秘め事
私の名前はコレット・フォン・シュヴァル。
オルバリス伯爵家の次女、アリスティアお嬢様の侍女です。
次女の侍女、ごろが良いです。
これは少し前のこと。
日がかなり傾いて来た、夕刻が近い。
私とセシル様は、教会から館への帰途についていた。今は、タルモの目抜き通りを歩いている。
「セシル様。今更、こんなことする意味はあるのでしょうか?」
「さあ、普通なら無意味なことでしょうね。でも、アリスティアお嬢様のご指示なのです。私達には思いもよらぬ、お考えがあるのでしょう」
「ですね。天真爛漫さと、思慮深さを併せ持つ不思議な方ですものね。今度は何をなされるのかと、考えると、不謹慎かもしれませんが、心が高鳴ります」
「ふふ、コレットらしいですね。でも穏やかに過ごせるのが一番ですよ。私はお嬢さまが、土下座して廻った時は、肝が縮みあがりました。主人になんてことを、させてしまったんだろうって」
「あれは、私が差し出がましいまねをしたせいです。申し訳ありません」
「いいえ、コレットの御蔭で、マーヤが虐められなくなったのです。感謝していますよ」
「感謝なんて、そんな」
前方から、男性、七、八人の集団が歩いてきた。見たところ彼らは、商売人、一番大柄で、太った男が店主、他は店の者達といったところだろう。このまま進むと、私達は彼らにぶつかってしまう。私は道を譲ろうした。その瞬間、セシル様にグッと腕を掴まれ引き戻された。
男達が道の脇にどき、私とセシル様は真っ直ぐに歩く。
セシル様は、お礼など言わない。堂々と彼らの前を通り過ぎる。でも、私はどうしても、うつむき加減になってしまう。彼らの気持ちが分かるから。そういうものだとは思っていながらも、心の中から、不満は決して無くなりはしない。養女になる前まで、私は彼らと同じ平民だった。貴族と会えば、道を譲った。時には跪いた。
「コレット、気持ちはわかるけれど、貴女はもう、彼らとは違うのです。貴族には貴族なりの振る舞い方があります、それを守らなければ、いらぬ波風を立ててしまいますよ」
「はい、申し訳ありませんでした」
セシル様の言われることは、正しい。
もし、貴族然とした服装の私達が、平民の彼らに、道を譲ったとしたら、彼らは困惑してしまうだろう。そして、もし、道を譲られたせいで、貴族に道を譲らなくても良いと勘違いなどしてしまったら、彼らには最悪の結果が待っている。
だから、貴族に迎え入れられた私は、貴族として振る舞わなければならない。それは分かっている。でも、ほんとにそれで、良いのだろうか?
もし、アリスティアお嬢様が、貴族としての振る舞い方を忠実に守る方だったら、私は、お嬢様の侍女にはなれなかった。貴族のセシル様と並んで歩くことなど、永遠に出来はしなかっただろう。
忠の民である貴族に、道を譲り、跪き、罪の民として、社会の下層で這いつくばる平民のままだった筈だ。
平民は、貴族のいるところでは、人にはなれない。貴族がいないところ、平民だけの場所でだけ、平民は人になれる。憐れだ。
憐れ? 自分も、ほんのちょっと前まで、同じ平民だったのに、すでに、上からの目線が芽生え始めている。情けない。
それに比べ、アリスティアお嬢様は、生粋の貴族、プラチナ上位という王族さえ超える魔力量を誇る、貴族中の貴族なのに、あの垣根の無さはなんだろう。淀んだ社会の中で、アリスティアお嬢様の周りにだけ、清々しい風が吹いている。
あの方の為なら死んでも良い。私は本当にそう思っている。
私達が館に帰り着いた時には、完全に夕刻になっていた。
館にはいるとすぐに、メイドのナンシーが私に話しかけて来た。どうやら、私を待っていてくれていたようだ。
「コレット様。アリスティアお嬢様がお話があるとのことです。至急、お嬢様のお部屋にいらして下さい」
「わかりました。伝言ありがとう、ナンシーさん」
「コレット様。私どもに、さん付けはいりません。コレット様は、もう私どもとは違われるのです。お気を付け下さいませ」
「そ、そうね。これからは気を付けるわ」
ナンシーはお辞儀をして、去っていった。
初めて館に来た時、食事を持って来てくれたのが、ナンシーさんだった。その日の晩、彼女とはいっぱい話をした。楽しかった、アリスティアお嬢様の髪のことなども、話してくれた。髪を梳いていると、あまりの滑らかさに思わずトリップしてしまうそうだ。私は思った。
トリップする髪って、どんな髪! 私も梳いてみたい!
そして、私はお嬢様の侍女となり、毎日、お嬢様の髪を梳いている。その御髪は、ほんとに真っ直ぐで艶やか。癖になる梳き心地。とっても気持良い。
でも、侍女となり、貴族となった私には、ナンシーとの間に隙間が出来た。
私、コレットはコレット様になり、ナンシーさんはナンシーになった。大きな隙間だ。どうすれば、乗り越えられるのだろう、私にはわからない。
私は直ぐに、アリスティアお嬢様の部屋を訪ねた。
お嬢様のお話は簡単なものだった。今日の晩、寝間着に着かえて、お嬢様のお部屋に来るように、とのことだった。意味が解らなかったので、尋ねた。
「何か、夜にやらねばならぬことでも、あるのですか? それに、何故に寝間着なのですか?」
「秘密です」
アリスティアお嬢様は、一言そう言って笑っただけで、教えてくれなかった。
夜になった。
私は、寝間着に着かえ、お嬢様の部屋へ向かった。どんな不可解な命令でも主人からのものは絶対だし、私自身、逆らおうなどとは全然思わない。
「アリスティアお嬢様、コレットです、参りました」
直ぐに扉はひらいた。
室内は、灯火の魔術で、照らされてはいるが、やや控えめな明るさ。陰影が程よく、室内を飾っている。とってもムーディー。そのせいか、アリスティアお嬢様も、十歳というお年にも拘らず、大人びて見えた。にっこりと微笑んだ顔は、妖艶ささえ伺わせる。
「さあ、コレット。このベッドに入って」
「お嬢様のベッドにですか? 私のような者が上がって良いものでは……」
「私のような者とか、どうでも良いから、入って寝てくれれば良いのです」
主人がそう言うのだから仕方がない。私は、アリスティアお嬢様のベッドに横たわった。すると、お嬢様もベッドに入って来て、私の横に収まった。
その肌の柔らかな感触、お嬢様の香しい匂いに、一瞬、脳がくらっとする。
間近にあるアリスティアお嬢様の美しいお顔が、にまっと笑う。
「優しくするから、痛くしないからね。コレット」
その夜、私はアリスティアお嬢様に抱かれた。
痛くはなかった。
次の夜は、セシル様が呼ばれた。
とっても痛かったそうだ。
現実の侍女って、使用人からは「お嬢様」付で呼ばれることもあったようですね。でも、本作では、紛らわしいので「様」付けで。