プロポーズ
2021.08.23 アリスの年齢間違いを修正。
2021.10.16 アリスとエルシー会話、もたつきを修正。
聞きなれた声が響く。でも、その声は虚ろに陰っている。
「アリス姉様……、コーデからこれを預かっております」
私の前に差し出されたのは一通の手紙、宛名は書かれていない。私は尋ねた。
「エルシー、これは私宛のものなの?」
「いいえ、全員へのものだと言っていました。けれど、コーデは、アリス姉様に、並行世界の自分だったアリスティアお姉様に、一番最初に読んでもらいたいのではないでしょうか」
「そうね、そうかもね。ありがとう」
私はエルシーの気遣いに礼を言い、手紙を開いた。最初の一文を読んだだけで、ドキリとする、泣きたくなる。あの皮肉屋のコーデが、素直に私達への気持ちを述べている。
『 親愛なる皆様へ、私の、コーデリアの、大切な大切な皆様へ 』
この手紙は別れの手紙。コーデからの私達へのサヨウナラ。
『皆様にお知らせすることなく天界へ向かうこと、我が娘、キャティの分を含め深くお詫び申し上げます。どうか、どうかお許し下さいませ。私には……、ドランケンの母であった私には、自ら出向いてドランケンを止める、命を懸けてでも止める。それ以外、道は残されていないのです』
コーデの文字はとっても美しい。こんな時でも美しい。
『私は先ほど、キャティから新たなる話を聞かされるまで、ドランケンへの対応はキャティ達に任せる気でいました。人に転生して神ではなくなってしまった私には、ドランケンを抑える力なんてありはしない、キャティ達、娘息子達に頼るしかないのだと……。なんて情けない女、恥知らずな親であることでしょう』
情けない女、恥知らずな親……。そんな悲しいことは言わないで。私達の大切な貴女は、そんな者じゃない。
それに、今のコーデに、漸く得た幸せな生活を投げうって、この世界最強のドランケン神に向かって行けというのは酷過ぎる。
コーデの前々世は並行世界の自分、葛城野乃。けれど、彼女は何でも中途半端だった私なんかとは違い、一生懸命に人生を生きた。兄妹の愛の越えて愛した兄を他人に奪われた後でも、なんとか頑張って、踏ん張って生きようとした健気な少女だった。そんな彼女が、今の幸せ、今世の幸せを守ろうとして何が悪い?
悪くない。絶対悪くないよ、コーデ。
『しかし、そのような甘えたことを考えていられる事態では無くなりました。天界からキャティへ連絡が届きました。ドランケンがピーターに、自らの姉に手をかけたのです。ピーターはキャティ達に組みしない中立の立場だったのに……。ああ、なんてあの子は自分勝手で愚かなの!』
私は子供を持ったことが無い。それでも、コーデの悲しみは容易に想像できる。
『ボロ雑巾のように打ち捨てられた状態でピーターは見つかりました。そして、彼女の神核は殆どを削り盗られていたそうです。神核、神力の源。多ければ多いほど、より沢山の神力を持つことが出来ます。ピーターの神核を得たドランケンはさらに強くなってしまいました』
「ピーター神の神核を盗った……、そんな……」
愕然としてしまった私に、エルシーの言葉が追い打ちをかけるようにのしかかる。
「アリス姉様。本当の状況は、もっと悪いのです」
「もっと悪い? それはどういうこと?」
「ノエル殿下とコーデには、これ以上の心配をかけたくないから、皆には話さないようにと言われましたが、やはり、伝えさせて頂きます。ドランケン神に神核を盗られたのはピーター神だけではないのです。マイス神も……、殿下が先に協力を取り付けていたマイス神も二か月前、神核を削り盗られています」
汗がこめかみをつたう。ベタっとした汗、気持ち悪い汗。
そうか、それでか。あの時、そのせいでキャティ様はあんなに慌てて天界へ戻られたのか。
「そして、更に力を強くしたドランケン神に恐れをなして、クイネス神、ボーター神、バッファ神が身を隠してしまいました。もうこの三柱の協力は得られないと考えなければなりません」
「ちょ、ちょっと待ってよ。それじゃ……」
声が震えた。元々最強のドランケン神が、更に強くなった上に、味方から三柱も離脱だなんて悪夢以外の何物でもない。
「そうです、殿下達が勝てる見込みは殆どなくなりました。対決すれば殿下とコーデは死にます、ドランケン神に殺されます。でも、それでも、殿下とコーデは天界へと向かいました。わたし達のために、わたし達のオールストレームのために……」
エルシーの声が涙声になる。
「わたしは殿下の妻です。結婚して数日しか共に過ごしてはおりませんが、妻であることには変わりありません。そして、コーデは可愛い妹。あんなに可愛がっていた妹なのに、わたしはあっさり二人を見捨てました。『わたしも一緒に行きます』と一度も言いませんでした」
エルシーの抑えられていた感情が爆発した。
「わたしは最低の人間です! これ以上ないくらい最低の人間なんです!」
「エルシー、落ち着いて! 相手はドランケン神なのよ、貴女がついていっても足手まとい。ついて行かなかったのは正解、何も間違っていない。それに、二人は貴女が一緒に行くことを望んだ? 望まなかったでしょ!」
「足手まといとか、二人が望まなかったとか、そういう話ではないのです! アリス姉様!」
「話ではないって、そういう話でしょ。相手が望んでいないのに――」
「まだ、わからないのですか! わたしが真に愛しているのはアリス姉様です! だから、お姉様以外は、わたしにとってどうでも良い存在なのです! ノエル殿下だって、コーデだって、ルーシャお姉様だって、お父様、お母様だって、他のどんな皆だって!」
「エルシー……」
エルシーの気持ちはわかっていた。実際、彼女は今言ったようなこと、『お姉様が一番大事』を以前から私に伝えていた、伝えてくれていた。しかし、臆病な私は彼女に答えを返さなかった。答えを返すのが怖かった。
エルシーは続ける。もう彼女の美しい顔は涙でぐしゃぐしゃだ。
「わたしは以前から、こんな偏った愛しか持てない自分が嫌いでした。でも、ここ何年かで、アリス姉様や他の皆が、わたしを導き変えてくれた。わたしはアリス姉様以外の人にも、少しは愛を持てるマシな人間になれた。そう思っていました」
「そう思っていた? あってるじゃない。貴女はきちんと周りを思いやれる。そういう娘だわ」
「違います! わたしの冷酷さ、薄情さは以前と何も変わっていない。変われたと思ったのは、全くの勘違い。わたしの罪悪感が見せた幻想。ただの欺瞞に過ぎないんです!」
薄情、冷酷、欺瞞……、羅列される罵倒の言葉。
私は腹が立ってきた。エルシーを叱りつける。
「エルシー、どうして罪悪感だの、欺瞞だのなんて言葉を使うの! どうしてそこまで自分を貶めるの!」
「自分自身が嫌いだからです。皆、わたしを好いてくれたのに、あんなに良くしてくれたのに……」
耳が悲鳴をあげる。もう止めて、もう止めて、エルシー……。
「こんな最低な人間、お姉様の隣にいる資格がありますか? お姉様はいて欲しいですか? いて欲しくないでしょ、いて欲しくないに決まってます! 生まれて来なければ良かったんです、わたしなんか!」
「エルシミリア!」
カッとした私は、右手を後方へ振り上げた。エルシーが反射的にビクッと体を縮こまらせる。でも、私の右手は上がったまま、振り下ろせない。振り下ろせる訳がない。
私の人生は常にエルシーと共にあった。エルシーと一緒に笑い、喜び、泣き、悲しんだ。もし、エルシーがいなかったら、私の人生はどんなに味気ないものになっていたことだろう。
エルシーは最初から私を慕ってくれた。
『お姉様、お姉様。私のアリスティアお姉様!』
と、私への好意を示し続けて来てくれた。時には行き過ぎた好意もあったけれど……、
『お姉様のためなら死ねます。死ねというなら死んでみせます』
バカ……。
貴女が死んだら、私が生きて行けないよ。
貴女は、私に寄り添い続け、一生懸命に私を支え続けて来てくれた。そんな貴女を好きにならない訳がある?
貴女の笑顔が好き。
私より少し低いその声が好き。
その少しひねくれた性格が好き。
その割に、ちょろいところも好き。
絵が超下手なとこだって好き。
大好きなんだよ! エルシミリア!
貴女がいない世界なんて絶対嫌、私が欲しい世界は、貴女が笑っていられる世界、笑顔の貴女の隣に私が立っていられる世界なの! どうしてそれがわからないの!
『わからなくて当然でしょ、アリスティア。貴女は言葉にしないもの』
突如、ユリアが、心の中で話しかけてきた。
ユリア! 驚かさないでよ。今日、全く話しかけて来ないから眠ってると思ってた。起きてるなら、起きてるって言ってよ。
私は抗議した。その抗議は、あっさり無視された。
『アリスティア、エルシーに言ってあげなさいよ。自分にとっての一番はエルシー。一番好きなのはエルシーだって』
ユ ユリア。どうしてそのことを……。
『どうしてって、頭の悪い質問ね。私と貴女は心の中で話が出来る、つまり、私と貴女は繋がってる。貴女の考えたこと、思ったことは全部私に筒抜けなのよ』
そんな! なんてこと!
私は絶望した。私は聖人とは程遠い人間。普段、くだらない妄想や、恥ずかしい妄想をいっぱいしている。それをユリアがリアルタイムで鑑賞していただなんて……、
死のう。死んでしまおう。
『アリスティア、貴女ほんとお馬鹿さんね。冗談に決まっているじゃない。ウフフ』
冗談なんかい!
心の底からホッとした。そして思う。やはりユリアはカインだ……、ちょっといじわる。
『ねえ、アリスティア。私に気を遣うことはないのよ』
ユリアの口調が変わった。真面目な方に。
ユリアに気を遣う? それってどういう……。
『貴女は人に優劣をつけるのを嫌う。だから決断出来ず、八方美人になる。もう、ここまで来たら言わせてもらうわ。貴女はハーレムの主になりたいの?』
ハーレムの主! そんなこと思ったことないよ!
『だったらエルシーに貴女の気持ちを言ってあげなさいよ。私に気を遣うことない。自惚れかもしれないけれど、貴女の心に一番引っ掛かっているのは私、貴女の守護者たるユリア』
キリリと心が痛んだ。
ユリアが言ったことは正解だ。私が一番好きな人、一番傍にいてもらいたい人が、エルシミリアだと気付いた時。私を好いてくれている人達のことを思った。
コレット、ごめんなさい……。エメライン、ごめんなさい……。
でも、真っ先に思ったのはユリアのこと。
ごめん、ごめんね、ユリア。貴女は今まで私を懸命に支え続けて来てくれた。それは決してエルシーに負けないくらいなのに。
『謝らなくていいのよ。私は、貴女にとって本当の他者ではないもの。気にしないわ』
本当の他者ではない?
『ええ、前に言ったでしょ。私は貴女の心から生まれたの。私は私であるけれど、貴女でもあるの。だから気にしない。自分自身が一番好きだなんて、ナルシストみたいで私は嫌だわ』
うーん、ユリアはユリアだと思うけどな……。今一つよくわかんない。
『別にわからなくてもいいわよ。とにかく、エルシミリアに「貴女が私の一番」だって言ってあげて。エルシミリアは良い子よ、とっても良い子。私は大好き。彼女は心の底から貴女を愛し慕ってる。なんとか貴女の役に立とうと頑張ってる。その献身ぶりを見ていると切なくなる、切なくて泣きたくなるの。だからね、アリスティア……』
ユリアが、私の背中を押してくれた。
「アリス姉様、どうしたのですか? どこか体の調子でもおかしいのですか?」
エルシーが声をかけて来た。私が心の中でユリアと話している間、私は手を振り上げたまま固まっていた。生ける彫像だった。
「大丈夫。どこも悪くないから心配しないで」
エルシーが胸をなでおろす。
「そうですか。良かった……」
先ほど、自分なんて生まれて来なければよかったと、感情を爆発させたばかりなのに、この子は、すぐに私の心配を……、そう思うと愛しさが加速する。よし、このまま行こう。
「エルシミリア。今から私の貴女への気持ちを話すわ。よく聞いてね、これは愛の告白なんだからね」
「!」
エルシーが驚愕のあまり固まった。ポカンと口を開いたまま……。少々アホっぽく見える。まあ、そこがまた可愛いんだけど。
私はエルシーに私の気持ちを話した。私が一番好きなのは貴女であること、一生一緒に生きて行きたいのは貴女なのだということを、懇切丁寧に間違いようのない言葉で伝えた。
それを聞いたエルシーは、また泣いてしまった。
「嬉しいです。本当に嬉しいです……、お姉様……」
エルシーから帰って来た言葉は平凡だった。でもそれが嬉しい。人間、本当に感情が、心が、動かされた時、凝った表現やおしゃれな表現は出て来ない。出てくるのは平凡な言葉、とっても平凡な言葉だ。
「でも、お姉様。私はもうノエル殿下、キャティ様の妻です。お姉様に愛してもらえる立場ではありません」
「殿下と、キャティ様と結婚したことを後悔しているの?」
「してません。あの時、私はお姉様を守るためにはどうしたら良いか一生懸命考え、殿下との結婚が最善の方法だと判断しました。その判断は今でも間違っていなかったと思っています」
エルシー毅然と答えた。素晴らしい、さすが私の自慢の妹。
「だったら良いじゃない。私は別に愛人の立場でも気にしないわ」
「愛人ですって! そのような恥ずかしい立場に、お姉様を立たせる訳にはいきません。絶対ダメです!」
おおっ、倫理観もしっかりしている。良きかな、良きかな。
「冗談よ。私も愛する人を他人と共有するのなんてイヤ。だから、ことが落ち着いたら、ちゃんとノエル殿下に話すよ。エルシーを返して下さい、私の元へ戻して下さいって」
「殿下は私を愛してくれています。簡単に納得してくれるとは思えません。絶対返さないと言われたら、どうするんですか?」
「その時は、実力行使。貴女を賭けて決闘よ」
「決闘! 馬鹿なことを言わないで下さい。殿下は、キャティ様は神々の一柱ですよ。到底、お姉様が勝てる相手ではございません!」
「フフフ、舐めないでよね。私は、やるときはやる女。やればできる子なんだから!」
「やればできる子って……」
エルシーの顔が不安のかたまりになっている。まあ、そうなるわね。どう考えても私が勝てる確率は無に等しい。けれど、私の心は凪いでいる。不思議と負ける気がしない、神々の強大な力が恐ろしくない。この感覚を信じよう、信じていこう。
「まあ私に任せてよ。それより、私達は私達のやるべきことを先にやらなきゃね。今、私達がすべきことは何?」
エルシミリアに問いかけた。彼女はちゃんと答えてくれた。
「エトレーゼに、ルシアに勝つこと……」
「そう。最強ドラゴンたる彼女に打ち勝たなければ、私達に未来はない。絶対勝たなければならない。勝って、ノエル殿下とコーデの帰りを待つの、二人もきっと帰って来るわ」
「そうですね。きっと帰って来てくれますよね」
エルシーが涙ぐむ。二人は大事な人、とってもとっても大事な人……。
「さあ、これから頑張って、頑張って、頑張って生き残りましょう! 私達はまだ十六才。こんなところで人生を、貴女との未来を終わらせてなるものですか!」
「はい、お姉様。頑張ります! アリスティアお姉様は、わたしが絶対守って見せます!」
もう! 私だって貴女を守る!
エルシーを引き寄せ、抱きしめた。
「エルシー……」
「何ですか、アリス姉様」
「愛してる」
「フフフ、もう先ほどから、何度も聞かせてもらいましたよ」
そう言って、エルシミリアは花が咲くように笑った。