マリアお母様の想い
「名案だわ、ほんと名案だと思う」
私は、アリスティアに素直な賛辞を贈りました。
「『死の記憶』、死の体験そのものを相手にぶつけようなんて発想、普通出てこない。さすが転生者といったところかしら。ううん、違うわね。同じ転生者でも、コーデリアからは多分出てこないでしょう。凄いわ、ほんと凄いと思うわ、アリス」
「そう? 私、凄いかな?」
「ええ、とっても。そんな貴女が私の主であることを誇りに思うわ」
「ユリア、褒め過ぎ。ベンチャラ言ったって何も出ないわよ」
と言いつつ、アリスティアは凄いニコニコ顔。近年、エトレーゼの件のせいで、彼女の心からの笑顔を見るのは久しぶり。嬉しかったです。
でも、もっと嬉しかったことは、アリスティアが出した案において、私がとても重要な役目を担っていることでした。私が、アリスティアの記憶を運び、ルシアにぶつけるのです。これは他の誰にも出来ないこと。私しか出来ないことなのです。
嬉しい、本当に嬉しい!
以前の私は、自らの能力に絶対の自信を持っていました。この世界の貴族が持つ魔術は大抵使えますし、他の誰も使えない「魔術無効化」の能力さえ持っています。ですから、葛城の神より賜ったアリスティアの守護者の任を十分に全う出来ると思っていたのです。
しかし、それは幻想、愚かな慢心でした。ドラゴン、神の魔獣に相対した時、私の力は全く及びませんでした。ドラゴンは汲めども汲めども尽きぬ井戸のように膨大な神力を体内から湧き上がらせ、私やアリスティア達を圧倒しました。
マンキ神、ドング神と邂逅した時の経験から、神力に対しても、魔術無効化の応用でそれなりに対処出来ると思っていたのですが、全く通用しませんでした。ドラゴンを前にしては私の無効化の力は蟷螂の斧、情けない話です。
だから嬉しいのです。恥ずかしい勘違い女だった私でも、彼女の役にたてる、ちゃんとアリスティアの役にたてるのです!
この案を実現するにはどうしたら良いかについて、少し話し合った後、私はアリスティアの部屋を出ました。
「今日一日休めって言われてるから、陛下や皆に知らせるのは明日にしましょ。ユリアも家に顔を出して来たら? もう、かなり出してないでしょう。そうしなよ」
アリスティアの言っている「家」とは私が養女となっているバーソロミュー宰相閣下の家、ベイジル家のことです。彼女の言葉に甘えることにしました。
瞬間移動で、我が家の門前へ到着。直接屋敷内へ転移しても良かったのですが、なんとなく庭を見てみたくなったのです。ベイジル家の庭は木々や季節の花が美しく配置されたとても素晴らしい庭です。雇っている庭師が一流ということもあるのですが、マリアお母様自身が試行錯誤しながら庭師とともに土をいじっておられます。私自身、芸術的感性が豊富とは思いませんが、この庭を見ていると、中を歩いていると、心が癒されて行くのをいつも感じます。
まるで、善良で穏やかなマリアお母様の心の中に入ったよう、彼女の心に包まれたように思えてくるのです。
私は養女で、彼女の本当の娘ではありませんが、たとえ義理であったとしても、このような見事な庭を作り上げることが出来る女性を「お母様」と呼ぶことが出来るとは、なんたる幸せでしょう。私は自らの幸運に感謝の気持ちを捧げつつ、我が家の扉をくぐりました。
「お帰りなさいませ、ユリアお嬢様」
私を出迎えてくれたのは、家政婦長のハリエットでした。彼女は一年ほど前、先代の家政婦長が老齢で引退したため家政婦長になったのですが年齢は、弱冠二十七歳。物事の手際が良さと、何事にも積極的に対処しようとする彼女の性格が評価されての大抜擢でした。
私はハリエットに、マリアお母様はどこにおられるのかと聞きました。
「奥様は、ご自身のお部屋においでです。さきほどは編み物をされておられましたよ」
彼女はとても柔らか笑顔で答えてくれました。ハリエットの見た目はおっとりとした感じ。とても敏腕家政婦長には見えません。でも、この見た目に騙されてはいけません。彼女は何か事があれば、素早く的確に行動しますし、行動するのが好きなのです。
彼女に礼を言って、お母様の下へ向かおうとしたのですが、呼び留められました。
「お嬢様、ちょっとお頼みを聞いていだけませんか」
「ええ、良いですよ。ハリエットからの頼みなんて珍しいですね」
「あの、ユリアお嬢様の余裕がある時で良いので、お茶会を、お嬢様ご主催のお茶会を開いていただけないでしょうか」
「お茶会? お客様をお招きして、お茶を飲み、サンドイッチやらスコーンやらケーキやらを頂きまくって、ぺちゃくちゃ喋りまくるあのお茶会ですか?」
「ええ、そのお茶会です。他にどうのようなお茶会があるのでしょうか?」
私はハリエットの切り返しに苦笑いするしかありませんでした。まあ、それはそうですよね。
「別に開くのはやぶさかではないけれど、どうして貴女は私にお茶会を開いて欲しいの?」
「お嬢様、私は長い間、我慢していました。それはそれは長く我慢していたのです」
ハリエットの言葉にぎょっとしました。私自身、生粋の貴族ではありませんし、本当の人でさえありません。そんな私ですので、気付かぬ内に、何かとんでもない失敗をしていたのかと大変不安になったのですが、続くハリエットの言葉は思ってもいなかった方向性でした。
「ユリアお嬢様が、ベイジル家に養女に来られると知った時、私はどんなに喜んだことでしょう。これで、マリア奥様以外、殿方ばかりで潤いがない、カサカサのベイジル家にもようやく、それなりの華やいだ日々が訪れるだろうと、それはそれは喜んだのです。しかし期待は叶えられませんでした」
男性ばかりでカサカサのベイジル家って、もう少し表現を考えても……、まあそれはおいておくとしましょう。期待が叶えられなかったかー、私に不満があるってことね。
私は少し意地悪な聞き方をすることにしました。私は、それなりにハリエットと仲良くなっています。言葉の一つや二つで関係は壊れたりしないでしょう。
「ハリエット、貴女は何が言いたいの? 私がベイジルの養女としてふさわしくないってことかしら?」
「いえ、滅相もございません。ユリアお嬢様がいらして以来、ベイジル家には笑顔や笑い声が絶えなくなり、ご家族様同様、私達使用人も大変喜んでおりますし、お嬢様を嫌っているものなど誰一人おりません」
「だったら、何が不満なの?」
「だから、最初から言っているではありませんか。お嬢様が、お茶会を開いて下さらないこと。私の不満はそれだけです」
「え? そんなことが不満なの?」
「そんなこととは何ですか。貴婦人が集うお茶会。それは華麗なる社交の舞台、淑女の戦場と言っても過言ではない大切なものです。そのお茶会を皆様に心置きなく楽しんでもらえるよう、女主人の下、会場選び、会場の飾り付け、お出しするお茶やお菓子の選定、作成等、準備ために奔走し、お茶会を成功させること、それこそが私達、女性使用人の晴れの舞台なのです。なのに……」
少し、ショックでした。今、世界は未曽有の戦争が起こるかもしれない状況です。でも、そんなこととは関わりなく、人々はそれぞれの夢や希望、目標を持って頑張って生きているのです。そんな当たり前のことさえ、私は忘れていました。
「なのに、ユリアお嬢様がこちらに来られてから、お茶会を開かれたのは、養女になったことを知らせるために行った一回だけ。いえ、あれはお嬢様が主催者ではありませんでした、マリア奥様が主催者でしたからノーカウントです。つまり、ゼロ回! こんなことあり得ますか? あり得ませんよねー」
下を向かざるをえませんでした。
確かに言われてみるとそうです。同年代の令嬢達をみても、お茶会の主催回数ゼロなんて人は聞いたことがありません。それに、私は養女とはいえ、義父は宰相閣下なのです。そんな家の娘がお茶会を主催したこともないなんて、恥ずかしいにもほどがあります。下を向かざるをえませんでした。(弁解かもしれませんが、私もそれなりにお茶会の経験を積んではおります、招待客としてですが……)
しかし、気づいた過ちは早く正さねばなりません。私はすぐに頭を上げ、彼女に約束しました。
「わかりました。いつ開くとは今すぐに言うことは出来ませんが、なるべく近いうちに開こうと思います。その時は、よろしくお願いしますね。ハリエット」
「はい、勿論です。ユリアお嬢様の初主催のお茶会、必ずや成功に導いてお見せ致します!」
ハリエットは上機嫌で去って行きました。しかし、よく考えてみると、彼女の鬱憤は私のせいだけではないように思えます。半分は、マリアお母様のせいではないでしょうか。お母様は、読書や庭いじりが出来ていれば満足なお方。あまり社交には興味を持たれていません。家で開く茶会も、パーティーも、どうしてもする必要があるものだけでした。年にそれぞれ数回がいいところ。
まあ、そのようなお母様なので、お茶会主催回数ゼロ回の私でも何も言われなかったのでしょう。思わず、クスッとしてしましました。義理の親子ですが、この親にして、この娘あり。人の縁とは不思議なものです。そう思いながらお母様の部屋と向かいました。
「ユリア。今日の貴女、とても良い顔していますね。何か良いことでもありましたか?」
帰宅の挨拶を終えた私に、マリアお母様はすかさず聞いて来ました。私とお母様は以前、良き親子になろうと誓いあいました。お母様はその誓いをよく守ってくれています。だから、私も出来る限り素直な娘であろうと思っているのです。
「ええ、ありました。アリスティアが私にとても重要な役目をくれたのです。私にしか出来ない役目です。最近の私は彼女を助けることが出来ていなくて、それがとても情けなかったのです。私は彼女の守護者なのに……と。でも、今日、役目をもらえたことで、私だって、まだまだ彼女の役に立てることがわかりました。だからとっても嬉しいのです」
「そう、良かったわね」
マリアお母様は立ち上がり、私の方へ寄ってくると私の手を両の手で包んで下さいました。
「ユリア。私に手伝えることがあれば何でも言ってね。私達はこれでも貴女の母親のつもりなの。だから気兼ね無く頼って、お願いよ」
「お母様……」
私はマリアお母様に良き娘になることを誓いました。ならば、お母様の言葉に素直に従いましょう。私は、心の中で術式を唱え、防諜結界発動しました。この家には元々、お父様が結界を張っておられますが、更なる用心に越したことはありません。
「ではマリアお母様、私の練習相手になっていただけますか」
「ええ、喜んで! でも、私は何をすれば良いの? 私に出来ることなのかしら?」
お母様は承諾してくれましたが、少し不安になったようです。よく考えれば当たり前です。私の使う魔術は、お母様のような普通レベルの貴族から見れば怪物級。不安がらない方がおかしいと言えます。
「大丈夫ですよ。お母様には記憶を受け取ってもらうだけですから」
「記憶を受け取る? それってユリアが何らかの魔術で、貴女の記憶を私に見せてくれるということなの?」
「そうです。私の記憶をマリアお母様に体験して頂きます」
「そんなこと本当に出来るの?」
「出来ます、出来るのです」
「ユリア、貴女ってほんと凄いのね。神々がアリスティアさんのことを頼むだけのことはあるわ。私は、なんて凄い娘を持ってしまったのかしら」
マリアお母様の賛辞は大変面映ゆいものでした。止めて下さいませ、お母様。私は、そんな凄い者ではないのです。元々はただの五百円玉……。(お母様に、五百円玉状態の自分を見せたことはありません。だって、自分の娘が金属の塊になったりしたら、ショックだと思うのです。でしょ?)
私達は、早速練習にはいることにしました。
「では、お母様。目を瞑り、体の力を抜いて下さいませ。力を抜けば自然と心がゆったりとし、外からのものを受け入れやすくなります」
「ゆったりね。ゆったり、ゆったり……」
寝台の上に横になってもらったお母様は、きちんと私の指示に従ってくれました。顔の表情が和らぎ、体の方の筋肉も脱力していくのが、外からでもよくわかりました。
お母様の準備はOK。私は、お母様に「私の記憶」を送る作業に入りました。本番ではアリスティアの記憶をルシアに送るのですが、今回は練習ですし、第三者を介在させたくもないので、私の自身の記憶をお母様に送ることにします。
お母様に送る記憶は、どのようなものが良いでしょう?
もちろん、お母様に不快な思いはさせたくありません。送るのは楽しい記憶、幸せな記憶。アリスティア達と共に歩み、私が得た宝物のような時間の記憶……。
お母様。
私はこのように生きて来ました。
このように生きて、今、貴女の娘としてここにいます。
ここにいて、アリスティア達と積み重ねたのと同様に、お母様、お父様、お兄様方とも幸せな記憶を積み重ねとうございます。これは私の心からの願いです。
だから、知って下さいませ、お母様。
私はこのように、幸せに生きて来たのです!
『 転写! 』
お母様に私の記憶を送ることは成功しました。ですが、お母様は右手を上げて手の甲を顔に押し当ててしまわれました。屈みこんで、お顔の横を覗き見ると、そこには涙が……。まさか、記憶転写の際に痛みを与えてしまったのかと思い、声をかけようとした瞬間、お母様が口を開かれました。
「ありがとう、ありがとうね。ユリア」
「えっ……」
お母様は涙を拭い、上半身を起き上がらせると私の腕を掴み、自らの胸の中へ抱き寄せました。お母様にこうしてもらったことは一度だけあります。その時もこの寝台の上。この寝台の上で、よき親子になることを二人で誓い合いました。
腕の中に納まった私は、お母様の優しいお声に聞き入るしかありませんでした。
「ユリア。私は貴女の母になりたいと思って来たし、なれるよう努力してきたつもりなの。でもね、貴女が我が家に来て、まだ三年にも満たない。私と貴女という親子の間には、たったそれだけの積み重ねしかないの。それが私にとって、どんなに歯がゆいこと、悔しいことだったか、貴女にわかるかしら」
「お母様は、私が本当の娘だったら……、とまで思っていてくれたのですか」
「もちろんですよ。もっともっと沢山ユリアとの思い出が欲しかった。持っていたかった。でも、過去を変えることなんて無理と諦めていました。けれど、けれど今、奇跡が起こった。貴女が起こしてくれた。貴女は、私の人生はこんなだったよと見せてくれた、体験させてくれた。少しの間だったけれど私は生きた、過去の貴女と共に生きたのよ。嬉しかった、本当に嬉しかったわ」
私は自分のことをマリアお母様に知ってもらいたかっただけでした。それをここまで喜んでくれるなんて……。
「ユリア、ありがとう。私の娘になってくれて本当にありがとう」
私の中で、幸福の爆発が起こりました。お母様の私のことを思ってくれる気持ちが、嬉しくて、愛しくて、切なくて、もうどうにかなってしまいそうで、私は何も言えませんでした。だから、泣きました。わんわんマリアお母様に縋って泣いたのです。
私のような大きな娘に泣かれたお母様は、さぞ困ったことでしょう。けれど、お母様は、最後まで優しいお母様でした。
「泣きたいなら存分にお泣きなさい。けれど、貴女は神の神の御使い、アリスティアさんの守護者。明日からは、また元の通り、きりっとするのですよ。貴女はそう出来る強い娘です。私はそれを知っています」
ね、ユリア。私の可愛い娘……大好きよ。
今回の件で、私はマリアお母様が、血が繋がらない娘の私を心の底から愛してくれていることを再確認し、自らの幸福に感謝の念を抱きました。そして、その感謝の念は、一組の親子のことを私に思い起こさせました。その一組の親子とは……、クローディア陛下とルシア。
彼女達は、私とお母様とは違い、血の繋がった本当の親子です。それなのに……。
『ルシア! ルシアはどこ、どこにいるのです!』
『アレグザンター陛下、教えて下さいませ、あの子はどこにいるのです! 陛下!』
ルシアが去った王宮の大広間で、叫ぶようにしてルシアを求めるクローディア陛下の悲しい姿は、とても痛ましく見ていられませんでした。
二人をなんとか会わせてあげたい。そう思うのが、人の情。
このままオールストレームとエトレーゼが戦争に突入したら、二人が会える機会は永遠に失われるかもしれません。だから、その前に、戦争が起こる前に一度でも良いから、クローディア陛下とルシアが会える機会を作ってあげるべきではないでしょうか。
大きな戦争が目前に迫って来ているのに、何を子供じみた感傷に浸っているのかと思われるのは承知しています。でもクローディア陛下とルシアは親子。このまま永遠に会えなくなって良い二人ではありません。
私は馬鹿な案を思いつきました。お茶会です。アリスティアにお茶会を開いてもらうのです。そしてそのお茶会に、クローディア陛下とルシアを招待します。
はっきりいってルシアが招待を受ける可能性は限りなく低いと思います。でも、ルシアのアリスティアへの執着をみると、可能性は全くないとは思えません。少しでも可能性があるなら挑戦してみるべきです。
明日、アリスティアのところに戻って、彼女に頼むことにします。
「アリス、貴女はここ最近、全くお茶会を開いていないでしょう。そんなことで、まともな貴族令嬢であると言えますか? 恥ずかしい、なんて恥ずかしいことなのかしら! ね、私も手伝いますから、お茶会を開きましょう、天下一の素晴らしいお茶会を!」
最近、一話一話が長くなっております。遅い更新がますます遅く……。区切りの良いところまで書きたいから、こうなっているのですが。なんだかねー。簡潔に、スパスパ話を進められる方達が、羨ましい限りです。