コレットの話
二十歳くらいの女が、村の外れを歩いている。
その女の髪は酷く乱れている。服装は、こんな田舎村を歩いている者にしては上等なもの、顔立ちも化粧をちゃんとすれば、ぎりぎり美人ともいえるレベルで悪い方ではない。その乱れた髪をなんとかすれば、それなりの女性に見えようものを……と言いたいところだが、髪を整えても、その酒臭い息と涙でぐしゃぐしゃになった顔ではどうしようもない。
その右手にはブレスレットが嵌められている。彼女は貴族なのだろう。貴族の女性が、日の暮れた時間に、このような場所をどうして一人で歩いているのだろうか。
「くそ! くそ! くそ!!」
彼女の心は悲しみと怒りでいっぱいだった。父親と長兄に投げかけられた言葉を思い出すだけで、憤怒と絶望の嵐が襲ってくる。
「私が苦労して、見つけてやった縁談だったのに、出戻ってくるとは……キーズ家に謝罪金を払わにゃならん、どれだけ親に迷惑をかけたら気が済むんだ、ほんとにお前は、不出来な娘だ。アグネス」
なにが、苦労して見つけた縁談だ! あんな家、騎士爵とは名ばかりじゃないか! それも、第二夫人! 貧乏騎士爵家の第二夫人なんて、貴族社会じゃ虫けらの如き扱いしかしてもらえない! 妹のエイダには男爵家の第一夫人見つけてきたのに、この扱いの差はなんだ!
「アイアンの下位のお前なんかいても、大して役にたたん。それに比べ、ブロンズのエイダはお前の十倍以上貢献してくれた。もう嫁いでしまったが、相手方の男爵家は、遠縁ながら伯爵様の分家だ。これからは伯爵様にも何かと目をかけてもらえるかもしれない。なのにお前は……。お前みたいな出来損ないの妹がいて、俺はほんと不幸だ」
アイアンの下位のお前なんか、いても大して役にたたないだと! 兄上だって、上位と言っても、所詮同じアイアンじゃないか! 先に生まれただけで、男に生まれただけで、偉そぶんてんじゃねー!! 目をかけてもらえるだ? 上位貴族に頼る前に自分で準男爵家を盛り上げてみろ!
貴族が縁故の上位貴族を頼るのは、普通のことだ。なんら非難されることではない。それでも、彼女は長兄のとった態度が許せなかった。昔から、父や兄、母までも妹のエイダの方ばかり可愛がった。エイダは化粧などしなくても、明らかに美人だった。魔力も家族の中で一番だった。
「くそが!!!」
今日の昼、父親に彼女は言われた。
「出戻って来たお前を、貴族家に嫁がせるのはもう無理だ。隣町にチャドという商人がいる。それなりに大きな商家だ。お前はそこに行け」
ははは…… 笑える。貴族のわたしが、平民の妻……。
もう貴族社会の誰からも、以前からの友達にさえ相手にしてもらえない。平民からだって、落ちぶれた貴族として憐みの目で見られる。
商人のチャド、その男は知っている。以前会ったことがある。ほんと商人らしく金にしか興味のない脂ぎった中年男。
……もう、どうでも良い。何もかも終わりにしようか。
アグネスの目に一軒家が目に入った。窓から灯りが漏れている。
近づいてゆくと、窓越しで声は聞こえないが、楽しげな父、母、娘の三人家族が見て取れた。
「お母さん、スープ出来あがったよ」
「もう出来たのかい。ほんと、コレットの魔術は凄いねー、薪じゃこんなに早くはできないわ」
「へへへー」
「どうして、わしらに貴族様のような娘が生まれたんだろうな お前、貴族様と浮気なんかしたんじゃないか?」
「なにバカなこと言ってんのよ。あたし、お父さんにそっくりだから、美人になれなかったのよ。ちょっとは反省してよ」
「すまん、すまん。けれどコレットは美人とは言えないが、結構可愛いぞ、そのうち男達が争奪戦を始めるに決まってる」
「もう始まってますよ、あんた」
「なんだとー!」
「はい、はい、二人とも親の欲目はもういいから。あ、そうそう。今日、神官様から鑑定書もらったんだ。凄い結果出たよー。ちょっと二階から持ってくるねー」
アグネスは日の暮れた寒空の中、窓の外から、その三人の家族の様を見ていた。幸せそうだ、ほんと幸せそう。それに比べて、今の自分はなんだ…… 家族からも蔑まれ、貴族社会からも放逐されようとしている。
私は貴族だ。
アイアンの下位、最下位の位階であるが、神棄にもならず、ちゃんと眷属の紋章も授かった。
貴族は神々から魔力を持つことを許された者。
神々から愛されし者。
その貴族、
私はその貴族なのに……
「 平民ごときがー!!!」
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「夕餉の支度が出来た頃でした。貴族の女性が、突然、我が家に押し入って来ました。最初に父が殺されました。大人の男性でも平民では、魔力を持つ貴族には抗いようがありません。二階へ逃げ延びてきた母は、私を隠そうと押入れに私を押し込みました。その母も、追って上がって来た女性に殺されました。私は、押入れの中で恐怖に身を震わせながらも、なんとか息を殺していたのですが、結局、その女性は見逃してくれませんでした」
『 見いつけた 』
「私は、押入れから引きずり出されました。女性は左手で私の襟元を掴み、右手を大きく振りかぶりました。その右手の掌には大きな炎が現れています。火炎の魔術! あまりの恐怖に手が瞬間的に動き魔術が出ました。同じ魔術、火炎の魔術です。彼女の顔を直撃しました」
『 ギャー! 眼が! 眼が!! 』
「その後のことはよく覚えていません。気が付くと私は外にいて、家が燃えていました」
こう話すと、コレットは黙り込んでしまった。私は、話の続きを促した。
「その後、どうしたの?」
「はい、その後……燃え盛る火事に驚いた村人達が集まって来ましたが、火の勢いが強くどうしようもありませんでした。結局、全焼し三人の遺体が出ました。父と母と押し入ってきた貴族の女性です。でも、強い炎にさらされた体は、真っ黒に焼けこげ、生前の面影は全くありませんでした。」
「私は起こったことを、村名主様や村人に話しました。でも、話を裏付ける証拠がない、そんな状態で貴族に罪を問うなんてできる訳がない、もし訴えたとしても、逆にこちらに非があるとされて処罰されるのが落ちだ。可哀そうだが我慢してくれと言って何もしてくれませんでした」
「父と母と貴族の女性の遺体は、埋葬され、燃え残った女性のブレスレットは村名主によって、沈んだら二度と上がってこないと言われる沼に、投げ捨てられました」
村人や村名主の対応は、妥当なものだと思う。幸い遺体は判別がつかない状態だったようだし、ブレスレットさえ処分してしまえば、貴族との揉め事を起こさなくて済む。平民が貴族と対立など出来るわけがないのだ。私が名主の立場だったとしてもそうする。
「父、母の埋葬と葬儀を終えた後、葬儀と言っても、皆で祈っただけですが。住む家を失くした私は名主様のところに、身を置かせてもらいました。しかし、何時までもやっかいになっている訳にはいきません。どうしようと思案していた時、村全体から集めた見舞金、金貨二枚を頂きました。貧しい村なのに、感謝してもしきれません。」
「このお金を基に私は大きな町へ出ることに決めました。大きな町なら私でも雇ってくれるところがあるかもしれない。どうせなら一番大きなタルモへ。タルモに着くとすぐに、金貨一枚で、古着じゃない新品の服と寒かったので手袋を買いました。私が今まででした一番高価な買い物です。身なりがまともでないと雇ってもらえないと思ったからです」
コレットは平民の田舎娘にしては、しっかりしてる。まともな教育など受けたこともないだろうに。この娘なら、少し教育をすれば侍女の役目をこなせるだろう。アリスティアお姉様はやはり、ちゃんと人を見てる。
「服装を整えると、メイドや下働きとして、雇ってくれそうなお屋敷を探して歩きました。けれど、以前の雇い主の推薦書もない私は、飛込で雇って下さいと、入ってゆく勇気がなかなか出ませんでした。そうして何軒かのお屋敷を躊躇して、やり過ごしていると、ひと際大きな、お屋敷が見えてきました。門の前には数人の私と同年代の娘達がたむろしていました。興味に惹かれて傍に近寄ってみると、お屋敷の使用人と思われる方が、話かけてきました。
『侍女志望のお方ですか?』
平民の私に丁寧な言葉… 服装のせいかな。それにしても、侍女? あーなんかで聞いたことがある。メイドの一種だったような。これはチャンスかも と。
『はい、そうです』
『では、あちらに行かれて設置してある薪を魔術で、完全に炭にしてください』
『魔術で?』
『火炎の魔術、第二段階を使用してください』
メイドにどうして魔術が必要なのだろう、よく分かりませんでしたが、やれと言うなら、やれば良いのです。このチャンスを逃したくないと思いました。
『わかりました』
第二段階とは何でしょう?、とにかく燃やせばよいのでしょう。さんざ、家の煮炊きをやって来たのです。火炎の魔術は得意中の得意。薪は完全に炭化しました。
『合格です。では、館の方へお向かいください』
私がとんでもないところに、来てしまったと気づいたのは、伯爵夫人が出て来られた時でした。間違って入り込んでしまったことを申し出て、その場から去りたいとも思ったのですが、場の雰囲気にはある種の緊張感が漂っている上、周りは貴族様方ばかり。怖くて申し出ることが出来ませんでした」
あー そういうことか。
平民の娘がたまたま魔力を持っていて、たまたま、うちの侍女選考会に出くわした。単なる偶然だったのだ。しかし、現王朝で長らく平穏な時代が続いたせいか、オルバリス伯爵家もずいぶん、平和ボケしたものだ。お母様は館の警護をきつくするとおっしゃっていたが、こんなガバガバでは笑ってしまう。後で申し上げなければ。
しかし、今のコレットの話からは、アリスティアお姉様がこの娘に入れ込む要素が見て取れない。もう少し話を突っ込んでみよう。
「そうでしたか。それはお気の毒なことでしたね。お父上とお母上の冥福を祈らせてもらいます」
「勿体ないお言葉です、エルシミリアお嬢様」
「コレット」
「はい」
「アリスティアお姉様は、あなたを侍女に採用することをお決めになりました」
「ほ、ほんとですか! 感謝いたします!」
「わたしとお母様は、他の者を推薦したのですけれど、お姉様はずいぶんとあなたを気に入ったようです」
「わたしのような平民を…… ありがとうございます。ありがとうございます、アリスティアお嬢様!」
コレットは握り合った両手を額に押し付け、涙を流さんばかりに喜んでいる。喜んでいるところに、悪いが突っ込ませてもらおう。
「コレット、一つ聞いていいですか」
「はい、何でしょうか?」
組んだ手を放し、こちらに向けた眼には本当に涙が浮かんでいる。
「あなたは両親を【貴族】の女に殺されたのでしょう。その女と同じ【貴族】であるアリスティアお姉様に侍女として仕えるのに、戸惑いはありませんの?」
コレットは、じっと私の目を見つめ、はっきりとした声で言った。
「エルシミリアお嬢様、私を馬鹿にしないで下さいませ」
エルシミリアは賢いようで、空回りする子。