大切な日
「ルシア……、本当にルシアなの?」
クローディア陛下の声が少し震えている。これは仕方ないだろう。現在のルシアの姿は、陛下の記憶にあるであろうものとはかけ離れてしまっている。陛下がルシアと最後に会った時、ルシアの年齢は七歳。そして、三年近く立った今、ルシアは十歳なのであるが、どう見ても目の前の彼女は、大人になりかけの少女。陛下の隣に立つエメラインと同じくらいの歳の娘としか思えない。
「はい、母上。私はルシア、貴女の娘のルシアです。このような姿に驚かれたとは思いますが、このくすんだ灰色の髪、この赤い眼。よもやお忘れではございませんでしょう」
「勿論です。忘れるものですか!」
耐えきれなくなったクローディア陛下は前へ踏み出し、ルシアを抱きしめた。ルシアは一瞬、驚いたようだが、直ぐに受け入れ、自らも手を陛下の背に回した。
「ああ、ルシア。ごめんなさい、ごめんなさい。私が女王として不甲斐なかったばかりに、貴女をこのような状況に追い込んでしまった。何と言って詫びれば、何と言って……」
「母上、それは違いますよ。今の状況は、私がグレイドラゴンを受け入れたこと、彼女と一つになったことにより始まったのです。母上のせいではありません。母上は良くして下さった。ロッテとリーゼルという素晴らしい介護人を付け、出来る限りのことをして下さいました。私は母上に感謝の念しか持っておりません」
「そう、そう思ってくれるの……」
クローディア陛下は、ルシアを胸元から放し涙を拭った。そして、ルシアの後ろに立つ二人の女性に礼を言った。
「ロッテ、リーゼル、ありがとう。今も、側近としてルシアを支えてくれているのね。貴女達にはいくら感謝してもしきれないわ」
「勿体無きお言葉です。クローディア様」
「ルシア陛下にお仕えするは、限りなき喜び。私達の方こそクローディア様に感謝しております」
ルシアの二人の秘書官は、かつての主君に深々と頭を下げた。
彼女達のフルネームは、ロッテが、ロッテ・アイヒベルガー。リーゼルが、リーゼル・アイヒベルガー。二人ともクローディア陛下の第一侍女のレイラ様と同じ姓。つまり血縁、レイラ様の七つ年下の妹御達である。
彼女達は、髪の色も、瞳の色も同じ。顔立ちも、体形も全く同じ。それは当然。彼女達は双子。私とエルシミリアと同じなのだ。
この世界では、前世の地球より双子の生まれる確率は遥かに少ない。だから双子には、特に双子の姉妹にはとても親近感を持ってしまう。そのせいもあって、二人がルシアとともに転移して来た時。私は彼女達へ満面の笑みを向けた。
「よくぞ、来てくださいました。ロッテ様、リーゼル様」
私の見て、固まる二人。あら、露骨な笑顔は逆効果? 一応敵対国ではあるし、もう少し抑えた笑顔にするべきだったかも……、と思ったのだが
「アリスティア様! 貴女がゲインズブラントの双珠のアリスティア様なのですね! なんとお美しい! 天使のようなお姿とは聞いておりましたが、まさしくその通り! お会いできて光栄です、握手して下さい!」
「私もです、お願いします!」
「ええ、まあ。握手くらいならいくらでも……」
二人はこちらが戸惑うくらい好意的で、まるで憧れのアイドルを見るかのような熱い眼差しを向けて来た。レイラ様は、そんな私達を見てクスリと笑っている。レイラ様、貴女何か知っておられますね。後で聞かせて下さいませ。
ルシアは、クローディア陛下へ言葉を続けた。
「それなのに、セイディ姉やシャロン姉に、母上のことを誤解させてしまったこと。申し訳なく思っております。二人とも、母上のことに関しては、私がいくら違うと言っても、全く聞く耳を持ってくれないのです。本当にすみません」
「どうしてルシアが謝るのです。貴女は何も悪くありません。ことの大本は私、私の自業自得なのです。でも、庇ってくれてありがとう。嬉しいわ、ルシア」
「母上……」
今度はルシアの方から陛下を抱きしめた。。
良い親子の再会シーンだとは思うけれど、あまり最初からしんみりするのもねーと思い、エメラインに視線で合図を送った。エメラインは頷き、一歩前へ出た。
「ルシア。私は貴女の三番目の姉、エメライン。はじめまして、会いたかったわ」
エメライン、ルシア、クローディア陛下、三人が並んでみると親子、血が繋がっていることがよくわかる。三人ともとってもナイスバディ。羨ましい限り。
「初めまして、エメライン姉上。こちらこそ」
「エメライン姉上か……。エメライン姉とは呼んでくれないのね」
「姉上。それは仕方ないことです。セイディ姉とシャロン姉とは日々、姉妹として一緒に暮らしております。今日初めてお会いしたエメライン姉上とはそういう積み重ねがございません」
「まあ、そうね。その通りだわ」
そう言って、エメラインは小さな溜息をついた。エメラインに、気落ちしないで。貴女もこれから積み重ねていけば良いのよと言ってあげたかった。けれど、これからのことを思うと、そんな無責任なこと言える訳がない。もし言ったとしたら、私は自分を一生許せないだろう。
「でも、私が貴女の姉であることは認めてくれるのよね」
「ええ、勿論です。最初から『姉上』お呼びしているではないですか」
ユリアが心の中で話しかけて来た。今日のユリアは五百円玉状態。細やかな銀の鎖を付けられペンダントとして、私のドレスの襟元で白銀の輝きを放っている。
『アリス、ちょっと肩透かしね。あまりにも普通だわ。これまで見せて来たエキセントリックさは何だったの? これじゃあルシアは普通の令嬢、普通の女の子としか思えない』
まあ、そう思ってしまうのは仕方ないが、ユリアは彼女の見た目に惑わされている。彼女は本当はまだ十歳。この落ち着きぶりは逆に異常だ。六歳も年上のエメラインの方が遥かに感情を揺らしている。
「そう、それなら姉として言わせてもらうわね。ルシア」
「はい、何でしょう。姉上」
素直な返事を返すルシアに、エメラインがビシッと宣言した。
「将来、戦端が開かれ、貴女とアリス様が戦って、もし、私のアリス様に何かあったら、私は貴女を許さない。絶対、絶対許さないからね!」
呆然とする皆。私は心の中でユリアに命じた。瞬時に、右手にハリセンが現れる。ユリアの収納魔法、超便利。
「アホかー!」 スパーン! 「うきゃ!」
一閃された頭に手をやりながら、エメラインが抗議する。
「アリス様、何をするんですか!」
「何をするんですかじゃないわよ! あれほど今回のお茶会は、そういう話は無し。政治的なこと、戦争に関することは絶対話題にしないようにって言ったでしょ、貴女、記憶力ってものがないの!」
思わず大きな声で叱りつけてしまった私に、エメラインは言葉を返してきた。
「だって、だって、アリス様が心配なんです。アリス様いつも言っておられるじゃないですか、ルシアはとんでもなく強い、恐ろしいって。だから、ルシアの姉として、ルシアにきちんと言っておかなきゃって思ったんです」
エメラインの声には、怯えが含まれていた。私の勢いは一気に削がれた。
「エメライン……、気持ちは嬉しいよ。嬉しいけれど……」
貴女の忠告をルシアが受け入れることは無いよ。ルシアは病んでいる。その病んだ部分が私との戦いを、傷つけ合い、殺し合うことを望んでいる。これはもうどうしようもないこと。
「アリス様。私はもし、貴女が亡くなられたりした、生きていけません。いえ、貴女のいない世界など生きていたくはないのです」
「馬鹿なことを言わないで、エメライン! 貴女には家族が、大事な役目が……」
「素晴らしいですわ! エメライン姉上は、アリスティアを愛しておられるのですね。私もです。私もアリスティアを愛しているのです!」
ルシアが目をキラキラさせて割り込んで来た。エメラインの両の手をガシッと握る。その手をエメラインは振りほどこうとするが全く手を動かせない。まあルシアはドラゴン、力で適う訳がない。でも、口は動かせる。エメラインは反駁した。
「ルシア、貴女のは愛じゃない。相手と戦い合う、傷つけ合うことが愛などであるものですか!」
「あら、姉上は頭がお固いのですね。愛も千差万別でしてよ。人にそれぞれ個性があるように、愛の形も人によって違うのです。既成概念に囚われてはいけません。それを打破してこそ未来は開けるのですよ、姉上」
「何を良いこと言ったみたいな顔してんのよ。そんなの詭弁よ詭弁!」
「あらあら、どこが詭弁なのですか? ちゃんと説明して下さいませ。進歩、新たなる創造は破壊なしに成しえぬもの。これは絶対の真理。さあ、教えて下さいませ、どこが詭弁なのです、さあ!」
「ぐぬぬ。ルシア、貴女よくも姉に向かって、そのような口答えを……」
「これは口答えではありませんー。議論ですー、議論に姉も妹もありませんー」
「ルシア! もう許しません!」
うわっ、姉妹喧嘩が始まる! 止めなきゃ! と思ったのだが、その必要はなかった。ルシアもエメラインもクローディア陛下の拳骨に沈んでいた。
エメラインはともかく、ルシアまで痛がっているのは何なの? 彼女ドラゴンよ。それも最強のドラゴン。神剣、天羽々斬を素手で受け止めた子よ。どうなってるの?(後でルシアに聞いてみたが理由はわからず終い。何故か痛かった、とても痛かった。それだけだった)
「エメライン! ルシア! 皆の前で姉妹喧嘩など、エトレーゼの王族として恥ずかしくはないのですか! 大体、貴女達は今日、ここへ何をしに来たのか覚えていますか。答えなさい!」
二人を叱りつけるクローディア陛下に初めて、女王として、母親としての威厳を感じた。私が知っているこれまでの彼女は、はっきり言って、しおしお。エトレーゼで絶対的女王だったのって本当なの? と疑ってしまうほど、頼りない存在だった。
「覚えています、お茶会です……。母上」
「右に同じです……。母上」
項垂れる二人。
母親に怒られしょんぼりとする娘達。はっきり言って、ありきたり。どこにでもある光景だ。でも、そのしょんぼりとしている二人の娘が、片や、エトレーゼの最高権力者として君臨する最強のドラゴン。片や、世界初の魔術薬の開発者で、功績においてはルーシャお姉様、聖女ルーシャに匹敵するとされている。到底、ありふれた光景とは言えないだろう。
とんでもない娘さん達をお持ちになられましたね、陛下。そして、そんな娘達を簡単に沈黙させてしまう貴女。御見逸れしました。これからはクローディアの姉御と呼ばせて頂きます。
姉御が私に向かって頭を下げて来た。
「アリスティア嬢。うちのバカ娘達がお見苦しいところを見せてしまい、真に申し訳ありません。どうか、お怒りを収め、許してやって下さいませ」
「いえいえ、もう怒ってませんよ。二人の私への愛が爆発してしまったのですね。いやー、もてる女は辛いですねー」
別段、たいして気にもしていない私は冗談で流そうとしたのだが、陛下も冗談で返してきた。きつい冗談で……。
「そうでしょうね。貴女は大変女性にオモテになりますものね。アリスティア嬢」
一瞬、姉御に対して殺意を抱いてしまったことを、ここに告白します。
そのジョークはきつい……。きつ過ぎるよ、姉御!
しかし、私はお茶会の主催者。円滑にお茶会を進行させ、お客様達に楽しんで頂かねばなりません。姉御の駄ジョーク一つでメルトダウンなんてしておられません。私は、招待客の方々に向けて、とびっきりの笑顔を向けました。
「さあ、皆様。そろそろ会場へ参りましょう。今日は、選びに選んだティーとティーフードを用意しておりますよ。楽しみにしていて下さいね」
こうして、お茶会は始まった。予想していたより、ずっとずっと穏やか(?)な始まりだった。
ユリアが話しかけて来た。
『アリスティア。いっぱい話して、いっぱい話を聞いて、場を盛り上げてね。彼女達にとって、今日という日は二度とない大切な日なんだからね』
わかってわよ。貴女もちゃんと協力しなさいよ。ユリア。
『勿論。ねえ、アリス……』
何よ。
『貴女を愛しているわ。その気持ちは誰にだって負けない。誰にだってね』
ユリアの心から伝わって来る、暖かくも切ない感情で胸がいっぱいなる。
言葉が上手く出て来ない。
ありがとう、ユリア。
ありがとう……。
私は女性にもてる。本当によくもてる。そういう星の下に生まれたようだ。
ロッテとリーゼルはルシアの秘書官となっておりますが、秘書官の役割は侍女とさして変わりません。名称として、そっちの方がカッコいいとルシアが思って使わせているだけです。