伯爵ロバートの憂鬱
私の名前は、ロバート・フォン・ゲインズブラント。
オルバリス伯爵家、第十二代当主。
曲りなりにも、オルバリスを統治する伯爵なので、平凡な人生を送ってるとは言わない。だが、神々と直接関わることになるとは、思っていなかった。別段神々の存在を疑っていた訳ではない。幼馴染のセドリックは神官になっているし、教会へも月に二回ちゃんと通っている。それなりの信仰心は持っている。
五日前には、ルーシャ嬢の回復魔術に神々が加勢するのを、八回も見た。
しかし、やはり、神々は天界におわす遠き存在。神々と人が身近だった、神話の時代ならともかく、ドラゴンも滅多に出なくなった昨今。神々が、自分の屋敷に、娘の部屋に、現れようなどと誰が思おうか。
昨晩、二柱の神、マンキ神とドング神は、ルーシャ嬢に憑依する形で現れた。
(後で、考えるに、ルーシャ嬢は、私の娘、アリスティアと同様、神々に愛されし娘。神々の依代になっても、なんらおかしくはない)
憑依が行われた瞬間、空間が変質した。空間に普遍的に存在する魔力粒子が一掃された。人から見れば、素晴らしき存在である、万能の魔力粒子も、神々からみれば、卑しきもののようだ。
そして、卑しき人である、我ら、私、エリザ、叔母上、アリスティア、エルシミリア、侍女達、全員が、神々への畏怖で固まってしまった。
神々は、私達に対する怒りを表明された。
私は、釈明しようとした。
尊き神々よ、私達に反逆の意志など全くありません。お怒りをお鎮めください!
でも、釈明する時間など全くなかった。天から、神力の大波が我々を襲った。とっさに魔術で防隔を張ったが、そんなものは全く役には立たなかった。アダマンタイトの剣に、紙で作った盾で立ち向かうようなものだ。私達は床に叩きつけられ、気を失った。
しかし、この後すぐに、アリスティアとオリアーナ叔母上は、意識を取り戻し、神々と交渉を行ったという。
信じられない快挙だ。オールストレームの最高権力者である、国王でさえ、神々が目の前に現れれば、ひれ伏す以外の何が出来ようか。ましてや、交渉など、望むべくもない。
自分の娘や叔母上を、こういうのも何だが、二人とも、人の規格から外れている。人外である。
アリスティアは自分の娘として、とても愛しているし、叔母上も魔術の師として、大いに尊敬している。しかし、神々と渡り合える存在が、身内に二人もいるなんて、やはりどうかしている。凡人の私には、これからどうやって、ゲインズブラント家を導いて行くべきか、指針が全く立てられなくなっている。誰か助けて欲しい。というか、助けろ!
私の目の前に、一つの報告書の写しがある。
【 オルバリス伯爵家に関する調査報告書 】
今朝、ルーシャ嬢から渡された。
『お父様の金庫で見つけ、作った写しです。父は良からぬことを考えている、もしくは、もう行ったのかも知れません。もし、もう悪事を行っていて、伯爵様が告発されるのであれば、私は協力させて頂きます。親子ともども、御迷惑ばかりお掛けし、真に申し訳ございません』
彼女は涙目で、土下座した。
写しを見て、愕然とした。家族構成から、交友関係、使用人の数、敷地の警護体制、館内見取り図等々、あまねく詳細に調査されている。どうやってここまで調べたのか? 優秀な調査組織があるのか? いや、問題はそうではない。ゲインズブラント家が平和ボケしているのだ。権謀術数飛び交う王都の連中から見れば、我が家のセキュリティが甘々なのだ。大反省が必要だ。
しかし、この写しの御蔭で、アリスティアとエルシミリアを襲った暗殺者の雇用主が、ほぼ確定した。
枢機卿、ベネディクト・フォン・メイチェスタ-、どうしてくれよう。
「エリザ、この写し、どう使ったら良いと思う?」
「そうですね。教皇様の所へ持ち込むのはどうでしょう。ルーシャ嬢の証言があれば、ベネディクト枢機卿を追い詰めれるかもしれません」
「お母様、それは駄目でしょう。ゲインズブラント家が不正を働いている情報を得たので、内々に調査していたとか、適当なことを言えば、いくらでも言い逃れができます。教皇様に訴えるには、やはり、もっと物証を得るか、内部の者の証言が欲しいところです」
「そうは言ってもね。それをどうやって、手に入れるの? エルシミリア」
「それは……」
エルシミリアが困っている。この子は賢い子だ。けれど、いくら賢いと言っても、このような問題の解決策を即答出来るものではない。もし、正しい答えを即答出来るなら、今すぐにでも当主の座を譲ろう、どう考えても私より適任だ。
「オリアーナ叔母上はどう思われますか?」
「物証はもういらないわ。必要なのは証言、それがあれば追いつめられる」
と、叔母上が言い終えた瞬間、目の前の空間に、淡い光と共に、一通の手紙が現れ、執務机の上にふわりと収まった。転送魔術。宛名が書かれている。
『オリアーナ大叔母様、並びに、父上へ』とある。近衛騎士団に入っているリーアムの筆跡だ。
「先に良いかな、ロバート」
「良いですよ。どうぞ」
「もしかしたら、もしかするぞ~」
叔母上は、手紙の封を外した。妙に楽しそうだ、何か企んでいたのか?
「よし、証人確保! 皆、喜んで! モグラが、アリスティアとエルシミリアを襲った暗殺者が捕まったわ! メイチェスター枢機卿との繋がりも吐いたって!」
「「「 な、なんだってー! 」」」
「MMRか、何もかも懐かしい……」
アリスティアがポツリと言う、MMR? 何だそれ? この子は時々、訳のわからないことを言う。神々の恩寵を受けた子だからだろうか? いや、同じく神々に愛されし娘、ルーシャ嬢は、そういう面では普通だ。普通のお嬢さんだ。やはり、アリスティアが変わっているのだろう。
叔母上は、私とエリザから、アリスティア達への襲撃事件を聞いた後すぐ、第二騎士団へ、昔の伝手を頼って、暗殺者「モグラ」の捕縛を依頼したそうだ。リーアムは叔母上に頼まれ、第二騎士団との連絡役を務めているとのこと。
リーアムよ、何故それを父に伝えないのか。お前が、寡黙で口が堅いのは、美点でもある。けれど時と場合によるぞ。
エルシミリアが喜ばしそうに言って来る。
「お父様、これで教皇様へも報告できますね。ベネディクト枢機卿は更迭です」
「エルシー、そんなことはしなくても良いです。駒はもっと有益に使いましょう」
アリスティアがにっこりと微笑んでいる。この子の笑顔には何時も癒されるが、今日のにっこりは少々違う。底冷えする何かが潜んでいる。
しかし、エルシミリアは歓喜の様子。
「アリスティアお姉様! 何か思いつかれたのですね! えぐい策ですか!」
この子も何かおかしい。
「ええ、とっても」
と、黒い笑いのアリスティア。
愛する二人の娘だが、ちょっと怖い、なんか怖い。どうして、うちの身内は、普通じゃないのばかりなのか。
「お父様、お母様。『目には目を、歯には歯を』という言葉をご存じですか?」
「いや知らないが」
「知りませんねー」
「とある国の格言です。悪いことをされた場合、相手にも同じことをやり返してやれ、という意味です」
にっこり顔のままのアリスティア。もうその笑顔止めてくれ、怖いって。
「お父様とお母様は、自分達の娘、私とエルシミリアを、ベネディクト枢機卿に奪われかけました。それなら、こちらも、枢機卿の娘を、「聖女」ルーシャ様を、奪ってやれば良いのです。勿論、合法的に。つまり養女です。あちらに有無は言わせません。
その代わり、暗殺者の襲撃事件は不問にします。これでベネディクトは枢機卿のままでいられます。けれど、物証も証言もこちらにあるのです、彼の弱みはこちらが、ガッチリ握っています。もう、彼はこちらに手出しなどできません。というか、こちらは、彼をどうとでも出来ます。これからは駒として有益に働いてもらいましょう。ふふふ、枢機卿を操れるなんてね、楽しみです」
「素晴らしいです、アリス姉様!」
「おお、良い策だ。何事も無駄はいけないな、無駄は。90点やろう」
エルシミリアと叔母上は、アリスティアを褒め上げている、いやー、それほどでもー! と、アリスティア。
いつの間に娘達はこんな子に……と、ひいているのは、私とエリザベート。エリザよ、お前がいてくれて良かった。私を一人にしないでくれ。死ぬときは私が先に死ぬ。
「お父様、では今すぐ、リーアムお兄様とベルノルトお祖父様に、連絡をお願いします。お兄様には、枢機卿の所へ、お祖父様には王宮に行ってもらいましょう」
エルシミリアが溌溂としている。
「リーアムに、枢機卿と話を付けさせるのは良いが、ベルノルト義父上を王宮に? 何故だ?」
「お父様、これは普通の養子縁組ではございません。『聖女様』のですよ。それでなくても、我が家にはアリスティアお姉様がいるのです。その上、聖女様まで取り込んだりしたら、王宮はカンカンですよ」
「あっ」冷たい汗が出る。
駄目だ、ここ最近のゴタゴタで頭が全く動いていない……。
「ロバート…」
叔母上が悲しそうな目で、こちらを見て来る。そんな可哀そうな人を見る目でみないで欲しい。これでも伯爵なんだぞ、偉いんだぞ…… ほんとだぞ。
「ですから、大侯爵であるベルノルトお祖父様に王宮に行ってもらって、掛け合ってもらいましょう。お祖父様のストレス発散にもなることでしょうしね」
「ああ、それはそうね! お父様は昔から王族には苦労させられてますからね。きっと大喜びで行ってくれますよ!」
「ですよね! 慇懃無礼を楽しむ、お祖父様のお姿が目に浮かびます!」
エリザとエルシミリアが盛り上がっている。ついに私は一人になってしまった。
よく考えてみると、この部屋には私以外、男がいないではないか! まわりは女ばかり!
共感できる誰かが欲しい。リーアムよ、戻って来い!
あー、あいつはダメだ。寡黙過ぎて、何考えてるのか全く分からん。
もう女でも良い、アイラを呼び戻し、あれもダメだ。
ぽわぽわしてるばかりで、こちらがイライラする!
神々よ! 私はどうしたら良いのですか!
ノー! 神々もダメ。昨晩会った、怖すぎる。共感以前の問題だ。
私は、机の上に突っ伏した。
「疲れた。もう疲れたよ……」「パトラッシュ」
パトラッシュ? 何だそれ? アリスティアの声だったようだが……。
アリスティアが、私に顔を寄せ来た。とてもよい笑顔をしている。本物の天使がいたとしても、この子の笑顔にはかなうまい。ほんと可愛い、愛らしい。
私だけにしか聞こえないような、小さな声で言う。普段より声があどけない。
「私大きくなったら、お父様のお嫁さんになります、待ってて下さいね」
耳福である。泣けた。
消耗し尽くした私を、元気付けようとしてくれている。なんて優しい……。
可愛い愛娘に、こんなことを言ってもらえる私は、オールストレーム、一の幸せ者かもしれない。ちょっとくらい変わっていたって良いじゃないか。人は皆、探せば、どこかに変なところはある。
「アリスティア…」
お前達のために、私は、頑張るぞ、負けるものか!
「はい、何でしょう、お父様」
だから、聞いておきたい。気になることを残してはいけない。
「MMRって何だ? パトラッシュって何だ?」
アリスティアの笑顔は固まった。答えてはくれなかった。
王族、出ませんでした。次回こそ。