穏やかな日々
ルーシャです。
ルーシャ・フォン・メイチェスター、改め、
ルーシャ・フォン・ゲインズブラント、です。
今、私はサンルームにいます。アリスティアとエルシミリアも一緒です。
私としましては、二人を呼び捨てにするのは、申し訳ない気がするのですが、二人が『もう私達のお姉様になられたのですから、様付けはおかしいです。お気を付けください!』と強く念押しされましたので、従っている次第です。
しかし、人の人生とは分からないものです。
ちょっと前まで、魔術で牙を生やし、
「ワクワクする~~~!」とか、頭がいっちゃってた私が、新しくできた、二人の麗しい妹と一緒に、春の日差しを楽しみながら、刺繍をしているのです。
刺繍! なんて淑女らしい趣味ではありませんか。
淑女と言えば、刺繍。刺繍と言えば、淑女。そう言っても過言ではありません。
バックステッチ、アウトラインステッチ、サテンステッチ。
チマ チマ チマ チマ チマ チマ チマ
チマ チマ チマ チマ チマ チマ チマ
チマ 、あっ、また失敗、またずれた。
神々は私に、数々の恩寵を下さいましたが、刺繍の才能は下さらなかったようです。しかし、これは良いことです。何でも神々から頂いてばかりだと、人は努力しなくなります。神々に頼らず、自力で上手になりたいです。努力も才能の一つです。
「アリスティアはとってもお上手ね。どうしたらそのように、出来るのですか?」
「ほんとです。アリス姉様は何でも上手くこなされますね。双子なのに、わたしとの、この差は何なのでしょう」
確かに、エルシミリアは私同様、下手で、何回もやり直しています。とても利発な娘なのですが、意外と手先が不器用です。先日も、三人そろって絵を、静物画を描いていたところ。
アリスティアがエルシミリアに言いました。
「うーん、エルシーは頭の中で、全く立体が捉えられていないようですね。『画伯』の称号を差し上げましょう。ふふふ」
残酷です、残酷過ぎます、アリスティア。
あんなに慕っている姉から、無慈悲な言葉をもらったエルシミリアは、涙目になって、私に抱き着いてきました。
「酷いです、酷過ぎます! もう、アリス姉様なんて嫌いです! 今日からはルーシャお姉様に乗り換えます! わーん!」
「エルシミリア、可哀そうに。何でもできるアリスティアには、人の心が分からないのですよ。残酷ですね。天才は放っておいて、凡才の私達は、別のところで、もっと簡単なモノを描きましょう。この題材は難しい過ぎます」
「はい、ルーシャお姉様。アリス姉様は一人で、超凄い作品を描いてて下さいまし!」
「ちょ、ちょっと待って!!」
姉妹に加わって、まだ七日ほど、アリスティアからエルシミリアを奪取することに成功しました。というか、アリスティアが、自爆したのです。完璧超人に見えていた、アリスティアも一緒に暮らしてみると、案外隙があります。というか隙だらけです。せっかくの機会なので、お姉さんぶりましょう。
「アリスティア、今のはダメですよ。もし、あなたが音痴だったとして、お前は何故、音程もわからないんだ? 汚歌姫と呼んでやろう、などと揶揄されたらどう思います? 悲しいでしょう」
「音痴! 汚歌姫!」 ガーン!
アリスティアはかなりショックを受けたようです。そこまで消沈しなくてもと思うくらい、消沈してしまいました。怒っていたエルシミリアが、びっくりして逆に慰めにまわったほどに。
アリスティアは何故に、あれほど消沈したのでしょう? 彼女が歌うのを先日聞きましたが、とても上手でした。音程などは完璧。はてさて。
「今日は、これくらいにしておきませんか。降臨祭までには、まだ日にちは十分ありますから」
アリスティアの言葉で、私達の刺繍会は終了となった。
降臨祭というのは、ピーター月にある、神々が降臨されたことを祝う祭り。その祭りの日には、日々、頑張ってくれている使用人達に感謝を込めて、主人の方から、何かしらプレゼントを贈る習慣がある。
私達、三姉妹からは、三姉妹からは、三姉妹からは、重要なことなので三回言いました。
ハンカチーフを贈ろうという話になった。でも、ただのハンカチーフでは、味気ないので、三人で全てのハンカチーフに、クローバーの小さな刺繍をいれることにした。三つの葉っぱを、三人で一つずつ受け持つ。だから、どのハンカチーフのクローバーも、三姉妹全員の手が入っていることになる。
この案は素晴らしいと思う。もし、三人個別に刺繍すると、アリスティアやエルシミリアの刺繍に当たった者は良いが、新参の、それもあんなことをしようとした私、ルーシャの刺繍に当たった者は可哀そうだ。
三人で一葉ずつ受け持ちませんか?と、提案してくれた、エルシミリアには感謝している。自分だったらここ迄、気を廻せるとは到底思えない。
アリスティア、エルシミリア、どちらも大好きだ。義理とはいえ、二人と姉妹になれた幸運に感謝しよう。
ほんと、人の人生とは分からないものなのである。
アリスティアが午後の予定を尋ねて来た。
「今日はどこに向かわれるのですか?」
「西にあるロートンという町です。結構大きな町と聞きました」
「ロートンですか。あの町は確かに大きいです。その分、病人も多いでしょうね。大変でしょうが、頑張って来て下さいね。ルーシャお姉様」
「ええ、頑張ってまいります。バンバン癒してきますよー」
私は、胸の高さまで上げた、両手をグッと拳にして、微笑んだ。
ロートンに着いた。確かに大きな町だった。
人口は三千人以上と聞いていたから、病人が多いだろうとは思っていた。しかし、これは多過ぎる。町の広場に集まった病人は、三百人くらいはいる。
何故、こんなにいるの! この町では、疫病でも流行っているの!
と、叫びたくなったが、原因は簡単なものだった。本来は、私、癒しの聖女が、治療に向かうので、重病人を集めておくように、という通達が、誤って、重が抜けて、病人を集めておくようにと伝えられたのだ。だから、重病人以外にも、風邪から、軽い捻挫、水虫等、ありとあらゆる病人、怪我人が集まって来たのだ。
どうしよう……。
みんな、「聖女」である私に、期待している。一番前に座ってる子供達など、目をキラキラさせて期待しまくっている。重病人以外は治療しない、他は帰ってちょうだい、とはとても言えない。
仕方がない、あれを試そう。
以前は絶対無理だとわかっていたので、思考の外においていた。でも、魔力容量が激増した今なら、出来るかもしれない。いや、出来る、きっと出来る、出来なきゃおかしい、
私は、やれば出来る子なんだ!
高速術式は使わない。丁寧に、丁寧に、術式を展開し、確立してゆく、それを何回も、何回も繰り返す。天に神々の力を感じる、これまで、感じていたものとは桁違い、二柱の神々が本気で協力してくれている。
神々よ、我は御身らの敬虔なる僕。
我に癒しの、大いなる神々の慈悲の力を与えたまえ。
我は、癒しの聖女、神々より命ぜられし者、神々に成り代わりて、そなたらを癒す。
神々の慈愛は無限。天に、陸に、海に、あらゆる世界を包み込む。
神々を讃えよ! 神々にひれ伏せ!
病よ、良く聞け。 神々はそなたらを罰しはしない。
心せよ、神々が、癒やされるのは人ではない、
そなた達、病、そのものだ。
再生せよ、清浄なる元の姿に戻るのだ!
膨大な神力が、天から降ってくる。ゆっくりとゆっくりと降りて来る。そして、町の広場全体を包み込む。暖かい、心地良い、体全体から緊張が抜けてゆく。まるで、母の子宮に戻ったかのようだ。
そう、これは子宮、神々の作られた子宮。私達を守り、私達を育て、私達に、新たなる人生を与える。
数刻の間、私達はまどろんだ。
パン! 軽い破裂音ともに、一瞬で、神力で作られた子宮は消え去った。
呆然と立ちすくむ私達だけが残された。
そして、
広場にいた全員から、病も怪我も全て消え去っていた。跡形もなかった。
私が試したのは、回復魔術の、全体掛け……
やった、出来た、出来たよ。
しかも、今までの回復魔術とは、明らかに、次元が違う。
これなら、これなら、もっともっと沢山の人を救える。嬉しい、涙が出る。
帰路の馬車の中で、一緒に来てくれていたメイドのナンシーが話しかけて来た。
「ルーシャお嬢様。お見事でございました。感動いたしました。今日のことは、ご家族の皆様に、詳しく私から報告させて頂きます」
「報告って、恥ずかしいから止めて下さい、私が伝えます。無事おわりましたの一言で、十分です」
「いいえ、今日、ルーシャお嬢様がなされた素晴らしい魔術のことは、皆が知るべきことです。ご家族の皆様への報告だけではなく、我ら使用人達にも周知させていただきます」
「ナンシー……」
私が、アリスティアに何か良からぬことをしようとしていたという噂は、使用人達の間に広まってしまっている。
伯爵様は、お義父様は、なんとか話が漏れるのを抑えようとしてくれたが、しょせん無理な話だ。私を罠にはめるため、領の騎士を大量に動員するなどの、大掛かりな偽装を行ったのだ、隠し通せる訳がない。
まだ、悪行の中身、禁術バンピーレが知られていないだけ、感謝しなければならない。
だから、使用人達の中に、私に悪感情を持つ者も多いようだ。表情には決して出さないが、彼、彼女らの、ちょっとした仕草にそれを感じてしまう。
ナンシーは気遣ってくれているのだ。今日のことを、使用人達に知らしめることによって、私への反感を和らげようとしてくれている。
アリスティアの周りは、なんて素敵な人ばかりなのだろう。私もその中に加われた。ほんと幸せだ。
彼女の手をとった。
「ほんとに、ありがとう。ありがとうございます」
「ルーシャお嬢様…」
ナンシーがにっこりする。ちょっときつめの美人だが、笑うと全然違う。柔らかな笑顔。
「私どもに、『ございます』は、いりませんよ、『ございます』は」
ナンシーさんはちょい役ですが、結構でてきますね。作者も意外でした。