私の家族
私は、ルシア・エトレーゼ。十歳。
十歳なのに、エトレーゼの女王なんてものをやっている。王や女王というのは国で一番偉い人、だから、いっぱいいっぱい書類が回ってくる。それはそれは沢山回って来てしまう。
毎日、毎日が、それらとの格闘の日々。セイディ姉、シャロン姉。何故エトレーゼは、こんなに文官が少ないの? 早く育ててよ。私、泣いちゃうよ、泣いちゃうからね。
「なになに、第三離宮の老朽化のための改修費。三十憶……、馬鹿か! 戦時が近づいているのに、そんなことに使ってらんないわよ! 却下よ、却下!」
コンコン! 執務室の扉がノックされた。
「陛下。少し時間、よろししいですか?」
「いいよ、入って」
入って来たのは、ダークブランの髪を編み込んだきりっとした女性。如何にも意思の強そうな濃紺の瞳を持っている。彼女の名はロッテ・アイヒベルガー。私の二人の秘書官のうちの一人。もう一人の秘書官はリーゼル。リーゼル・アイヒベルガー、ロッテの双子の妹。
ロッテとリーゼルは、秘書官になる前は私のお世話係。王宮の隠し部屋で、寝台から動けないほど病弱だった私を、赤ん坊の頃から介護し続けて来てくれた。
今、二人は、二十代半ばになっているが結婚はしていない。私なんかの世話係になったせいだと思い、彼女達に謝ったことがある。心を込めて深く頭を下げた。
「ロッテ、リーゼル、ごめんなさい。あたしのせいで貴女達は……本当にごめんなさい」
でも、返って来たのは二人の苦笑い、二人は顔を見合わせて吹き出しかけていた。
「ルシア殿下。そのような謝罪は全くされる必要はありませんよ」
「そうですよ。私にはリーゼル、リーゼルには私という、これ以上ないパートナーがいます。夫など必要ないのです」
「それは、そうかもしれないけれど……」
今ひとつ納得出来なかったけれど、彼女達の言葉に嘘はないと思う。二人が互いを、掛け替えのないパートナーだと思っていることは、日々の彼女たちの振る舞いから大変よく見て取れる。彼女達は相手の意見や行動に、異論を挟むことは滅多にない。物事が完遂されるまで、だまって二人で協力し合う。
この確固とした信頼感はどこから来るのだろう。それは彼女達が普通の姉妹ではなく、双子の姉妹だからだろう。双子として生まれたことによる、周囲からの疎外感が二人の結束をより強固にした。そうに違いない。
大陸諸国において、双子は一家に不幸を招くものとして忌み嫌われている。エトレーゼにおいても、それは例外ではない。ロッテ、リーゼルの姉妹も周りから、母親からでさえ厭われ、男の子のような粗雑な扱いを受けたそうだ。
ただ、七つ年上の姉、レイラ、彼女だけは二人に優しく接してくれたという。
「ロッテ、リーゼル。双子だということを恥じてはだめよ。双子が不幸を招くなんて迷信なんだからね」
「でも、私達が生まれてからは、うちは家は落ちぶれていくばかり……」
「やっぱり、私達のせいなんじゃ……」
「そんなの、二人のせいじゃない。お母様が爵位に胡坐をかくばかりで努力なされないからよ、自分の怠惰を二人のせいにしてるだけ。家のことは心配しなくて良い、私は王宮への出仕が決まってる。絶対、盛り返してみせるから!」
「「 お姉様、かっこいい…… 」」
彼女達の姉は優秀だった。王宮の上級職の試験を一回で突破した。
「話を戻すわよ、二人は、『ゲインズブラントの双珠』って知ってる?」
ロッテも、リーゼルも知らなかった。
「『ゲインズブラントの双珠』というのはね、オールストレームに生まれたとっても美しい双子の姉妹のことなの。彼女達、天使と見紛うばかりの美しさ。二人を見て息を飲まない者はいないって話よ。でも、彼女たちが本当に凄いのは美しさじゃないの、魔力量なの。伯爵家の娘なのに魔力量が凄いのよ。妹の方はゴールドの中位。そして、姉の方が、なんとプラチナの上位なんですって」
「プラチナの上位! 伝説級のランクですね、確かに凄い……」
「お姉様、それほんとですか? 我が国のクローディア陛下より遥か上なんてありえるのですか?」
「ほんとよ。王宮も教会を通じて裏を取ったって聞いたわ」
「そうですか……。それにしても、天使のような美しさに、圧倒的な魔力量だなんて、そのゲインズブラントの双珠という双子は神々に愛され過ぎですね。羨ましい限りだわ。そう思うでしょ、ロッテ」
「そうね、リーゼル。ほんと羨ましいし、妬ましいわ」
「もう! 二人とも私の言いたいことがわからないの?」
二人は、頭を優しく小突かれた。こういうスキンシップを彼女達に取ってくれるのはレイラだけだった。
「私が言いたいのは、双子だって他と同じだってこと、忌み嫌われるべき存在じゃないっていうことよ。ゲインズブラントの双珠のように神々に愛されることもある。つまり普通と同じ存在なの。ね、わかるでしょ」
レイラのこの言葉は、彼女達の転換点となった。
それまでの卑屈さを捨てられた、胸を張って生きて行こうと思えた、自分達は救われた、姉は恩人だと、二人は言っている。
その姉のレイラは、後年、私の母上、女王クローディアの侍女となり、今、現在でもオールストレームに建てられた亡命政権において、母上に付き従っている。つまり、ロッテとリーゼルは、敬愛する姉のレイラとは、今現在、敵同士の間柄になってしまっている。
「陛下。私達は貴女様の御世話係になった時から、忠誠を捧げて来ております。何処までも付いて行きます。このことはレイラ姉上も認めてくれるでしょう。大体、『ルシア様を支えて欲しい』と言って、お世話係に私達を推挙したのは姉上です。もし、文句なんて言おうものなら、姉だとて容赦しません」
「そうです。怒鳴りつけてやります」
ロッテとリーゼルは、こう言ってくれてはいるが、私達、王族の確執に巻き込まれた結果であることに違いなく。どうしても申し訳なく思ってしまう。
しかし、エトレーゼとオールストレームの対決はもう避けようがない……。
セイディ姉とシャロン姉はオールストレームに恨み骨髄となっている。セイディ姉に比べ穏健派だったシャロン姉でさえ、ザカライア騒動の時、オールストレームの一騎士にのされたことで、一変、今ではセイディ姉以上の強硬派になってしまった。
まあ、それでも私はエトレーゼの女王。力と権威で姉上達を押さえつけるは出来る。しかし、押さえつけたとしても、ドランケン様が、オールストレームとの和睦など許してはくれはしない。
ドランケン様は、寵愛したセルマが作った国、エトレーゼを愛してくれている。そのエトレーゼに矛を向ける者には、何人たりと容赦はしない。そういうお方だ。
はっきり言って、私はドランケン様が恐ろしい。彼女の力は十三柱の神々の中でも圧倒的に強大。彼女の一睨みだけで、最強のドラゴンである私が冷汗びっしょりになる。(こういう経験を積んでいるおかげで、先日、オールストレームの王宮でキャティ神に会ったことは、なんてことはない経験だった。彼女の発する神圧など、まさに子猫。ドランケン様と比べるべくもない)
そして、それら以上に問題なのが、私の気持ち、私の願い、私の衝動……。
アリスティアと死力を尽くして戦いたい……、傷つけ合いたい、殺し合いたい。
彼女は私に唯一、私に生の喜びを感じさせてくれる人。このあまりにも強靭過ぎて、何の苦痛も無いかわりに生きる喜びさえ感じられない、このドラゴンの体から私を救ってくれる可能性のある人。
私はアリスティアを求めている、狂おしいほど求めている。
これを愛と言って、何が悪いの?
糞ポエムと笑うなら笑えば良い。私は、こんな大人っぽい見た目になってしまったけれど、私は、まだ十歳。糞ポエムだって、何だって、詠んでも全くかまわないお年頃。
胸の双丘を掴んでみた。でかい、でかすぎる。邪魔だ、はっきり言って、めっちゃ邪魔。ぺったんだった頃が懐かしい……。
「あらあら陛下、自らをお慰めになっておられるのですか? そのような触り方では気持ち良くはございませんでしょう。やり方をお教えしましょうか?」
「ち、違うわよ。そんなために触ってたんじゃない。大き過ぎるから邪魔だなー、もっと小さくならないかなーと思って手で押さえていただけよ。変なこと言わないでよ、ロッテ」
私は慌てて抗議したけれど、軽くいなされた。
「はいはい、冗談ですよ、冗談。もし、本当になされていたのでしたら、私は何も言わず部屋を出ていきます。それくらいの常識はあるつもりですよ」
「貴女ねー」
ロッテを思いっきり睨んでやったけれど、彼女の目も口元も盛大に笑っている。心の中に暖かいものがこみ上げて来た。今、エトレーゼの絶対者である私に向かって、このように冗談をふってくれるのは、彼女とリーゼルだけだ。みんな、私を敬ってくれてはいるが、恐れてもいる。これは私が普通の人でない以上仕方がないこと、もう諦めている。
私は前屈みになっていたの上体を戻し、椅子の背もたれに寄りかかった。
「まあ、いいわ。それより用は何?」
手早く済ませてね。見てよ、この承認申請の書類の山。こんなの私じゃなきゃ過労死よ、過労死。
「そうそう、要件を忘れてはいけませんね。こんなものが、知人経由で届きました。ご覧下さいませ」
私はロッテから、一通の誰宛とも書かれていない真っ白な便箋を受け取った。ペーパーナイフを取り出し開封する。その中にあったのは、招待状。
その宛名は……、
″ ルシア・エトレーゼ 様 ″
送り主は……、
″ アリスティア・ゲインズブラント 拝 ″
「ロッテ。私、アリスティアからお茶会の招待を受けちゃった。どうしよう、どうしたら良い?」
自分で話していて、馬鹿かと思ってしまった。後、数か月で戦争に突入するかもしれない相手からの招待を受けるなんてあり得ない。普通に考えるならその招待は罠だ。でも、ドラゴンである私にかけれる罠など存在するだろうか?
答えは否。そんなものアリスティア達に出来るわけがない。神々なら出来るだろうが、マイス神をドランケン様に潰されたキャティ神には、そんな余裕はないだろう。彼は、彼女は(ええい、ややこしい。キャティ神め、なんで王子となんか融合したのよ、女神なら姫と融合してよ)、必死で他の神々を味方に引き入れようとし、天界を駆けずり回っている筈だ。
行きたい、行って、アリスティアとお茶やお菓子を楽しみながら、ゆっくり話をしてみたい。私は今まで二回彼女と話したけれど、あれを会話と呼べるだろうか。
貴女と戦いたい。私と戦って! 戦ってよー!
私が喋ったのは私の願望ばかり。彼女の問いかけには、きちんと答えてこなかった。
会話とはキャッチボール。相手の言葉を受けて返し、受けて返し、また受けて返す協奏曲。一度、ちゃんと言葉を交わしてみたい。彼女共に奏でてみたい。どんな音だって良いの、どんな音だって!
「陛下。是非、お行きになられませ。行って、大好きなアリスティア嬢と存分にお話して下さい。そして、お母上、クローディア陛下とも、まだお会いになったことのないエメライン姉上とも会って来なさいませ」
「えっ…………」
ロッテの言葉はショックだった。言葉が続かなかった。
私だって心の底では、クローディア母上やエメライン姉上のことを思っていた。でも、今現在の混乱の大本は、私達王族間の確執に端を発している。なのに、母上や姉上に会えないことを悲しんで良いのだろうか。そんなことをしては、私を女王と認め、付き従ってくれている人々に申し訳がたたない。そう思っていた。
だから、二人を心から追いやった。あえて意識に、言葉に、乗せまいとして来た。
漸く口が動いた。
「母上に、エメライン姉上に会っていいのかな……」
「勿論ですよ、というか会うべきです。今回のアリスティア嬢からのご招待は、陛下をクローディア陛下やエメライン殿下に会わせてあげるためのもの、それが一番合理的で妥当な解釈ではございませんか」
一番合理的で妥当な解釈……。
私はアリスティアの前で偏執的なところを見せ続けている。そんな狂人の如きものをお茶を飲みながら説得しよう、出来ようなどとは思わないだろう。それならば、ロッテの言う通りだ。アリスティアの目的は、私達親子のためのもの。それ以外考えられない。
言葉が自然と口からこぼれた。
「アリスティアは優しいね、ほんと優しい」
「そうですね。でも、陛下も優しいですよ。私はそのことを良く知っています」
「どこが、私は全然優しくない」
私は自分勝手だ。自分一人で何も得ることが出来ないから、アリスティアを巻き込もうとしている。そのような卑怯な者が優しい訳などない。でも、ロッテは言ってくれた。
「いいえ、陛下、ルシア様は優しいお方です。グレイドラゴン様と融合された今もなお、お優しい。これは本当です、真実です。証明だって出来ます」
「証明? そんなこと出来るわけないよ」
「簡単に出来ますよ。陛下が今、言いたいことを素直に口に出して下さいませ。それが証明です。さあ、言って下さいませ」
彼女とリーゼルは私のために、十年もの時間を使ってくれた。かけがえのない青春の時間を捧げてくれた。私の体調が悪化した時、何度も、いえ何十度も彼女達は徹夜で看病してくれた。
ありがとう、ロッテ。
ありがとう、リーゼル。
彼女達は私の大切な家族……。血の繋がった家族にさえ全く劣らない、かけがえのない家族!。
私はロッテの言葉に素直に従った。心を開いた。
「ロッテ。貴女とリーゼルも一緒に、アリスティアのお茶会に行こう。向こうにはクローディア母上がいる、エメライン姉上もいる、そして、レイラもいるのだから。お願い、一緒に! 一緒に家族の時間を過ごそうよ!」
ロッテの顔に、満面の笑みが広がった。