セルマ(前編)
2021/06/19 セルマの人称を「アタシ」から「私」へ変更。
「ねえ、ドリス。二人でパーティ組もうよ、組もう!」
「はあ?」
私は手に持っていた火酒の杯をカウンターに置き、隣に座る赤毛そばかす顔の娘、セルマに視線向けた。期待に目を輝かせるセルマの笑みがアップになる。近い、近過ぎる。この娘のパーソナルスペースは狭すぎる。
娘……。彼女の若々しさに、ついそう言ってしまうが、彼女は二十代半ば。普通ならとうに結婚し子供を何人も産んでいる年頃だ。
「嫌よ。どうしてセルマとそんなもの組まなきゃならないの。だいたい私は、冒険者じゃないんだから」
「えー、そんなのギルドに登録すれば良いだけじゃん。一緒にやろうよ、やろうよ、やろう~」
セルマが私の両肩に手を置き、盛大に揺さぶってきた。グラン、グラン。
「えーい、鬱陶しい。あんたは子供か!」
「子供でも何でも良いからさー。私はドリスと組みたいのよ、貴女が好きなの。ね、お願い、私とパーティ組んで」
貴女が好き。セルマの言葉にドキッとする。
好き……。それは、とっても厄介な感情。
嫌いという感情と違って、好きという感情は決して自己完結しない。好きになった相手には、こちらも好きになってもらいたい。そう思ってしまう、心から願ってしまう。
なんて切ない感情……、なんて苦しい感情……。
……様。
どうして私を選んで下さらなかったのですか。
どうして、あんな気ままな……。
口は動く。心を裏切って動く。
「こっちは別に好きじゃない。片思いは迷惑よ」
「ぷっ、クールぶっちゃって。心にもない台詞を言ってるの丸わかりよ。ドリスったら、ほんと嘘が下手なんだから。この大根役者」
「大根ですって、私のどこが大根なのよ!」
思わず大きな声を出してしまったが、セルマはニマニマ顔。謀られた……。これでは『嘘を言いました』と言っているの同じではないか。頭が痛くなって、手をこめかみに当ててしまった私をセルマが尚も拝み倒す。
「パーティ組んで、お願い! お願いします、ドリス様!」
彼女の合わせた手が目の前にある。その右手の甲も、右手首の裏側も奇麗な肌のまま……。加護の紋も、眷属の紋章も刻まれてはいない。彼女は俗に言う「神棄」。貴族からの脱落者だ。
セルマ。セルマ・フォン・エトレーゼと出会ったのは十日前。その日、私は深い森の中にある湖の湖畔に腰を下ろし佇んでいた。新緑に煌めく木々を映す澄み切った湖面を見ながら思う。
なんて美しい自然……、なんて美しい世界……。
よく頑張った、ほんとよく頑張って再現したものだ。私達は褒められていい。もっともっと褒められるべきだ。
しかし、この美しい世界にもノイズはある。それらは穢れ、愚か者達が作り出した穢れ。
それらの馬鹿さ加減にうんざりする。知能の低さは致し方ないとしても、野生の勘さえ働かないのは情けないにもほどがある。私に忍び寄ろうなどと、私を捕食しようなどと……、
「危ない!」
その叫び声と共に、長剣を持った皮鎧の娘が私の前に躍り出た。そして、その長剣を飛びかかって来た魔獣に打ち付ける。
ガキッ! 鈍い打突音と共に魔獣の牙は叩き折られ、魔獣は悲鳴と上げながら後退した。しかし、彼女の剣も根元からポッキリ……。
「うそ~ん。これのどこがミスリルよ。紛い物じゃない! くそー、武具屋の親父めー。今度、店にいったら金玉蹴り上げてやる!」
ぶつくさ言いながらも、彼女は術式の構築に入り、数秒を経ずして攻勢魔術を発動した。魔獣が再度の攻撃を図ろうしていた瞬間だった。ナイスタイミング。
彼女が放ったのは風系統の攻勢魔術。高密度に圧縮された空気の刃が魔獣を襲い、全ての足を切り落とした。なかなかの威力だ、ちょっと感心した。
「怖かったでしょう、もう大丈夫だからね」
彼女は私の方を振り返り、にっこりとした。彼女の額は汗びっしょり、私を気遣っての、頑張っての微笑みだろう。優しい娘だ、好感を抱いた。
私は立ち上がり、四肢を切断された痛みにのたうちまわる魔獣へと向かった。彼女が慌てる。
「まだ危ない、近寄っちゃダメ! 今から私が止めを――」
私がやったほうが早い。こいつはノイズ、こいつの声はなんとも耳障りだ。彼女と同じ魔術を繰り出した。
魔獣の首がゴロンと転がった。ノイズが止んだ。
私を助けてくれた(?)皮鎧&紛い物ミスリル長剣の娘、セルマとはすぐに仲良くなった。
「へー、ドリスってライプネルの人なの。道理でね」
「道理でねって?」
「だって、貴女みたいな絶世の美女がこの国、メルクレールにいるなんて聞いたことない。もし、いたら社交界や王宮が放っておく訳ない、とっくに有名人よ」
まあ、そうか、そうなるか。もう少し見目を落とすべきだったかも。これでもかなり落としたんだけれど……。
「でも、何で? 何でこんなところで一人でいたの?」
セルマの緑色の瞳が好奇心に輝いている。とっても澄んだ目、美しいと思った。親と喧嘩して出奔して来たと言うと、セルマは自分が借りている部屋に来ないかと誘ってきた。
「ねえ、そうしよ。行くところ無いんでしょ、そうしなよ」
最初は断ろうと思ったけれど、なんだか断るのも面倒に思えて、二、三日お邪魔することにした。たまには、こういう経験も良いだろう。そう考えていたのだが、彼女の部屋(宿屋の屋根裏部屋)に来て、はや十日……。セルマの傍は妙に居心地が良い。
宿屋の一階に併設されているパブから戻ってきて、寝台にゴロンと横になっていると、椅子に反対に腰掛け、背もたれに顎をのせたセルマが、ぶーたれた。
「何度も言ってわるいけど、ドリスってほんととんでもない美人よね。顔は、これ以上は無理ってほど整ってるし、スタイルも抜群。そして、その奇跡の黒髪! 満天の星空を切り取って来たって、そんな光沢でやしないわ。羨ましい、羨ましすぎる……。ほんと世の中不公平よ、ぶー」
「容姿に関しては比べるのは止めなさい、惨めになるだけよ。この世に私より美しい者はいないわ」
「うう、なんたる高慢! と言いたいところだけど認めるよ、認めてあげる。王国一の美女って言われてるアグネータ姫でも、ドリスと比べたら全然だもんね。月とヒキガエル。相手にもならない」
「へえ、貴女、王女様に会ったことあるの?」
「あるよ、十年以上前だけど。彼女が開いたパーティで一度会ったことがある」
セルマは今でこそ、このような安部屋に住んではいるが、生まれは貴族家。元子爵令嬢。
忠の民、貴族の子供が神々から眷属の紋章をもらえるか、もらえないかが決まるのは十二歳の誕生日の朝。その運命の朝、彼女の手首には何の紋章も刻まれなかった。どの神々も彼女を眷属として認めなかった。
魔術は貴族の生命線。術式ジェネレーターというべき紋章を持たず、魔術を使えない者が、そのまま家においてもらえるほど貴族社会は甘くない。彼女は慣習通り放逐された。その日からセルマは貴族の一員ではなくなった。
「確かに綺麗な姫様だったわ。多くの令嬢に囲まれても、断然キラキラしてた。でも、大嫌い、高慢ちきな嫌な女。子爵家で凡庸な容姿の私なんか虫けらのように扱われた。それに、あの姫がしてる贅沢って言ったら! 金貨十枚くらいなら、一日で消えちゃうわ」
「金貨十枚が一日……。それは酷い姫、悪い姫ね」
「でしょ」
「でも、その姫より王、陛下の方が悪くなくて。そんな姫を諫めもせず、贅沢を許してる陛下が一番の悪よ」
セルマは私の意見に賛同した。「そうね、確かにそうよね」
この国、メルクレール王国は賞味期限が切れかかっている。今の王で十五代目、二百年以上続く現王朝は、とうの昔に自浄作用を失い腐敗しきっている。ただ、この国には良質な金鉱が沢山ある。それらが現王朝をなんとか支えている。
「まあ、今ではそんなことは、どうでも良いか。もう陛下も姫も遠い遠いお方。社会の最下層、冒険者の私には、関係な~い」
「冒険者ね……。名前だけはカッコ良いのにね」
「ドリスもそう思うよね。誰だこんな名称つけたの。実態はただの日雇いの何でも屋、人に勧められる職業じゃないよ」
そんなことを言いつつセルマは結構稼いでいる。彼女はなんといっても魔術が使える、神棄なのに実質、紋章をもらった貴族と何ら変わらない。いや、それ以上だ。紋章が紡いでくれる保証があるのは第二段階の魔術まで。セルマは第三段階を常用し、時には第四段階の魔術まで繰り出す。
だから、聞いてみた。
「セルマ、実家に戻ったら? 今の貴女だったら、諸手を上げて迎えてくれるでしょ」
「嫌よ、あんな薄情な家」
「薄情なの?」
「薄情よ。家を放り出される時くれた餞別が銀貨一枚よ、銀貨一枚。これを薄情と言わずに何を薄情と言うのよ」
「うう、それはちょっと酷いわね」
私はセルマに同意したが、セルマの家が間違っているとも思えない。少々のお金を渡したところで、そんなもの直ぐに使い切ってしまう。遅かれ早かれ、なんとか自分自身で糊口をしのぐ術を見つけるしかない。しかし、元貴族だったプライドが邪魔をする。
下働きなんか、平民の嫁になんか……。
そして、女性の場合は、お決まりの娼婦落ちコース。(ちなみに、元貴族の娼婦は人気がある。それまで、お貴族様だと威張り散らし、蔑んだ目を向けてきていた者を、組み敷けるのだ人気が出ない訳がない)
私は棚に目をやった。そこにはずらっと何冊もの魔術の教本が並んでいる。
どれだけ努力したのだろう……、
どれだけ教本と格闘したのだろう……、
どれだけの涙を飲んだのだろう……。
はっきり言って、魔術の術式は複雑怪奇だ。紋章に頼らずそれを紡ぐことは、たとえ教本があったとしても至難と言ってよい。殆どの神棄が教本に縋ろうとするが、大抵は途中で諦める。魔術を使えるようになるものは百人に一人か二人。それも大概第一段階どまり。
こういう実態から考えると、セルマが第三段階を常用しているのはとんでもないことだ。素直に称賛に値する。私は決めた。もうちょっと彼女に付き合おう。寝台から上半身を起こした。
「OKよ」
「何が?」
「さっき、下のパブで言ってたでしょ。私とパーティ組みたいって」
「組んでくれるの!」
「ええ。ただし期間限定よ。それでも良い?」
「良いわよ、良いに決まってる! ありがとう、ドリス! 大好き!!」
セルマが喜びのあまり、飛びついてきた。当然、私達は寝台の上で重なり合うことに。よっぽど嬉しかったのか彼女が全然離れてくれない。そろそろ離れなさい、と言おうとしたところで、小さな声、怯えを含んだ声でセルマが言った。
「ドリス。もし、嫌じゃなかったら貴女としたいの、嫌じゃなかったら……」
別に驚きはなかった。セルマがそういう性向を持っているのは薄々だがわかっていた。私は承諾した。
セルマはかなり床慣れしており多彩な技術を持っていた。多分、娼婦時代に覚えたのであろう。(セルマが自ら娼婦をしていたと言った訳ではない。しかし、それはずらりと並ぶ教本を見れば明らかだろう。魔術の教本はとても高価だ。娼婦でもしない限り神棄である彼女に、これほどの量の教本を買える筈がない)
セルマは私を喜ばそうと一生懸命頑張ってくれた。しかし、それらは私にとっては児戯に等しいもの。人の技など、神々の一柱たる私、ドランケンに通用する筈もない。
でも、セルマの私を求めてくれる気持ちは嬉しかった。
とても嬉しかった。
だから、私は演技をした。
感じている演技を……。