ルシアの焦燥
2021.12.01 サブタイトル変更。
ドランケン様と連絡がとれなくなった。
ドランケン様は普段、天界におられるのだが、私、ルシアが呼びかければ直ぐに姿を現したり、念話で応えてくれている。それなのに、ここ数日、どんなに呼びかけても御姿のお現しどころか、念話での返答さえ返って来ない。こんなことは今まで一度たりともなかったことだ。
ドランケン様に限って……とは思うけれど、キャテイ達も腐っても神々、万が一ということもあるのではないか?
そう思うと、私は居ても立っても居られず、姉達に後を託し天界へと向けて王宮を飛び立った。どうか取り越し苦労でありますように……。
私はドランケン様が好きだ。一見、冷淡に見えがちな彼女だが全然そうではない。彼女が気に入った者、彼女を慕う者には大変心を砕いてくれる。私なども、彼女が愛したセルマの子孫、かつ、ドラゴンということもあって、とても可愛がってもらっている。
悩みを相談したことさえあるくらいだ。
「ドランケン様。一つ泣き言を聞いていただけませんか?」
「良いですよ。私の可愛いルシアの泣き言くらい幾らでも聞きましょう」
そう言って優しく微笑むドランケン様はまるで慈母のよう。神々しい美しさに心が揺れる。このような微笑みを、彼女の恋人だったというセルマ様は毎日見ていたのだろうか。
「私のこのドラゴンである体は、あまりにも強靭過ぎ、苦痛の一つさえ感じません。それ故に、生きている実感がわかないのです、生きる喜びが感じられないのです。このような状態でドラゴンの長き生に耐えていける自信が私にはありません」
「ルシア。我慢なさいとしか私には言いようありません。戦闘に特化したドラゴンの体とはそういうものなのです。純粋なドラゴンならそのような悩みは持たないのでしょうが、貴女は人でもありますしね。可哀想に思いますが、どうしようもありません」
「そうですか……、やはり我慢するしかないのですね」
お気持ちを煩わせ、申し訳ありませんでした、と謝ろうとした時、ドランケン様が思いもしていなかったことを仰られた。
「けれどね、ルシア。生きる喜び、そのようなものは私も持ってはおりませんよ」
私は耳を疑ったが、彼女の声は冗談を言っている声ではなかった。とても真剣なもの……、心からの言葉だった。
「私の生きる喜びは、セルマが死んだ時、愛する者を粗略に扱ってしまった自らの愚かさを見せつけられた時に無くなってしまいました。今の私は亡霊、生きている亡霊なのです」
彼女の美しい双眸に涙が浮かぶ。胸が締め付けられた。いくら情愛深き神といえど、ここまで人ごとき(初代王様はただの人、ただの下界生物)を思って下さるのか……。そう感銘を受けつつも、私は素朴な疑問を彼女にぶつけた。
「畏れながら申し上げます。ドランケン様は神々、至高なる御方。セルマ様を生き返らせるのは簡単でございましょう。どうしてそうされないのですか? 何かそうされてはいけない理由がおありなのですか?」
ドランケン様達、神々は人の体や魂ごとき、如何様にも扱えることを私はよく知っている。だって、自分自身で経験済みだから。あたしとグレイちゃんを融合してくれたのはドランケン様なのだ。
「理由はあります。セルマを生き返らせることは簡単です。彼女の魂の転生先を探し出し、以前と同じ体、同じ記憶を与えれば、それはセルマ。私が愛したセルマ・フォン・エトレーゼです。でも、それでは駄目です。私が犯した罪の償いにはならないのです」
「償いにはならないとはどういうことでしょう。生き返らせる、これ以上の償いがございましょうか?」
「あります。わかりませんか? それはセルマの死を無かったことにすること。セルマが最初から死ななかったことにすることです」
「最初からって……」
ドランケン様の望んでいることが漸くわかった。彼女はあったことを無しにしたい。世界の歴史自体を書き換えたいのだ。なんてこと、なんてこと……。
「ルシア。貴女にも想像出来るでしょう。セルマが手足を縛られ、薬で魔力を封じられ、衆人環視の断頭台に引きずり上げられた時の気持ちを……。彼女は困窮する民を救うため、悪政を繰り返すメルクレール王朝に反旗を掲げ、命をかけ辛苦を乗り越え、新たる王朝を建てたです。それなのに……
どんなに悲しかったでしょう。
どんなに情けなかったことでしょう。
どんなに恐ろしかったことでしょう。
そして、
どんなに新たなる王朝を建てることを命じた私を恨んだことでしょう。ああ、セルマ!」
もう、ドランケン様の目に私は映っていなかった。彼女の心は過去に、悔恨の地獄に飛ばされてしまっていた。
私の口が、私の意思とは関係なく勝手に動いた。
「ドランケン神様、いいえ、ドリス。私の願いは貴女に寄り添うことだけだったのに、なのに貴女は私を突き放し、過酷な試練に向かわせた。私は貴女をあんなにも愛したのに、どうして? どうしてなの?」
私の口を使っているのはセルマ様? セルマ様の魂が私に乗り移った? いいえ、そんなことはあり得ない。私の口を使っているのはドランケン様。ドランケン様の無意識が、私の体を使って自らを断罪しているのだ。
「さあ、教えてよ。ドリス」
「セルマ。あの時の私は、貴女にあのような悲劇が待ち受けているとは思いもしなかった。自ら幸せを手放したことに気づいてもいなかった。ごめんなさい、ごめんなさい。何度でも謝る、本当にごめんなさい」
私に向かって頭を垂れる続けるドランケン様を見るの悲しかった。しかし、彼女は顔を上げた。
「……でもね、セルマ。私は、許してとは言わない」
「そう。ドリスは本当は悪いことをしたと思っていないのね」
「違うわ。私は私の失敗を無しにする、貴女の悲しみ全てを無しする。無しにして、幸せだった頃の私達を取り戻してみせる! だから待っててね、セルマ。待っててね、私の愛しい人……」
ドランケン様の望みを実行するには、過去から未来へと流れる時間の理を覆さなければならない。そんなことは無理というものだ。いくらドランケン様とて、無理なものは無理なのだ。
彼女の愛は盲目だ。
でも、それでもかまわない。私は彼女について行く、従って行く。
盲目でない愛がどこにある?
彼女ほど愛に溢れた神が、どこにいる!
エトレーゼの王宮を出た私は、グングンと高度を上げていった。天界は、上空の、そのまた上空、とんでもない高さの所にある。あるとは言っても、明確に存在するのは扉だけ。その扉の向こうに広大な別空間(天界)が広がっている。原理はわからないが、とにかく広がっているのだ。(天界への扉は複数存在する。私はエトレーゼから一番近い扉に向かった)
私は扉に手を当て、ドランケン様から教わった開錠の呪文を唱えた。
「開け、ゴマ!」
どうしてゴマなんだろう? ドランケン様達神々のセンスが、今一よくわからない。
しかし、まったく変化がない。発音が悪かったのかと思い、繰り返し唱えてみたが扉の錠は解除されない。私はこれまで十度近く天界を訪れたが、このようなことは一度も無かった。他の扉も廻ってみたが、全部ダメだった。
ドランケン様と連絡がとれない上、天界の扉が全て閉ざされているなんて……。おかしい、おかし過ぎる。焦った私は力技に出た。
「意地悪な扉め、叩き壊してやる! ドラゴンパンチ! ドラゴンキック!」
何度も何度もやったが、ダメだった。手と足を盛大に痛めただけ。さすが、神々謹製の扉。
「やるな、お主」
仕方ない、戻るとしよう。こんなところで息を切らしていたって得るものは何もない。私は天界の扉を後にした。心は不安でいっぱいだ。
ドランケン様、どうかご無事で!
私は王宮に帰還した。留守にしていた時間はたった数刻。それなのに、戻ってそうそう凶報に迎えられた。パパとママがオールストレームの王都を襲撃するために飛び立ったというのだ。
私は姉達を怒鳴りつけた。
「セイディ姉! シャロン姉! 休戦協定はまだ残ってる、どうして止めなかったの! どうして!」
セイディ姉は下を向いたまま謝った。
「申し訳ありませんでした……、陛下」
セイディ姉の役職は宰相、つまりNo.2。私が不在の時には、彼女がエトレーゼ王朝の最高責任者だ。セイディ姉の握りしめた拳が震えている。
しかし、No.3の副宰相、シャロン姉は違った。ちゃんと私の目を見据え反駁して来た。
「止めたわよ! お姉様も私も必死に止めた。貴女が、エトレーゼの女王が、協定が終わるまで絶対動くなと厳命していると言った。でも、ホワイトドラゴン様、ブラックドラゴン様、お二方とも全く聞く耳をもってくれないの!
『ルシアハ ワレラノムスメダ。ムスメニ メイレイサレル オヤガ ドコニイル?』
どうしようもなかったのよ、どうしようも!」
「それは……」
言葉が続かなかった。シャロン姉の言うことはもっともだ。二人に非はない。悪いのは私だ。
「ごめん、謝るよ。セイディ姉、シャロン姉」
パパとママは常々、私のやり方、考え方がまだるっこしいと嘆いていた。特に、より好戦的なママなどは煩かった。
『ルシア。ドランケサマハ ワタシタチニ エトレーゼニ テキタイスルモノヲ ハイジョシロト メイジラレタ。ワタシタチハ タダタダ ソノメイニ シタガエバヨイノデス。アナタハ ワタシタチ ドラゴンガ ドランケンサマカラ ウケタオンヲ ワスレタノデスカ』
「忘れてないよ、忘れてない。でも、三年間の休戦協定はエトレーゼの女王として私が下した判断。ごちゃごちゃ言って来ないで。お願いだから、ママ」
忸怩たる思いが心に充満する。
どうしてパパとママが私が不在時に、オールストレームに襲いかかることを予見できなかった?
どうして停戦協定の必要性を、それを守ることの大切さを、きちんと説明しておかなかった?
どうして……、
どうして私はこんなに間抜けなんだ!
これでエトレーゼは、国と国との約束を守れない卑怯者の烙印が押されることが決定した。それでなくても、大陸におけるエトレーゼの印象は極端な女尊男卑国家、差別国家としてろくなものではないのに……、
私は最強のドラゴン。力でオールストレームや他の国々を圧倒することは出来る。でも、それは彼ら彼女らに面従腹背をさせるだけ、その心は、卑怯者には絶対ついて来ない。そんな状態でエトレーゼが大陸全土を、七千万超の人々を統治していかなければならないだなんて……。最悪だ、最悪!
しかし、今は、未来を嘆いている場合ではない。今すぐ、オールストレームの王都に向かわなければ、パパとママを助けにいかなければ。
パパとママは弱い……、私よりずっと弱い。キャテイ神から神々謹製の武器を与えらえた今のアリスティア達には勝てはしない。死にに行くようなものだ。
どうか、間に合って!
そう願いながら、私はオールストレームの王都、ノルバートへ跳んだ。瞬間移動した。