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決行

 夕刻、ドラゴン対策のため、伯爵とオリアーナ様が、領騎士団を率いてコクトーへ出発していった。騎士の数は二百名近くに上る。今回は平民の兵は参加しないらしい。まあ、ドラゴン相手では、平民の兵など、無意味極まりない。


 ドラゴンは、神々が作られしもの。神々から魔力を授けられ、傲慢になった人が、魔獣を作り、神々に反旗を翻した。怒った神々は、人への揶揄を込めて、ドラゴンという魔獣を作られた。


 本当の魔獣とはこういうものだ。愚かな人よ。


 ドラゴンは、あっと言う間に、人の魔獣を制圧した。反逆した人は、神々が、自分達とはあまりに格が違うことに驚愕し、あっさりと恭順し、許しを乞うた。けれど、神々の怒りは解けなかった。ドラゴンは、人の世を蹂躙した。半数の人が亡くなった頃。ようやく、ドラゴンは殺戮を止めた。神々が飽きたのだ。同じ惨劇ばかり観ていても、つまらない。ドラゴンは必要なくなった。殆どのドラゴンは神々によって泥に戻された。しかし、数匹のドラゴンは残され、神々は彼らに命じた。


「人は愚かだ。どうせすぐに増長してしまう。お前達は時々暴れて、人に自分たちの分を、神々の前では人など塵の如き存在であることを、(わきま)えさせるのだ。ただし、やり過ぎるな。人の中には、忠の民もいる。適度にやれ、一度に千人以上は殺してはならぬ」


 神が作りし魔獣、ドラゴン。その強さは圧倒的だ。倒すことなど、思いもよらぬ。人に出来るのは、なんとか牽制し、人的、物的被害を少なくすること、そしてドラゴンの気が変わり、殺戮を止めて、ドラゴンが住むという「果ての大陸」へ、帰ってくれるのを祈ることだけだ。


 ドラゴンとの戦いには回復術者は同行しない。ドラゴンとの戦闘で負わされた傷は、人の回復魔術では治らない。これも神からドラゴンに与えらえた力だろう。


 (唯一、「神人」の回復魔術の使い手だけが、治療出来るとの話もあるが、真偽は定かではない)


 だから、第九段階の回復魔術の使い手である私、ルーシャでも、出来ることは何もない。ドラゴンに、これから貴方と戦うのは忠の民。それを思い出して欲しいと祈るだけ。

 ドラゴンは神々からどれほどの知能を与えられているのだろう、人の作った魔獣並みでなければ良いが。


 魔獣の知能は低い、今では、かつての主人であることを忘れ、人を襲っている。


 夜になった。

 オルバリスの統治者、ゲインズブラント家の館は、シンと静まりかえっている。今日の晩餐は、まるでお通夜のようだ。エリザベート夫人も、アリスティア達も、殆ど喋らなかった。その静寂は耐えがたかった。私は早々に食事を切り上げ、辞去し客間へ戻った。


 ドラゴンが現れたと聞いた時は、天の配剤と思い喜んだ。でも、ドラゴンとの戦いに赴いた父や、大叔母、多くの自領の騎士達のことを案ずる、アリスティア達を見るに、それに付け込もうとしている、自分が卑劣漢に思えてならない。


 でも、禁術を使うこと自体が、卑劣なこと。今更どうこう言うべきではない。いくら聖女と呼ばれたって、今の私では、全ての人の病を救うのは無理なのだ。大の虫を救うために小の虫を殺す、間違ってはいない筈……


 昼に見たアリスティアの笑顔が脳裏に浮かぶ。ズキリと心が痛んだ。馬鹿で傲慢な田舎令嬢であって欲しかった、なのにどうして貴女は……。


 深夜、私は客間を出た。同室に泊っている侍女にはあらかじめ深睡眠の魔術を施した。彼女は朝まで起きることはない。お父様に無断で飛び出して来たのだ。家の使用人達は使えなかった。侍女、小間使い、警護の騎士、馬車など全部、他者から借りた。彼らは、彼らの親族を救った御礼に協力してくれた。これ以上の迷惑はかけたくはない。これから私が行うことは知られないようにしなければならない。


 灯火の魔術を使い、暗い廊下を歩いてゆく。お父様の調査書の御蔭で、館内の間取りは頭に、ばっちり入っている。アリスティアの部屋に行くのは簡単だ。


 しかし、普段は巡回している騎士達に全く出会わない。かなりの人数がドラゴン対策に、駆り出されると予想していたが、思った以上だ。これは僥倖。私だってなるべく荒事はしたくない。


 すんなりとアリスティアの部屋に着いた。部屋の前にも騎士はいなかった。ほんとに殆どの警護をドラゴンに回したようだ。


 私は扉をノックした。たぶん、起きているだろう。父親や大叔母が神の魔獣と闘っている最中なのだ、眠れる訳がない。


「アリスティア様。私です、ルーシャです。どうか扉をお開け下さいまし」


 ゆっくりと扉が開いた。


「ルーシャ様。どうしたのですか、このような深夜に」


 私の肩口に浮かぶ灯火に照らされた、アリスティアの顔は憂いを帯び、絵画のような美しさ。でも、昼間見た笑顔の方がずっと好ましい。


 また感傷、いい加減、感傷なんて捨てなさい! 覚悟を決めるのよ! ルーシャ!


 自らを叱咤する。


「アリスティア様は、さぞ心細いことでしょう。何もできませんが、私のような者で良かったら、お傍にと思いまして」


「そうですか、ありがとうございます。ルーシャ様はお優しいですね。入って下さいまし」


 アリスティアは背中を向けた。私はそれに続く。

 

 部屋の中は、数本の燭台が灯されてははいるが、かなり暗い。私の灯火が一番明るく、周りを照らしている。部屋の中には彼女以外、誰もいないようだ。ほっとする、手間が省ける。


 今の、アリスティアは寝間着に着かえている。一応、眠ろうとはしたようだ。そして何故か、大人の女性のように髪をアップにまとめている。そのせいで、白いうなじが、私から丸見えだ。肌理が整い、清浄そのもの。光輝いて見える。


 私は、客間を出てからすぐに、禁術バンピーレの術式を唱え始め。アリスティアの部屋にたどり着く頃には、術式展開は完全に終わっていた。そのせいもあったのだろう。私の心を狂乱が襲った。


 あの肌に、噛みつきたい、噛んで、噛んで、噛み倒したい!


 もう自制心が効かない。心の中で高速術式を唱える。犬歯が変形していくのがわかる、長く鋭く、中心には一本の管。これで、体液と一緒に禁術式を打ち込む、そうすれば、


 アリスティアは私の所有物、

 永遠に私の物。


 周囲の視界がぼやけて来る。もう、アリスティアの白いうなじしか見えない。


 私は、アリスティアの背中に飛び掛かかり、彼女を押し倒した。同時に、アリスティアに麻痺の魔術をかける。痛くするのは可哀そうだ。そう思うだけの理性は残っていた。


 目の前に、アリスティアの艶めかしいうなじがある。一気に行こう! 私は大きく口を開け、アリスティアに牙を突き立てようとした。その瞬間、


 周囲に数十もの魔術の灯火が、一斉に浮かび上がり、部屋の中は真昼の明るさになった。


 そこには、アリスティア以外、誰もいなかった筈なのに、伯爵、伯爵夫人、エルシミリア、侍女達、そしてオリアーナが、ずらりと並んでいた。


 オリアーナが、筒のような物を持っている。あれは透明化と気配抹消の魔術具! なんてこと!


 伯爵と伯爵夫人が、瞬時に術式を発動させた、既に詠唱は完了させていたようだ。二本のロープが跳んで来て、私はあっと言う間に縛り上げられ、床に転がされた。


 オリアーナが、ゆっくりと近寄って来て、私を見下ろしながら、嘲るように言った。


「魔獣のようなお姿。聖女様ともあろう御方が、おいたわしいわ」


「大叔母様、お止め下さい。そういう揶揄を、私はルーシャ様に言って欲しくはありません」


 アリスティア! どうして立っているの! 麻痺をかけた筈なのに、どうして……。


「ルーシャ様……」


 アリスティアが、じっと私を見ている。


 終わりだ、アリスティアを手に入れるどころか、これから、彼女は、私を相手にもしてくれないだろう。見るのさえ厭うに違いない。昼間、バカな話をして笑い会ったのが、遠い昔に思える。あのような幸せな時間は永遠にやって来ない。自分自身で幸せを投げ捨てた……


 もうどうでも良い。口が動いた。


「……殺して下さい。こんな自分のまま、生きていたくはありません」


 アリスティアは何も言わず、私の顔に何かを押し当てた。ヒヤッとしたが、とても気持ち良い感触。途端に、私の牙が消失した。どうして、私は術式を解除などしていないのに。


「殺す? 馬鹿を言わないで下さい」


 アリスティアは目を伏せた。そしてまた、私に視線を戻す。その目は何かを懇願するかのように細められている。


「ルーシャ様、私は貴女が好きですよ。また、一緒にお話ししましょう。笑い会いましょう。だから、だから」




   自分自身を嫌いにならないで、お願いです。




 その時、私の閉じていた心の蓋が消え去った。涙が溢れて来る。感情の波が止められない。


「お母様! お母様! 許して下さい!」


「お母様からの期待や愛情に、応える自信がなくて、お母様がいなければ良いと、思いました。そう思ったのは本当のことです!」


「だけど、だけど、私はお母様を愛しておりました。一緒に生きていきたいと思っていました」


「これも、本当の私です!」


「お母様を愛する気持ち、厭う気持ち、両方が私の中にあったのです」


「許して下さい! 許して下さい! 許して下さい! どうか! どうか…」


 アリスティアが覆いかぶさるようにして私を抱きしめてくれた。彼女の体温を感じる、お母様より体温は低いよう、でも暖かい。


「もういい、もういいのですよ、ルーシャ様。完璧な人、完全な善人などいないのです。そうなれないのを心の重荷にしてはなりません。人は、どんなに愛し、愛し合っても、それぞれの思いは完全に噛み合うことはありません。どうしても、どんなに頑張っても、ずれは出来てしまうのです。ルーシャ様のお母様も、それを責めたりはしない筈」


 アリスティアの声まで涙声になった。


「人の心は弱いのです。すぐに逃げたくなります。私だって何度も逃げました。だけど、やり直しはできます、何回、逃げたとしても、その度に、やり直しをすれば良いのです。逃げる、やり直す。人の人生はそれの繰り返しです。でも、それで良いじゃないですか」


「アリスティア様…」涙でぼやけて、ちゃんと彼女の顔が見えない。


「ルーシャ様は今回、逃げて道を誤った。けれど、その御蔭で私達は、巡り合えたのです。悪いことばかりではありませんね」


 ようやく、見えるようになった。アリスティアがにっこり微笑んでる。


「微笑んでください。私はルーシャ様の笑顔が大好きですよ。さあ」


 私は、彼女に酷いことを、人としてやってはいけない残酷なことをしようとした。けれど、アリスティアが、大好きなアリスティアが、そう言ってくれるなら、頑張って、微笑もう、笑おう。


 私は、必死になって微笑んだ。たぶん、顔が引きつっただけだっただろう。


「ありがとうございます。ルーシャ様。これからも一緒に…」


 ここまで、アリスティアの言葉を聞いた瞬間、体に激痛が走り、その痛みにのたうった。


 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 


「ルーシャ様! どうされました! ルーシャ様!」


 アリスティアが狼狽している。他の者達も同様。


 その激痛が収まると、

 私の身体を縛っていたロープが、パン!と軽い音を立てて、弾け飛んだ。そして上半身が起き上がり、傍にいたアリスティアを左腕で一閃し、跳ね飛ばした。

 勝手に体が動く、制御できない!


 アリスティアはオリアーナ様が受け止めてくれた。良かった。


 私の身体は勝手に立ち上がり、勝手に喋り出した。


「我ら二柱は、この者に使命を与えた。それを邪魔するとは何たる無礼……、何たる愚かさ……」


 二柱って、まさか、まさか。


「もはや忠の民の子孫とて容赦はせぬぞ!」


 その直後、天から巨大な神圧の波が部屋全体を襲った。


 アリスティア、オリアーナ、伯爵、伯爵夫人、エルシミリア、侍女達、全員倒れ伏した。


 私以外立っている者はいない。

 私の身体は、悠然とかまえ、床に転がっている、アリスティア達を見下した。


 まるで、虫けらを見るかのように。


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― 新着の感想 ―
[一言] この世界のドラゴンはDODのドラゴンと同じかな?
[良い点] 作者さん、更新はお疲れ様です! アリスティアさんの魔力を目当てにしていますが、一応アリスティアさんに気遣いしますし、他人に迷惑を掛けないですから、ルーシャさんがそんなに嫌いじゃないですよ。…
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