永遠の二番目
エルシミリアです。
エトレーゼと休戦協定が結ばれてから、ニ年半経ちました。わたしと、アリスティアお姉様は、現在十六歳です。先日、わたし達は王立貴族学院を卒業致いたしました。お姉様は堂々の首席、わたしは第三席。次席はエメライン殿下でした。
アリス姉様が首席なのは、総合的に飛び抜けておりますので当然でしょう。お姉様は基本、何でも出来ます。エメライン殿下の次席は、魔術薬の開発が評価されました。画期的な薬です。次席は妥当でしょう。そして、わたしは……、まあ、学業は結構頑張ったつもりですが、特段の功績がないのに、第三席をもらえたのは上々の出来です。満足しております。
ドレス姿のアリス姉様が、控室に入って来られました。
アリス姉様が着ているのはブライズメイド用の黄色いドレス。先ほど、こちらに来てくれていたコーデと同じドレスです。(アイラお姉様や、ルーシャお姉様も来てくれていましたが、ドレスは違います。ブライズメイドは既婚者はなれません)
「遅れちゃって、ごめんなさい。あれ? 皆は?」
「お父様とお母様以外、皆来てくれましたよ、そして聖堂へ向かいました。アリス姉様とは殆ど入れ違いでしたね」
「そっかー、残念。エルシーを見た皆の反応、見たかったのになー」
アリス姉様は、頭を傾け苦笑いされました。そして、私の方へ向き直り、正面から見つめて言ってくれました。とても優しい笑顔で、わたしが泣きたくなるような笑顔で。
「エルシー、奇麗よ。ほんに奇麗、信じられないくらいの美しさよ。私が断言してあげる。今、この世界で貴女以上に美しい女性はいないわ」
「アリス姉様、ありがとうございます。でも、それは違いますよ、アリス姉様の方がずっとお美しいです。わたしが、お姉様に勝てることなど一生ありません」
これは本当のことです、心から断言します。
ただ、細かいことを言えば、半年くらい前まで、わたしが勝っており、お姉様に羨ましがられるものがありました。それは胸の大きさ(お姉様の前世の世界の基準でCカップ)。
でも、追いつかれました。同じになった時のお姉様の喜びようは忘れられません。学院首席卒業が決まった時の百倍の喜びようでした。
「バカ言わないでよ。ほんとに貴女って子は……」
お姉様の目が、既にウルウルになって来ています。お姉様は涙もろいお方です、基本、人情派なのです。お優しいお姉様、わたしは大好きですが、時と場合によっては致命的な欠点になりえます。元々、アリスティアお姉様に対して以外には、冷酷だったわたしは、その性格を生かし、影となって優し過ぎるお姉様をフォローしようと思っていましたが、大したことは出来ませんでした。
お姉様は、わたしを変えてくれました。今のわたしには、アリス姉様以外にも大切な人達が沢山います。家族、親戚縁者は当然として、侍女のキャロライン、サンドラ、お姉様の守護者ユリア、学院での級友、わたしのファンクラブ(このクラブは最終学年まで存在しました。恥ずかしい……)の面々。
そして……、ノエル殿下。
以前、私はお姉様と温泉に行った時、自分の裸体を、お姉様の肌に擦りつけるという愚行を行ってしましました。べつだん、性的な気持ちはなかったつもりですが(心の奥底ではあったかも知れませんが、表には出て来ておりませんでした)、後から考えると、なんと破廉恥な行為なのでしょう。嫌われ、姉妹の縁を切られても仕方がないほどの行為です。
ほんと、あの時の自分は変でした、お姉様の助けになれない自分が情けなくて情けなくて、心が変になっていたのです。でも、お姉様は、わたしを嫌うどころか、以前より優しく、さらに優しく接してくれるようになりました。このような愚かな妹に……。アリスティアお姉様には感謝してもしきれません。
ですから、決心をしました。
わたし、エルシミリアの心からの願いは、一生、アリスティアお姉様に寄り添い共に生きることでした。でも、それを諦めることにしました。いえ、諦めるというより。気付いたといった方が良いでしょう。私の身体は、お姉様の予備です。つまり、わたしは生きているだけで、お姉様と共にあるのです。
なのに、お姉様と離れて生きることを恐れるなんて、贅沢にもほどがあります。
お姉様と温泉に行った翌日、王宮にノエル殿下を訪ねました。
「ノエル殿下、突然の訪問をお許し下さいませ」
「水臭いことを。大好きな貴女なら大歓迎ですよ、毎日来て下さってもかまいません」
殿下は、基本、好意を隠されません。殿下のこのようなところ、わたしは好ましく思っております。
「ありがとうございます。今日、参りましたのは、婚姻の件です。未だ殿下が、わたしへのお気持ちを持って下さってますなら、わたしは殿下の妃になりとう存じます。いえ、ならせて下さいませ。お願い致します」
ノエル殿下の穏やかな雰囲気が、すっと無くなりました。まあ、当然ですね。下心込みの申し出です。殿下も、手放しで喜んではくれないでしょう。殿下の声が響きます。心なしか少し冷たく感じられます。
「エルシー、条件は何ですか? あるのでしょう?」
「はい、ございます。わたし達の婚姻がなった暁には、わたしに力を、アリス姉様と共にドラゴンと闘える力を頂きたいのです。お願いです、ノエル殿下、いえ、キャティ神様」
わたしは殿下前に跪いて、額を床に擦りつけました。アリス姉様譲りの懇願方法、土下座です。
殿下の声質が、ガラリと変わりました。女性の声になりました。恐る恐る顔をあげると、そこにいたのは超絶に美しい女性。お姉様とわたしの姿形の大元となったキャティ神様です。殿下は、姿を替えられました。こちらの方が良いと判断されたのでしょう。
「エルシミリア、そなたは、アリスのために、私、ノエルと愛無き結婚をしようと言うのですか?」
「愛無きなど、そのようなことは決してありません。わたしはノエル殿下を、大変好ましく思い、殿方として慕っております。この言葉に、全く嘘はございません。ですが、ですが……」
言い出しにくい言葉を、キャティ神様が繋いでくれました。
「慕っている度合いでは、アリスへの想いの方が断然上……」
「は、はい。そうです、申し訳ございません」
いたたまれない気分でいっぱいでした。真に相手のことを思うならやってはならないことを、わたしはしようとしています。でも、もう賽を投げました。突き進むしかありません。
「それでも、どうか、どうか。わたしの願いをお聞き届下さいませ。エトレーゼの件が収まりました後は、誠心誠意、殿下の良き妻、伴侶として付き従います。お約束いたします!」
わたしの必死の懇願に対して返って来たのは、笑顔、キャティ神様の晴れやかな笑顔でした。
「付き従う? ふふ。私は、そのようなことを望んではいませんよ。貴女には、隣に立ち一緒に歩んで欲しいのです。貴女に臨むことはそれだけですよ。エルシミリア、仮初の魂しか持たない者よ」
心臓がドクン! となりました。
「知っておられたのですか? わたしの魂がこの体を維持するために、別世界の神、葛城の神が作られたモノであることを……」
「途中からですが、わかっていましたよ。これでも、この世界の神を名乗っている者です。わからない訳はないでしょう」
「だったら、どうして、わたしと一緒に歩みたいなどと……」
「私は貴女と初めて会った時、アリスやルーシャより貴女が、ずっとずっと可愛く思えました。貴女の魂の輝きは、私を捉えて放しませんでした」
「そんな……。ルーシャ姉様、ましてアリス姉様より良く思えただなんて。わたしの魂は仮初、本物ではないのですよ」
信じられない気持ちでキャティ神様を見つめました。でも、彼女の表情はとても真摯で嘘を言っておられるとは思えませんでした。
「エルシー。貴女は以前、お母様に、設定に、心を囚われるなんてバカだと言ったそうですね。同じ言葉を返してあげましょう。貴女の魂が仮初のものというのも設定、そんなものに囚われるのはバカです」
「そうです。確かにそうでした……」
わたしは以前、ユリアに言いました。たとえ仮初の魂であっても、今まで生きて積み上げて来たものは、本物。だから、自分の魂が仮初のものだろうと気にしない、そんなことはどうでも良いと。それなのに、やはり気にしていた……。恥じていた……。悲しんでいた……。
わたしは、ほんと口先ばかり。オリアーナ大叔母様に頭でっかちと、よく怒られていたのに全然治ってない。キャティ神様が私の顔にそっと手を添えてくれました。
「エルシミリア。私は貴女が好きです。貴女と一緒にいたいのです。貴女の美しき魂と共にいさせてください」
ね、エルシミリア。僕の愛しい人……。
眼の前には、もう超絶美女の女神様はおられませんでした。いるのは、中肉中背、顔は、まま整ってはいますが、美男というほどではない十九歳の青年、ノエル殿下です。軽いノリと、軽妙なおしゃべりで、いつもわたしを楽しませてくれる。素敵な王子様です。
その王子様がくれた言葉、本当に嬉しかったです。
わたしは彼が好きです、大好きです。でも、
彼は二番……。
永遠に、わたしの中で、彼は二番なのです。
わたしは泣いてしまいました。申し訳なくて、本当に申し訳なくて……。そんな、情けないわたしを、ノエル殿下は、優しく抱きしめてくれました。お父様やお祖父様以外の、男性に抱きしめられたのは初めてでした。
「エルシー、僕は決めたよ。僕は今まで、この世界を統べる神々の一柱として、一つの国に肩入れし過ぎるのは駄目だと考えていた。けれど、それは逃げていただけなんだ。僕より遥かに強い力を持つドランケン姉様が怖かった。姉様の荒ぶる心と対峙するのを恐れていたんだ。情けないよ」
『そんな! ノエル殿下は逃げてなんておられません。何度もわたし達を助けてくれました!』そう言おうと思ったのですが、感情が極まって、上手く口が動きません。
「だから、もう逃げない。神々の一柱として、オールストレームの側にちゃんと立つよ。エルシー。一緒に戦おう、一緒に守って行こう、僕達の国を、僕達の大好きな人達を、僕達の姉様を!」
「はい、殿下。ありがとうございます、ありがとうございます!」
私は、なんとしてもアリスティアお姉様を守りたいという私欲に、神々の一柱たるキャティ神様を巻き込んでしまいました。自分が為したことながら、とても恐ろしいことです。神々の力は強大です。この世界が滅んでしまわないという保証はありません。でも、私は信じています。アリス姉様は、この世界に絶対必要な人です。絶対生きて欲しいのです。そのためなら私は地獄に落ちったってかまいません。
私の感情はとても高ぶっていましたが、殿下も高ぶられていたようです。彼の身体から、沢山の神力が放たれています。そのせいでしょうか、私の心に殿下の心の声が聞こえてきました。
『ドランケン姉様、貴女が僕を嫌っていることは良く知っている。けれど、もうそんなことはどうでも良い。僕は抗う、姉様の好きになんてさせるものか! 姉様がいくら強くても、こちらだって、死ぬ気でやれば、姉さんの身体半分くらいは吹き飛ばせる。貴女の自慢の美貌だって、ぐちゃぐちゃに出来る。僕は、絶対愛するエルシーを守る、彼女の愛する者達を守るからな。ドランケン姉様!』
心が震えました。ノエル殿下は、キャティ神様は、わたしなんかのために、己が身を投げうつ覚悟までして下さっています。そんな彼に、わたしは何が出来るでしょう? わかりきったことですが、出来ることなど何もありません。ただの人であるわたしには、神々の一柱たる彼に、出来ることなど何もありはしないのです。
わたしは精一杯の気持ちを差し出しました。
彼の頭に両手を添え、
自ら唇を重ねました。
その三日後、わたし達の婚約は、アレグザンター陛下とユンカー様の承認を得ました。家族や周りの者達は、喜んで祝福してくれました。ただ、アリス姉様は……。一カ月ほど腑抜け、生きた屍となられました。申し訳ございません、お姉様。
しかし、その後、なんとか復活。わたし達の婚約を祝福し、結婚のための細々とした準備等色々と気を遣ってくれました。そして、二年経ち、ついに本日、結婚式当日がやってきました。(二年待ったのは、わたしの学院卒業を待っていたからです)
これから行われる、殿下とわたしの式は盛大なものとなります。
大陸最大国家オールストレームの王子と、近年、第二のオールストレーム王家とも呼ばれる大侯爵家、ライナーノーツ家の孫娘の結婚式です。式を司る教皇様は勿論のこと、各国の王や妃、宰相、大商人ら、この世界のそうそうたるVIPの面々が顔を揃えています。聖堂の外には、何万人にもおよぶ群衆が、久々に行われる国を挙げての式を見ようと、我も我もと詰めかけています。
前世で庶民であったお姉様は、嘆息されていました。
「何なの、この派手派手しさ、ついていけない! 私の時は、絶対地味婚にする! 地味婚にするからね!」
お姉様、申し上げにくいですが、それは無理。無理というものです。お姉様はVIP過ぎます。
控室の扉が開き、私の侍女のキャロライナを連れたロバートお父様と、エリザベートお母様が入って来られました。お母様も、わたしのウェディングドレス姿を褒めて下さいましたが、お父様は、褒めちぎってくれました。
「ロバート、それくらいで十分です。それ以上の言葉を使うと、アリスティアやコーデリアの時に使う言葉がなくなってしまいますよ」
それもそうか、と、お父様は照れ隠しに笑い、お母様も笑顔を返します。でも、お二人の目元に光る涙を、わたしは見落としませんでした。
お父様、お母様。わたしは、アリス姉様のことしか眼中になく、あまり良い娘とは言えませんでした。申し訳ありませんでした。そして、ありがとうございます。
わたしはお二人の娘に生まれて幸せでした。本当に、本当に幸せでした。
再び、控室の扉が開きました。入って来たのは、もう一人のわたしの侍女、サンドラです。
「もうすぐ時間です。奥様とアリスティア様は聖堂の方へお向かい下さい、エルシミリア様と伯爵様はバージンロードへ向かわれるまで、待機をお願いいたします」
さあ、これからです。これから、わたしとノエル殿下の一世一代の舞台の幕が開きます。その後、世界は雪崩を打つように動き出すでしょう。どうか、その流れが、良き方向に向かいますように……、皆の幸せに繋がりますように……。
お父様の隣で、わたしは、そう願い続けていました。