ティーゲル兄様
ルシアから渡されたドランケン姉様の手紙には、こう記されてあった。
『マイスの力は封じました。貴女の浅知恵なんかとうにお見通しなの。残念だったわね、子猫ちゃん。笑えるわ、マジほんと笑える』
「子猫ちゃん」は、私達十三柱が子供の頃、全員がお母様の下にいた頃の私の愛称(まんまだけど……)。兄弟姉妹は、愛情を込めて呼んでくれた。でも、ドランケン姉様だけは違ったように思う。彼女が私を「子猫ちゃん」と呼ぶ時、込められていたのは侮蔑。自分より劣った者への侮蔑だったように思う。ドランケン姉様は、本当に昔から私が嫌いだったのだ。
私は手紙に書いてあったことの真偽を確かめるため、ルシアが消えるとすぐに天界へと向かった。(私はマイスの協力をとりつけていた。マイスの妻になる約束をした。でも、それは百年以上後の話。愛する妻、エルシーの寿命が、とうに終わった後の話だ)
しかし、天界に入りマイスのところへ向かおうとしたところで、他の三柱、ドング兄様、マンキ兄様、シーファに止められた。
ドング兄様が私の腕を掴んだ。
「キャティ、マイスのところに行くのは止めておけ。傷口に塩を塗り込むことようなことはするでない」
「傷口に塩って……」意味がわからない。
ドング兄様の代わりに、マンキ兄様が答えてくれた。この二人は仲が悪いようで、実は仲が良い。いつもつるんでいる。そして、何故か同じく、喋り方が爺臭い(二人とも見た目は、二十歳くらいの好男子)。
「マイスも好きなお前に、あのような情けない姿を見せとうはないであろう。そっとしておくのじゃ」
「情けない姿って。マイスはドランケン姉様に何をされたのです!」
兄様たちは黙り込んでしまった。二人で顔を見合わせ、『お前が言え』と牽制しあっている。それに呆れたシーファが前に出た。
「キャティ姉様。私がお教えします。ドランケン姉様はマイスを騙し討ちにしたのですよ」
「騙し討ち?」
「ええ、ドランケン姉様は『これまでの態度を謝りたい』と言って、マイスに近づいたんです」
ドランケン姉様が謝る? そんなことは有り得ない。ドランケン姉様は自分が白だと言ったら、黒だって白だと言い張るタイプだ。
「まさか、マイスはそれを信じたの?」
ええ、という感じでシーファは頷いた。
マイス、貴方はアホなの? あのドランケン姉様がそんな殊勝な女の訳がないじゃない! 私の思いを表情から読み取ったシーファがマイスを弁護する。
「キャティ姉様。マイスはあのように俺様ぶってはいますが、基本的に人情派なのです。たとえドランケン姉様の普段の振る舞いに反発していたとしても、向こうから『私が悪かったわ』と下手に出て来られれば、マイスは簡単に許しちゃうのですよ。マイスはそういう子です」
マイス、アホなんて思ってごめん。人情派なのは悪いことではない、私だって基本、人情派だと自分では思っている。
「それにマイスは……」
シーファは視線を横にずらせた。言いにくいことなのだろうか?
「面食いですからね」
こけそうになった。
「キャティ姉様と双璧のドランケン姉様に優しい感じで来られたら、いちころですよ」
マイス、あんたって子は……。確かにドランケン姉様が超絶な美女なのは確かだよ。シーファは私を双璧と言ってくれたけれど、ドランケン姉様の隣にはあまり立ちたくはない。私はたぶん見劣りがする、十人が私達を見たとして、私の方が奇麗だと答える人は一人か二人だろう。それほど、ドランケン姉様は強烈に美しい。
けどね、けどねマイス。やっぱり、相手の見た目に囚われてはいけないよ。見るべきところは、人においても神においても、心だよ。心!
「で、騙し討ちで、マイスは何をされたの?」
「酷いことです、本当に酷いこと。マイスは隙を見せたところを拘束され、神核を削りとられたんです。マイスの神核はもう三分の一ほどしか残っていません」
「なんてこと! 神核を削られたですって!」
私は、怒りに震えた。
神核とは、私達十三柱が真なる神のお母様から頂いた大切なもの、本当に本当に大切なもの。これがあるから私達は、神力を存分に持つことが出来、神々として世界を改変し君臨することが出来る。お母様は自らの核を割って私達に下さった。だから、神核は私達の命であり、お母さまが私達に下さった愛そのもの。それを、ドランケン姉様は……。
くそ! 拳を握り締める。
「絶対許さない……。姉様とて許してやるものか!」
マイスが可哀そうだ、私が協力を求めたばっかりに……。まさか、ドランケン姉様が、今の時点で、ここまでの凶行に及ぶとは思っていなかったの。ごめんなさい、ごめんなさい、マイス。この償いはきっと、いつかきっと……。
「許さない? どう許さないのですか?」
シーファが落ち着いた声で聞いて来た。その落ち着きが私を苛立たせる。
「許さないは許さないよ! シーファはどうしてそんな感じでいられるの? ドランケン姉様のやったことは本当に酷いこと。貴女も先ほどそう言ったじゃない!」
「言いましたよ、言いました。でも、状況をきちんと見て下さい。ドランケン姉様は益々強くなりました。強くなり過ぎて、私達、他の十二柱が全員でかかっていっても勝てるかどうかわかりません。ドランケン姉様の強さは、もう許さないなどと簡単に言えるレベルじゃないんです」
シーファの言っている意味がわからなかった。ドランケン姉様は確かに強い。でも、シーファは以前、言っていた。
『七柱、八柱くらいで一気にかかれば、勝てなくはないと思います』
それなのに、どうして他の十二柱全員でかかっても勝てないなんて言うの?
私が理解していないことを悟った、シーファは深々と溜息をついた。
「キャティ姉様。私は先ほど、マイスが神核を削りとられたと言ったでしょ。削られたとは言っておりません。マイスは神核を削り盗られたのです。ドランケン姉様はマイスから神核を奪い、自分のものにしたのですよ」
「何を言ってるの? 神核を削るならともかく、奪い、自分のものにするなんて出来る訳無いじゃない。私達はお母様のように真なる神じゃない、神核をそのように扱うことは不可能よ」
シーファは私の反論に少しうんざりしているように見えた。声が割って入って来た。
「不可能じゃないんだよ、キャティ。他者の神核を自らのものと結合させることは可能だ」
驚いて後ろを振り返ってみると、そこには見た目二十代半ばくらいの偉丈夫がいた。
「ティーゲル兄様!」
ティーゲル兄様は私が男兄弟の中で一番慕っている同胞。兄様には、私が兄様と同じ猫族のモチーフを持っていることもあって大変可愛がってもらった。
「キャティ、母上のところにいたお前にはわからないだろうが、カオスに閉ざされた世界を改変するのは本当に大変だったんだ。俺達は神力を湯水のように使ったがそれでも、世界の改変はゆっくりとしか進まなかった。だから俺達は、自らの神核から更なる神力を引き出すためにはどうしたら良いかを研究したよ。本当に一生懸命、神核について研究した」
ティーゲル兄様の話は耳に辛かった。私は世界の創生に加わっていない、語れる言葉が無い。
「その研究過程で、神核の特性がわかったんだよ。母上でなくても変更可能。他の者の神核を奪いとれることがな。こんなこと知りたくなかったよ。バカなことを知ってしまったものだ。ハハハ」
やけ気味に笑うティーゲル兄様に、シーファが同意する。
「ほんとですね。知りたくなかったです。奪取可能がわかった時、皆の目が泳ぎましたからね。あれ以来、十二柱の結束がかなり崩れました。繋がりが薄くなったと言うか、仲の良いもの同士のグループに別れていったというか……」
「まあ、そうだな。でもシーファ、お前は偉いよ。お前くらいだろ、今でも全員とコミュニケーションとってるの。賞賛に値する」
「もうっ お兄様ー。買い被り過ぎですよ」
ティーゲル兄様に頭をポンポンとされ、照れ笑いをみせるシーファ。
情けないことだが、少しイラっとした。大好きなティーゲル兄様が自分以外の妹を褒めていることに嫉妬した。自分は、エルシミリアという素晴らしいパートナーを得たばかりなのに、なんと欲張りなのか……。ほんと心とはままならない。ドランケン姉様を笑えない。
ドランケン姉様、貴女は、いつも私、お母様の隣にいる私を思いイラつき、心を黒くしたのでしょう。お母様を大変慕っていた貴女のその気持ちはわからなくもありません。でも、それでも、やって良いことと悪いことがある。あるんですよ、姉様!
もう貴女には私を非難する資格はありません。お母様は私達同士の争いを固く禁じられていました。貴女は裏切り者です。貴女はお母様を裏切ったんですよ、ドランケン姉様。
「キャティ」
気がつくとティーゲル兄様が、私に真剣な顔を向けていた。兄様の顔を正面から、まじまじと見つめた。なんとも凛々しいお顔、大変好ましい。ティーゲル兄様のお顔は、お母様の前世の兄に似ているそうだ。無意識に似せてしまったとお母様が言っていた。
「お前は、これからどうする? どうしたいんだ?」
「私は……」
ティーゲル兄様の声の厳しさに、即答出来なかった。
「俺は、お前達の確執はあくまでお前達の問題、二人の間で解決すべき問題だと考えていた。しかし、ここまでになってくるとそうも言っていられない。俺はお前の味方になる。ドランケンか、お前かのどちらかを選ばなければならないのなら、俺はお前を選ぶよ。キャティ」
「兄様……」
嬉しさと共に、情けなさが押し寄せて来て声が震えた。ティーゲル兄様にはとても可愛がったもらったし、たくさん世話になった。それなのに、兄様は更に負担を背負おうとしてくれている……。
「私もキャティ姉様に協力します。ドランケン姉様は、あの、私が一番の美人!って感じが鼻に着くのですよ。一度へし折ってやりましょう」
「わしらもじゃ。お主が肩入れしているオールストレームには、わしらが目をかけたルーシャがおる。ドランケンに潰されるままにしておけるか! なあ、マンキ」
「ああ、本当だ。ドランケンは他者に思い入れをし愛するくせに、他の者も同様だと理解しとらん。心があるのは自分だけのように勘違いしとる、許せんわい」
シーファ、ドング兄様、マンキ兄様の言葉に胸が熱くなった。私はあまり献身的な性格ではない。それどころか兄弟姉妹の中では一番自由に振る舞って来た。なのに……。
「皆、ありがとう。ありがとう」
心から思う、本当に、本当に! 私はシーファ達の顔を順番に見て、最後にティーゲル兄様の顔を見た。兄様の唇が動く。
「キャティ。他の奴らの考えはわからないが、ここにいる四人は全員、お前の味方だ。お前の答えを聞かせてくれ。その答えがどのようなものであろうと、俺達は協力する。さあ、答えを!」
四人が味方になってくれるのは心強い。特にティーゲル兄様、兄様は私を含め、ここにいる者の何倍も強い。でも、シーファは言った。
『ドランケン姉様は益々強くなりました。強くなり過ぎて、私達、他の十二柱が全員でかかっていっても勝てるかどうかわかりません』
シーファの言葉を信じるなら、シーファやお兄様達に協力してもらっても私は、いえ、私達はドランケン姉様に勝てないだろう。それなのに、ティーゲル兄様、ドング兄様、マンキ兄様、シーファは私の味方になると言ってくれている。嬉しい、嬉し過ぎる。
はっきり言って、世界において絶対の優位なんてものは無いと私は思っている。だから、何か手はある、強力無比なドランケン姉様に私達が勝てる可能性はある。その可能性の存在がどんなに極小だとしても!
しかし、しかしだ。
たとえそうだとしても。皆の好意に甘えて良いものか?
私とドランケン姉様が掘った暗い穴に、こんなに優しい兄弟姉妹達を連れ込んで良いものなのか?
私は逡巡した、大いに悩んだ。