陛下を迎えるのだ、細部まできちんとしておきたい。
しかし、いい加減、飽きて来た。わたしはぼやいた。
「マナーって、どうしてこんなに事細かいのでしょう。ほんと厭になりますね」
「仕方ありませんわ。そう言うものだと思って頑張りましょう」
「そうね、アリスティアの言う通りだわ。長い物には巻かれろ、形式を壊すより従った方が楽ですね」
「ふふふ」「おほほ」
二人とも、余裕の様子。
陛下の訪問を、プレッシャーに感じているのは、わたしだけのようだ。小心な自分が恥ずかしい、二人を見習って、がんばろう!
でも、よく考えると、二人が余裕なのは当たり前。
アリスティアお姉様も、ルーシャお姉様も、神々と対峙するお方達。言葉は悪いが、今さら、国王陛下くらいで、緊張などしよう筈もない。わたしのような凡人とは次元が違う所で奮闘される方達なのだ。
お姉様達は、わたしに見えないものを見て、わたしに聞こえないものを聞いている。そう思うと、とっても寂しい。わたしを一人、置いて行かないで! と叫びたくなる。でも、叫んでも何にもならない。わたしは自分にやれることをやろう。
「マナーは、まあ何とかなるとして、ダンスの方は大丈夫ですか? ルーシャお姉様、アリス姉様」
「あら、何を言っているの? 私達はまだ子供ですよ。ダンスなど誘われる訳ないではありませんか」
アリスティアお姉様は一笑に付した。
「そうですよ。今回のご訪問に、同年代はおられません。私達が踊ることなんてありませんよ」
ルーシャお姉様も、御同様。
「ふふふ」「おほほ」
超絶美少女、二人が微笑みあっている。麗し過ぎて、天界にいるかのよう。
「同年代、いますよ。十三歳の第三王子が、御同行されるそうです」
「「え、ええー! 何ですってー!」」
二人の余裕が一気に消し飛んだ。
「今日、連絡があったのです。第三王子の、たっての希望らしいです」
「ルーシャお姉様、ステップ、ステップは大丈夫ですか!」
「大丈夫な訳無いわよ! 全然ダメよ!」
「どうして、ルーシャお姉様は王都育ちでしょ。舞踏会なんか毎晩開かれてる筈でしょ! 踊りまくりでしょ!」
「それは王都への偏見! それに踊りまくりって、あなた。私がやってたのは、病人の治療よ!明けても暮れても病人の治療、治療、治療馬鹿だったのよ! ダンスなんて、忘却の彼方!」
「あー、役に立たないお姉様ですね。失望しました」
「ちょ、失望って何よ。アリスだって、その様子じゃ全然ダメなんでしょ。他人のこと言えないわ!」
「言えますー、私は踊れますー、ただ、実際の経験がないだけですー」
「そういうのが一番ダメなのよ、本番でガチガチになって足を踏みまくり、あー、第三王子の顔が苦痛に歪むのが見えます。これだから、田舎令嬢は~って」
「あ、田舎を馬鹿にされましたね。都会万歳!とか最低ですよ。田舎があるから都会があるのです。もし田舎が無かったら、都会は都会にはなれません。ただの集落です、集落!」
「それは、屁理屈です。屁理屈!」
「これはちゃんとした理屈ですー! へーも、ほーも付いてません!」
「アリスが、こんな意地っ張りだと思いませんでしたわ!」
「ルーシャ姉様こそ!」
「「 フン!! 」」
面白いものを見てしまった。なんて低レベルな争い。
神々の恩寵を受けた方達とは到底思えない。安心した。心のレベルは同じ場所にいる……
このままでいて下さい。わたしを一人にしないで。お願いです。
「お二人とも何を焦っているのですか? 普通に踊れば良いだけですよね」
「普通って、相手は王子よ、王子。王子様よ」
「それが、どうかしましたか? 大人の陛下とならともかく、十三歳の王子は体格がちょうど良いから踊りやすいですよ」
「「体格……」」
「はい、それ以外何か問題がありますか?」
「凄いわ、エルシミリア。私と双子とは思えない」
「ほんと。この落ち着き、真の淑女レベルだわ」
二人のわたしを見る目が、尊敬に輝いている。変なお姉様方だ、わたしは大したことは言っていない。普通のことを言ってるだけ。
「エルシミリアお姉様!」
へ? アリス姉様、今、何て……。
「そ、そうよねアリスティア。もうそう呼ぶしかないわ、エルシミリアは私達とは違う次元にいるわ」
「ほんとです。私達より遥かなる高みにいます!」
二人は意気投合した。歴戦を共に戦いぬいた戦友のような眼差しを交わしている。
おかしい、この二人はちょっとおかしい。
「「 エルシミリアお姉様!」」
や、やめて! 勝手に昇格させないで! こんな変な妹達、欲しくない!!
二人は、わたしにひれ伏した。
「「神よ、どうか、迷える仔羊の我らを救いたまえー!」」
さらに、神に昇格した。溜息しかでない。
エルシミリアは【可愛い】妹や弟は、欲しいと思っております。アリスティアやルーシャのような、人外に踏み出した者達は、妹としては対象外。